2006/08/03 水俣の産廃場に反対 市民団体が署名【西日本】

 熊本県水俣市に計画中の大規模産業廃棄物処分場に反対する市民グループ「水俣に産廃処分場?とんでもない!全国の声」の土本典昭代表(映画監督)らが2日、環境省を訪れ、全国3918人分の反対署名簿を提出した。
 同グループは処分場計画に対し、水俣病の地に新たな汚染負担を強いる「人道上の大問題」と批判。熊本県、水俣市にも計画反対を求めており、環境省には、小池百合子環境相による反対見解の表明を求めた。
 これに対して環境省の担当職員は「産廃処分場の設置許可権限は都道府県知事にある」などと説明。環境相の見解表明については回答を控えた。

2006/08/04水俣に産廃?反対署名を環境省に提出【PJニュース】


「水俣に産廃処分場?とんでもない!全国の声」の代表・土本典昭氏(映画監督)から、産廃計画に反対する署名を受け取る環境省の担当職員ら。環境省にて。(撮影:奥田美紀)
【PJニュース 08月04日】- 市民団体「水俣に産廃処分場?とんでもない!全国の声」は2日、水俣に産業廃棄物処分場を建設する計画の撤回を求め、全国・海外から集めた3918人分の署名を環境省に提出した。

 産廃処分場の建設予定地は、熊本県水俣市の主要な水源である湯出川上流の山間部。現在、事業者による環境アセスメントが行われている。最終的には熊本県が処分場設置の審査をするため、同団体は、熊本県にも計画の撤回を求めてきた。

 今回の申し入れで、同団体・代表の土本典昭氏(映画監督)は、小池百合子環境相に「在任中に大臣として、水俣の産廃計画について意見を述べてほしい」と要望。事務局長の久保田好生氏は、環境相の私的懇談会「水俣病問題に係る懇談会」の最終報告書のとりまとめ作業が難航しており、政策的な水俣病患者の救済は成されていないとし「せめて(水俣の産廃については)慎重に考えて、といった見解を示してもらえれば」と訴えた。

 署名を受け取った大臣官房政策評価広報課・課長補佐の桑田信男氏は、環境相の見解については、回答を控えた。

 「水俣の人々の犠牲の上に日本の高度成長があったと考えると、産廃の問題はひとごとではない」と久保田氏。同団体は今後、熊本県にも計画を撤回するよう訴えていくもよう。【了】

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パブリック・ジャーナリスト 奥田 美紀【東京都】

2006/08/04 水俣産廃処分場問題 「地元で検討必要」 小池環境相が懸念表明【熊日】


 小池百合子環境相は四日午前の閣議後会見で、水俣市に民間事業者が計画する産業廃棄物最終処分場問題について、「(地域融和を図る)もやい直しを進めている中で、まちを二分するようなことになっている。熊本県を含め地元で(対応を)検討する必要があるのではないか」と述べた。この問題に関し、小池環境相はこれまで「地域の問題だ」と距離を置く姿勢を見せていたが、水俣病被害地域の再生の観点から懸念を表明したのは初めて。

 小池環境相は「循環型社会の構築という大きな観点からみれば、このような施設は必要と思う」としながらも、「水俣のこれまでの歴史を考えると、この問題に対して水俣の住民の方々の受け止め方というのは、他の地域と違う部分があるということは理解している」と発言。地元での対応の必要性を強調した。

 ただ、国としての対応には言及せず、同相自身の賛否は明確にしなかった。(亀井宏二)

2006/08/16 不知火海へ ―水俣病50年の現場を歩く 下.原点の地【神戸新聞】


交流求める胎児性患者/「地域福祉の底上げを」


チッソ水俣本部・水俣製造所(以前の新日本窒素肥料水俣工場)の正門。水俣病患者らが被害補償などを求めて何度も座りこんだ。今年は同社創立100年にあたる=熊本県水俣市
 水俣湾埋立地から茂道に戻る。水俣病患者の杉本栄子さんらとともに、無農薬で甘夏ミカンなどを作っている大沢忠夫さん(62)と会った。反農薬水俣袋地区生産者連合の事務局長。

 大沢さんは関西で患者の支援活動にかかわった後、一九七三年に水俣に移住。当時、京都で友禅染をしていたが、染料を川に流すことを「チッソと同じ行いだと感じていた」と言う。水俣病関西訴訟原告だった川元幸子さんのことは、提訴前からよく知っていた。

 「原告団の先頭に立っていた。尼崎の自宅にも行ったことがありますが、生活は大変そうでした。関西の原告は、みんな最後までよく頑張ったと思います」

□産廃処分場

 関西訴訟原告の最高裁での勝訴(二〇〇四年)は、地元にも影響を与えているという。判決は国と県の責任を認め、これまでの水俣病認定基準を事実上否定した。そのため認定申請者が続出して四千人を超え、新たな裁判も始まった。「今回の申請者は四、五十代も多い」と大沢さん。働き盛り。公害が「今」の問題であることを実感する。

 「大規模な産業廃棄物処分場を作る計画があるのを知っていますか」。大沢さんの口調が変わる。予定地は水俣市内の湯出川上流。水質汚染を心配する市民の反対運動が起き、今年二月の市長選では反対派の宮本勝彬氏が当選したが、計画は撤回されていない。

 「よりによって、なぜ水俣なのか。私たちは公害を教訓にし、環境モデル都市を目指しているのに…」


 大沢さんの薦めで、水俣の市街地にある小規模通所授産施設「ほっとはうす」に行った。水俣病胎児性患者八人と障害者四人の働く場。ここで作っている押し花や習字の作品が並び、喫茶コーナーもある。通所している女性がテーブルにコーヒーを運んでくれた。

 原田正純・熊本学園大教授は「(水俣病が)公害の原点として決定的となったのは胎盤を経由して胎児に障害を与えたことであった」と書いている。「人類史上初の事態であった」。胎児性患者も四、五十代を迎え、病状が進む。支える家族も高齢化している。

 施設長の加藤タケ子さん(55)は「国のやらないあらゆる支援をしています」と話した。九八年に開設。患者の相談相手になり、通院や所用に付き添い、家族の訴えに耳を傾ける。そして社会とのつながりを図る。「ここには子どもたちも遊びに来ます。地域に開かれた交流の場です」

 しかし、一つの民間施設ができることには限りがある。加藤さんらは、患者らのための地域生活支援センターの建設などを行政に要望している。「患者個人だけではなく、公害で病んだ地域全体の福祉の底上げが必要なんです」

□百間排水口

 チッソ水俣本部・水俣製造所(かつての同社水俣工場)の正門は、肥薩おれんじ鉄道(旧鹿児島本線)水俣駅の真正面にあった。企業城下町の“本丸”にふさわしい。液晶などを製造、現在も同社の中核工場だという。しかし、商店街などにはあまり活気がなく、地域経済を十分に支えているようには見えない。

 川元さんもこの工場で働いたことがあった。生前、「ちょっとでも排水に手がつくと、『洗って』と言われました」という話を聞いたことがある。

 製造所に沿ってしばらく歩くと、百間(ひゃっけん)排水口に着いた。六八年までチッソがメチル水銀を垂れ流していた地点。私たちの暮らしを便利にした塩化ビニールなどの原料を作るためだった。「水俣病原点の地です」と説明板にある。「一度、汚染・破壊された環境は、いかに莫(ばく)大(だい)な費用と労力をかけても元に戻すことはできません」。産廃処分場を計画する企業は、どう受けとめているのだろうか。

 ここからの水路は水俣湾埋立地の横を抜け、不知火海へ。百間排水口はちょうど、都市と海辺・漁村との境い目にあたる。

 水俣病が「公式確認」された五六年は、経済白書が「もはや戦後ではない」と記し、近代化を宣言した年だった。それから五十年。近代化とは、都市化とは何だったのか。美しい茂道の海を思い浮かべてみる。そして「苦海浄土」を書いた水俣の作家、石牟礼(いしむれ)道子さんの言葉をかみしめる。

 「文明の見直しをしなければならない。(中略)便利さではなく、潮が引いたら浜で遊ぶというような小さな幸せを保証してくれる文明が必要なんだと思う」

(松岡 健)

2006/08/30「水俣の産廃計画中止を」 知事に要望書提出【読売】

 水俣市で民間業者「IWD東亜熊本」が進めている産廃最終処分場建設計画に関連し、反対運動を展開している住民団体「水俣の命と水を守る市民の会」(坂本ミサ子会長)は29日、計画中止を求める要望書を潮谷知事あてに提出した。

 同会の会員ら総勢約120人で県庁を訪ねた。坂本会長が「知事は、建設計画を撤回するよう進言してほしい」と要望書を読み上げた。坂本会長や会員らは、「水俣病で市民はつらい思いをしてきた。(産廃問題で)子どもたちや孫たちをつらい目に遭わせたくない」などと訴えた。

 応対した金沢和夫副知事は「県は法制度上、業者から処分場設置許可の申請が出されたら、公平に審査する立場にある。だが、みなさんの意見や思いは、しっかり重く受け止める」と述べた。同計画は、市南部の山林に管理型処分場を新設するもので、IWD東亜熊本は環境影響評価準備書の県提出に向け、作業を進めている。



最終更新:2006年09月25日 11:07