9-509

 入学して皆が学校に慣れてきた頃。彼は時期はずれの転校生としてやってきた。
 黒い髪。威圧的な姿勢と態度。そして、何よりあの紅く燃えるような瞳。
 つかさは、そんなシンに対して恐怖、とまではいかないがそれに似たような感情を抱いていた。
 別にシンが暴力的だったとか、言葉使いが極端に乱暴だったとかではない。
 そもそも、つかさはあまり男子と仲良くできる性格ではない。むしろ男自体が苦手である。
 なので、つかさが、そんなシンに積極的にコミュニケーションを取れるわけもない。
 その頃は姉も「人の事いきなり呼び捨てとかどんだけ!」とあまり良い印象ではなかった。
 こなたの“親戚”とはいえ、友達にならずとも、ただのクラスメイトとして適度に付き合っていけば良い。
 それが姉妹で一致していた意見だった。
 だが、つかさの中で、そんなシンのイメージを払拭する出来事があった。
 一年の頃、こなたとの親交を深めよう。という名目で、かがみが急にこなたを柊家へのお泊りに誘った事がある。
 その日は両親、上の姉二人が急な外泊で家に居ない日だったので、少し心細かったのだろう。もちろん、つかさも賛同した。
 こなたも、その日はすんなりOKを出し、急遽こなたが柊家へお泊りすることが決まった。
そして、晩御飯係に立候補したつかさが、歩きでスーパーに向かう途中にそれは起きた。
「ん?」
 とある橋に差し掛かった時、川から小さな水しぶきが絶え間なく上がっていて、それが キラキラと夕日に反射していた。
 つかさは最初、魚が跳ねてるのかな? と思った。しかし、よく目を凝らしてみると
「……子供!?」
 川の真ん中で、女の子が水しぶきをあげながら溺れていた。
「え、うそ! ホントに子供が溺れてる!?」
 つかさは急いで、橋の真ん中まで走る。
 そこから覗いてみると、五メートル程下では、子供が水しぶきを撒き散らしていた。
「こ、こ、こ、こういう時は、どうするんだっけ!?」
 もちろん助けなければいけない。けど、どうやって? どうにかして。しかし、どうやって? どんだけぇ……。
 頭がぐるぐる、グルグル回って。
「えい!」
 つかさは、そのまま橋の上から飛び込んだ。
 普段なら絶対に足がすくんでしまうような高さではあったが、不思議と恐怖は感じなかった。
 ボチャン! と着水。
 別に泳げないわけでは無いので、そのまま子供の所までたどり着く事はできた。

「もう大丈夫だよ!」
 しっかりと少女を“前から”抱きとめる。
 しかしこれがマズかった……。
「ちょ、ちょっと待って、そんなにしがみつかれると、私泳げない!」
 もとから体力が常人以下であるつかさが、子供とはいえ人一人を担いで泳げるわけもない。
 少女は完全に我を失っている。純粋に酸素を求め、つかさにしがみつく。
 そして、その度につかさは水に沈む。つかさは空気を求めて手足でもがき浮かび上がるが、それで精一杯。
 つかさは何度も浮かんでは沈み、を繰り返す。完全なる悪循環。その上、
(痛!)
 右足の下腿から電気的な激痛が走る。
(嘘! もしかして攣った!?)
 ただでさえ、不足していた浮力がさらに少なくなった事により、事態は益々深刻化する。
 残りの手足は、その不足分を補うために体力を余分に消費する。
 やがて、脳で手足を動かそうとしても、体が動かなくなった。当たり前である。
 体力には限界があるのだ……。
 人は浮かばない。真理に反した言葉がつかさの頭をよぎった。
(……私、もしかして死ぬ?)
 つかさはどんどん落ちていく。
 体が言うことをきかない。水中から見える太陽の光がどんどん遠くなっていく。
(いや……いや! いや! 助けてお姉ちゃん! こなちゃん! お母さん! お父さん!)
 しかし、誰も応えない。つかさは、この冷たい水の空間でただ独りだった。
(助けて……誰、か……)
『……!』
 そのとき誰かが自分の手に触れた気がした。でも、つかさはそのまま意識を失ってしまった。


 気がつくと、脳が、肺が、心臓が動いていた。
(息が、できる?)
 プハぁ。
 つかさは半信半疑で大きく息を吸い込んだ。懐かしい爽快感が体中を駆け巡っていく
(気持ちいい……)
「よかった、一発で目が覚めた!」
(誰?)

 目の前で誰かが叫んでいる。確認しようとしても、まぶたが重くて視界がどんどん暗くなっていく。
「あ、こら! 目を閉じたら、また吹き込まなきゃならんだろうが!」
 ゴン!
「いた~い!」
 頭、特にオデコに鈍い痛みが走る。どうやら頭突きをされたようだ。
 だが、そのおかげで完全に視界が開けた。
 ここは相変わらず川の中心部。そして、目の前にいたのは、なんと同じクラスのシン・アスカだった。
 ちなみに、彼の上半身は裸だ。
(え、何でアスカ君がここに?)
「あきらめるな! しっかりその子を捕まえてろ!」
 シンが怒鳴るのに呼応して、つかさは自分が川に飛び込んだ理由を思い出し、すぐに少女の存在を探す。
 少女は真っ赤な顔で、つかさの腕にギュっ、と抱きついていた。


 つかさは肩で息をしながら、隣で同じく荒い呼吸を繰り返すシンを見つめる。
 流石というか何というか、シンは二人を抱えて岸まで戻る事に成功した。
 この行動の凄さは、一般人のつかさでも分かる。
 小柄とはいえ少女二人を担いだまま泳ぎ切るなんて事は、専門的な訓練を受けでもしない限り不可能だ。
 しかも、自分は完全に足が攣っていたのに。である。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「あ、ありがとうアスカ君。おかげで助か――」
「死ぬ気かこの馬鹿!」
 突然の怒声に、つかさはひくっと竦み上がる。
 燃えるような赤い瞳を吊り上げながら、シンはさらに声を張り上げた。
「川で誰かが溺れてるのを発見したらたら、他に助けを呼ぶのが常識だろ! 泳ぎが得意じゃないなら尚更だ!」
「あ、あたし……どうしたら良いか分かんなくて……」
 その時、
「ひかげちゃん!」
 一人の女性が猛烈な勢いで川岸を駆けてくると。そのまま、助けた少女に抱きついた。
「お姉ちゃん!」
「ひかげちゃん!」
 二人は強く抱き合ってから体を離した。
「私のバイト終わるまで待っててって言ったのに、どこにもいないから心配したのよ!」
「ごめんなさい。あのね、足が攣って溺れてたのをあのお姉ちゃんが助けてくれて、目が覚めたら二人がチュウしてて!」

「チュウ?」
「とにかくこのお兄ちゃんとお姉ちゃんが助けてくれて……うええええええん!」
「ああ! とにかく良かったわ! 本当に良かった……」
 姉は、目に涙を浮かべなが、目の前の小さな体を力強く抱きしめた。
 しばらくそのまま抱きしめあっていたが、再びひかげから体を離すと女性はこちら側に顔を向けて何度も頭を下げる。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
「いえ、助けてようとしたのは俺じゃないですから。そんな事より、この子を早くお風呂にでも入れてあげてください」
「でも、あなた達は……」
「俺たちは大丈夫です」
「では、今度お礼に伺いたいので、お名前と住所を教えていただけますか?」
「いや、お礼なんていいですよ」
「え、でもそういう訳には……」
 女性は、困ったような表情を浮かべた。
 シンはひとしきり考えて、
「なら、今度、そこの鷹宮神社でお守りの一つでも買って下さい」
「お守り……ですか?」
「それでちゃんとお礼になりますから。な、柊。いいだろ?」
「あ、うん……」
「というわけで、さ、早く」
「分かりました。本当にお二人共ありがとうございました」
 二人が去って行くのを見届けて、シンは再びつかさに目を向けた。
 つかさは、その赤い視線から目を背けるように俯く。
「アスカ君、ごめんなさい……」
 地面を見つめながら言った。怖かった。また怒鳴られると思った。
 でも、自分はそれだけ馬鹿なことをしたのだし、そのせいでアスカ君まで危険な目に合わせたのだから仕方が無い。
そう思って、怒声に備えて身構える。しかし、
「……いや、俺も言い過ぎたよな」
 予想に反して、彼の口から出たのは穏やかな言葉だった。
「昔似たような事があったから、つい感情的になった。でも、君の行動はマジで誉められたもんじゃないぞ。次から気をつけるんだ……」
 この穏やかさが、つかさをますます惨めにさせた。
「……ごめん、ね」
 自分の馬鹿さ加減にはほとほと呆れる、嫌になる。
 怒鳴られると怖い。でも、それよりも、優しくされるのは色んな意味で辛かった。
「う……うう……」

 ポタッ、と涙が零れた。一回落ちるともう歯止めは効かない。
「えええ! なんで泣くんだ!?」
「ごめん……ごめんね……私、馬鹿だから……」
 だから自分は駄目なのだ。姉とは違い、人に迷惑をかけ、人に助けられ、そして人に呆れられ嫌われる。
 つかさは別に人見知りなわけではない。
 自分の馬鹿さ加減で人に迷惑を掛ける事で、人に嫌われるのを恐れ、人と付き合えないのだ。
 ちなみに、それは過去に元友達だった少女達と、何度も経験した過程からくる恐怖でもある。
 腕で涙を拭う。でも自分の服はビショビショでとても気持ち悪かった。
 その時、
「え……」
 つかさの手に暖かい物が落ちる。それは、黒い学生服だった。
「と、とにかくだな。それじゃあ風邪引くから、上着だけでも脱いでそれを着とけ……その、別にそれで涙を拭いても構わないから」
 顔を上げてみると、そこにはいつの間にかカッターシャツを着ていたシンがいた。
「アスカ君は?」
「俺はカッターで十分だよ」
 彼は顔を真っ赤にしていた。
「……」
 つかさが呆気に取られて、何も喋れないでいると。シンは益々顔を赤くして言った。
「ああ~、その~、あれだ。突発的な事に混乱するっていうなら、これだけ覚えてるといい。
 次に何かあったら、まずは俺に知らせるんだ。君が被るトラブルぐらい、俺がすぐに薙ぎ払ってやるよ」
 相変わらず彼はぶっきらぼうに言う。けど、その言葉はつかさを想う気持ちで溢れていた。
 彼は優しい。でも、いろいろ不器用なのだろう。
(アスカ君……)
 つかさはその場で手早く上着を脱いで、男物の制服に袖を通す。
 近くに男がいるにも関わらず、お構いなしの大胆な行動に、シンは急いで目を逸らした。
 シンの制服。袖は長いし、いたる所はブカブカ。でも……、
(男の子の匂い……)
 その制服は、着ているととても落ち着いた気持ちになれた。
(何でだろ、頭がボーっとする……)
 その日、つかさはシン・アスカとは怖い存在ではなく、自分に優しい存在であることを知った。。
「あぁぁぁ! しまったぁ!」
 その男は突如奇声を上げると。彼は素早くカッターを脱ぎ捨てて上半身裸になり、なぜか川の中に再び入っていく。
「え、ど、どうしたの!」
 川の中腹まで泳ぎ、そこに浮かんでいた何かを掴むとまた戻ってきた。

 その手には、いわゆる萌え、と言われる可愛らしい女の子が露骨にプリントしてあるリュックサックが握られていた。
 というか、よくこんなの持って天下の横道を歩けたものである。
「こなたに持ってくるよう頼まれてた、お泊り用の服がビショビショに……」
「ふ、服? ……ぷっ、あははははは」
「な、なんだ? なに笑ってるんだ?」
「ごめんねぇ。だって、大げさに『あああ! しまった!』 って言うから何事かと思って。
 でも、実際大した事無かったから、可笑しくて」
「おいおい、笑い事じゃないよ……居候っていうのは肩身が狭いんだから……はぁ、怒るかな、あいつ……」
「あ、そっか。私を助ける時、服を脱ぐ時に捨てちゃったんだね……ごめん、私も一緒に謝るよ」
 その後、こなたは事情を聞いて、鞄のなれの果てに涙はしたものの、状況が状況だったので怒ったりはしなかった。
 そして、流石に家と柊家を二往復させるのは可哀想だと思ったのか。
 下着はコンビニ、服はかがみのを借りてその日の出来事は終わった。
 もちろん、シンはシャワーだけ借りるとすぐに帰った。

 つづく。次回の投下で完。

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最終更新:2007年12月02日 17:18
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