教室に注ぐ夕日が目に染みた。
昔の思い出にふけっていたら、いつの間にか一時間もたっていたらしい。
「あれから、シン君とおしゃべりができるようになったんだよね……」
彼が
つかさにとってかけがえの無い人になるのに、そう時間は掛からなかった。
今でも怒ると怖い。
ぶっきらぼう。
エッチ。
でも……、
(シン君、好きだよ……大好き)
つかさは、シンの上着を抱き締める。
今は、静かに目を閉じてそのぬくもりに浸っていたかった。
が、その希望は叶えられないようだ。
「つかさ。いるかぁ?」
委員会の会議からシンが戻ってきた。
「え、シン君!? うわぁ!」
唐突な呼びかけと、恥ずかしい行動を見られたという驚きのあまり、つかさはバランスを崩して、座っていた椅子ごと傾いた。
「なっ!?」
シンは急いでドア付近から駆け寄ると、つかさの肩を掴んで、転倒を防ぐ。
「あ、ありがとう。助かったよ」
「はぁ、びっくりした……ほんと、つかさは危なっかしいな」
「うう、ごめんね……」
と、ここで、つかさはシンと一緒に体育委員の会議に出ていたはずの、姉の姿が無い事に気付いた。
「あれ、お姉ちゃんは?」
「ああ、ちょっとヤボ用ができて職員室に行ってる。俺はつかさを呼びに来たんだ」
「そっか。もしかして、まだ時間がかかるのかな?」
「いや、すぐ終わるから先に下駄箱で待ってて、だそうだ。だから下手したらもう居るかもしれん」
「そうなんだ、じゃあ行こっか」
そう言って、つかさは椅子から立ち上がろうとした。すると、
「あれ?」
長時間座っていたせいか、急に眩暈がした。
シンはため息を一つ吐くと、黙ってつかさの背後に回り、体を支えた。
「つかさ、お前は本当に目が離せないな……」
「……ねぇシン君」
「ん?」
「また、私が危なくなったら助けてくれる?」
つかさはシンにもたれかかりながら言った。
「……どうしたんだ急に?」
「私、いつも迷惑かけてるから。嫌になったりされないかなぁ、って思って……」
実は前から懸念していた事。今まで何度も経験した事。
不安げなつかさの表情に対し、シンは怪訝な顔をした。
「そんなわけないだろ、何でそんな事言うんだ?」
「私……馬鹿だから。嫌われる事も多くて……」
シンにだけはそんな風に思われたくない。けど、親しくすれば自分は絶対に人に世話をかける。
それは分かっている。だけど、だからといってシンと距離を離すなど考えられない。けど嫌われたくない。
そんな矛盾に今までどれだけ苦しんだだろう。どれだけ眠れぬ夜を過ごしただろう……。
だが、そんな不安を包み込むように、つかさの頭に大きくて、暖かい手がポンッ、と置かれた。
「シン君?」
「呼べばいいだろ」
「えっ……」
「呼べばいいだろ。そうすれば、俺はいつでもつかさを助けてやるよ」
「でも、そんなの……迷惑でしょ?」
シンはつかさの言葉を聞いて、海より谷より深いため息を吐いた。
「なぁつかさ。お前、もしかして自分は常に誰かに何かをしてもらってる立場だと思ってないか?」
「だって、実際そうだし……」
「それだったら、俺はつかさの事を助けたりなんかしないさ。人間なんて何だかんだ言っても結局は損得で動く生き物だからな」
「じゃあ私……駄目だね。私が皆にしてあげられる事なんて何も無いもん」
「人の話を聞けよ馬鹿。そんな事ないから、俺はつかさの事を助けてるって言ってるだろ……」
「え?」
「俺はつかさに、いつも救われてる」
「……そんな事」
「お前は、そのままで居てくれればいい。そのまま優しいお前でいてくれれば、それだけで俺たちは笑っていられる」
「そのまま?」
「そう、そのままだ。だから、俺はつかさがつかさである限りつかさを守るし。
つかさの良さが分かってる
こなたや高良も、お前の親友であり続けると思うぜ」
「でも……」
「お前を嫌う奴は馬鹿なんだよ。自分がつかさから受けている恩恵に気付いてないんだ」
「私と付き合って得な事なんて……」
「自信を持てよ、柊つかさ。お前は守られてるばかりの女じゃない。ちゃんとお前しか持ってない大切な物をみんなに与えてる」
そう言って彼は微笑む。こんな風に言われたのは初めてだった。こんな風に自分を必要とされたのも初めてだった。
心がポゥ、っと泣きたくなるほど熱くなるのを感じる。
(ああ……やっぱり私はシン君の事……)
彼の優しい言葉にこれほど心が満たされる。
いや、言葉だけではない。その仕草や気遣い、その存在だけで……。
「いやぁ~、我ながら恥ずかしい事を言っちゃったな。こんな事、こなたには言わないでくれよ。あいつ絶対笑うからさ」
照れくさそうに笑う彼の手と体が離れていく。つかさは少し名残惜しそうにそれを見送った。
「それはそうと、俺の上着はどうなった?」
「……出来てるよ。はいシン君、上着」
「お、サンキュー」
シンは差し出された上着を受け取って、ボタンを確認する。もちろん、バッチリ直っていた。
「ほんと。つかさが居てくれて助かったよ」
言いつつ、シンは上着を羽織った。
――居てくれて良かった。
その言葉を受けて、つかさは少し勇気が沸いた。
「つかさ?」
つかさは、頭をシンの体にポスンと預ける。
「ど、どうしたんだよ?」
困惑するシンとは対照的に、つかさはなぜか落ち着いていた。
「シン君の匂い。私、好きだな……」
「へ?」
「シン君……私ね……」
シン君の事、大好きだよ。
いまなら自然に言える。今日のつかさの心はなぜか暖かいものに満たされていた。
そこに、発言の後の不安だのおびえなどという感情が入り込む余地など無い。
「シン君の事、だ――」
「お前、そういう性癖だったのか?」
「いス………………って、はい?」
つかさは素っ頓狂な声を上げながら、頭を起こした。
そこには怪訝な表情を浮かべ、首を傾げるシンの姿があった。
「そうか、匂いフェチってやつか……」
「……え、ええ~! 違うよ! そうじゃないよ!」
つかさは顔を真っ赤にしながら言う。
というか、何でそんな話になるのだろうか?
「なんだ、別に恥ずかしがる事無いだろ? 人には多かれ少なかれそういう趣向が必ず一つはあるもんだ」
ケラケラと笑いながら言ってくる。
その笑顔は、純粋に可笑しくて笑っているといった感じではなく、
どちらかと言えば、子どもが悪戯する時に浮かべる、面白くてたまらないといった感じの顔だった。
「シ、シ、シ、シン君、もしかしてわたしの事からかってない?」
「違うって。俺は別にフェチなんてあったとしても恥ずかしがるものじゃない、という事を言ってるんだ。
……まぁ、今の、あわあわ、言いながら慌ててたつかさを見てるのは面白いと言えば面白いが」
これは流石にカチン、と来た。つかさはバリバリ本気だったのである。
その上、今になって自分の言おうとした言葉に対する恥ずかしさがこみ上げてきた。
「も、も~! シン君のくせに~! ほんと、どんだけぇ!」
「返しは、いかほど~。だっけ?」
シンは間延びした口調で言いつつ、つかさの頭をなでなでする、
先ほどとは違い、これはもう完全に人を子供扱いしている時の行動だ。
「もう、知らない!」
つかさは踵を返して、教室から出て行こうとする。
「おい、つかさ。一緒に帰るんだろ?」
背中越しにシンの声が届くが、振り返る事無く
「一緒に帰りたいけど、帰らない!」
と言って、歩くスピードを速めた。
その時、
「え?」
つかさの手にシンの手が重ねられた。
「シ、シン君!?」
つかさの頬にスッ、と赤みがかかる。
「悪かったって。一緒に帰りたいんなら帰ろうぜ。早くしないとかがみにどやされるぞ」
そのまま、シンは勝手に歩き始める。顔を真っ赤にしたつかさも釣られ歩く。
大体、こんな事をされたらシンについて行くしかない。
体が高揚して言う事を聞かない。というか、離す気も起きない。
つかさは、手の暖かさを感じながら、嬉しいやら、こんな事で怒りが納まる自分がちょっと情けないやらで内心複雑だった。
「う~~。シン君、ズルイよ……」
「ん? つかさ、今、何か言ったか?」
「……シン君、ズルイって言ったの」
「なんで?」
「それは言えないけど……」
「? へんな奴だなつかさは」
シン・アスカ。
彼は、怒ると怖い。
ぶっきらぼう。
エッチ。
そして、ちょっとズルイ。
でも、やっぱり自分は、そんな優しいシンが大好きだった。
ちなみに……、
この後、二人が手を繋ぎながらやってきた姿を見たかがみが、声にならない叫びをあげたのは言うまでも無いだろう。
『裁縫事情』完
最終更新:2007年12月23日 12:29