陵桜学園、占拠される。
その一報が埼玉県警に入ったのは、事件発生から実に二時間が経過した後だった。
きっかけはその時間に警察とマスコミ各社に届いたDVDビデオだった。一部の近隣住民は事件に気づいていたが、そのときは既に携帯電話やインターネットを含むすべての通信手段にジャミングがかけられた後だった。彼らが使う通信機を除いて。
『このディスクが正確に届いているなら、現時刻は1400時頃でありましょう。以下はその前提で話を進めます。
さて、我々開道教は本日1200時を以て、私立陵桜学園高等部を占拠いたしました。まずは生徒1783名の命は我々の手の中にあることを宣言しておきましょう。
我々はいかなる交渉、司法取引、もしくは懐柔の一切を拒絶します。1時間後に連絡いたします。そのときに、我々の要求を伝えましょう』
この犯行声明を見た県警が機動隊を学園に派遣したときは既に、彼らは陵桜学園を一個の要塞へと改造した後だった。
少し時間を戻す。
シン達五人と
その他の生徒達は、携帯電話を取り上げられた後、押し入ってきた完全武装の兵士達に誘導されて廊下を歩いていた。今廊下で誘導されている生徒と教員を見る限り、階層ごとに分けて誘導されているようである。
頭の後ろに手を組まされた人質達を誘導するのは、合計で八人ほどの武装した男達だった。全員、ベルギー製の最新自動小銃を手にしている。
(相当に手際がいいし、装備も無駄なオプションは一切つけない実用一点張り……それも一種類に統一してコストダウンをはかっている……こいつら相当訓練されてるだけじゃなくて、場数もそれなりに踏んでるな……)
こなた達と共に誘導されながら、シンは相手の力量を推し量っていた。
(無駄な殺しはしないタイプだけど……殺しをためらうような連中でもない……下手に騒がない方が身のためか……)
「わ、私たち、これからどうなっちゃうの?」
不安げな
つかさの言葉に、シンの思考は断ち切られた。声の方を向くと、今にも泣き出しそうな表情のつかさがいた。
「と言うか……これってどういうことなの? 占拠するにしたって、何でよりによってうちの学校なのよ?」
「静かに」
不安げなつかさと、彼女に続いて口を開いたかがみに向かってシンは言う。
「下手にしゃべるな。目をつけられたら終わりだぞ」
「ちょっと……」
反駁しようとしたかがみの言葉は、まるで巌のようなシンの表情に押さえ込まれた。こなたと同様、シンのこんな表情を見るのは初めてだった。
「こいつら間違いなくプロだ。無駄な殺しはしないけれど、必要ならいくらでも殺すタイプだぞ。出来るだけ静かにして、目立たないようにしていろ」
有無を言わせぬ表情と言葉に、
かがみも思わず頷いた。その視線の先には、硬い表情のシンの顔がある。
その表情に、かがみは編入当初のシンを思い出していた。常に表情を張りつめさせ、全身を緊張させたその姿に、むき出しのカッターナイフを連想したことを今でもよく覚えている。
あれから三ヶ月近くがたち、シンの方も同居しているこなたにほだされたのか、人が変わったようにゆるくなった。それこそ、コスプレ喫茶でのバイトに何の疑問も抱かないぐらいに。
その彼が、やっと普通の暮らしを得て、同年代の少年と同じようになりかけていた彼が、再び戦士の顔になっている……かがみは、自分たちが人質にされていること以上に、その事実に対して強い怒りを覚えていた。
そのままテロリストに誘導され、連れて行かれた場所は第一体育館だった。そこまで誘導される途中で正門の前を通るが、誰もいない。警察も、マスコミも、だ。どうやらまだ誰もこの事件に気づいていないようだ。
入り口に向かって誘導されながら、シンは考える。
(下手なことはしない方が身のため……けれど、ここでじっとしていたって、事態は好転しない……何らかの手段で、警察に連絡できれば……)
瞬間。
首筋に何かが突き立てられたような錯覚を覚えて、シンは勢いよく振り向き、立ち止まった。
視線の先には、一人の男がいた。
短く刈り込まれた髪に、細面の容貌。細い肉体を戦闘服で包んでいるが、そこに弱さはない。徹底的に鍛え抜かれた力強さがそこにある。ほかのテロリストと同じように、彼も銃を手にしていたが、それは周りが持っているSCAR─Hとはまるで違う銃だった。
独特の形状の細身の銃身に、頬が当たる部分で緩やかなアールを描くストック、ほかの銃に比べて複雑きわまりない形状のフラッシュハイダー……。
シンにもう少しこの国の軍事に関する知識があれば、それが自衛隊の正式小銃……89式小銃であることがわかっただろう。
だがそれらの中で何よりもシンの注意を引いたのは、眼光だった。見るものをすべて射すくめるそれに、シンは幼い頃両親に連れて行かれた博物館で見た、抜き身の日本刀を連想した。
「さっさと歩け!!」
いきなり後頭部をストックで小突かれ、シンは我に返り、あわてて歩き出した。
(マークされたかもな……)
仏頂面でそう考えながら、シンは不自然でない程度の早足で先を行っていたこなた達に合流した。
「たく、学生が」
シンを小突いた男(朝のトラックの中で通学路を監視していた男だった)は舌打ちして唾棄する。その様子を誘導されていた生徒が不安げな瞳で見ていた。
「見せ物じゃねぇぞ」
こちらを見ていた生徒に低い声で言い、銃口をちらつかせる。おびえた生徒は一目散に体育館へと駆けていった。
その様子を鼻で笑う男。作戦時の緊張の中で、多少は溜飲が下がった様子だった。
「ノグチ」
と、背後から少しかすれ気味の、それでいて鋭い声がかけられる。ノグチと呼ばれた男があわてて振り向くと、89式小銃を持った男がいつの間にか背後に立っていた。
「い、イイヅカ隊長!! 何のご用でしょうか!?」
相手の姿を認めた瞬間、ノグチは直立不動となっていた。元々彼は生粋のテロリストで、所謂軍規などとは無縁の生活を送っている男だったが、目の前の男にはどんな人間でもそうさせてしまう妖気のようなものがあった。
「今お前が殴った男子生徒……あいつから目を離すな」
「はっ?」
イイヅカの単刀直入な命令に、ノグチは間抜けな声を返していた。
「今の男をですか? 何故です?」
「気づかなかったのか? あの男子生徒、ただ歩く振りをして俺達の戦力を観察していたぞ」
「ええ!? あんなちびのガキがですか?」
イイヅカの言葉に、ノグチは素っ頓狂な声を上げる。
「おれも見ただけでは確証が得られなかったがな……試しに殺気を向けてみたらあの反応だ。ただのちびのガキなら、殺気に対してあんな反応は返さない……そもそも、殺気を向けられていること自体に気づかない。おそらく、何らかの形で実戦を経験しているぞ。あの学生は」
「しかし……いや、待てよ」
「どうかしたか?」
あごに手を当て、考え込み始めたノグチに、イイヅカは眉をひそめて聞き返す。
「二年の教室を制圧した連中が妙なことを言っていました。男子生徒の中に、やたらと動きがいい奴がいたと」
「動きがいい奴?」
「はい。何でも、銃声がなった瞬間に傍らのクラスメイトを押し倒して伏せさせたとか何とか……完全に、訓練された動きだったとも言っていました」
「あの男子生徒は何年生だ?」
「二年生です」
ノグチの言葉に、イイヅカの確証はより確実なものとなった。
「決まりだな。お前のチームであの生徒を監視しろ。いつ何時も絶対に目を離すな」
「了解!!」
ノグチは力強く答え、通信機に手を伸ばした。
体育館に生徒全員が集められたのは、テロリストたちが押し入ってきて30分ほどたったときだった。
学年、と言うよりも階層ごとに集められているのか、列に全く一貫性がない。いる人間をとにかくつれてきて一カ所に放り込んだ……そんな感じがした。その状態で、さらに1時間半ほど放置されている。
(今のうちにいろいろ準備してるんだろうな、こいつらは)
周りにいる生徒を見渡すと、全員例外なく落ち着きがない顔をしていた。当然であろう。突然何の前触れもなく、見ず知らずの男たちの手によって日常が破壊されたのだ。落ち着けという方が無理な相談である。
「エー……皆さん、とりあえずお静かに」
そのとき、体育館のスピーカーを通して、男の声が響く。その時点で不安げに小声で話す生徒はいたが、騒いでる生徒など何処にもいなかった。大声を出そうにも、テロリストたちの銃口にふさがれていた。
壇上を見ると、肩までの黒髪にめがねをかけた男が、マイクを掴んでいた。シン達にはむろんわからないが、犯行声明を読み上げていた男だった。
「エー、皆さんをここに連れてくるときにも申し上げたとおり、この学園は我々開道教が占拠いたしました。
あなた方は我々の目的を達成するための人質と言うことになります。とりあえずはここで待機していただきます。
政府の回答次第で、あなた達の安否が決まりますので、日本政府がよい返事を出すことを期待しておいてください」
それだけ言うと、男はさっさと退いてしまった。こちらの疑問には最初から答える気がないと言うことか。
「なぁ、高良」
「は、はい?」
突然シンに声をかけられた
みゆきは、裏返った声で返事を返す。このような状況下では無理もない。こなたをはじめとした周りの生徒たちも概ね似た様な状態だった。
「……いや、何でもない。忘れてくれ」
「い、いえ!! 私は大丈夫ですから……話しがあるなら、どうぞ」
「いや、状況が状況だし、いつも通りなんてはなせないだろ?」
「…………」
「高良?」
「……いつも通りじゃなくていいです」
黙り込んでしまったみゆきにシンが怪訝な声を上げると、表情を堅くしたみゆきがゆっくりと口を開く。
「いつも通りじゃなくても、いいんです。何か話していないと……その、押しつぶされてしまいそうで……」
目尻に涙をため、絞り出すように言うみゆきの姿に、シンは自分がこの学園でどれだけ異質な存在か思い知っていた。同時に、周りの人間の心情を考えずに、情報収集に徹していた己を恥じた。
「……ごめん」
「え?」
いきなり謝るシンにみゆきは驚いた声を返す。
「おれ、みんなの気持ちをなんにも考えずにさ……知りたいことばかり知ろうとしていたからさ……それで、その」
「あ、いや、それは……仕方がないと思います。だって
アスカさんは……その……私たちと少し育ちが違いますから……」
言ってからみゆきは、自分の言葉の意味を悟る。
「あ、いや!! 勘違いしないでください!! その、そういう意味じゃありませんから!!」
「いや、いいって。ちょっと周りと違うのは自覚してるから、気にしないでくれ」
「は、はい……すいません……あの、それで、何を聞こうとしたんですか?」
苦笑しながら言うシンに、顔を赤らめながら問うみゆき。
「ああ、忘れるところだった。あいつら、カイドウキョウとか名乗ってるけど、いったいどんな連中なんだ?」
「日本人なら知らない奴はいない、最低最悪のテロ集団よ」
シンの疑問に吐き捨てるように答えたのは、かがみだった。こんな状況下にもかかわらず、嫌悪感を隠そうともしていない。
「かがみんの言うとおりだね。ショッピングモールで毒ガスばらまくわ、朝の東京駅を爆弾で吹っ飛ばすわ……
アニメにもなかなかいないよ、こんな連中」
いつもよりも覇気がない口調で、こなたも同意する。こちらも同じように嫌悪感がむき出しになっていた。
「毒ガスに爆弾って……本当かそれ?」
「本当です。ショッピングモールではVXガスが、東京駅ではセムテックスと呼ばれるものが使用されたそうです」
みゆきの言葉にシンは完全に絶句した。
「ど、どうしたの?」
いきなり黙り込んでしまったシンに、つかさが心配げに聞いてくる。周りが話し始めたおかげで、ある程度は立ち直ったようだ。
「セムテックスにVXって……まともじゃないな」
「なに? それってそんなにやばいの?」
「セムテックスは探知が困難なプラスチック爆弾の代表格なんだ。相当に強力な爆薬で、250グラムあれば航空機の破壊が可能だ。それを朝の駅なんて人が密集した場所で使うなんて……」
「東京駅爆破時には、ホームに進入した車両の先頭から二両が爆発して、合計で371名の死者と、2000人近い重軽傷者が出たそうです」
「ショッピングモールの方はさらに最悪ね。エアコンのダクトにガスが流し込まれて……こっちも400人近い死者が出て、今でも後遺症に苦しむ人が1000人以上いるわ」
かがみが吐き捨てる様に、みゆきの後を引き継いだ。
「VXとか言うのは、どんなのなの?」
「こっちも最悪だ。
VXガスはもっとも毒性の高い化学物質の一つなんだ。使われたのがサリンとか科学的に不安定な物質なら水で洗い流せるけど、VXガスは科学的に安定していて、温帯の一般的な気候なら、一週間は効果が残るんだ。
もちろん水に溶けないから、科学洗浄が必要になる。最悪、ガスが付着した物体に触れただけでもダメージを受ける……こんなのを人口密集地で使うなんて、本当にまともじゃないな」
こなたの問いにシンはよどみなく答えた。
「なんか、パイロットの割には、随分いろいろ詳しいね」
「当たり前だ。NBC兵器に関する知識は、白兵戦とモビルスーツ戦闘に次ぐ重要事項だったからな。それより、もう少しこいつらのことを……」
シンの言葉は、シン達がいる場所の反対側……体育館の西側で突然起こった争乱にかき消された。
そちらに目を向けると、一人の女子生徒が男たちに連れて行かれようとしていた。その女子生徒の顔を見たこなたが、素っ頓狂な声を上げる。
「ゆーちゃん!?」
今まさにテロリストたちに連れて行かれようとしているのは、こなたの従姉妹の小早川ゆたかだった。
「…………!!」
その光景にシンは唇を噛みきった。引き結ばれた口の端しから血が一筋、滴り落ちる。
(落ち着け……目立つ行動は……)
次の起きた事象は、そんなシンの思考を完全に粉砕した。
緑色の髪の、別の女子生徒……
ゆたかの親友の岩崎みなみがテロリストにつかみかかったのである。だが、たかだか女子高生の腕力が、幾度かの実戦を積んだテロリストに通用するはずもなかった。
ゆたかを立ち上がらせた男の左腕をつかんだ
みなみの両手はあっさり振り払われ、続いて突き出された手のひらに突き飛ばされた。
その様子はシン達がいる場所からも見えた。その場の全員が凍り付いていた。一人を除いて。
「やめろ!!」
シンは、気が付いたら立ち上がって叫んでいた。生徒たちを囲んでいた銃口が、一斉にこちらを向くのを感じ取る。
「その子は体が弱いんだ。ただでさえこんな状況下なんだぞ? いつ倒れるかわからない。連れて行くなら、俺を連れて行け!!」
もう失いたくない。今のシンの頭は、この思いしかなかった。
最終更新:2008年02月17日 04:54