『たった一つのツーショット』
修学旅行中。ちょっとした事件が起きた。
「どうしよう……」
三年C組、柊かがみはホテル本農寺の小綺麗な通路で座り込んでいた。
その手には、
話がしたいので
今夜9時に泊まってる
ホテルの前で
会ってください。
とある
男子より
「…………あぁ」
かがみは顔を真っ赤にしてため息なんてついてみる。
何度読み返してみても、
(これって、やっぱりあれよね……)
――修学旅行中にくっつくカップルっているわよねぇ。
自分の言った言葉が頭の中で反芻する。
まさか、自分がその機会を得るとは思わなかったので、心中は穏やかでない。
(……一体、誰からよ)
それにしても、手紙に差出人の名前を書かないというのはどういう神経をしているのだろ
うか。
かがみはまだ見ぬ相手の神経を疑った。
恥ずかしいから。会わないと決心がつかないから。とか、しょうもない理由でこういう手紙
に自分の名前を書かない奴がいる。
というのは聞いたことがある。聞いた事はあるが、それは卑怯だとかがみは思う。
向こうはしっかり時間をかけて悩んでから手紙を出したのだろうから、せめて受け取った
側にも、
同じ時間とは言わないが、指定した時間まで、その人の答えを受けるか否か正しく悩ま
せる猶予を与えるのが、こういう手紙の流儀であり、定義であり、最低限のルールのはず
だ。
なのに、今回は名前が書いていないのでそれもできない。
全くもってふざけた話だ。向こうは準備万端のくせに、こっちには土壇場勝負で来いと言
っている様なものである。
「普通書でしょ名前。っていうかそれが一番重要だし……」
言いつつかがみは、手紙をジーっと見つめる。
無意識にその手紙の筆跡を、ある人物の筆跡と照らし合わせていた。
アイツの筆跡。
それは勉強会でノートを見せ合っているから良く覚えている。だから言える。
アイツじゃない……。
「はぁ……」
と、本日二回目のため息をついた後、かがみはハッとした。
「って! なんでシンじゃなくてがっかりしてるのよ、私は!」
「呼んだか?」
「うえぇ!?」
かがみは自分でも驚くような奇声を発しながら、顔を上げる。
いつのまにか、目の前には男が仁王立っていた。
寝癖のようなボサボサ頭に、燃えるような真っ赤な瞳。黒い学生服の開かれた襟元から
見える校則違反の赤いTシャツ。
三年B組で修学旅行ゴミ係のシン・アスカである。
「なんて声を出してるんだよお前は……」
シンは怪訝な表情を浮かべて言った。
「ち、ちょっとシン! あんたここは女性の階層よ!」
修学旅行の宿泊先では男と女を階層で分ける事が多い。
今回の場合、二階が女子、三階が男子である。正直、女子生徒ばかりの空間に男子生
徒が一人というのはかなり目立っていた。
そんなかがみの疑問を感じたのか、シンは、
「
こなたに呼び出されたんだよ。
つかさや高良と対戦したいから俺のDS持ってきてくれって
言うもんでな。今はその帰りだ」
「そ、そうなんだ……」
「ところで、何をしていたんだ?」
「えっ……」
かがみは思わず口をつぐんだ。
何をしていた。と言われれば手紙を読んでいたのである。しかし、
「べ、別になんにもしてないわよ……」
かがみは嘘を付いた。
「そうか、ならいいが……」
シンはそう言って納得したように小さく頷いたが、すぐに考え込むように指で顎をなぞり、
「いや、やっぱり聞こう……神妙な顔してそんな事を言っても説得力0だぞ。何かあったの
か?」
と、いつもは鈍いくせに、今日は余計な意味で鋭かった。
「だから、別に何でも無いって……」
「嘘つけよ。俺が力になれる問題なら手を貸すぞ?」
「嘘じゃ無いわよ……」
「本当か?」
シンは眉をひそめながら、かがみの顔を覗き込んだ。
「……」
かがみはそんなシンから視線を逸らす、
しかし、シンは首を器用に動かしてその紅い瞳をかがみに合わせてくる。
「ち、ちょっとシン。やめてよ……」
「俺の目を見て言ってみろよ」
「……」
不思議だった。
あの紅い瞳に見つめられると、全てをさらけ出したくなる。打ち明けたくなる。
「本当に何も無いんだな?」
シンは真剣だった。真剣に自分を心配して言ってくれていた。
かがみは、
(打ち明けてみようかな……)
そう考えて始めていた。
よくよく考えてみれば自分はこういう事には慣れてない。だから男性側からの意見という
のも参考になるかもしれない。
(そう、そうよね。こんな事が相談できる男友達はシンしかいないから“仕方無く”聞くのよ。
決して他意は無いわ)
かがみはそう決心して。
「……あのね」
と、手紙をシンに見せようとした時、
『
アスカくーん♪』
どこからともなく若い女性の声が響いた。
シンは視線を声の方に向ける。かがみも吊られて同じ方向に顔を向けた。
視線の先では数人の女の子達がこちらに――というかシンに手を振っていた。
(誰、あれ?)
制服からして一緒に修学旅行に来ている陵桜の生徒みたいだが、全員かがみの知らな
い女の子だった。
顔すら見覚えが無いので、おそらく付き合いの薄いA組かD~M組の人達だとは思う
が……。
「お~」
シンは間延びした返事をしつつ、女子生徒のグループに軽く手を振り返す。
女子達は頬を染めたりなんかして、さらに手を振り返している。
「……だれよ?」
かがみはにこやかに手を振り続ける男に、少しぶっきらぼうに聞いた。
「へ? 知り合いだよ」
「どういう?」
「どういう、って言われても困る。顔見知りだよ、顔見知り」
「……」
最近、シンはそういうのが増えたとかがみは思った。
入学して間もない頃は、シンは「俺に関わるな」オーラをプンプン出していて、
女子生徒の間では、怖い、無愛想、不良、と陰口を叩かれて距離を置かれていたが、
最近ではそんなオーラは影を潜め、友好的とまではいかなくとも、人と付き合う上で前向
きな態度を取る事が増えた。
そうなれば、頭脳明晰、スポーツ万能、端正な顔立ち、と三拍子揃っているシンはモテ
る。
挙句の果てに、女子生徒から怖いと言われていたあの紅い瞳も、今では「外人みたいで
素敵♪」とかいわれる始末。
結果、シンの交友関係はかがみ達が知り得ない領域(主に女子)にまで広がっていた。
それ自体は良い事だ。友達であるシンが良い意味で成長しているのはかがみにとっても
嬉しい事だ。だが……。
「ところでかがみ。何か言い掛けたか?」
シンは女子生徒に笑顔を振りまき終わると、改めてかがみに向き直った。
「別に、何でもない……」
かがみは、なんか急にシンに見せる気が失せた。
「? 嘘つけよ。絶対何か言い掛けてただろ」
「言い掛けてない」
シンは眉をひそめた。
「……人が心配してやってるのに。可愛くない奴だな」
「なっ! 可愛くなくて悪かったわね! シン君はおモテになるようですから。
こんな可愛くない女といるより。さっきみたいな可愛い女の子と話してきたらいかが!?」
「何、興奮してるんだよ……」
「別に興奮してないわよ!」
「ふぅ」
シンは、勘弁して欲しいぜ……。とでも言いたげに肩をすくめた。
「分かった。悪かったよかがみ。とりあえず落ち着……んっ?」
と、ここでシンの動きがピタリと止まり、その紅い瞳はある一点を見つめた。
「かがみ。お前、何を持ってるんだ?」
何。というのはもちろん、例の手紙だった。
「これ? これは別に何でも無いわよ……」
かがみは、手紙を背中に回してシンから遠ざけようとした。
「なんだよ、隠さなくてもいいだろ」
だが、隠されれば見たくなるのが人間というものだ。
そうなれば、コーディネーターの反射神経は並ではない。かがみが手紙を背中に隠し切
る前に、シンの手がヒョイっと伸びて、
「あ、ダメ!」
かがみの手から手紙を取っていってしまった。
「どれどれ。かがみは何を読んでいたのか、な……」
そして、シンは手紙を流すように見て、
「……」
無言になった。
「返して!」
かがみは素早く手紙を奪い返すと、そのまま、キッっとシンを睨む。
「最低! 勝手に人の物を勝手に取り上げるなんて!」
「わ、悪かったよ……」
シンはさすがに罪悪感あらわな顔で頭を下げた。
しかし、かがみの怒りは収まらなかった。
「馬鹿馬鹿! 馬鹿シン! どっか行って!」
「分かったよ。もう行くよ……」
そう言って、シンは踵を返した。
かがみは、そのシンの後ろ姿を見て、
「ち、ちょっと待ちなさいよ!」
呼び止めた。
「はぁ?」
シンは足を止めて、またこちらに顔を向けた。
「お前、どっか行けって言ったり、待てって言ったり……まぁいいや。なに?」
「え、あ、いや……」
なんで自分は呼び止めたのだろう。かがみは考えてみるが全く見当が付かない。
見当が付かないが、口から言葉はちゃんと出た。
「シン、私はどうすればいいかな?」
「……質問の意味が分からないんだけど」
シンは首を傾げながら、ごもっともな意見を述べる。でも、
「いや、だから……私がどうすればいいっていうか……どうしてほしいっていうか……」
かがみは我ながら要領の得ない事を言っていると思った。シンから見ればさぞかし変な
女に見えるだろう。
「……」
なんとなく、かがみはシンを見つめてみる。
言葉では伝えられそうにないから、見つめる事で何かが伝わる事を期待したのかもしれ
ない……。
しかし、言葉にすら出来ない想いなんて、他人には何一つ伝えられはしない。
「……そんなの俺に聞くなよ。決めるのはかがみだろ」
当たり前の答えが返ってくる。
至って普通。
だけど、なぜだろう。そのシンの当たり前な反応は、かがみの心にポッカリと大きな穴を
あけた。
「……そうよね。ごめんなさい」
かがみは、そのまま反対側へ走りだした。
後ろからシンが自分を呼ぶ声がしたが構わず走った。
振り返りたくなかった。
走り続け、いくつかの角を曲がった所で立ち止まる。
振り返ってみても、もちろんシンは見えない。
「はぁ、なんでシンに聞いたんだろ……」
かがみは、走って多少荒くなった息遣いを整えながら、自分の行動を考察する。
その答えは分かるような、分からないような、分からないでほしいような……。
とにかく、そのことを考えると、心がモヤモヤして嫌な気持ちになった。
そしてそのまま、運命の夜9時を迎えた。
続く。
最終更新:2009年04月17日 00:47