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15-479

   ○

 ホテルの前で、かがみは呆然と立っていた。
 全部終わった。
 告白だと思っていたものは、
(に、人形かよ……)
 こともあろうに八橋君人形の交換交渉だった。
 体中に篭っていた余計な力が抜けていく。
 誰であろうと断る事だけは決心して、強い意志と気概を持って望んだ対戦であったのだ
が、そんな準備は無意味だったようだ。
(……私の心配って、なんだったの)
 かがみは体全体に、虚脱感が蔓延していくのを感じた。かといってそれに逆らう気も起
きないので、そのまま、その虚脱感に身をひたしていると、
「ぷっ………ぷぷ」
 何か堪えるような呻き声の後、
「だぁーはっはっはっ!」
 人を小馬鹿に――いや、大馬鹿にした笑い声が聞こえた。
 こんな、子供みたいに笑う人間は知り合いの中でも一人しかいない。
「シン?」
 かがみは声の方に顔を向ける。一瞬だれもいないと錯覚したが、良く見ると、
「……なにやってるのよ、あんた」
 そこには――近くの木の上には人がいた。暗いし、どこから持ってきたのか迷彩服を着
ているせいで見つけにくいが確かに人がいた。
 また、何を思ったのか、顔にはへんな模様を施している。
 あれは、俗に言うフェイスペイントだとかがみは思ったが、そんな事はすぐにどうでも良く
なった。
 問題は中身である。で、その問題の中身――つまりシン・アスカは器用に枝に寝そべっ
て腹抱えて笑ってやがった。
「あ~おっかしいかった~」
 シンはそう言い放つと。笑い顔のまま枝から飛んだ。どう考えても身長の二倍以上はあ
りそうな高さを落下したシンだったが、彼は猫のようにしなやかな仕草で着地した。
「よっ、かがみ」
 そして腕をピシッとあげてなぜか、眩いまでの笑顔で挨拶をしてきた。
「あんた。どうして……」
「いや、悪い悪い。笑いが堪えられなくってさ。全く、心配して損したっていうか心配する必
要も無かったっつーか。あ~腹痛い~」
 その言葉に、かがみの眉がピクッと吊りあがった。
「……腹が痛い、ですって」
 かがみは、なんか猛烈に腹がたった。
 こいつは何なのかと。何様なのかと。一体誰のせいで私が目一杯悩んだのかと。
 というか、ペイントの顔でそんな事を言われたら無性にイライラすんのよと。


 そんな気持ちが凝固して溶解されて噴火した。
「シン……あんたって奴わぁぁぁあ!」
「えっ、ちょっと!?」
 かがみはシンの迷彩服の襟をグイッと持ち上げると、力いっぱい自分の方に引き寄せ
た。
 今の魂の叫びで、周りの通行人の視線が集まったが、そんな事は知ったことか!
「人の気も知らないで何が“心配して損した”よ! この馬鹿!」
「ま、待て! 少し落ち着け。周りの人が見て――」
「知るか! 乙女の怒りを思い知れぇぇい!」
 かがみはそのニヤけたツラに一発ひっぱたいてやろうと思い、腕をしなる弓のように高く
振り上げた。
「……マジかよッッ!?」
 シンはギュッと目を閉じて、歯を食い縛る。
 そして、“乙女の怒り”という名の平手打ちが今にもシンに襲い掛かろうとした時、
(んっ、待てよ?)
 かがみの頭の中で、何かが引っかかった。

『いや、スマンスマン。心配して損したっていうか心配する必要も無かったっつーか。あ~
腹痛い~』

 先ほどのシンの言葉をもう一度頭の中で反芻する。やっぱり違和感を感じた。
「……あんたさぁ、心配してくれたの?」
 かがみは今だシンを掴み上げたまま、本人に尋ねてみた。
「……へっ?」
 シンはその紅い瞳を見開いて、小さく呻いた。
「そっか。心配してくれたんだ……」
 そして、かがみは納得したかのようにそのシンを掴んでいた手を離した。
 解放されたシンは、乱れた襟元も直さず、ただ呆然としていた。
「心配したんだ……」
 冷静に考えてみればそうだった。シンは理由はどうあれ、気になったからここにいるのだ。
 わざわざ自分が来る前にここに来て、あんな木の高い所に待機までして……。
(私が告白されるのを気にしてくれたんだ……)
 かがみは、心の中にスーっと気持ちの良い風が吹くのを感じた。
 なんだか、今までモヤモヤしていたものが全て吹っ飛んだ気がした。
「そ、そんなわけないだろ! やだな! 何を言ってるんだよかがみ! アッハッハッハ!」
 シンは目に見えて慌てた素振りで、馬鹿みたいに乾いた笑い声を上げた。
 かがみはそんなシンを上目遣いげに見つめ、


「……ありがとね」
 正直な気持ちを口にする。
「えっ? なにが?」
「それぐらい、考えなさいよ……」
「あ、…………うん」
 シンは何を思ったか知らないが、顔を真っ赤にしてなにやらを了承した。
 そんな照れるように困っているシンを見ている内に、かがみは、
 私はこの男をどう思っているのだろう? と、ふとそんな疑問が湧いた。
 好きか嫌いかで言えば好きな部類だ。では、どう好きなのか?
 分からない。
 “好き”という語句が表す意味が多すぎる。 
 心配してくれたのは嬉しかった、気にしてくれたのも嬉しかった。
 では、なぜ嬉しいのか?

『シン! 私、どうすればいいかな?』

 さっき、自分はなぜあんな事を聞いたのか。
 確認――してみてもいいかもしれない。シンの気持ちではなく、せめて自分の気持ち
を……。
「ねぇ……シン」
「ん?」
「今から二人で……ちょっと、出かけない?」
「えっ?」
 シンはその言葉がよぽど意外だったのか、とても間抜けな表情を浮かべたまま固まっ
た。
 しばらく沈黙の時間。
 シンの答えを待つ間、かがみはなんかドキドキした。シンと二人でいるのは慣れてるはず
なのに、今だけは今までと違う……。
「い、嫌なら別に……いいんだけど……」
 なんか気恥ずかしくなって、かがみは逃げ道なんかを提示してみる。しかし……、
「いや、俺は別に嫌じゃ無いけど……。どこに?」
 シンはオドオドしながらも逃げずに向かってきた。向かってきた以上、言いだしっぺの自
分が逃げる訳にはいかない。
「別に目的地とか無いんだけど……。散歩かな」
「そ、そっか、散歩か……」
 再び沈黙。
 かがみは改めて思う……


 恥ずかしい! すごく恥ずかしい! ベラボーに恥ずかしい!
 自分の顔は間違いなく真っ赤だ!
 けど、不思議と次の言葉はすんなりと口から出た。
「じゃあ、とにかく行こっか。シン」
 そして、かがみは思いのほかゴツゴツした彼の手をそっと両手で握った。
 恥ずかしい。そりゃあ恥ずかしい。
 でも、かがみは今だけはその恥ずかしさが、なんだか心地よく思えた。
「そ、そうだな。でも、顔だけは洗わせてくれよ……」
 シンもそう言って、ペイントで表情は良く分からないが、たぶん照れているのだろう。
 そして、そことなくシンもかがみの手を握り返してきた。
 握られる手から伝わる暖かさが、かがみの鼓動をさらに急かす。
 けど、
「ほっほぉ、どこへ行くつもりなのかなお二人さ~ん」
 見慣れたエセ関西人が鬼の形相をしながら背後から登場したことで、その場の感情は一
気に冷めた。

   ○

 正座させられて30分。
 かがみはそろそろ足が痺れてきた。
 隣のシンも、眉がピクピク小刻みに動いている。多分、足が痺れているのだろう。
 ちなみに、シンの格好は説教の前に着替えを命じられたので浴衣である。
 顔のペイントもその時に落としてきたので、正座に苦しむ表情は如実にうかがえた。
「つまりはお前らみたいな生徒がおるから教師が忙しくなるんやで!」
 浴衣姿の黒井ななこは腕を組み、青筋を浮かべながら説教を繰り返す。
 その隣には、
「お前ら。乳繰り合うならバレないようにしろ。めんどくさい……」
 同じく、浴衣の桜庭ひかるがいた。彼女はかがみの担任という事で呼び出されたのが不
満らしく、
 説教なのか、応援なのかよく分からない投げやりな言葉を繰り返す。
 くどいようだがもう三十分である。
 そろそろ、勘弁してもらえないだろうか……。かがみがそう思ったちょうどその時、
「そうだ黒井先生。そろそろ食事の時間ですから我々も部屋に行かないと」
 桜庭は何かに気付いたように、黒井に言った。
「あ、もうそんな時間ですか……いいか、アスカに柊! 先生たちは仕事があるからもう行
くが、おまえらはもうしばらくそこで正座しとき!」
「はい……」
「はい……」
 気のない二人の返事を聞きながら、黒井ななこは今だ納得いかない様子で背を向けた。


「ったく。ご飯の時間はホテルの都合で遅くなるし、白石の遅刻のせいで学年主任には怒
られるし、今日はろくな事が無いわ」
「それは、ちゃんと確認しない黒井先生が悪いでしょう……」
 そして、なにやらぶつくさと呟きながら二人の教師は反対側に歩いていった。
 完全に見えなくなった所で、
「「はぁぁぁ……」」
 二人はハモって足を崩した。
 かがみは足がビリビリした。一応神社の娘だから正座も慣れてはいるが、だからといって
痛みが無くなるわけではない。
「ごめんなさいシン。私があんな事言ったから」
 かがみは、足を擦りながら申し訳無さそうに言った。
 シンは、と、ドテーっと足を広げながら笑って、
「なに、気にすんなよ。全部が全部お前の責任ってわけじゃな――」
 突如。シンは言葉を止めて、急に顔を赤くしたかと思うと、こちらから目を背けた。
「? どうしたのよ?」
「いや、お前。足、しまえよ……」
「……足?」
 かがみは、自分の足を見る。
 さすっていた内に、無意識に着物をまくっていたらしく。結構際どい所まで、艶やかな肌を
露出していた。
「!?」
 かがみは顔を真っ赤にして足を着物で隠す、
「ば、馬鹿! スケベ! 変態!」
 と言って、シンに対しう~~。と低く唸って威嚇した。
「俺のせいかよ……」
「違うけど! なんとなくよなんとなく!」
「なんとなくで変態にされたらたまったもんじゃないぞ。それに別に好きで見たわけじゃない
し……」
「悪かったわね!」
「何で怒るんだよ……」
「うるさい!」
「全く、お前はいつも俺に突っかかってくるな。そんなに俺が嫌いかよ?」
「えっ……」
 それはかがみにとって、とても意外な言葉だった。
(嫌い? 私が? シンを?)
 多分、シンもなにげなく言った言葉ではあるだろうが、そんな事言われると。
 心にズーンと何かがのしかかったかのような、感覚が襲ってくる。
 そんなつもりは無かった。本当に、そんなつもりは無かった。無かったのにそう取られる
様な発言をいつもしてしまう。
 シンの前では小さな事でもすぐムキになる。そんな自分が――時々すごく嫌になる。


「違うの。ごめん。こういう事を言いたかった訳じゃないの……」 
 かがみはシュンと肩を落として言った。
「言いたかったのはごめんね、って事なの。私のせいでこんな事になったから……」
「なんだ。その話かよ」
 シンは、かがみの頭に優しく手を置いた。
「言ったろ。なにもお前が全部悪いわけじゃないって。だから気にするな。俺は気にしな
い。なんてな」
 かがみは、なんだかその言葉が嬉しかった。
「……うん。シン、ありがとう」
 かがみは小さく頷くと、えへへ、と照れるように微笑んだ。
 優しい奴ではある。ちょっと子供みたいに我侭な所はあるけど。こういう、優しい所もあ
る。
 それは、とてもとても気付きにくいものではあるが、自分はしっかりと気付けた。
 だから、こうしてコイツの隣にいる事がこんなにも心地よくなったのだと思う。
 多分そこが好き、なのかもしれない。
 そんな風に思えるようになった自分が不思議だけど、そんな自分を今は誉めてあげたくも
なる。
 と、ちょっと、ジーンときていたかがみだったが、次のシンからの言葉で、そんな気持ちは
全部吹っ飛んだ。

 続く。

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最終更新:2008年06月02日 03:34
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