天候は晴れ。
そんな気持ち良い空の下に○○小学校は存在していた。
「……はぁ」
そして、シンはそんな○○小学校の校門前で小さくため息を吐いていた。
三十近いながらも今だ幼さが残る端正な顔立ち。紅い瞳。グレーのスーツに身を包み、目元に垂れ下がる前髪を何気なくいじる。
「周りはセレブのオンパレードだもんなぁ……」
シンは少々うんざりとした顔で呟いた。
この地域は比較的、高所得者が多く住んでいる。なので、この小学校にはお嬢様や、お坊ちゃまが多い。
そして、そのお坊ちゃまやお嬢様の親。つまり今日の授業参観にやってくる親は、どこか気品に溢れた人達が多かった。
「なんか俺、場違いって感じ……」
シンは、今度は空を見上げながら、力なくため息をついた。
今日は娘、すてらの授業参観日。シンにとっては生涯初めて親として参加する授業参観である。
シンは、朝から緊張していた。朝食も喉を通らなかった程だった。
だがいざ、学校に着くと、まず出迎えたのは奥様方のうふふふふ、おほほほほと言った高笑い攻撃。
そして、周りの親達のその優雅な口調や仕草で育ちの違い、というのを認識させられた挙句、
仮面舞踏会でも開けそうな豪華な衣装を目の当たりにさせられて、シンはすっかり毒気を抜かれてしまっていた。
「……」
シンはなんとなく、バーゲンセールで買ったスーツを弄った。これを買う時、妻はもっと高いのを買えば?
と言っていたが、職業柄スーツはあまり着ないし、なにより、昔から高級品は肌に合わないので、結局安いスーツを買った。
それに、シンはどちらかと言えば活動的な性格なので、汚したらいけない服など着たくなかった。服ぐらい気兼ね無しに着たいというの
がシンのポリシーである。
と、ここまで考えて。
(こういう考えが貧乏臭いのかな……)
なんて思ったりした。
みゆきと結婚して八年。
中流家庭の泉家から上流家庭の高良家に移り住んで八年。シンはいまだに、お金持ちという人種に馴染めないでいた。
シンとて職業は医者であり、年収も同年代の中では抜きん出ているので、お金持ちと言えなくも無いが、やはり内面的には自分は根っか
らの中流階級なのだと日々思い知らされている。
テーブルマナー。社交辞令。パーティー。こういうのは自分ではなく、レイの方が似合っている気がした。
「あなた。お待たせしました」
その時、校舎の奥から、一人の女性が小走りでかけてきた。
シンが医者になるきっかけを作った女性。そして生涯の伴侶、高良みゆき。いや、飛鳥みゆきである。
ウェ~ブのかかったピンクの長髪。少し度のきつい眼鏡。艶のある紺の高級スーツ。豊満なボディ。そして、どえらい美貌。
昔から、美人の部類に入るみゆきではあったが、今では、見た目の幼さは幾分か抜けて、色っぽい艶やかな大人の美しさが強く出ている
。
「みゆき。挨拶回りは終わったのか?」
シンは駆け寄ってきたみゆきに言った。
先ほども言ったが、この辺りは比較的高所得者の人が多く住んでいる。
なので、○○小学校にはお義父さんの仕事に繋がりのあるお偉いさんの娘や息子。
もしくはお孫さんなどが多数在籍しているようで、みゆきは先ほどまで、その人たちの両親に挨拶回りをしていた。
「はい。すいません。お待たせして」
みゆきはそう言って軽く頭を下げた。結婚して夫婦になって子供まで出来たというのに、いまだ敬語が抜けないのは、みゆきらしいと言
えばらしかった。
「いや、俺はいまだにああいう人達は苦手だから。お前があいさつを済ませてくれて助かるよ」
「うふふ。そうですね。でも、そろそろ慣れてくださいよ」
「そうは言うがなぁ……」
お金持ち。もちろん悪い人たちばかりではないが、正直シンにとっては窮屈な人たちだった。
どうも付き合ってて気が休まらない、とでも言えばよいのだろうか。とにかく、一緒にいると肩が凝るのである。
もっとも、お金持ちでもみゆきや
ゆかりさん、そして義父さんは、とても付き合いやすい人たちなので、全員が全員そうとも言えないが
……。
「そんな事言って……駄目ですよ。あなただってもう子供じゃないんですから」
「でも、苦手なんだよ、ああいう人たちと喋るの……なんか肩凝る感じでさ」
「ふぅ……分かりました。決めました。次からはあなたにも来ていただきます」
「えぇ~……」
シンは露骨に嫌そうな顔をした。しかし、みゆきはむっ、とこちらを見て、
「甘やかしてばかりでは。あなたのためにはならないというのを、今更ながらに気付かされました」
「そんな言い方無いだろ……子どもじゃあるまいし……」
「子どもみたいな我侭を言っている人が何を言ってるんですか。いいですね。次の挨拶回りはあなたも同行して下さい」
「でも……」
「あ・な・た」
みゆきは、今度はやけににこやかな笑顔を浮かべて、言った。
「私と討論なさる気でしたら、帰ってからとことんつき合わさせていただきますが」
「シン・アスカ。次の挨拶回りは喜んでお供をさせていただきます。サー」
そう言って、シンは飛鳥家の最高司令官殿にビシッと敬礼した。
とにかく、こういう笑顔のみゆきに逆らってはいけない。
それは八年間の結婚生活で培ってきた危機回避戦術であり、生存手段でもある。多分。
「はい。大変結構です。私、素直なあなたは好きですよ」
「そうやって、俺は一生甘い言葉に惑わされていくんだろうな……。
こなたの言い方で言えば調教済み、って所なんだろうな」
「あら、お嫌ですか?」
「いいえ。その程度の覚悟は出来た上で、プロポーズさせていただきましたから」
「うふふ。そうなんですか?」
そしてみゆきは、可笑しそうに微笑んだ。
それは、十年前にみゆきが持っていた幼げな笑顔ではなくなりかけていたが、かわりに、気品と大人の美貌に溢れたとても綺麗な笑顔に
なった。
シンはそんな笑顔を浮かべた妻がなんだか可愛く思えて、でもそう思った自分が気恥ずかしくて、ごまかすように腕にはめた時計を見る
。
時刻は11:30分。授業の開始は40分だ。
「さて、冗談はそれぐらいにして、そろそろ行くか」
「はい。それでは行きましょうか」
そして夫婦は肩を並べて校門をくぐり、学内の歩道を歩く。
「そういえば、すてらは何組だっけ?」
「三組です。大丈夫です。場所は調べてありますから」
「さすが完璧超人。たよりにしてるぞ」
「やめて下さいよあなた。古い話を持ち出して……」
そう言って、みゆきは少し拗ねて見せると、シンを先導しながら校舎に入っていった
○
飛鳥夫婦は生まれて初めて、娘の授業参観を見に来ていた。
「まさか、こんな所に出る日がこようとは夢にも思わなかった……」
「わ、私もです。緊張でどうにかなってしまいそうです……」
そして、夫婦は教室の後ろでガチガチに緊張していた。
授業開始三分前。すでに担任の教師は後ろに立つ
保護者達に挨拶を済ませ。前で授業の準備をしている。
先生は女性で年も若い。明るい感じの活発そうな人で、少々厚めの眼鏡がチャームポイントだ。
「み、みゆき。お前、手が震えてるぞ。リラックスだリラックス。こんなのオペだと思えばいいんだ」
シンはそう言って。みゆきの肩に手を置いた。
「思えませんよ。というか、あなたも相当震えてますよ」
「あ、本当だ……」
「はい、みなさん。おはようございます」
授業が始まった。
「「「おはようございま~す!」」」
子供達は元気一杯に挨拶をした。
「今日は、皆さんのお父さんお母さんに後ろに来ていただいていますが。緊張せず、いつも通りの皆さんを見ていただきましょうね」
「「「はぁぁい」」」
「……なぁみゆき。すてらはどこだ?」
シンは隣のみゆきに小声で尋ねた。
「ああ、一番前の席です」
みゆきは小さく指を指す。
いた。可愛い子がそこにいた。
ウェ~ヴがかったピンクの長髪。くりくりっとした目元に、可愛く光る紅い瞳。そして、お気に入りのキャラ服を着て、すこし緊張した
面持ちで前を向いている。
シンにとっては目に入れても痛くない、最愛の存在。飛鳥すてらである。
(ああ、可愛いな~ウチの娘は♪)
シンは、にやにやしながら……
「すみませんお父さん……」
「あっ、はい」
その時、突然シンは呼ばれた。
シンが振り向くと、そこには、このクラスの担任の先生が、少し困った表情で立っていた。
「申し訳ありません。父兄の方は後ろの方で見学していただけますか。あと、撮影もご遠慮いただけないでしょうか……」
そう言われてシンは自分が何をしていたのか気付いた。
いつのまにか自分は、カメラ片手に黒板の前まで歩いてきていて、しかも娘にカメラを向けていたのだ。
「ああ!? これは申し訳ありません!」
シンは顔を真っ赤にして先生に頭を下げた。
親たちから軽い含み笑いが起こる。
そしてシンは己の行動が恥ずかしくなって、小さくなりながら後ろに戻った。
二三歩歩くと、これまた顔を真っ赤にしたみゆきがやってきて、シンの手を引いた。
「あなた! 突然隣からいなくなったと思ったら、何をやっているんですか!?」
「すまん。つい……」
「もう。恥ずかしい……」
先生は待ってくれたのだろう。ちょうどシンが後ろに戻り終わった所で授業を再開した。
「さて、では国語の授業を始めます。教科書の三十五ページを開いて下さい。
昨日は都会に住む青年たかしが、職業難の時代もあってか、失業してしまい。一攫千金を夢見てホストになったものの、
NO.1ホストのジュロイヤに目を付けられてしまい、陰湿ないじめを受けてしまった所で終わりましたね」
「……最近の教科書って結構シュールなんだな」
「そ、そうですね」
シンの言葉にみゆきも同意する。
「この教科書にもでているように就職とは人が生きていく上で、とても重要な事です。ここで選択を誤ってしまうと、仕事やら上下関係や
ら、秘書との不倫やらで、目も当てられないものになります。
そこで、先生は昨日、皆さんに就職というのを理解してもらうために、宿題を出しましたよね? みなさん、やってきましたか?」
「「「はぁぁぁあい!」」」
元気に手を上げる生徒達。もちろんすてらも可愛く元気に手を上げている。
「あなた。カメラをしまってください……」
みゆきからの声にシンははっ、とした。
シンはまた無意識の内に、しまっていたはずのカメラを構えて、我が娘にどこぞのフリーのカメラマンの如く、飛鳥フラッシュを浴びせ
ようとしていた。
「すまん……」
「大体、撮影は禁止だってちゃんと教えたのに、なんでカメラを持ってくるんですか、あなたは……」
「チャンスがあるかな~。なんて……」
「ありません」
ピシャリと小声で言われてシンはしぶしぶ、カメラをしまった。
一方、生徒達は元気に手を上げ続けている。
と、ここでシンは一つの疑問が浮かんだ。
「なぁ、みゆき。昨日すてら、宿題なんてやってたか?」
すてらは、宿題がでる度に、教えてほしいとシンにせがんでくる。
それが、昨日は無かったのでシンは少し不安になった。
「宿題といっても、両親の仕事を聞いてくる。っていうものです」
「おいおい。すてらの奴、大丈夫なのか?」
「大丈夫です。私たちの仕事が医者だというのは昨日じっくり教えておきました」
みゆきは大きな胸をえっへん、と大きく張った。
「おお! さすが完璧超人! 抜かりは無いってわけだな」
「問題は、すてらが先生に当ててもらえるか、どうかですね……」
そう、問題はそこだった。みゆきが大丈夫と言っている以上、それは期待して良いという事なのでその点は心配は無いが、
だからと言って先生に当ててもらえないのでは全く意味が無い。
「じゃあ、お父さんお母さんのお仕事が言える人」
「「「はい! はい! はい!」」」
生徒達は再び明るい声を出しながら手を上げる。
そして飛鳥夫婦は暗い怨念じみた意思を飛ばしながら、先生に嫌な力のこもった視線を浴びせた。
「……?」
先生はなにか感じるものがあったのか、小さく身震いする。そして、すこし迷って、
「じゃあ……飛鳥さん。おねがいね」
夫婦はまるで鬼の首でも取ったかのように(心の中で)歓喜の雄たけびを上げた。
「はい。うちのおとうさんとおかあさんはお医者さんをしています」
そして、すてらはそんな親の期待に見事に応えた。
(良く言えたすてら! 俺の中の全米が拍手喝采だぞ!)
(偉いわすてら! 帰ったらこの前欲しがっていたおもちゃを買ってあげましょう!!!)
そして、夫婦は喜びの涙を流しながら、まるで壮大なオーケストラの演奏を聴き終えた後のように、会場一杯に響き渡るような、
惜しみない拍手を(心の中で)送った。
だが、先生はすてらの答えにニッコリと笑って……、
「それは凄いですね。飛鳥さんはお父さんとお母さんがお仕事してる所みたことあるのかな?」
変化球を投げてきた。
(な、なんという、高難易度な質問なんだ!)
シンは大きな衝撃を受け、思わず後ずさった。答えを言って、ほっと安心した所にかぶせるような質問。計算しつくされた知略。
なんという、業!
なんという、心理戦!
なんという、狡猾な所業!
シンは出来るならば今すぐにでも、愛する娘に駆け寄って抱きしめながら。
『この子は! この子は! 俺たちの仕事を見たことが無いんです! だから! だから! 知らないんです!』
と泣きながら訴えたかった。しかし。それでは駄目だ。
今、確かに娘は目の前に立ちはだかった大きな壁を見上げながら途方にくれているのだろう。父親ならば、手助けしたい。
しかし、そこで親が手助けをしたら。娘が成長する機会を親が潰す事になる。
シンはすてらが赤ちゃんの頃。立ち上がりそうなわが子があまりにも危なげだったので手を貸しそうになった。
しかし、シンは知っていた。子供が立ち上がろうとする時、親が手を貸したら、子供が歩き出す時期が遅れてしまう事を、だから手を貸
さなかった。
あの時の苦痛といったらなかったが、シンは今再び、その精神的拷問を体感していた。
「あなた。大丈夫よ」
その時、みゆきが静かに言った。
「みゆき……」
「私たちの子供じゃないですか。だから大丈夫。ちゃんとしっかりと。“ありません”って言えます」
シンはみゆきの言う事が正論なのだと受け入れながらも、それでも小さく首を横に振った。
「でも! でも! すてらは子供なんだぞ! 小学校一年生なんだぞ! なのにそんな! ああ、なんて残酷な!」
シンは思わず顔を覆って嘆いた。しかし、
「あなた! しっかりしてください!」
囁くような声量ながらも、みゆきは凛として言った。
「親が信じないで、誰が娘を信じるんですか!」
シンはみゆきの言葉を受けて、全身に雷を受けたかのような衝撃が駆け巡るのを感じた。
そうだ。俺は親だ。すてらの父親だ。父親が娘を信じないで誰が……。そう思ってシンは、己の沸きあがる感情を押さえつけた。
それから、シンはみゆきの手を握り、じっと娘を見つめた。
そしてみゆきも、その手を優しく握り返すのであった。
(すてら。頑張れ! お父さんはいつでもお前を見守っているぞ)
(すてら。私の可愛いすてら。頑張って……)
「はい! あります!」
すたらは別に普通に元気に答えた。
その時、
シンは喜びも何も無かった。ただ、涙だけが静かに流れ、微笑みだけが浮かんだ。
シンが隣を見るとみゆきも同様だった。
湧き上がる好ましい感情。感無量とはこういう事を言うのかもしれないと、シンは漠然と理解した。
――なぁみゆき。
シンは、言葉では話さず、視線に意思をのせた。
出会って、結婚して、愛し合った八年間。その八年間に形成されたシンとみゆきの夫婦という形は。
時に、その間に言葉を必要としないほど、尊いものになっていた。
――はい。あなた。
みゆきは涙ぐみながらも笑顔で、そして視線で答えた。
――みゆき、今日はお赤飯だな。
――はい、腕によりをかけて作ります。
シンは、娘は知らず知らずの内に大人になっていくんだな。と、思った所で。
「あれ? あいつ俺達が働いてる病院に来た事あったっけ?」
事実に気付いた。
「そ、そういえばそうですね」
みゆきも首を傾げる。
「じゃあ、飛鳥さん。お医者さんは。どういうお仕事をしてるか、言えるかな?」
先生は、これまた笑顔で尋ねた。
飛鳥夫婦は首をかしげながら、娘を見つめる。
そして娘は、元気一杯で答えた。
「はい! すてら言えます! この前すてらが夜中におトイレしたくなって、目をさましたら、お父さんとお母さんがいつもテレビを見る
お部屋で服の脱がせっこしてて――」
そして、すてらは母のように正確に、父のようにハキハキとした口調で話し始めた。
○
その日。すてらが夜中に目を覚ますと、一人でベットに寝ていた。
「……あれぇ?」
父も母も仕事が不定期であり。どちらかが家にいないことが多い。
両方ともいないのだってそう珍しくない。その場合は、さすがに、でかいベットで一人で寝るのは寂しいので、おばあちゃんと寝る。
しかし、今日は父母ともに家にいたので三人並んで就寝した。
父と母に抱かれながらもぐりこんだベッドはとても暖かく。すぐに寝入ってしまった事を覚えている。
「また。およびだしかな……」
三人一緒に寝たのに、夜中に目を覚ますと一人。それは今までに何度かあった。
父と母の携帯には夜中でも電話がかかってくる。そして電話があるたびに父も母も急いで家を出て行った。
「……」
すてらは色々思う所があったが、今はとりあえず尿意がこみ上げてくる事の方が問題なので、ベッドを降りて、部屋を出る。
そして、トイレのある暗い廊下を、少し怯えながら壁づたいに歩いていると……。
「あれ?」
食卓のある部屋のドアが少しだけ開いており、そこから光の筋が漏れていた。
そして、中からは、
『あなた……。やっぱりやめませんか? 私、明日も朝からお仕事ですし……』
『え~いいじゃん。家に二人揃うのなんて久しぶりなんだし。それにいつも外じゃ、金がかかってしょうがないし』
という、父と母の会話が聞こえてきた。
(あれ? お父さんとお母さん、いるんだ)
マユは、別にやましいことをしていないのだが、なんとなく忍び足で部屋のドアに近づく。
そしてドアの隙間から、そっと中を覗いた。
中ではこちらにまったく気付く様子の無い父と母が、相変わらず何かを話し合っている。
『すてらもいるし……』
『寝てるから大丈夫だって』
なにやら、両親は自分がここにくるのを望んでいない口ぶりだったので、マユは中に入ろうとせず、
そのまま、父と母の光景をドア越しに覗いていた。
しばらくすると。母は諦めたように小さくうなずいた。
父はそれを待ってましたと言わんばかりに、元気に母に寄っていく、そして父は母の服に手をかけ……。
「すてらちゃ~ん! すてらちゃ~ん!」
その時、小さくすてらを呼ぶ声が聞こえた。
すてらが声の方に顔を向けると、廊下の向こう。違う部屋のドアから祖母が顔を出して、おいでおいでをしていた。
祖母といっても、その外見は若く、二人で歩いていると、親子だと勘違いされることもしばしばあった。
「おばあちゃん?」
すてらは素直に祖母に従い。廊下をトテトテと駆けていった。
すると、祖母はやってきたすてらを抱きかかえ。その部屋の真ん中まで連れ込み、下ろした。そして、
「す、すてらちゃん。こんな夜中になにをしてるのかな~?」
少々しどろもどろになりながら孫に問いかけた。
すてらは、
「ねぇ、ゆかりおばあちゃん。今ね、お父さんとお母さんが服を脱がしっこしてたんだよ」
「そこまで見たのね……」
祖母はあちゃ~。と呻く。しばらくそのまま考え込んでいたが、
「いい、マユちゃん。お父さん達はね、お医者さんで皆の病気を治すお仕事をしてるのよ、だから邪魔しちゃだめなの」
「お仕事?」
すてらは首を小さく傾げた。
「そう。お仕事よ。すてらちゃんもお医者さんへ行ったら服を脱ぐでしょ?」
「うん。すてら脱いだよ。脱ぐのは病気が無いか調べるためなんでしょ?」
「そう。だから、お父さん達はたまに、ああやってお互いに病気がないか調べ合ってるのよ」
「そっか。びょうきが無いかしらべるのもお父さんたちのお仕事だもんね」
「そうよ。すてらちゃんは物分りが良くって賢い良い子ね」
「うん! すてら良い子――」
すてらは、いつも父に『すてら。お返事は大きく元気良くしなくちゃ駄目だぞ』と言われているので、
それに従って大きく元気良くお返事をしようとしたら、祖母にガシッと口を押さえられ。「シーーーーーー!」と言われた。
「?」
すてらは、疑問の視線を祖母にむける。
祖母はすてらの口を押さえたまま、
「い、いいすてらちゃん。お父さん達はお仕事で聴診器を使うの。聴診器って分かるわよね?」
すてらは二度頷いた。
「聴診器の周りでは静かにしなきゃいけないの。分かるわね?」
またまた、すてらは二度頷いた。すると、ようやく祖母が手をどけてくれた。
「物分りが早くておばあちゃん助かっちゃうな。さぁさ、良い子は早くおしっこして寝ましょうね~。お父さん達の診察という名のお仕事
はすぐに終わりそうも無いから、今日はおばあちゃんと寝ようね」
「うん。すてらおばあちゃんとねる~。そっか~。しんさつか~」
そして、すてらはトイレにいったあと、祖母に抱かれて眠りについた。
○
「だから。しんさつがお父さんと、おかあさんのお仕事です」
すてらは、以上の出来事を“教室で”明瞭に話し、小さく胸を張った。
「……」
先生は無言だった。というか多分なんと言ってよいのか分からないのだろう。
「ちょぉぉぉ!? す、すてら!?」
「あう、あうぅううう……」
飛鳥夫婦。
夫は本日際上級なレベルで赤い顔を浮かべ、呂律の回らない口で娘の名を叫び、
妻はこれまた本日最高の赤面顔を浮かべ、穴があったら入りたいといった感じで、小さく小さくなっていった。
この後。授業は先生の努力もあって、なんとか最後まで行われた。
そして授業が終わり、シンが家に帰る途中、その場にいたお父さん達が、生暖かい目をしながら話しかけてきて。
「大丈夫です。分かってますから」
「仕方ないですよね男ですから」
「奥さん。美人ですもんね」
「飛鳥さん。別に恥ずかしがる事じゃないですよ。はっはっは」
「頑張りましょう。お互いにね」
「お盛んですね。うらやましい」
と言って肩を叩いて励ましてくれた。
その人たちは全員、シンが肩が凝るといって付き合うのを避けてきた人たちではあったが、優しく励ましてくれるあたり、
お金持ちな人たちも意外にいい人達なんだな。とそんな風に思ったりした。
ただ、紅い瞳から流れる涙だけはなぜか止まらなかった……。
END。
最終更新:2009年06月30日 00:37