巻第五(いつまきにあたるまき)
雑歌(くさぐさのうた)
太宰帥(おほみこともちのかみ)大伴の卿(まへつきみ)の凶問に報へたまふ歌一首(ひとつ)、また序
禍故重畳(かさな)り、凶問累(しき)りに集まる。永(ひたぶる)に心を崩す悲しみを懐き、独り腸を断つ泣(なみだ)を流す。但両君の大助に依りて傾命纔(わづか)に継ぐのみ。筆言を尽さず。古今歎く所なり。
0793 世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり
神亀(じむき)五年(いつとせといふとし)六月(みなつき)の二十三日(はつかまりみかのひ)。
筑前守(つくしのみちのくちのかみ)山上臣憶良(やまのへのおみおくら)が亡(みまか)れる妻(め)を悲傷(かな)しめる詩(からうた)一首、また序
盖し聞く、四生の起滅は、夢に方(あた)りて皆空なり。三界の漂流は、環の息まざるに喩ふ。所以に維摩大士は方丈に在りて、疾に染む患(うれひ)を懐くこと有り。釋迦能仁は双林に坐し、泥(ない)オンの苦を免るること無しと。故に知る、二聖至極すら、力負の尋(つ)ぎて至るを払ふこと能はず。三千世界、誰か能く黒闇の捜り来たるを逃れむ。二鼠(にそ)競ひ走りて、目を度(わた)る鳥旦(あした)に飛び、四蛇争ひ侵して、隙を過ぐる駒夕に走る。嗟乎(ああ)痛きかな。紅顏三従と共に長逝し、素質四徳と与(とも)に永滅す。何そ図らむ、偕老要期に違ひ、独飛半路に生ぜむとは。蘭室の屏風徒らに張り、断腸の哀しみ弥よ痛し。枕頭の明鏡空しく懸かり、染ヰンの涙逾よ落つ。泉門一掩すれば、再見に由無し。嗚呼哀しきかな。
愛河の波浪已く先づ滅び
苦海の煩悩また結ぶこと無し
従来此の穢土を厭離す
本願生を彼の浄刹に託せむ
日本挽歌(かなしみのやまとうた)一首、また短歌(みじかうた)
0794 大王(おほきみ)の 遠の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の国に
泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず
年月も 幾だもあらねば 心ゆも 思はぬ間に
打ち靡き 臥(こ)やしぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに
岩木をも 問ひ放け知らず 家ならば 形はあらむを
恨めしき 妹の命の 吾(あれ)をばも いかにせよとか
にほ鳥の 二人並び居 語らひし 心背きて 家離(ざか)りいます
反し歌
0795 家に行きて如何にか吾(あ)がせむ枕付く妻屋寂(さぶ)しく思ほゆべしも
0796 愛(は)しきよしかくのみからに慕ひ来(こ)し妹が心のすべもすべ無さ
0797 悔しかもかく知らませば青丹よし国内(くぬち)ことごと見せましものを
0798 妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに
0799 大野山(おほぬやま)霧立ち渡る我が嘆く息嘯(おきそ)の風に霧立ち渡る
神亀五年七月(ふみつき)の二十一日(はつかまりひとひ)、筑前国(つくしのみちのくちのくに)の守(かみ)
山上憶良上(たてまつ)る。
惑へる情(こころ)を反(かへ)さしむる歌一首、また序
或る人、父母敬はずして、侍養を忘れ、妻子を顧みざること脱履よりも軽し。自ら異俗先生(せむじやう)と称る。意気青雲の上に揚がると雖も、身体は猶塵俗の中に在り。未だ修行得道の聖を験(し)らず。蓋し是山沢に亡命する民なり。所以(かれ)三綱を指示(しめ)して、更に五教を開く。遣るに歌を以て、其の惑ひを反さしむ。その歌に曰く、
0800 父母を 見れば貴し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し
遁ろえぬ 兄弟(はらから)親族(うがら) 遁ろえぬ 老いみ幼(いとけ)み
朋友(ともかき)の 言問ひ交はす 世の中は かくぞことわり
もち鳥の かからはしもよ 早川の ゆくへ知らねば
穿沓(うけぐつ)を 脱き棄(つ)るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は
石木(いはき)より 成りてし人か 汝(な)が名告(の)らさね
天(あめ)へ行かば 汝がまにまに 地(つち)ならば 大王(おほきみ)います
この照らす 日月の下は 天雲の 向伏す極み
蟾蜍(たにぐく)の さ渡る極み 聞こし食(を)す 国のまほらぞ
かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか
反し歌
0801 久かたの天道(あまぢ)は遠し黙々(なほなほ)に家に帰りて業(なり)を為まさに
子等を思(しぬ)ふ歌一首、また序
釋迦如来金口(こんく)正に説きたまへらく、等しく衆生を思ふこと、羅ゴ羅の如しとのたまへり。又説きたまへらく、愛は子に過ぐること無しとのたまへり。至極の大聖すら、子を愛(うつく)しむ心有り。況乎(まして)世間の蒼生(あをひとぐさ)、誰か子を愛まざる。
0802 瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて
安眠(やすい)し寝(な)さぬ
反し歌
0803 銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
世間(よのなか)の住(とどま)り難きを哀しめる歌一首、また序
集め易く排し難し、八大辛苦。遂げ難く尽し易し、百年の賞楽。古人の歎きし所、今また及ぶ。所以因(かれ)一章の歌を作みて、以て二毛の歎きを撥(のぞ)く。其の歌に曰く、
0804 世間(よのなか)の すべなきものは 年月は 流るるごとし
取り続き 追ひ来るものは 百種(ももくさ)に 迫め寄り来たる
娘子(をとめ)らが 娘子さびすと 唐玉を 手本に巻かし
白妙の 袖振り交はし 紅の 赤裳裾引き
よち子らと 手携はりて 遊びけむ 時の盛りを
留みかね 過ぐしやりつれ 蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に
いつの間か 霜の降りけむ 丹(に)の秀(ほ)なす 面(おもて)の上に
いづくゆか 皺か来たりし ますらをの 男さびすと
剣太刀 腰に取り佩き さつ弓を 手(た)握り持ちて
赤駒に 倭文鞍(しつくら)うち置き 這ひ乗りて 遊び歩きし
世間や 常にありける 娘子らが 閉鳴(さな)す板戸を
押し開き い辿り寄りて 真玉手の 玉手さし交へ
さ寝し夜の いくだもあらねば 手束杖(たつかづえ) 腰に束(たが)ねて
か行けば 人に厭はえ かく行けば 人に憎まえ
老よし男は かくのみならし 玉きはる 命惜しけど 為むすべもなし
反し歌
0805 常磐なすかくしもがもと思へども世の事なれば留みかねつも
神亀五年七月の二十一日、嘉摩(かま)の郡にて撰定(えら)ぶ。
筑前国守山上憶良。
太宰帥大伴の卿の相聞歌(したしみうた)二首
〔脱文〕
歌詞両首 太宰帥大伴卿
0806 龍の馬(ま)も今も得てしか青丹よし奈良の都に行きて来むため
0807 うつつには逢ふよしも無しぬば玉の夜の夢(いめ)にを継ぎて見えこそ
大伴淡等(たびと)謹状。
官氏報ふる歌二首
伏して来書を辱(かたじけな)くす。具(つぶさ)に芳旨を承る。忽ち漢を隔つる恋を成し、復た梁を抱く意を傷む。唯羨(とも)しくは、去留恙無く、遂に雲を披(ひら)かむことを待つのみ。
答ふる歌二首
0808 龍の馬を吾(あれ)は求めむ青丹よし奈良の都に来む人の為(たに)
0809 直に逢はずあらくも多し敷細(しきたへ)の枕去らずて夢にし見えむ
姓名謹状。
帥(かみ)大伴の卿の梧桐(きり)の日本琴(やまとこと)を中衛大将(なかのまもりのつかさのかみ)藤原の卿に贈りたまへる歌二首
梧桐の日本琴一面(ひとつ) 對馬ノ結石山ノ孫枝ナリ
此の琴、夢に娘子に化(な)りて曰けらく、「余(われ)根を遥島の崇巒(すうれむ)に託(よ)せ、幹(から)を九陽(くやう)の休光に晞(さら)す。長く烟霞を帯びて、山川の阿(くま)に逍遥す。遠く風波を望みて、雁木の間に出入りす。唯百年の後、空しく溝壑(こうがく)に朽ちなむことを恐れき。偶(たまた)ま長匠に遭ひて、散りて小琴と為りき。質麁(あら)く音少きを顧みず、恒に君子(うまひと)の左琴とならむことを希ふ」といひて、即ち歌ひけらく、
0810 いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上(へ)吾(あ)が枕かむ
僕(われ)その詩詠(うた)に報(こた)へけらく、
0811 言問はぬ木にはありとも美(うるは)しき君が手(た)馴れの琴にしあるべし
琴の娘子が答曰(い)へらく、「敬みて徳音を奉(うけたま)はる。幸甚幸甚」といへり。片時にして覚めたり。即ち夢の言に感(かま)け、慨然として黙止(もだ)り得ず。故(かれ)公使(おほやけつかひ)に附けて、聊か進御(たてまつ)るのみ。 謹状不具
天平(てんびやう)元年十月の七日、使に附けて進上(たてまつ)る。
謹みて中衛高明閤下に通(たてまつ)る 謹空。
中衛大将藤原の卿の報へたまふ歌一首
跪きて芳音を承はる。嘉懽交(こもごも)深し。乃ち龍門の恩復た蓬身の上に厚きことを知りぬ。恋望殊念、常心に百倍す。謹みて白雲の什に和へて、野鄙の歌を奏(たてまつ)る。房前謹状。
0812 言問はぬ木にもありとも我が背子が手馴れの御琴地(つち)に置かめやも
十一月八日、還る使大監(おほきまつりごとひと)に附けて、
謹みて尊門記室に通(たてまつ)る。
山上臣憶良が鎮懐石を詠める歌一首、また短歌
筑前国怡土郡(いとのこほり))深江村(ふかえのむら)子負原(こふのはら)、海に臨(そ)ひたる丘の上に二の石有り。大きなるは長さ一尺(ひとさかまり)二寸(ふたき)六分(むきだ)、囲(うだ)き一尺八寸(やき)六分、重さ十八斤(とをまりむはかり)五両(いつころ)。小さきは長さ一尺一寸、囲き一尺八寸、重さ十六斤十両。並皆(みな)楕円にして状鶏の子の如し。其の美好(うるはし)きこと、勝(あ)へて論ふベからず。所謂径尺璧これなり 或は云く、此の二の石は肥前国彼杵郡平敷の石にして、占に当りて取ると。深江の駅家を去ること二十許里(はたさとばかり)、近く路頭在り。公私の往来、馬より下りて跪拝(をろが)まざるは莫し。古老相伝へて曰く、往者(いにしへ)息長足日女(おきながたらしひめ)の命、新羅の国を征討(ことむけ)たまひし時、茲の両の石を用(もち)て御袖の中に挿著(さしはさ)みたまひて、以て鎮懐と為したまふと 実はこれ御裳の中なり。所以(かれ)行人(みちゆきひと)此の石を敬拝すといへり。乃ち歌よみすらく、
0813 かけまくは あやに畏し 足日女(たらしひめ) 神の命
韓国(からくに)を 向け平らげて 御心を 鎮めたまふと
い取らして 斎(いは)ひたまひし 真玉なす 二つの石を
世の人に 示したまひて 万代に 言ひ継ぐがねと
海(わた)の底 沖つ深江の 海上(うなかみ)の 子負の原に
御手づから 置かしたまひて 神ながら 神さびいます
奇御魂(くしみたま) 今の現(をつつ)に 貴きろかも
0814 天地のともに久しく言ひ継げとこの奇御魂敷かしけらしも
右ノ事伝ヘ言フハ、那珂郡伊知郷蓑島ノ人、
建部牛麻呂(タテベノウシマロ)ナリ。
太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌三十二首(みそぢまりふたつ)、また序
天平二年(ふたとせといふとし)正月(むつき)の十三日(とをかまりみかのひ)、帥(かみ)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(つど)ひて、宴会を申(の)ぶ。時に初春の令月、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後の香を薫らす。加以(しかのみにあらず)曙は嶺に雲を移し、松は羅(うすきぬ)を掛けて盖(きぬかさ)を傾け、夕岫(せきしふ)に霧を結び、鳥はうすものに封(こも)りて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。是に天を盖にし地を坐(しきゐ)にして、膝を促して觴(さかづき)を飛ばし、言を一室の裏(うち)に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自放に、快然として自ら足れり。若し翰苑にあらずは、何を以てか情(こころ)をのベむ。請ひて落梅の篇を紀(しる)さむと。古今それ何ぞ異ならむ。園梅を賦し、聊か短詠(みじかうた)を成(よ)むベし。
0815 正月立ち春の来らばかくしこそ梅を折りつつ楽しき終へめ 大弐(おほきすけ)紀卿
0816 梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が家(へ)の園にありこせぬかも 少弐(すなきすけ)小野大夫
0817 梅の花咲きたる園の青柳は縵(かづら)にすべく成りにけらずや 少弐粟田大夫
0818 春さればまづ咲く屋戸の梅の花独り見つつや春日暮らさむ 筑前守山上大夫
0819 世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にも成らましものを 豊後守(とよくにのみちのしりのかみ)大伴大夫
0820 梅の花今盛りなり思ふどち挿頭(かざし)にしてな今盛りなり 筑後守(つくしのみちのしりのかみ)葛井大夫
0821 青柳梅との花を折り挿頭(かざ)し飲みての後は散りぬともよし 某官笠氏沙弥
0822 我が園に梅の花散る久かたの天より雪の流れ来るかも 主人(あるじ)
0823 梅の花散らくはいづくしかすがにこの城(き)の山に雪は降りつつ 大監大伴氏百代
0824 梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鴬鳴くも 少監(すなきまつりごとひと)阿氏奥島
0825 梅の花咲きたる園の青柳を縵にしつつ遊び暮らさな 少監土氏百村
0826 打ち靡く春の柳と我が屋戸の梅の花とをいかにか分かむ 大典(おほきふみひと)史氏大原
0827 春されば木末(こぬれ)隠(がく)りて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝(しづえ)に 少典(すなきふみひと)山氏若麻呂
0828 人ごとに折り挿頭しつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも 大判事(おほきことわるつかさ)舟氏麻呂
0829 梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべく成りにてあらずや 薬師(くすりし)張氏福子(さきこ)
0830 万代に年は来経(きふ)とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし 筑前介佐氏子首(こびと)
0831 春なればうべも咲きたる梅の花君を思ふと夜寐(よい)も寝なくに 壹岐守(いきのかみ)板氏安麻呂
0832 梅の花折りて挿頭せる諸人は今日の間は楽しくあるべし 神司(かむつかさ)荒氏稲布(いなふ)
0833 年のはに春の来らばかくしこそ梅を挿頭して楽しく飲まめ 大令(おほきふみひと)史野氏宿奈麻呂
0834 梅の花今盛りなり百鳥の声の恋(こほ)しき春来たるらし 少令(すなきふみひと)史田氏肥人(うまひと)
0835 春さらば逢はむと思(も)ひし梅の花今日の遊びに相見つるかも 薬師高氏義通
0836 梅の花手折り挿頭して遊べども飽き足らぬ日は今日にしありけり 陰陽師(うらのし)磯氏法麻呂
0837 春の野に鳴くや鴬なつけむと我が家(へ)の園に梅が花咲く 算師(かぞへのし)志氏大道
0838 梅の花散り乱(まが)ひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて 大隅目(おほすみのふみひと)榎氏鉢麻呂(もひまろ)
0839 春の野(の)に霧立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る 筑前目田氏眞人
0840 春柳かづらに折りし梅の花誰か浮かべし酒坏の上(へ)に 壹岐目村氏彼方(をちかた)
0841 鴬の音聞くなべに梅の花我ぎ家の園に咲きて知る見ゆ 對馬目高氏老
0842 我が屋戸の梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ 薩摩目高氏海人
0843 梅の花折り挿頭しつつ諸人の遊ぶを見れば都しぞ思ふ 土師氏御通
0844 妹が家(へ)に雪かも降ると見るまでにここだも乱(まが)ふ梅の花かも 小野氏国堅
0845 鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子が為 筑前拯(まつりごとひと)門氏石足
0846 霞立つ長き春日を挿頭せれどいやなつかしき梅の花かも 小野氏淡理
員外(かずよりほか)故郷(くに)思(しぬ)ふ歌両首(ふたつ)
0847 我が盛りいたく降(くだ)ちぬ雲に飛ぶ薬食(は)むともまた変若(をち)めやも
0848 雲に飛ぶ薬食むよは都見ばいやしき吾(あ)が身また変若ぬべし
後に追ひて和(よ)める梅(うめのはな)の歌四首
0849 残りたる雪に交れる梅の花早くな散りそ雪は消(け)ぬとも
0850 雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも
0851 我が屋戸に盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも
0852 梅の花夢に語らく風流(みやび)たる花と吾(あれ)思(も)ふ酒に浮かべこそ
松浦河(まつらがは)に遊びて贈り答ふる歌八首、また序
余(われ)暫く松浦県(まつらがた)に往きて逍遥し、玉島の潭に臨みて遊覧するに、忽ち魚釣る女子等に値(あ)へり。花容双び無く、光儀匹ひ無し。柳葉を眉中に開き、桃花を頬上に発(ひら)く。意気雲を凌ぎ、風流世に絶えたり。僕(われ)問ひけらく、「誰が郷誰が家の児等ぞ。若疑(けだし)神仙ならむか」。娘(をとめ)等皆咲みて答へけらく、「児等は漁夫の舎(いへ)の児、草菴の微(いや)しき者、郷も無く家も無し。なぞも称(な)を云(の)るに足らむ。唯性水に便り、復た心に山を楽しぶ。或は洛浦に臨みて、徒に王魚を羨(とも)しみ、乍(あるい)は巫峡に臥して空しく烟霞を望む。今邂逅(わくらば)に貴客(うまひと)に相遇(あ)ひ、感応に勝へず、輙ち款曲を陳ぶ。今より後、豈に偕老ならざるべけむや」。下官(おのれ)対ひて曰く、「唯々(をを)、敬みて芳命を奉(うけたま)はりき」。時に日は山西に落ち、驪馬(りば)去なむとす。遂に懐抱を申(の)べ、因て詠みて贈れる歌に曰く、
0853 漁りする海人の子どもと人は言へど見るに知らえぬ貴人(うまひと)の子と
答ふる詩(うた)に曰く、
0854 玉島のこの川上に家はあれど君を恥(やさ)しみ顕はさずありき
蓬客等(をのれ)また贈れる歌三首
0855 松浦川川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ
0856 松浦なる玉島川に鮎釣ると立たせる子らが家道知らずも
0857 遠つ人松浦の川に若鮎(わかゆ)釣る妹が手本を我こそ巻かめ
娘等(をとめら)また報ふる歌三首
0858 若鮎釣る松浦の川の川波の並にし思(も)はば我恋ひめやも
0859 春されば我家(わぎへ)の里の川門(かはど)には鮎子さ走る君待ちがてに
0860 松浦川七瀬の淀は淀むとも我は淀まず君をし待たむ
後れたる人の追ひて和(よ)める詩(うた)三首 都帥老
0861 松浦川川の瀬早み紅の裳の裾濡れて鮎か釣るらむ
0862 人皆の見らむ松浦の玉島を見ずてや我は恋ひつつ居らむ
0863 松浦川玉島の浦に若鮎釣る妹らを見らむ人の羨(とも)しさ
吉田連宜(よしだのむらじよろし)が答ふる歌四首
宜(よろし)啓(まを)す。伏して四月の六日の賜書を奉(うけたまは)り、跪きて封函を開き、芳藻を拝読するに、心神の開朗たること、泰初が月を懐(うだ)きしに似たり。鄙懐の除こること、樂廣が天を披(ひら)きしが若し。至若(しかのみにあらず)、辺域に羇旅し、古旧を懐ひて志を傷ましむ。年矢停まらず、平生を憶ひて涙を落(なが)す。但達人は排に安みし、君子は悶り無し。伏して冀(こひねがは)くは、朝に雉(きぎし)を懐(なつ)くる化を宣べ、暮に亀を放つ術を存(たも)ち、張趙を百代に架し、松喬を千齢に追はむのみ。兼ねて垂示を奉はる、梅苑の芳席、群英藻をのべ、松浦の玉潭、仙媛の贈答、杏壇各言の作に類(たぐ)へ、衡皐税駕の篇に疑(なぞら)ふ。耽読吟諷し、感謝歓怡す。宜(よろし)主を恋(しぬ)ふ誠、誠に犬馬に逾ゆ。徳を仰ぐ心、心葵(きつ)カクに同じ。而るに碧海地を分ち、白雲天を隔て、徒に傾延を積む。何(なぞ)も労緒を慰めむ。孟秋膺節、伏して願はくは万祐日新たむことを。今相撲部領使(すまひことりつかひ)に因りて、謹みて片紙を付く。宜謹みて啓す。不次。
諸人の梅の花の歌に和(なぞら)へ奉(まつ)る一首(ひとうた)
0864 後れ居て長恋せずは御苑生(みそのふ)の梅の花にも成らましものを
松浦仙媛(まつらをとめ)の歌に和ふる一首
0865 君を待つ松浦の浦の娘子らは常世の国の海人娘子かも
君を思ふこと未だ尽きずてまた題(しる)せる二首(うたふたつ)
0866 はろばろに思ほゆるかも白雲の千重に隔てる筑紫の国は
0867 君が行(ゆき)日(け)長くなりぬ奈良道なる山斎(しま)の木立も神さびにけり
天平二年(ふたとせといふとし)七月の十日(とをかのひ)。
山上臣憶良が松浦の歌三首(みつ)
憶良誠惶頓首謹啓す。憶良聞く、方岳の諸侯、都督の刺使、並(みな)典法に依りて部下を巡行し、其の風俗を察(み)る。意内端多く、口外出し難し。謹みて三首の鄙歌を以て、五蔵の欝結を写さむとす。其の歌に曰く、
0868 松浦県(がた)佐用姫(さよひめ)の子が領巾(ひれ)振りし山の名のみや聞きつつ居らむ
0869 足姫(たらしひめ)神の命の魚(な)釣らすとみ立たしせりし石を誰見き
0870 百日(ももか)しも行かぬ松浦道今日行きて明日は来(き)なむを何か障(さや)れる
天平二年七月の十一日、筑前国司山上憶良謹みて上(たてまつ)る。
領巾麾(ひれふり)の嶺(ね)を詠める歌一首
大伴佐提比古(さでひこ)の良子(いらつこ)、特(ひとり)朝命(おほみこと)を被(かが)ふり、藩国(みやつこくに)に奉使(ま)けらる。艤棹(ふなよそひ)して帰(ゆ)き、稍蒼波を赴(あつ)む。その妾(め)松浦佐用嬪面(さよひめ)、此の別れの易きを嗟(なげ)き、彼(そ)の会ひの難きを嘆く。即ち高山の嶺に登りて遥かに離(さか)り去(ゆ)く船を望む。悵然として腸を断ち、黯然として魂(たま)を銷(け)つ。遂に領巾を脱きて麾(ふ)る。傍者流涕(かなし)まざるはなかりき。因(かれ)此の山を領巾麾の嶺と曰(なづ)くといへり。乃ち作歌(うたよみ)すらく、
0871 遠つ人松浦佐用姫夫恋(つまこひ)に領巾振りしより負へる山の名
後の人が追ひて和(なぞら)ふる歌一首
0872 山の名と言ひ継げとかも佐用姫がこの山の上(へ)に領巾を振りけむ
最(いと)後の人が追ひて和ふる歌一首
0873 万代に語り継げとしこの岳(たけ)に領巾振りけらし松浦佐用姫
最最(いといと)後の人が追ひて和ふる歌二首
0874 海原(うなはら)の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫
0875 ゆく船を振り留みかね如何ばかり恋(こほ)しくありけむ松浦佐用姫
書殿(ふみとの)に餞酒(うまのはなむけ)せる日の倭歌(やまとうた)四首
0876 天(あま)飛ぶや鳥にもがもや都まで送り申して飛び帰るもの
0877 人皆のうらぶれ居るに立田山御馬(みま)近づかば忘らしなむか
0878 言ひつつも後こそ知らめ暫(しま)しくも寂(さぶ)しけめやも君いまさずして
0879 万代にいまし給ひて天の下奏(まを)し給はね朝廷(みかど)去らずて
敢へて私懐(おもひ)を布(の)ぶる歌三首
0880 天ざかる夷(ひな)に五年(いつとせ)住まひつつ都の風俗(てぶり)忘らえにけり
0881 かくのみや息づき居らむあら玉の来経(きへ)ゆく年の限り知らずて
0882 吾(あ)が主の御霊(みたま)賜ひて春さらば奈良の都に召上(めさ)げ賜はね
天平二年十二月(しはす)の六日(むかのひ)、筑前国司山上憶良、
謹みて上(たてまつ)る。
三島王の後に追ひて和(なぞら)へたまへる松浦佐用嬪面の歌一首
0883 音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領巾振りきとふ君松浦山
大典(おほきふみひと)麻田連陽春(あさたのむらじやす)が大伴君熊凝(くまこり)に為(かは)りて志を述ぶる歌二首
0884 国遠き道の長手をおほほしく恋(こ)ふや過ぎなむ言問(ことどひ)もなく
0885 朝露の消(け)やすき吾(あ)が身他国(ひとくに)に過ぎかてぬかも親の目を欲り
筑前の国司守(みこともちのかみ)山上憶良が、熊凝に為(かは)りて其の志を述ぶる歌に敬みて和(なぞら)ふるうた六首、また序
大伴君熊凝は、肥後国(ひのみちのしりのくに)益城郡(ましきのこほり)の人なり。年十八歳(とをまりやつ)。天平三年(みとせといふとし)六月(みなつき)の十七日(とをかまりなぬかのひ)を以て、相撲使(すまひのつかひ)某の国の司(みこともち)官位姓名の従人(ともびと)と為り、京都(みやこ)に参向(まゐのぼ)る。天為るかも不幸、路に在りて疾を獲、即ち安藝国佐伯郡(さいきのこほり)高庭(たかには)の駅家(うまや)にて、身故(みまか)りぬ。臨終(まか)らむとする時、長歎息(なげ)きて曰く、「伝へ聞く、仮合の身滅び易く、泡沫の命駐め難し。所以に千聖已く去り、百賢留まらず。况乎(まして)凡愚の微しき者、何ぞも能く逃れ避らむ。但我が老親、並(みな)菴室に在りて、我を侍つこと日を過ぐし、自ら心を傷む恨み有らむ。我を望むこと時を違へり。必ず明を喪ふ泣(なみだ)を致さむ。哀しき哉我が父、痛き哉我が母。一身死に向かふ途を患(うれ)へず、唯二親在生の苦を悲しむ。今日長く別れ、何れの世かも観ることを得む」。乃ち歌六首(むつ)を作(よ)みて死(みまか)りぬ。其の歌に曰く、
0886 打日さす 宮へ上ると たらちしの 母が手離れ
常知らぬ 国の奥処(おくか)を 百重山 越えて過ぎゆき
いつしかも 都を見むと 思ひつつ 語らひ居れど
おのが身し 労(いた)はしければ 玉ほこの 道の隈廻(くまみ)に
草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち臥(こ)い伏して
思ひつつ 嘆き伏せらく 国にあらば 父とり見まし
家にあらば 母とり見まし 世間(よのなか)は かくのみならし
犬じもの 道に伏してや 命過ぎなむ
0887 たらちしの母が目見ずておほほしくいづち向きてか吾(あ)が別るらむ
0888 常知らぬ道の長手を暗々(くれくれ)といかにか行かむ糧(かりて)は無しに
0889 家にありて母が取り見ば慰むる心はあらまし死なば死ぬとも
0890 出でてゆきし日を数へつつ今日今日と吾(あ)を待たすらむ父母らはも
0891 一世には二遍(ふたたび)見えぬ父母を置きてや長く吾(あ)が別れなむ
貧窮問答の歌一首、また短歌
0892 風雑(まじ)り 雨降る夜(よ)の 雨雑り 雪降る夜は
すべもなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ
糟湯酒(かすゆさけ) うち啜(すす)ろひて 咳(しはぶ)かひ 鼻びしびしに
しかとあらぬ 髭掻き撫でて 吾(あれ)をおきて 人はあらじと
誇ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさふすま) 引き被(かがふ)り
布肩衣(ぬのかたきぬ) ありのことごと 着襲(そ)へども 寒き夜すらを
我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ
妻子(めこ)どもは 乞ひて泣くらむ この時は いかにしつつか 汝(な)が世は渡る
天地は 広しといへど 吾(あ)が為は 狭(さ)くやなりぬる
日月は 明(あか)しといへど 吾(あ)が為は 照りやたまはぬ
人皆か 吾(あ)のみやしかる わくらばに 人とはあるを
人並に 吾(あれ)も作るを 綿も無き 布肩衣の
海松(みる)のごと 乱(わわ)け垂(さが)れる かかふのみ 肩に打ち掛け
伏廬(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁解き敷きて
父母は 枕の方に 妻子どもは 足(あと)の方に
囲み居て 憂へ吟(さまよ)ひ 竈には 火気(けぶり)吹き立てず
甑(こしき)には 蜘蛛の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く ことも忘れて
ぬえ鳥の のどよび居るに いとのきて 短き物を
端切ると 云へるが如く 笞杖(しもと)執る 里長(さとをさ)が声は
寝屋処(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間(よのなか)の道
0893 世間を憂しと恥(やさ)しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
0900 富人の家の子どもの着る身なみ腐(くた)し捨つらむ絹綿らはも
0901 荒布(あらたへ)の布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ為むすべを無み
山上憶良頓首謹みて上る。
好去好来の歌一首、また短歌
0894 神代より 言ひ伝て来(け)らく そらみつ 倭(やまと)の国は
皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊(ことたま)の 幸(さき)はふ国と
語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと
目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども
高光る 日の朝廷(みかど) 神ながら 愛での盛りに
天の下 奏(まを)したまひし 家の子と 選びたまひて
大御言 反云、大命(オホミコト) 戴き持ちて 唐(もろこし)の 遠き境に
遣はされ 罷りいませ 海原の 辺(へ)にも沖にも
神づまり 領(うしは)きいます 諸々の 大御神たち
船の舳に 反云、フナノヘニ 導きまをし 天地の 大御神たち
倭の 大国御魂(みたま) 久かたの 天(あま)のみ空ゆ
天翔(あまかけ)り 見渡したまひ 事終り 帰らむ日には
又更に 大御神たち 船の舳に 御手うち掛けて
墨縄を 延(は)へたるごとく 阿庭可遠志 値嘉(ちか)の崎より
大伴の 御津の浜びに 直(ただ)泊(は)てに 御船は泊てむ
障(つつ)みなく 幸くいまして 早帰りませ
反し歌
0895 大伴の御津の松原かき掃きて我立ち待たむ早帰りませ
0896 難波津に御船泊てぬと聞こえ来ば紐解き放けて立ち走りせむ
天平五年三月の一日 良宅対面、献ルハ三日ナリ。山上憶良 謹みて上る。
大唐大使(もろこしにつかはすつかひのかみ)の卿の記室。
沈痾自哀文 山上憶良作
竊(ひそ)かに以(おもひみ)るに、朝夕山野に佃食する者すら、猶災害無くして世を度ることを得 謂ふは、常に弓箭を執りて六斎を避けず、値ふところの禽獣、大小を論はず、孕めるとまた孕まざると、並皆(みな)殺し食らふ。此を以て業と為す者をいへり。昼夜河海に釣漁する者すら、尚慶福有りて俗を経ることを全くす 謂ふは、漁夫潜女各勤むるところ有り。男は手に竹竿を把りて、能く波浪の上に釣り、女は腰に鑿と籠を帯び、潜きて深潭の底に採る者をいへり。况乎(まして)我胎生より今日に至るまで、自ら修善の志有り、曽て作悪の心無し 謂ふは、諸悪莫作、諸善奉行の教へを聞くことをいへり。所以に三宝を礼拝し、日として勤まざるは無く 毎日誦経、発露、懺悔せり、百神を敬重し、夜として欠けたること鮮(な)し 謂ふは、天地諸神等を敬拝するをいへり。嗟乎(ああ)恥(やさ)しきかも、我何(いか)なる罪を犯してか此の重疾に遭へる 謂ふは、未だ過去に造りし罪か、若しは是現前に犯せる過なるかを知らず、罪過を犯すこと無くは、何ぞ此の病を獲むやといへり。初めて痾ひに沈みしより已来(このかた)、年月稍多し 謂ふは、十余年を経たるをいへり。是の時年七十有四、鬢髪斑白にして、筋力汪羸(わうるい)。但に年老いるのみにあらず、復た斯の病を加へたり。諺に曰く、「痛き瘡は塩を灌ぎ、短き材は端を截る」といふは、此の謂なり。四支動かず、百節皆疼み、身体太だ重きこと、猶鈞石を負へるがごとし 二十四銖を一両と為し、十六両を一斤を為し、卅斤を一鈞と為し、四鈞を一石と為す、合せて一百廿斤なり。布を懸けて立たむとすれば、翼折れたる鳥の如く、杖に倚りて歩まむとすれば、跛足(あしなへ)の驢(うさぎうま)に比(たぐ)ふ。吾、身已く俗を穿ち、心も亦塵に累(つな)がるるを以て、禍の伏す所、祟の隠るる所を知らむと欲ひ、亀卜の門、巫祝の室に、徃きて問はずといふこと無し。若しは実なれ、若しは妄(いつはり)なれ、其の教ふる所に隋ひ、幣帛を奉り、祈祷せずといふこと無し。然れども弥よ苦を増す有り、曽て減差(い)ゆること無し。吾聞く、前代に多く良医有りて、蒼生の病患を救療す。楡柎、扁鵲、華他、秦の和、緩、葛稚川、陶隠居、張仲景等のごときに至りては、皆是世に在りし良医にして、除愈せずといふこと無しと 扁鵲、姓は秦、字は越人、勃海郡の人なり。胸を割きて心腸を採りて之を置き、投(い)るるに神薬を以てすれば、即ち寤めて平の如し。華他、字は元化、沛国のセフの人なり。若し病結積(むすぼ)れ沈重(おも)れる者有らば、内に在る者は腸を刳きて病を取る。縫ひ復して膏を摩れば、四五日にして差(い)ゆ。件の医(くすし)を追ひ望むとも、敢へて及ぶ所にあらじ。若し聖医神薬に逢はば、仰ぎ願はくは五蔵を割刳(さ)きて百病を抄採(さぐ)り、尋ねて膏盲の奥処(あうしよ)に達(いた)り 盲は鬲なり。心の下を膏とす。之を改むること可(よ)からず。之に達れども及ばず、薬至らず、二竪の逃れ匿りたるを顕さむと欲(す) 謂ふは、晉の景公疾み、秦の医(くすし)緩視て還りしは、鬼の為に殺さると謂ふべしといへり。命根既く尽き、其の天年を終りてすら、なほ哀しと為す 聖人賢者一切含霊、誰か此の道を免れむ。何ぞ况んや、生録未だ半ばならずして、鬼に枉殺せられ、顏色壮年にして、病に横困せらる者をや。世に在るの大患、孰れか此より甚だしからむ 志恠記に云く、「廣平の前の大守、北海の徐玄方の女、年十八歳にして死ぬ。其の霊、馮馬子に謂ひて曰く、『我が生録を案ふるに、寿(よはひ)八十余歳なるべし。今妖鬼の為に枉殺されて、已に四年を経たり』と。此に馮馬子に遇ひて、乃ち更活(よみがへ)ることを得たり」といふは是なり。内教に云く、「瞻浮州の人は寿百二十歳なり」と。謹みて此の数を案ふるに、必(うたがた)も此を過ぐること得ずといふに非ず。故に寿延経に云はく、「比丘有り、名を難逹と曰ふ。命終の時に臨み、仏に詣でて寿を請ひ、則ち十八年を延べたり」といふ。但善を為す者のみ、天地と相畢(を)はる。其の寿夭は、業報の招く所にして、其の脩短に隋ひて半ばと為る。未だ斯の算に盈たずしてすみやかに死去す。故に未だ半ばならずと曰ふ。任徴君曰く、「病は口より入る。故に君子は其の飲食を節(つつし)む」と。斯に由りて言はば、人の疾病に遇ふは必も妖鬼にあらず。それ医方諸家の広説、飲食禁忌の厚訓、知ること易く行ふこと難き鈍情の、三つは目に盈ち耳に満つこと由来久し。抱朴子に曰く、「人は但其の当(まさ)に死なむ日を知らず、故に憂へざるのみ。若し誠に、羽カク期を延ぶること得べき者を知らば、必ず之を為さむ」と。此を以て観れば、乃ち知りぬ、我が病は盖しこれ飲食の招く所にして、自ら治むること能はぬものか。帛公略説に曰く、「伏して思ひ自ら励むに、斯の長生を以てす。生は貪るべし、死は畏(おそ)るべし」と。天地の大徳を生と曰ふ。故に死人は生鼠に及かず。王侯為りと雖も、一日気を絶たば、金を積むこと山の如くありとも、誰か富と為(せ)む。威勢海の如くありとも、誰か貴しと為む。遊仙窟に曰く、「九泉下の人、一銭にだに直(あたひ)せず」と。孔子の曰く、「天に受けて、変易すべからぬものは形なり、命に受けて請益すべからぬものは寿(いのち)なり」と 鬼谷先生の相人書に見ゆ。故に生の極りて貴く、命の至りて重きことを知る。言はむと欲へば言窮まる。何を以てか言はむ。慮(おもひはか)らむと欲へば慮(おもひはか)り絶ゆ、何に由(よ)りてか慮らむ。惟以(おもひ)みれば、人賢愚と無く、世古今と無く、咸(ことごと)く悉(みな)嗟歎(なげ)く。歳月競ひ流れ、昼夜息(いこ)はず 曾子曰く、「往きて反らぬものは年なり」と。宣尼の川に臨む歎きも亦是なり。老疾相催し、朝夕侵し動(さは)ぐ。一代の歓楽、未だ席前に尽きずして 魏文の時賢を惜しむ詩に曰く、「未だ西花の夜を尽さず、劇(たちまち)に北芒の塵となる」と。千年の愁苦、更に坐後を継ぐ 古詩に云く、「人生百に満たず、何ぞ千年の憂を懐かむ」。若夫(それ)群生品類、皆尽くること有る身を以て、並(とも)に窮り無き命を求めずといふこと莫し。所以に道人方士の自ら丹経を負ひ、名山に入りて合薬する者は、性を養ひ神を怡(よろこ)び、以て長生を求む。抱朴子に曰く、「神農云く、『百病愈えずは、安(いかに)ぞ長生を得む』」と。帛公又曰く、「生は好き物なり。死は悪しき物なり」と。若し不幸にして長生を得ずは、猶生涯病患無き者を以て福大と為さむか。今吾病を為し悩を見、臥坐を得ず。東に向かひ西に向かひ、為す所知ること莫し。福無きこと至りて甚しき、すべて我に集まる。人願へば天従ふ。如し実有らば、仰ぎ願はくは、頓(たちまち)に此の病を除き、頼(さきはひ)に平の如くあるを得む。鼠を以て喩とす、豈に愧ぢざらむや 已に上に見ゆ。
俗道仮合即離、去り易く留まり難きを悲歎する詩一首、また序
竊に以(おもひみ)るに、釋慈の示教 釋氏慈氏を謂へり、先に三帰 仏法僧に帰依するを謂へり、五戒 謂ふは、一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪婬、四に不妄語、五に不飲酒をいへりを開きて遍く法界を化(おもむ)け、周孔の垂訓は、前に三綱 謂ふは、君臣・父子・夫婦をいへり、五教謂ふは、父義・母慈・兄友・弟順・子孝をいへりを張りて、斉しく邦国を済(すく)ふ。故に知る、引導は二ありと雖も、悟を得たるは惟一なりと。但以(おもひみ)れば世に恒質無し、所以に陵谷更に変る。人に定期無し、所以に寿夭同じからず。撃目の間、百齢已に尽き、申臂(しんぴ)の頃(けい)、千代(せんだい)亦空し。旦には席上の主となり、夕には泉下の客となる。白馬走り来るとも、黄泉(くわうせん)は何にか及ばむ。隴上の青松、空しく信釼を懸け、野中の白楊、但悲風に吹かる。是に知る、世俗本より隠遁の室無く、原野唯長夜の台(うてな)のみ有り。先聖已に去り、後賢留まらず。如し贖ひて免るべきこと有らば、古人誰か価金無からむ。未だ独り存(ながら)へて遂に世の終を見る者を聞かず、所以に維摩大士は玉体を方丈に疾み、釋迦能仁は金容を双樹に掩へり。内教に曰く、「黒闇の後に来らむを欲せずは、徳天の先に至るに入ること莫かれ」と 徳天は生なり。黒闇は死なり。故に知る、生必ず死有り、死若し欲(ねが)はざらむは、生まれぬには如かず。况乎(まして)縦ひ始終の恒数を覚るとも、何にぞ存亡の大期を慮(おもひはか)らむ。
俗道の変化は撃目の如く
人事の経紀は申臂の如し
空しく浮雲と大虚を行き
心力共に尽きて寄る所無し
老身重病年を経て辛苦(くる)しみ、また児等を思ふ歌五首 長一首、短四首
0897 玉きはる 現(うち)の限りは 平らけく 安くもあらむを
事もなく 喪なくもあらむを 世間(よのなか)の 憂けく辛けく
いとのきて 痛き瘡(きず)には 辛塩を 灌ぐちふごとく
ますますも 重き馬荷に 表荷(うはに)打つと いふことのごと
老いにてある 吾(あ)が身の上に 病をら 加へてしあれば
昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息づき明かし
年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ
ことことは 死ななと思(も)へど 五月蝿(さばへ)なす 騒く子どもを
棄(うつ)てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ
かにかくに 思ひ煩ひ 音のみし泣かゆ
反し歌
0898 慰むる心は無しに雲隠れ鳴きゆく鳥の音のみし泣かゆ
0899 すべもなく苦しくあれば出で走り去(い)ななと思(も)へど子等に障(さや)りぬ
0902 水沫(みなわ)なす脆き命も栲縄(たくなは)の千尋にもがと願ひ暮らしつ
0903 しづたまき数にもあらぬ身にはあれど千年にもがと思ほゆるかも 去ル神亀二年ニ作メリ。但類ヲ以テノ故ニ更ニ茲ニ載ス
天平五年六月の丙申(ひのえさる)の朔(つきたち)三日(みかのひ)戊戌(つちのえいぬ)作めり。
男子(をのこ)名は古日(ふるひ)を恋ふる歌三首 長一首、短二首
0904 世の人の 貴み願ふ 七種(くさ)の 宝も吾(あれ)は
何せむに 願ひ欲(ほり)せむ 我が中の 生れ出でたる
白玉の 我が子古日は 明星(あかぼし)の 明くる朝(あした)は
敷細(しきたへ)の 床の辺去らず 立てれども 居れども共に
掻き撫でて 言問ひ戯(たは)れ 夕星(ゆふづつ)の 夕べになれば
いざ寝よと 手を携はり 父母も うへはな離(さか)り
三枝(さきくさ)の 中にを寝むと 愛(うるは)しく しが語らへば
いつしかも 人と成り出でて 悪しけくも 吉けくも見むと
大船の 思ひ頼むに 思はぬに 横様(よこしま)風の
にはかにも 覆ひ来たれば 為むすべの たどきを知らに
白妙の たすきを掛け 真澄鏡 手に取り持ちて
天つ神 仰(あふ)ぎ祈(こ)ひ祷(の)み 国つ神 伏して額づき
かからずも かかりもよしゑ 天地の 神のまにまと
立ちあざり 我が祈ひ祷めど しましくも 吉けくはなしに
漸々(やうやう)に かたちつくほり 朝な朝(さ)な 言ふことやみ
玉きはる 命絶えぬれ 立ち躍り 足すり叫び
伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持たる 吾(あ)が子飛ばしつ 世間の道
反し歌
0905 若ければ道行き知らじ賄(まひ)はせむ下方(したへ)の使負ひて通らせ
0906 布施置きて吾(あれ)は祈ひ祷む欺かず直(ただ)に率(ゐ)行きて天道知らしめ
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.巻第六(むまきにあたるまき)
雑歌(くさぐさのうた)
養老(やうらう)七年(ななとせといふとし)癸亥(みづのとゐ)夏五月(さつき)、芳野の離宮(とつみや)に幸(いでま)せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首(ひとつ)、また短歌(みじかうた)
0907 滝(たぎ)の上(へ)の 三船の山に 水枝(みづえ)さし 繁(しじ)に生ひたる
樛(つが)の木の いや継ぎ継ぎに 万代に かくし知らさむ
み吉野の 秋津(あきづ)の宮は 神柄(かみから)か 貴かるらむ
国柄か 見が欲しからむ 山川を 淳(あつ)み清(さや)けみ
大宮と 諾(うべ)し神代ゆ 定めけらしも
反(かへ)し歌二首
0908 毎年(としのは)にかくも見てしかみ吉野の清き河内(かふち)の激(たぎ)つ白波
0909 山高み白木綿花(しらゆふはな)に落ち激つ滝(たぎ)の河内は見れど飽かぬかも
或ル本ノ反シ歌ニ曰ク、
0910 神柄か見が欲しからむみ吉野の滝の河内は見れど飽かぬかも
0911 み吉野の秋津の川の万代に絶ゆることなくまた還り見む
0912 泊瀬女(はつせめ)の造る木綿花み吉野の滝の水沫(みなわ)に咲きにけらずや
車持朝臣千年(くらもちのあそみちとせ)がよめる歌一首、また短歌
0913 味凝(うまこり) あやに羨(とも)しき 鳴神の 音のみ聞きし
み吉野の 真木立つ山ゆ 見降(くだ)せば 川の瀬ごとに
明け来れば 朝霧立ち 夕されば かはづ鳴くなり
紐解かぬ 旅にしあれば 吾(あ)のみして 清き川原を 見らくし惜しも
反し歌一首
0914 滝(たぎ)の上(へ)の三船の山は見つれども思ひ忘るる時も日も無し
或ル本ノ反シ歌ニ曰ク、
0915 千鳥泣くみ吉野川の川音(かはと)なす止む時なしに思ほゆる君
0916 茜さす日並べなくに吾(あ)が恋は吉野の川の霧に立ちつつ
右、年月審(ツマビラ)カナラズ。但歌類ヲ以テ此ノ次
ニ載ス。或ル本ニ云ク、養老七年五月、芳野
離宮ニ幸セル時ニ作ム。
神亀(じむき)元年(はじめのとし)甲子(きのえね)冬十月(かみなつき)五日(いつかのひ)、紀伊国に幸せる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌
0917 やすみしし 我ご大王(おほきみ)の 外津宮(とつみや)と 仕へ奉(まつ)れる
雑賀野(さひかぬ)ゆ 背向(そがひ)に見ゆる 沖つ島 清き渚に
風吹けば 白波騒き 潮干(ひ)れば 玉藻刈りつつ
神代より しかぞ貴き 玉津(たまづ)島山
反し歌二首
0918 沖つ島荒磯(ありそ)の玉藻潮干満ちてい隠(かく)ろひなば思ほえむかも
0919 若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る
右、年月記サズ。但称ハク玉津島ニ従駕セリキト。
因リテ今行幸ノ年月ヲ検注シ、以テ載ス。
二年(ふたとせといふとし)乙丑(きのとのうし)夏五月(さつき)、芳野の離宮に幸せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌
0920 あしひきの み山も清(さや)に 落ち激(たぎ)つ 吉野の川の
川の瀬の 浄きを見れば 上辺(かみへ)には 千鳥しば鳴き
下辺(しもへ)には かはづ妻呼ぶ 百敷の 大宮人も
をちこちに 繁(しじ)にしあれば 見るごとに あやにともしみ
玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく 万代(よろづよ)に かくしもがもと
天地(あめつち)の 神をぞ祈る 畏かれども
反し歌二首
0921 万代に見とも飽かめやみ吉野の滝(たぎ)つ河内の大宮所
0922 人皆の命も吾(あれ)もみ吉野の滝の常磐の常ならぬかも
山部宿禰赤人がよめる歌二首、また短歌
0923 やすみしし 我ご大王(おほきみ)の 高知らす 吉野の宮は
たたなづく 青垣隠(ごも)り 川並の 清き河内(かふち)そ
春へは 花咲き撓(をを)り 秋されば 霧立ち渡る
その山の いや益々に この川の 絶ゆること無く
百敷の 大宮人は 常に通はむ
反し歌二首
0924 み吉野の象山(きさやま)の際(ま)の木末(こぬれ)にはここだも騒く鳥の声かも
0925 ぬば玉の夜の更けぬれば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く
0926 やすみしし 我ご大王は み吉野の 秋津の小野の
野の上(へ)には 跡見(とみ)据ゑ置きて み山には 射目(いめ)立て渡し
朝狩に 獣(しし)踏み起し 夕狩に 鳥踏み立て
馬並(な)めて 御狩そ立たす 春の茂野に
反し歌一首
0927 あしひきの山にも野にも御狩人さつ矢手(だ)挟み騒ぎたり見ゆ
右、先後ヲ審ラカニセズ。但便ヲ以テノ故ニ此次ニ載ス。
冬十月(かみなづき)、難波の宮に幸せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌
0928 押し照る 難波の国は 葦垣の 古りにし里と
人皆の 思ひ安みて 連れもなく ありし間に
続麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 真木柱 太高敷きて
食(を)す国を 治めたまへば 沖つ鳥 味經(あぢふ)の原に
物部(もののふ)の 八十伴雄(やそとものを)は 廬りして 都と成れり 旅にはあれども
反し歌二首
0929 荒野らに里はあれども大王の敷き坐(ま)す時は都と成りぬ
0930 海未通女(あまをとめ)棚無小舟榜ぎ出(づ)らし旅の宿りに楫の音(と)聞こゆ
車持朝臣千年がよめる歌一首、また短歌
0931 鯨魚(いさな)取り 浜辺を清み 打ち靡き 生ふる玉藻に
朝凪に 千重(ちへ)波寄り 夕凪に 五百重(いほへ)波寄る
沖つ波 いや益々に 辺(へ)つ波の いやしくしくに
月に日(け)に 日々に見がほし 今のみに 飽き足らめやも
白波の い咲き廻(もと)へる 住吉(すみのえ)の浜
反し歌一首
0932 白波の千重に来寄する住吉の岸の黄土生(はにふ)ににほひて行かな
山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌
0933 天地の 遠きが如く 日月(ひつき)の 長きが如く
押し照る 難波の宮に 我ご大王 国知らすらし
御食(みけ)つ国 日々の御調(みつき)と 淡路の 野島の海人の
海(わた)の底 沖つ海石(いくり)に 鮑玉(あはびたま) 多(さは)に潜(かづ)き出
船並(な)めて 仕へ奉(まつ)るか 貴し見れば
反し歌一首
0934 朝凪に楫の音(と)聞こゆ御食つ国野島の海人の船にしあるらし
三年(みとせといふとし)丙寅(ひのえとら)秋九月(ながつき)十五日(とをかまりいつかのひ)、播磨国印南野(いなみぬ)に幸(いでま)せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌
0935 名寸隅(なきすみ)の 船瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に
朝凪に 玉藻刈りつつ 夕凪に 藻塩焼きつつ
海未通女(あまをとめ) ありとは聞けど 見に行かむ 由のなければ
大夫(ますらを)の 心は無しに 手弱女(たわやめ)の 思ひたわみて
徘徊(たもとほ)り 吾(あれ)はそ恋ふる 船楫(ふねかぢ)を無み
反し歌二首
0936 玉藻刈る海未通女ども見に行かむ船楫もがも波高くとも
0937 往き還り見とも飽かめや名寸隅の船瀬の浜に頻る白波
山部宿禰赤人がよめる歌一首 、また短歌
0938 やすみしし 我が大王の 神ながら 高知らせる
印南野の 大海(おほうみ)の原の 荒栲(あらたへ)の 藤江の浦に
鮪(しび)釣ると 海人船騒ぎ 塩焼くと 人そ多(さは)なる
浦を吉(よ)み 諾(うべ)も釣はす 浜を吉み 諾も塩焼く
あり通ひ 見(め)さくも著(しる)し 清き白浜
反し歌三首
0939 沖つ波辺波静けみ漁(いざ)りすと藤江の浦に船そ騒げる
0940 印南野の浅茅押しなべさ寝(ぬ)る夜の日(け)長くしあれば家し偲はゆ
0941 明石潟潮干の道を明日よりは下笑ましけむ家近づけば
辛荷(からに)の島を過ぐる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌
0942 あぢさはふ 妹が目離(か)れて 敷細(しきたへ)の 枕も巻かず
桜皮(かには)巻き 作れる舟に 真楫(かぢ)貫(ぬ)き 吾(あ)が榜ぎ来れば
淡路の 野島も過ぎ 印南嬬(いなみつま) 辛荷の島の
島の際(ま)ゆ 我家(わぎへ)を見れば 青山の そことも見えず
白雲も 千重になり来ぬ 榜ぎ廻(たむ)る 浦のことごと
行き隠る 島の崎々 隈(くま)も置かず 思ひそ吾(あ)が来る 旅の日(け)長み
反し歌三首
0943 玉藻刈る辛荷の島に島回(み)する鵜にしもあれや家思(も)はざらむ
0944 島隠り吾(あ)が榜ぎ来れば羨(とも)しかも大和へ上る真熊野の船
0945 風吹けば波か立たむと伺候(さもらひ)に都太(つた)の細江に浦隠り居り
敏馬(みぬめ)の浦を過ぐる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌
0946 御食(みけ)向ふ 淡路の島に 直(ただ)向ふ 敏馬の浦の
沖辺には 深海松(ふかみる)摘み 浦廻には 名告藻(なのりそ)苅り
深海松の 見まく欲しけど 名告藻の 己が名惜しみ
間使も 遣らずて吾(あれ)は 生けるともなし
反し歌一首
0947 須磨の海人の塩焼き衣の慣れなばか一日も君を忘れて思はむ
右ノ作歌、年月詳ラカナラズ。但類ヲ以テノ故ニ
此ノ次ニ載ス。
四年(よとせといふとし)丁卯(ひのとのう)春正月(むつき)、諸王(おほきみたち)諸臣子等(おみたち)に勅(みことのり)して、授刀寮に散禁(はなちいまし)めたまへる時によめる歌一首、また短歌
0948 真葛(まくず)延(は)ふ 春日の山は 打ち靡く 春さりゆくと
山の辺(へ)に 霞たな引き 高圓(たかまと)に 鴬鳴きぬ
物部(もののふ)の 八十伴男(やそとものを)は 雁が音の 来継ぎこの頃
かく継ぎて 常にありせば 友並(な)めて 遊ばむものを
馬並めて 行かまし里を 待ちがてに 吾(あ)がせし春を
かけまくも あやに畏し 言はまくも 忌々(ゆゆ)しからむと
あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川に
石(いそ)に生ふる 菅の根採りて 偲(しぬ)ふ草 祓ひてましを
行く水に 禊(みそ)ぎてましを 大王の 命畏み
百敷の 大宮人の 玉ほこの 道にも出でず 恋ふるこの頃
反し歌一首
0949 梅柳過ぐらく惜しみ佐保の内に遊びし事を宮もとどろに
右、神亀四年正月、数王子マタ諸臣子等、春日野ニ
集ヒ、打毬ノ楽ヲ作ス。其ノ日、忽チニ天陰リ、雨
フリ雷(カミ)ナリ電(イナビカリ)ス。此ノ時宮中ニ侍従マタ侍衛無
シ。勅シテ刑罰ニ行ヒ、皆授刀寮ニ散禁シテ、妄リ
ニ道路ニ出ヅルコトヲ得ザラシメタマフ。時ニ悒憤
シテ、即チ斯ノ歌ヲ作ム。作者ハ詳ラカナラズ。
五年(いつとせといふとし)戊辰(つちのえたつ)、難波の宮に幸せる時よめる歌四首
0950 大王の境ひたまふと山守(やまもり)据ゑ守(も)るちふ山に入らずはやまじ
0951 見渡せば近きものから石(いそ)隠り燿(かがよ)ふ玉を取らずはやまじ
0952 韓衣(からころも)着奈良の里の君松に玉をし付けむ好(よ)き人もがも
0953 さ牡鹿の鳴くなる山を越え行かむ日だにや君にはた逢はざらむ
右、笠朝臣金村ガ歌ノ中ニ出ヅ。或ハ云ク、車持
朝臣千年作ムト。
膳王(かしはでのおほきみ)の歌一首
0954 朝(あした)には海辺に漁(あさ)りし夕されば大和へ越ゆる雁し羨しも
右ノ作歌ノ年ハ審ラカナラズ。但歌類ヲ以テ便チ
此ノ次ニ載ス。
太宰少弐(おほみこともちのすなきすけ)石川朝臣足人(たりひと)が歌一首
0955 刺竹(さすだけ)の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君
帥(かみ)大伴卿(おほとものまへつきみ)が和(こた)ふる歌一首
0956 やすみしし我が大王の食す国は大和もここも同(おや)じとそ思(も)ふ
冬十一月(しもつき)、太宰の官人(つかさひと)等、香椎の廟を拝(をろが)み奉り、訖(を)へて退帰(まか)れる時、馬を香椎の浦に駐(とど)めて、各(おのもおのも)懐(おもひ)を述べてよめる歌
帥(かみ)大伴の卿(まへつきみ)の歌一首
0957 いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ
大弐(おほきすけ)小野老朝臣が歌一首
0958 時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈りてな
豊前守(とよくにのみちのくちのかみ)宇努首男人(うぬのおびとをひと)が歌一首
0959 往き還り常に吾(あ)が見し香椎潟明日ゆ後には見む縁(よし)もなし
帥大伴の卿の芳野の離宮(とつみや)を遥思(しぬ)ひてよみたまへる歌一首
0960 隼人(はやひと)の瀬戸の巌(いはほ)も鮎走る吉野の滝になほしかずけり
帥大伴の卿の、次田(すきた)の温泉(ゆ)に宿りて、鶴(たづ)が喧(ね)を聞きてよみたまへる歌一首
0961 湯の原に鳴く葦鶴は吾(あ)が如く妹に恋ふれや時わかず鳴く
天平(てむひやう)二年庚午(かのえうま)、勅(みことのり)して駿馬(ときうま)を擢(えら)ぶ使大伴道足(みちたり)宿禰を遣はせる時の歌一首
0962 奥山の岩に苔むし畏くも問ひ賜ふかも思ひあへなくに
右、勅使(みかどつかひ)大伴道足宿禰を帥の家に饗(あへ)す。此の日
衆諸を会集へ、駅使(はゆまづかひ)葛井連廣成を相誘ひ、歌詞
を作むべしと言ふ。登時(すなはち)廣成声に応へて、此の歌
を吟(うた)へりき。
冬十一月(しもつき)、大伴坂上郎女が帥の家より上道(みちだち)して、筑前国宗形郡名兒山を超ゆる時よめる歌一首
0963 大汝(おほなむぢ) 少彦名(すくなびこな)の 神こそは 名付けそめけめ
名のみを 名兒山と負ひて 吾(あ)が恋の 千重の一重も 慰めなくに
同(おや)じ坂上郎女が京(みやこ)に向(のぼ)る海路(うみつぢ)にて浜の貝を見てよめる歌一首
0964 我が背子に恋ふれば苦し暇(いとま)あらば拾ひて行かむ恋忘れ貝
冬十二月(しはす)、太宰帥(おほみこともちのかみ)大伴の卿の京に上りたまふ時、娘子(をとめ)がよめる歌二首
0965 凡(おほ)ならばかもかもせむを畏みと振りたき袖を忍(しぬ)ひてあるかも
0966 大和道は雲隠れたりしかれども吾(あ)が振る袖を無礼(なめ)しと思(も)ふな
右、太宰帥大伴の卿の大納言に兼任(め)され、京に向(のぼ)らむ
として上道(みちだち)したまふ。此の日水城に馬駐め、府家を顧
み望む。時に卿を送る府吏(つかさひと)の中に遊行女婦(うかれめ)あり。其の
字(な)を兒島(こしま)と曰ふ。是に娘子、此の別れ易きを傷み、彼の
会ひ難きを嘆き、涕を拭ひて自ら袖を振る歌を吟(うた)ふ。
大納言(おほきものまをすつかさ)大伴の卿の和へたまへる歌二首
0967 大和道の吉備の兒島を過ぎて行かば筑紫の子島思ほえむかも
0968 大夫(ますらを)と思へる吾(あれ)や水茎(みづくき)の水城(みづき)の上に涙拭(のご)はむ
三年辛未(かのとひつじ)、大納言大伴の卿の、寧樂の家に在りて故郷(ふるさと)を思(しぬ)ひてよみたまへる歌二首
0969 暫(しま)しくも行きて見てしか神名備(かむなび)の淵は浅(あせ)にて瀬にか成るらむ
0970 群玉の栗栖(くるす)の小野の萩が花散らむ時にし行きて手向けむ
四年壬申(みづのえさる)、藤原宇合の卿の西海道(にしのうみつぢ)の節度使に遣はさるる時、高橋連蟲麻呂がよめる歌一首、また短歌
0971 白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に
打ち越えて 旅行く君は 五百重山 い行きさくみ
賊(あた)守る 筑紫に至り 山の極(そき) 野の極見(め)せと
伴の部(べ)を 班(あが)ち遣はし 山彦の 答へむ極み
蟾蜍(たにぐく)の さ渡る極み 国形を 見(め)したまひて
冬籠り 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早還り来ね
龍田道の 岡辺の道に 紅躑躅(につつじ)の にほはむ時の
桜花 咲きなむ時に 山釿(たづ)の 迎へ参ゐ出む 君が来まさば
反し歌一首
0972 千万(ちよろづ)の軍(いくさ)なりとも言挙げせず討(と)りて来(き)ぬべき男(をとこ)とぞ思(も)ふ
天皇(すめらみこと)の節度使の卿等(まへつきみたち)に酒(おほみき)賜へる御歌(おほみうた)一首、また短歌
0973 食(を)す国の 遠の朝廷(みかど)に 汝(いまし)らし かく罷りなば
平けく 吾(あれ)は遊ばむ 手抱(てうだ)きて 吾(あれ)はいまさむ
天皇(すめら)朕(わ)が 珍(うづ)の御手もち 掻き撫でそ 労(ね)ぎたまふ
打ち撫でそ 労ぎたまふ 還り来む日 相飲まむ酒(き)そ この豊御酒(とよみき)は
反し歌一首
0974 大夫(ますらを)の行くちふ道そおほろかに思ひて行くな大夫の伴
右ノ御歌ハ、或ハ云ク、太上天皇ノ御製ナリト。
中納言(なかのものまをすつかさ)安倍廣庭の卿の歌一首
0975 かくしつつ在らくを好(よ)みぞ玉きはる短き命を長く欲りする
五年癸酉(みづのととり)、草香山を超ゆる時、神社忌寸老麿(かみこそのいみきおゆまろ)がよめる歌二首
0976 難波潟潮干の名残よく見てむ家なる妹が待ち問はむため
0977 直越(ただこえ)のこの道にして押し照るや難波の海と名付けけらしも
山上臣憶良が沈痾(やみこやれ)る時の歌一首
0978 士(をとこ)やも空しかるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして
右ノ一首ハ、山上憶良臣ガ沈痾ル時、藤原朝臣八束、
河邊朝臣東人ヲシテ、疾メル状ヲ問ハシム。是ニ憶良
臣、報フル語已ニ畢リ、須ク有リテ涕ヲ拭ヒ、悲シミ
嘆キテ此ノ歌ヲ口吟(ウタ)ヒキ。
大伴坂上郎女が、姪(をひ)家持が佐保より西の宅(いへ)に還帰(かへ)るときに与(おく)れる歌一首
0979 我が背子が着(け)る衣薄し佐保風はいたくな吹きそ家に至るまで
安倍朝臣蟲麻呂が月の歌一首
0980 雨隠り三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は降(くだ)ちつつ
大伴坂上郎女が月の歌三首
0981 獵高(かりたか)の高圓山を高みかも出で来む月の遅く照るらむ
0982 ぬば玉の夜霧の立ちておほほしく照れる月夜の見れば悲しさ
0983 山の端の細愛壮士(ささらえをとこ)天の原門(と)渡る光見らくしよしも
豊前国(とよくにのみちのくち)の娘子が月の歌一首 娘子字ヲ大宅ト曰フ。姓氏詳ラカナラズ。
0984 雲隠り行方を無みと吾(あ)が恋ふる月をや君が見まく欲りする
湯原王の月の歌二首
0985 天(あめ)にます月読壮士(つくよみをとこ)幣(まひ)はせむ今宵の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ
0986 愛(は)しきやし間近き里の君来むと言ふ徴(しるし)にかも月の照りたる
藤原八束朝臣が月の歌一首
0987 待ちがてに吾(あ)がする月は妹が着(け)る三笠の山に隠(こも)りたりけり
市原王の宴に父安貴王を祷(ほ)きませる歌一首
0988 春草は後は散り易し巌なす常盤にいませ貴き吾君(あきみ)
湯原王の打酒(さかほかひ)の歌一首
0989 焼太刀のかど打ち放ち大夫の寿(ほ)く豊御酒(とよみき)に吾(あれ)酔ひにけり
紀朝臣鹿人(かひと)が跡見(とみ)の茂岡(しげをか)の松の樹の歌一首
0990 茂岡に神さび立ちて栄えたる千代松の樹の歳の知らなく
同じ鹿人が泊瀬河の辺(ほとり)に至りてよめる歌一首
0991 石走(いはばし)り激(たぎ)ち流るる泊瀬川絶ゆること無くまたも来て見む
大伴坂上郎女が元興寺の里を詠める歌一首
0992 古郷の飛鳥はあれど青丹よし奈良の明日香を見らくしよしも
同じ坂上郎女が初月(みかつき)の歌一首
0993 月立ちてただ三日月の眉根(まよね)掻き日(け)長く恋ひし君に逢へるかも
大伴宿禰家持が初月の歌一首
0994 振り放(さ)けて三日月見れば一目見し人の眉引(まよびき)思ほゆるかも
大伴坂上郎女が親族(うがら)と宴せる歌一首
0995 かくしつつ遊び飲みこそ草木すら春は咲きつつ秋は散りぬる
六年(むとせといふとし)甲戌(きのえいぬ)、海犬養宿禰(あまのいぬかひのすくね)岡麿が詔(みことのり)を応(うけたまは)りてよめる歌一首
0996 御民吾(あれ)生ける験(しるし)あり天地の栄ゆる時に遭へらく思へば
春三月(やよひ)、難波の宮に幸せる時の歌六首
0997 住吉(すみのえ)の粉浜(こばま)の蜆開けも見ず隠(こも)りのみやも恋ひ渡りなむ
右の一首(ひとうた)は、作者(よみひと)未詳(しらず)。
0998 眉(まよ)のごと雲居に見ゆる阿波の山懸けて榜ぐ舟泊(とまり)知らずも
右の一首は、船王(ふねのおほきみ)のよみたまへる。
0999 茅渟廻(ちぬみ)より雨そ降り来る四極(しはつ)の海人綱手干したり濡れあへむかも
右の一首は、住吉の浜に遊覧(あそ)びて、宮に還りたまへる時
の道にて、守部王(もりべのおほきみ)の詔を応(うけたまは)りてよみたまへる歌。
1000 児らがあらば二人聞かむを沖つ洲に鳴くなる鶴(たづ)の暁の声
右の一首は、守部王のよみたまへる。
1001 大夫(ますらを)は御狩に立たし娘子(をとめ)らは赤裳裾引く清き浜びを
右の一首は、山部宿禰赤人がよめる。
1002 馬の歩み抑へ留めよ住吉の岸の黄土(はにふ)ににほひて行かむ
右の一首は、安倍朝臣豊継がよめる。
筑後守(つくしのみちのしりのかみ)外従五位(とのひろきいつつのくらゐ)下(しもつしな)葛井連大成が海人の釣船を遥見(みさ)けてよめる歌一首
1003 海女をとめ玉求むらし沖つ波恐(かしこ)き海に船出せり見ゆ
按作村主益人(くらつくりのすくりますひと)が歌一首
1004 思ほえず来ませる君を佐保川のかはづ聞かせず帰しつるかも
右、内匠大属按作村主益人、聊カ飲饌ヲ設ケ、以テ長官
佐為王ヲ饗ス。未ダ日斜(クタ)ツニ及バズシテ王既ク還帰(カヘ)ル。
時ニ益人、厭(ア)カズシテ帰ルコトヲ怜惜(ヲシ)ミテ、仍チ此ノ歌
ヲ作ム。
八年(やとせといふとし)丙子(ひのえね)夏六月(みなつき)、芳野の離宮(とつみや)に幸(いでま)せる時、山部宿禰赤人が詔を応(うけたまは)りてよめる歌一首、また短歌
1005 やすみしし 我が大王の 見(め)したまふ 吉野の宮は
山高(だか)み 雲そ棚引く 川速み 瀬の音(と)そ清き
神さびて 見れば貴く よろしなへ 見れば清(さや)けし
この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ
百敷の 大宮所 止む時もあらめ
反し歌一首
1006 神代より吉野の宮にあり通ひ高知らせるは山川を吉(よ)み
市原王の独り子を悲しみたまへる歌一首
1007 言問はぬ木すら妹(いも)と兄(せ)ありちふをただ独り子にあるが苦しさ
忌部首黒麿(いみべのおびとくろまろ)が友の来ること遅きを恨むる歌一首
1008 山の端にいさよふ月の出でむかと吾(あ)が待つ君が夜は降ちつつ
冬十一月(しもつき)、左大弁(ひだりのおほきおほともひ)葛城王(かづらきのおほきみ)等(たち)に、橘の氏(うぢ)を賜姓(たま)へる時、みよみませる御製歌(おほみうた)一首
1009 橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉(とこは)の木
右、冬十一月九日、従三位葛城王、従四位上佐為王等、
皇族ノ高名ヲ辞シ、外家ノ橘姓ヲ賜フコト已ニ訖リヌ。
時ニ太上天皇、皇后、共ニ皇后宮ニ在シテ、肆宴ヲ為シ、
即チ橘ヲ賀(ホ)ク歌ヲ御製シ、マタ御酒ヲ宿禰等ニ賜フ。
或ハ云ク、此ノ歌一首、太上天皇ノ御歌ナリ。但シ天皇
皇后ノ御歌ハ各一首有リ。其ノ歌遺落シテ探リ求ムルコ
トヲ得ズ。今案内ヲ検フルニ、八年十一月九日、葛城王
等橘宿禰ノ姓ヲ願ヒ表ヲ上ル。十七日ヲ以テ表ニ依リ乞
ヒ橘宿禰ヲ賜フト。
橘宿禰奈良麿が詔を応りてよめる歌一首
1010 奥山の真木の葉しのぎ降る雪の降りは増すとも地(つち)に落ちめやも
冬十二月(しはす)の十二日(とをまりふつかのひ)、歌舞所(うたまひどころ)の諸王臣子等(おほきみまへつきみたち)、葛井連廣成が家に集ひて宴せる歌二首
比来古舞盛ニ興リテ、古歳漸(ヤヤ)ク晩(ク)レヌ。理、共ニ古情ヲ尽シテ、同ニ此ノ歌ヲ唄フベシ。故ニ此ノ趣ニ擬ヘテ、輙(スナハ)チ古曲二節ヲ献ル。風流意気ノ士、儻(モ)シ此ノ集ノ中ニ在ラバ、発念ヲ争ヒ、心々ニ古体ニ和ヘヨ。
1011 我が屋戸の梅咲きたりと告げ遣らば来(こ)ちふに似たり散りぬともよし
1012 春されば撓(をを)りに撓り鴬の鳴く吾(あ)が山斎(しま)そ止まず通はせ
九年(ここのとせといふとし)丁丑(ひのとうし)春正月(むつき)、橘少卿(たちばなのおとまへつきみ)、また諸大夫等(まへつきみたち)の、弾正尹(ただすつかさのかみ)門部王の家に集ひて宴せる歌二首
1013 あらかじめ君来まさむと知らませば門に屋戸にも玉敷かましを
右の一首は、主人(あろじ)門部王 後、大原真人氏ヲ賜姓フ。
1014 一昨日(をとつひ)も昨日も今日も見つれども明日さへ見まく欲しき君かも
右の一首は、橘宿禰文成(あやなり) 少卿ノ子ナリ。
榎井王の後に追ひて和へたまへる歌一首
1015 玉敷きて待たえしよりはたけそかに来たる今宵し楽しく思ほゆ
春二月(きさらき)、諸大夫等、左少弁(ひだりのすなきおほともひ)巨勢宿奈麻呂朝臣の家に集ひて宴せる歌一首
1016 海原の遠き渡りを遊士(みやびを)の遊ぶを見むとなづさひそ来し
右ノ一首ハ、白紙ニ書キテ屋ノ壁ニ懸ケ著ケタリ。
題シテ云ク、蓬莱ノ仙媛ノ作メル。謾ニ風流秀才ノ
士ノ為ナリ。斯凡客ノ望ミ見ル所ニアラズカト。
夏四月(うつき)、大伴坂上郎女が賀茂の神社(かみのやしろ)を拝(をろが)み奉る時、相坂山を超え、近江の海を望見(みさ)けて、晩頭(ゆふへ)に還り来たるときよめる歌一首
1017 木綿畳(ゆふたたみ)手向(たむけ)の山を今日越えていづれの野辺に廬りせむ吾等(あれ)
十年(ととせといふとし)戊寅(つちのえとら)、元興寺(ぐわむこうじ)の僧(ほうし)が自ら嘆く歌一首
1018 白珠は人に知らえず知らずともよし知らずとも吾(あれ)し知れらば知らずともよし
右ノ一首ハ、或ハ云ク、元興寺ノ僧、独リ覚リテ智多ケレドモ、
顕聞スルトコロ有ラズ、衆諸狎侮(アナヅ)リキ。此ニ因リテ僧此ノ歌ヲ
作(ヨ)ミ、自ラ身ノ才ヲ嘆ク。
石上乙麿(いそのかみのおとまろ)の卿(まへつきみ)の、土佐の国に配(はなた)えし時の歌三首、また短歌
1019 石上(いそのかみ) 布留(ふる)の尊(みこと)は 手弱女(たわやめ)の 惑(さど)ひによりて
馬じもの 縄取り付け 獣(しし)じもの 弓矢囲(かく)みて
大王(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 天ざかる 夷辺(ひなへ)に罷(まか)る
古衣(ふるころも) 真土の山ゆ 帰り来ぬかも
1020 大王の 命畏み さし並の 国に出でます
はしきやし 我が背の君を
(1021)かけまくも 忌々(ゆゆ)し畏し 住吉(すみのえ)の 現人神(あらひとかみ)
船の舳(へ)に うしはきたまひ 着きたまはむ 島の崎々
依りたまはむ 磯の崎々 荒き波 風に遇はせず
障(つつ)みなく み病あらず 速(すむや)けく 帰したまはね もとの国辺に
右の二首は、石上の卿の妻(め)がよめる。
1022 父君に 吾(あれ)は愛子(まなご)ぞ 母刀自(おもとじ)に 吾(あれ)は愛子ぞ
参上(まゐのぼ)り 八十氏人(やそうぢひと)の 手向する 畏(かしこ)の坂に
幣(ぬさ)奉(まつ)り 吾(あれ)はぞ退(まか)る 遠き土佐道を
反し歌一首
1023 大崎の神の小浜(をはま)は狭けども百船人(ももふなひと)も過ぐと言はなくに
右の二首は、石上の卿のよめる。
秋八月(はつき)二十日(はつかのひ)、右大臣(みぎのおほまへつきみ)橘の家に宴せる歌四首
1024 長門なる沖つ借島奥まへて吾(あ)が思(も)ふ君は千年にもがも
右の一歌は、長門守巨曽倍對馬(こそべのつしま)朝臣。
1025 奥まへて吾(あれ)を思へる我が背子は千年五百年(いほとせ)ありこせぬかも
右の一歌は、右大臣の和へたまへる歌。
1026 百敷の大宮人は今日もかも暇を無みと里に出でざらむ
右の一首は、右大臣の伝へ云(の)りたまはく、
故(もと)の豊島采女(てしまのうねべ)が歌。
1027 橘の本に道踏み八衢(やちまた)に物をそ思ふ人に知らえず
右の一歌は、右大弁(みぎのおほきおほともひ)高橋安麿の卿語りけらく、
故の豊島采女がよめるなり。
但シ或ル本ニ云ク、三方沙彌、妻ノ苑臣ヲ恋ヒテ作メル歌ナリト。
然ラバ則チ、豊島采女、当時当所ニ此ノ歌ヲ口吟(ウタ)ヘルカ。
十一年(ととせまりひととせといふとし)己卯(つちのとう)、天皇(すめらみこと)高圓の野に遊猟(みかり)したまへる時、小さき獣(けだもの)堵里(さと)の中(うち)に泄(い)で走る。是に勇士(ますらを)に適値(あ)ひて生きながら獲(え)らえぬ。即ち此の獣を御在所(みもと)に献上るとき副ふる歌一首 獣ノ名ハ俗ニ牟射佐妣(ムササビ)ト曰フ
1028 大夫(ますらを)の高圓山に迫めたれば里に下(お)り来(け)るむささびそこれ
右の一歌は、大伴坂上郎女がよめる。但シ奏ヲ
逕ズシテ小獣死シ斃レヌ。此ニ因リテ献歌停ム。
十二年(ととせまりふたとせといふとし)庚辰(かのえたつ)冬十月(かみなつき)、太宰少弐(おほみこともちのすなきすけ)藤原朝臣廣嗣が反謀(みかどかたぶ)けむとして軍(いくさ)を発(おこ)せるに、伊勢国に幸(いでま)せる時、河口の行宮(かりみや)にて内舎人(うちとねり)大伴宿禰家持がよめる歌一首
1029 河口(かはくち)の野辺に廬りて夜の歴(ふ)れば妹が手本し思ほゆるかも
天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)一首
1030 妹に恋ひ吾(あ)が松原よ見渡せば潮干の潟に鶴(たづ)鳴き渡る
丹比屋主真人(たぢひのいへぬしのまひと)が歌一首
1031 後れにし人を思(しぬ)はく四泥(しで)の崎木綿取り垂(し)でて往かむとそ思(も)ふ
独り行宮に残(おくれゐ)て大伴宿禰家持がよめる歌二首
1032 天皇(おほきみ)の行幸(いでまし)のまに我妹子(わぎもこ)が手枕巻かず月そ経にける
1033 御食(みけ)つ国志摩の海人(あま)ならし真熊野の小船(をぶね)に乗りて沖へ榜ぐ見ゆ
美濃国多藝(たぎ)の行宮にて、大伴宿禰東人がよめる歌一首
1034 古(いにしへ)よ人の言ひ来(け)る老人の変若(を)つちふ水そ名に負ふ滝の瀬
大伴宿禰家持がよめる歌一首
1035 田跡川(たどかは)の滝(たぎ)を清みか古ゆ宮仕へけむ多藝の野の上(へ)に
不破の行宮にて、大伴宿禰家持がよめる歌一首
1036 関なくば帰りにだにも打ち行きて妹が手枕巻きて寝ましを
十五年(ととせまりいつとせといふとし)癸未(みづのとひつじ)秋八月(はつき)の十六日(とをかまりむかのひ)、内舎人大伴宿禰家持が久邇(くに)の京を讃へてよめる歌一首
1037 今造る久邇の都は山河の清(さや)けき見ればうべ知らすらし
高丘河内連(たかをかのかふちのむらじ)が歌二首
1038 故郷は遠くもあらず一重山越ゆるがからに思ひぞ吾(あ)がせし
1039 我が背子と二人し居れば山高み里には月は照らずともよし
安積親王の左少弁(ひだりのすなきおほともひ)藤原八束朝臣が家に宴したまふ日、内舎人大伴宿禰家持がよめる歌一首
1040 久かたの雨は降りしけ思ふ子が屋戸に今夜は明かしてゆかむ
十六年(ととせまりむとせといふとし)甲申(きのえさる)、春正月(むつき)の五日(いつかのひ)、諸卿大夫(まへつきみたち)安倍蟲麻呂朝臣が家に集ひて宴せる歌一首
1041 我が屋戸の君松の木に降る雪の行きには行かじ待ちにし待たむ
同じ月十一日(とをかまりひとひ)、活道(いくぢ)の岡に登り、一株松(ひとつまつ)の下(もと)に集ひて飲(うたげ)せる歌二首
1042 一つ松幾代か経ぬる吹く風の声の清(す)めるは年深みかも
右の一首は、市原王のよみたまへる。
1043 玉きはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとそ思(も)ふ
右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。
寧樂(なら)の京(みやこ)の荒墟(あれたる)を傷惜(をし)みてよめる歌三首 作者不審
1044 紅に深く染みにし心かも奈良の都に年の経ぬべき
1045 世の中を常無きものと今ぞ知る奈良の都のうつろふ見れば
1046 石綱(いはつな)のまた変若(を)ちかへり青丹よし奈良の都をまた見なむかも
寧樂の京の故郷(あれたる)を悲しみよめる歌一首、また短歌
1047 やすみしし 我が大王(おほきみ)の 高敷かす 大和の国は
皇祖(すめろき)の 神の御代より 敷きませる 国にしあれば
生(あ)れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天の下 知ろしめさむと
八百万(やほよろづ) 千年を兼ねて 定めけむ 奈良の都は
陽炎(かぎろひ)の 春にしなれば 春日山 御笠の野辺に
桜花 木の暗(くれ)隠り 貌鳥は 間なくしば鳴く
露霜の 秋さり来れば 射鉤(いかひ)山 飛火(とぶひ)が岳(たけ)に
萩の枝(え)を しがらみ散らし さ牡鹿は 妻呼び響(とよ)め
山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住みよし
物部(もののふ)の 八十伴の男の うちはへて 里並みしけば
天地の 寄り合ひの極み 万代に 栄えゆかむと
思ひにし 大宮すらを 頼めりし 奈良の都を
新代(あらたよ)の 事にしあれば 大王の 引きのまにまに
春花の うつろひ変り 群鳥の 朝立ち行けば
刺竹(さすだけ)の 大宮人の 踏み平し 通ひし道は
馬も行かず 人も行かねば 荒れにけるかも
反し歌二首
1048 建ち替り古き都となりぬれば道の芝草長く生ひにけり
1049 馴(な)つきにし奈良の都の荒れゆけば出で立つごとに嘆きし増さる
久邇(くに)の新京(にひみやこ)を讃ふる歌二首、また短歌
1050 現(あき)つ神 我が大王の 天の下 八島の内に
国はしも 多くあれども 里はしも さはにあれども
山並の よろしき国と 川並の 立ち合ふ里と
山背の 鹿背(かせ)山の際(ま)に 宮柱 太敷きまつり
高知らす 布當(ふたぎ)の宮は 川近み 瀬の音(と)ぞ清き
山近み 鳥が音(ね)響(とよ)む 秋されば 山もとどろに
さ牡鹿は 妻呼び響め 春されば 岡辺も繁(しじ)に
巌には 花咲き撓(をを)り あなおもしろ 布當の原
いと貴(たふと) 大宮所 諾(うべ)しこそ 我が大王は
君のまに 聞かしたまひて 刺竹の 大宮ここと 定めけらしも
反し歌二首
1051 三香(みか)の原布當の野辺を清みこそ大宮所定めけらしも
1052 山高く川の瀬清し百代まで神(かむ)しみゆかむ大宮所
1053 吾が大王 神の命の 高知らす 布當の宮は
百木盛る 山は木高(こだか)し 落ちたぎつ 瀬の音(と)も清し
鴬の 来鳴く春へは 巌には 山下光り
錦なす 花咲き撓(をを)り さ牡鹿の 妻呼ぶ秋は
天霧(あまぎら)ふ 時雨をいたみ さ丹頬(にづら)ふ 黄葉(もみち)散りつつ
八千年(やちとせ)に 生(あ)れ付かしつつ 天の下 知ろしめさむと
百代にも 変るべからぬ 大宮所
反し歌五首
1054 泉川行く瀬の水の絶えばこそ大宮所移ろひ行かめ
1055 布當山山並見れば百代にも変るべからぬ大宮所
1056 娘子らが続麻(うみを)懸くちふ鹿背の山時しゆければ都となりぬ
1057 鹿背の山木立を繁み朝さらず来鳴き響もす鴬の声
1058 狛山に鳴く霍公鳥(ほととぎす)泉川渡りを遠みここに通はず
春日(はるのころ)、三香原(みかのはら)の都の荒墟(あれたる)を悲傷(かな)しみよめる歌一首、また短歌
1059 三香の原 久邇の都は 山高み 川の瀬清み
在りよしと 人は言へども 住みよしと 吾(あれ)は思へど
古りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず
里見れば 家も荒れたり 愛(は)しけやし かくありけるか
三諸(みもろ)つく 鹿背山の際に 咲く花の 色めづらしく
百鳥の 声なつかしき ありが欲し 住みよき里の 荒るらく惜しも
反し歌二首
1060 三香の原久邇の都は荒れにけり大宮人のうつろひぬれば
1061 咲く花の色は変らず百敷の大宮人ぞたち変りける
難波の宮にてよめる歌一首、また短歌
1062 やすみしし 我が大王の あり通ふ 難波の宮は
鯨魚(いさな)取り 海片付きて 玉拾(ひり)ふ 浜辺を近み
朝羽振る 波の音(と)騒き 夕凪に 楫の音聞こゆ
暁の 寝覚に聞けば 海近み 潮干の共(むた)
浦洲には 千鳥妻呼び 葦辺には 鶴(たづ)が音響む
見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲りする
御食(みけ)向ふ 味経(あぢふ)の宮は 見れど飽かぬかも
反し歌二首
1063 あり通ふ難波の宮は海近み海人娘子らが乗れる船見ゆ
1064 潮干れば葦辺に騒く白鶴(あしたづ)の妻呼ぶ声は宮もとどろに
敏馬(みぬめ)の浦を過ぐる時よめる歌一首、また短歌
1065 八千桙(やちほこ)の 神の御代より 百船(ももふね)の 泊つる泊と
八島国 百船人(ももふなひと)の 定めてし 敏馬の浦は
朝風に 浦波騒き 夕波に 玉藻は来寄る
白沙(しらまなご) 清き浜辺は 往き還り 見れども飽かず
諾しこそ 見る人毎に 語り継ぎ 偲(しぬ)ひけらしき
百代経て 偲はえゆかむ 清き白浜
反し歌二首
1066 真澄鏡敏馬の浦は百船の過ぎて行くべき浜ならなくに
1067 浜清み浦うるはしみ神代より千船の泊つる大和太(おほわだ)の浜
右ノ二十一首ハ、田邊福麻呂ガ歌集ノ中ニ出ヅ。
最終更新:2010年01月17日 19:40