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巻第十九(とをまりここのまきにあたるまき)

天平勝宝(てむひやうしようはう)二年(ふたとせといふとし)三月(やよひ)の一日(つきたちのひ)の暮(ゆふへ)に、春の苑の桃李(ももすもも)の花を眺矚(み)て作(よ)める歌二首(ふたつ)
4139 春の苑紅にほふ桃の花下照(で)る道に出で立つ美人(をとめ)
4140 吾が園の李の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも

翻(と)び翔(かけ)る鴫(しぎ)を見てよめる歌一首(ひとつ)
4141 春設(ま)けて物悲(がな)しきにさ夜更けて羽振(ぶ)き鳴く鴫誰(た)が田にか食(は)む

二日(ふつかのひ)、柳黛(やなぎ)を攀ぢて京師(みやこ)を思(しぬ)ふ歌一首
4142 春の日に張れる柳を取り持ちて見れば都の大路(おほぢ)し思ほゆ

堅香子草(かたかご)の花を攀折(を)る歌一首
4143 もののふの八十(やそ)乙女らが汲み乱(まが)ふ寺井の上の堅香子の花

帰る雁を見る歌二首
4144 燕来る時になりぬと雁がねは本郷(くに)偲ひつつ雲隠り鳴く
4145 春設(ま)けてかく帰るとも秋風に黄葉(もみち)む山を越え来ざらめや 一ニ云ク、春されば帰るこの雁

夜裏(よる)千鳥の鳴くを聞く歌二首
4146 夜降(よぐた)ちに寝覚めて居れば川瀬尋(と)め心もしぬに鳴く千鳥かも
4147 夜降ちて鳴く川千鳥うべしこそ昔の人も偲ひ来にけれ

暁(あかとき)に鳴く雉(きぎし)を聞く歌二首
4148 杉の野にさ躍(をど)る雉いちしろく音(ね)にしも泣かむ隠(こも)り妻かも
4149 あしひきの八峯(やつを)の雉鳴きとよむ朝明(あさけ)の霞見れば悲しも

江(かは)を泝(のぼ)る船人(ふなひと)の唄を遥(はろばろ)聞く歌一首
4150 朝床に聞けば遥けし射水川(いみづがは)朝榜ぎしつつ唄ふ船人

三日(みかのひ)、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)にて宴する歌三首(みつ)
4151 今日のためと思ひて標(しめ)しあしひきの峯上(をのへ)の桜かく咲きにけり
4152 奥山の八峰の椿つばらかに今日は暮らさね大夫(ますらを)の輩(とも)
4153 漢人(からひと)も船を浮かべて遊ぶちふ今日そ我が背子花縵(かづら)せな

八日(やかのひ)、白大鷹(ましらふのたか)を詠める歌一首、また短歌(みじかうた)
4154 あしひきの 山坂越えて 往きかはる 年の緒長く
   しなざかる 越にし住めば 大王(おほきみ)の 敷きます国は
   都をも ここも同(おや)じと 心には 思ふものから
   語り放(さ)け 見放くる人眼 乏(とも)しみと 思ひし繁し
   そこゆゑに 心なぐやと 秋づけば 萩咲きにほふ
   石瀬(いはせ)野に 馬だき行きて をちこちに 鳥踏み立て
   白塗りの 小鈴(をすず)もゆらに あはせ遣り 振り放け見つつ
   いきどほる 心のうちを 思ひ延べ 嬉しびながら
   枕付く 妻屋のうちに 鳥座(とくら)結ひ 据えてそ吾(あ)が飼ふ
   真白斑(ましらふ)の鷹
反(かへ)し歌
4155 矢形尾の真白の鷹を屋戸に据ゑ掻き撫で見つつ飼はくしよしも

鵜潜(うつか)ふ歌一首、また短歌
4156 あら玉の 年ゆきかはり 春されば 花咲きにほふ
   あしひきの 山下響(とよ)み 落ち激(たぎ)ち 流る辟田(さきた)の
   川の瀬に 鮎子さ走り 島つ鳥 鵜養(うかひ)伴なへ
   篝(かがり)さし なづさひ行けば 吾妹子(わぎもこ)が 形見がてらと
   紅の 八入(やしほ)に染めて おこせたる 衣の裾も 徹りて濡れぬ
反し歌
4157 紅の衣にほはし辟田川絶ゆることなく吾等(あれ)かへり見む
4158 毎年(としのは)に鮎し走らば辟田川鵜八つ潜(かづ)けて川瀬尋ねむ

季春三月(やよひ)の九日(ここのかのひ)、出挙(すいこ)の政に擬(よ)りて舊江(ふるえ)の村に行き、道の上(ほとり)に目を物花に属(つ)くる詠(うた)、また興の中によめる歌

澁谿(しぶたに)の埼を過ぎて、巌(いそ)の上(へ)の樹を見る歌一首 樹名つまま
4159 磯の上(へ)のつままを見れば根を延(は)へて年深からし神さびにけり

世間(よのなか)の常無きを悲しむ歌一首、また短歌
4160 天地(あめつち)の 遠き初めよ 世の中は 常無きものと
   語り継ぎ 流らへ来たれ 天の原 振り放け見れば
   照る月も 満ち欠けしけり あしひきの 山の木末(こぬれ)も
   春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜負ひて
   風交(まじ)り もみち散りけり うつせみも かくのみならし
   紅の 色もうつろひ ぬば玉の 黒髪変り
   朝の笑み 夕へ変らひ 吹く風の 見えぬがごとく
   行く水の 止まらぬごとく 常も無く うつろふ見れば
   にはたづみ 流るる涙 とどめかねつも
反し歌
4161 言問はぬ木すら春咲き秋づけばもみち散らくは常を無みこそ 一ニ云ク、常なけむとそ
4162 うつせみの常無き見れば世の中に心つけずて思ふ日そ多き 一ニ云ク、嘆く日そ多き

予(あらかじ)めよめる七夕(なぬかのよ)の歌一首
4163 妹が袖われ枕かむ川の瀬に霧立ちわたれさ夜更けぬとに

勇士(ますらを)の名を振(ふる)ふを慕ふ歌一首、また短歌
4164 ちちの実の 父のみこと ははそ葉の 母のみこと
   おほろかに 心尽して 思ふらむ その子なれやも
   大夫(ますらを)や 空しくあるべき 梓弓 末振り起し
   投ぐ矢持ち 千尋(ちひろ)射わたし 剣大刀 腰に取り佩き
   あしひきの 八峯(やつを)踏み越え 差し任(まく)る 心障(さや)らず
   後の世の 語り継ぐべく 名を立つべしも
反し歌
4165 大夫は名をし立つべし後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐがね
     右の二首は、山上憶良臣が作める歌に追ひて和(なぞら)ふ。

霍公鳥(ほととぎす)また時の花を詠める歌一首、また短歌
4166 時ごとに いやめづらしく 八千種(やちくさ)に 草木花咲き
   鳴く鳥の 声も変らふ 耳に聞き 目に見るごとに
   打ち嘆き 萎(しな)えうらぶれ 偲ひつつ 有り来るはしに
   木晩(このくれ)の 四月(うつき)し立てば 夜隠(よごも)りに 鳴く霍公鳥
   古よ 語り継ぎつる 鴬の 現(うつ)し真子(まご)かも
   あやめ草 花橘を をとめらが 玉貫(ぬ)くまでに
   あかねさす 昼はしめらに あしひきの 八峯飛び越え
   ぬば玉の 夜はすがらに 暁(あかとき)の 月に向ひて
   往き還り 鳴き響(とよ)むれど 如何で飽き足らむ
反し歌二首
4167 時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも
4168 毎年に来鳴くものゆゑ霍公鳥聞けば偲はく逢はぬ日を多み 毎年、としのはト謂フ
     右、二十日(はつかのひ)、未だ時及ばずと雖も、興(こと)に依(つ)けて
     預(あらかじ)めよめる。

家婦(め)が京(みやこ)に在(いま)す尊母(ははのみこと)に贈らむ為に、誂(あつら)へらえてよめる歌一首、また短歌
4169 霍公鳥 来鳴く五月(さつき)に 咲きにほふ 花橘の
   かぐはしき 親の御言(みこと) 朝宵に 聞かぬ日まねく
   天ざかる 夷にし居れば あしひきの 山のたをりに
   立つ雲を よそのみ見つつ 嘆くそら 安けなくに
   思ふそら 苦しきものを 奈呉の海人の 潜(かづ)き取るちふ
   真珠(しらたま)の 見がほし御面 ただ向ひ 見む時までは
   松柏(まつかへ)の 栄えいまさね 貴き吾(あ)が君 御面、みおもわト謂フ
反し歌一首
4170 白玉の見がほし君を見ず久に夷(ひな)にし居れば生けるともなし

二十四日(はつかまりよかのひ)、立夏四月節(うつきたつひのとき)に応(あた)れり。此に因りて二十三日(はつかまりみかのひ)の暮(ゆふへ)、忽ち霍公鳥(ほととぎす)の暁(あかとき)に喧かむ声を思(しぬ)ひてよめる歌二首
4171 常人も起きつつ聞くそ霍公鳥この暁(あかとき)に来鳴く初声
4172 ほととぎす来鳴き響まば草取らむ花橘を屋戸には植ゑずて

京(みやこ)の丹比(たぢひ)が家に贈れる歌一首
4173 妹を見ず越の国辺に年経(ふ)れば吾(あ)が心神(こころど)の慰(な)ぐる日も無し

筑紫の太宰(おほみこともち)の時の春の苑の梅を追ひてよめる歌一首
4174 春のうちの楽しき竟(を)へば梅の花手折り持ちつつ遊ぶにあるべし
     右の一首は、二十七日(はつかまりなぬかのひ)、興(こと)に依(つ)けてよめる。

霍公鳥を詠める二首
4175 ほととぎす今来鳴きそむ菖蒲草(あやめぐさ)かづらくまでに離(か)るる日あらめや ものは三箇ノ辞闕ク
4176 我が門よ鳴き過ぎ渡る霍公鳥いやなつかしく聞けど飽き足らず ものはてにを六箇ノ辞闕ク

四月の三日、越前(こしのみちのくち)の判官(まつりごとひと)大伴宿禰池主に贈れる霍公鳥の歌、感旧の意(おもひ)に勝(た)へずて懐(おもひ)を述ぶる一首(ひとうた)、また短歌
4177 我が背子と 手携はりて 明けくれば 出で立ち向ひ
   夕されば 振り放け見つつ 思ひ延べ 見なぎし山に
   八峯には 霞たなびき 谷辺には 椿花咲き
   うら悲し 春の過ぐれば 霍公鳥 いやしき鳴きぬ
   独りのみ 聞けば寂(さぶ)しも 君と吾(あれ) 隔てて恋ふる
   礪波山(となみやま) 飛び越えゆきて 明け立たば 松のさ枝に
   夕さらば 月に向ひて あやめ草 玉貫くまでに
   鳴き響め 安眠(やすい)し寝(な)さず 君を悩ませ
4178 吾(あれ)のみし聞けば寂しも霍公鳥丹生(にふ)の山辺にい行き鳴けやも
4179 ほととぎす夜鳴きをしつつ我が背子を安宿(やすい)な寝(な)せそゆめ心あれ

霍公鳥を感(め)づる心に飽かず、懐を述べてよめる歌一首、また短歌
4180 春過ぎて 夏来向へば あしひきの 山呼び響め
   さ夜中に 鳴く霍公鳥 初声を 聞けばなつかし
   あやめ草 花橘を ぬきまじへ 縵(かづら)くまでに
   里響(とよ)め 鳴き渡れども なほし偲はゆ
反し歌三首
4181 さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし
4182 霍公鳥聞けども飽かず網捕りに捕りてなつけな離(か)れず鳴くがね
4183 霍公鳥飼ひ通せらば今年経て来向かふ夏はまづ鳴きなむを

京師(みやこ)より贈来(おこ)せる歌一首
4184 山吹の花取り持ちてつれもなく離(か)れにし妹を偲ひつるかも
     右、四月の五日(いつかのひ)、郷(さと)に留れる女郎(いらつめ)より送(おこ)せたるなり。

山振(やまぶき)の花を詠める歌一首、また短歌
4185 現身(うつせみ)は 恋を繁みと 春設(ま)けて 思ひ繁けば
   引き攀ぢて 折りも折らずも 見るごとに 心なぎむと
   繁山の 谷辺に生ふる 山吹を 屋戸に引き植ゑて
   朝露に にほへる花を 見るごとに 思ひはやまず
   恋し繁しも
4186 山吹を屋戸に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ

六日(むかのひ)、布勢(ふせ)の水海(みづうみ)に遊覧(あそ)びてよめる歌一首、また短歌
4187 思ふどち 大夫(ますらをのこ)の 木(こ)の晩(くれ)の 繁き思ひを
   見明らめ 心遣らむと 布勢の海に 小船(をぶね)連なめ
   真櫂かけ い榜ぎ巡れば 乎布(をふ)の浦に 霞たなびき
   垂姫(たるひめ)に 藤波咲きて 浜清く 白波騒き
   しくしくに 恋はまされど 今日のみに 飽き足らめやも
   かくしこそ いや年のはに 春花の 繁き盛りに
   秋の葉の にほへる時に あり通ひ 見つつ偲はめ
   この布勢の海を
反し歌
4188 藤波の花の盛りにかくしこそ浦榜ぎ廻(た)みつつ年に偲はめ

水烏(う)を越前判官大伴宿禰池主に贈れる歌一首、また短歌
4189 天ざかる 夷としあれは そこここも 同(おや)じ心そ
   家離(ざか)り 年の経ぬれば うつせみは 物思(も)ひ繁し
   そこゆゑに 心なぐさに 霍公鳥 鳴く初声を
   橘の 玉にあへ貫き かづらきて 遊ばくよしも
   ますらをを 伴なへ立ちて 叔羅川(しくらがは) なづさひ上り
   平瀬には 小網(さで)さし渡し 早瀬には 鵜を潜(かづ)けつつ
   月に日に しかし遊ばね 愛(は)しき我が背子
反し歌二首
4190 叔羅川瀬を尋ねつつ我が背子は鵜川立たさね心なぐさに
4191 鵜川立て取らさむ鮎のしが鰭(はた)は吾等(あれ)にかき向け思ひし思(も)はば
     右、九日(ここのかのひ)、使に附けて贈れる。

霍公鳥また藤の花を詠める歌一首、また短歌
4192 桃の花 紅色に にほひたる 面輪(おもわ)のうちに
   青柳の 細(くは)し眉根(まよね)を 笑み曲がり 朝影見つつ
   をとめらが 手に取り持たる 真澄鏡(まそかがみ) 二上山(ふたがみやま)に
   木(こ)の晩(くれ)の 茂き谷辺を 呼び響(とよ)め 朝飛び渡り
   夕月夜 かそけき野辺に 遙々(はろばろ)に 鳴く霍公鳥
   立ち潜(く)くと 羽触(はぶり)に散らす 藤波の 花なつかしみ
   引き攀(よ)ぢて 袖に扱入(こき)れつ 染(し)まば染むとも
反し歌
4193 霍公鳥鳴く羽触にも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花 一ニ云ク、散りぬべみ袖に扱入れつ藤波の花
     同じ九日よめる。

また霍公鳥の喧(な)くこと晩きを怨む歌三首
4194 霍公鳥鳴き渡りぬと告げれども吾(あれ)聞き継がず花は過ぎつつ
4195 吾(あ)がここだ偲(しぬ)はく知らに霍公鳥いづへの山を鳴きか越ゆらむ
4196 月立ちし日より招(を)きつつ打ち慕(しぬ)ひ待てど来鳴かぬ霍公鳥かも

京人(みやこひと)に贈れる歌二首
4197 妹に似る草と見しより吾(あ)が標(しめ)し野辺の山吹誰(たれ)か手(た)折りし
4198 つれもなく離(か)れにしものと人は言へど逢はぬ日まねみ思ひそ吾(あ)がする
     右、郷(さと)に留れる女郎の為に、家婦(め)に誂(あつら)へらえてよめる。
     女郎は、即ち大伴家持が妹(いろも)なり。

十二日(とをかまりふつかのひ)、布勢の水海に遊覧(あそ)び、多古(たこ)の湾(うら)に船泊(とど)め、藤の花を望見(み)て、各(ひとびと)懐(おもひ)を述べてよめる歌四首(よつ)
4199 藤波の影なる海の底清み沈(しづ)く石をも玉とそ吾(あ)が見る
     守大伴宿禰家持。
4200 多古の浦の底さへにほふ藤波を挿頭(かざ)して行かむ見ぬ人のため
     次官(すけ)内藏(うちのくら)忌寸(のいみき)繩麻呂(なはまろ)。
4201 いささかに思ひて来(こ)しを多古の浦に咲ける藤見て一夜経ぬべし
     判官(まつりごとひと)久米朝臣廣繩。
4202 藤波を借廬(かりほ)に作り浦廻(み)する人とは知らに海人とか見らむ
     久米朝臣繼麻呂(つぐまろ)。

霍公鳥の喧かぬを恨む歌一首
4203 家に行きて何を語らむあしひきの山霍公鳥一声も鳴け
     判官(まつりごとひと)久米朝臣廣繩。

攀折(を)れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首
4204 我が背子が捧げて持たる厚朴(ほほがしは)あたかも似るか青き蓋(きぬがさ)
     講師(かうし)僧(ほうし)恵行(ゑぎやう)。
4205 皇祖神(すめろき)の遠(とほ)御代(みよ)御代(みよ)はい敷き折り酒飲むといふそこの厚朴(ほほがしは)
     守大伴宿禰家持。

還る時に、浜の上(へ)にて月光(つき)を仰見(み)る歌一首
4206 澁谿(しぶたに)をさして吾(あ)が行くこの浜に月夜(つくよ)飽きてむ馬しまし止め
     守大伴宿禰家持。

二十二日(はつかまりふつかのひ)、判官久米朝臣廣繩に贈れる、霍公鳥の怨恨(うらみ)の歌一首、また短歌
4207 ここにして 背向(そがひ)に見ゆる 我が背子が 垣内(かきつ)の谷に
   明けされば 榛(はり)のさ枝に 夕されば 藤の繁みに
   遙々(はろばろ)に 鳴く霍公鳥 我が屋戸の 植木橘
   花に散る 時をまたしみ 来鳴かなく そこは恨みず
   然れども 谷片付きて 家居れる 君が聞きつつ
   告げなくも憂し
反し歌
4208 吾(あ)がここだ待てど来鳴かぬ霍公鳥独り聞きつつ告げぬ君かも

霍公鳥を詠める歌一首、また短歌
4209 谷近く 家は居れども 木高(こだか)くて 里はあれども
   霍公鳥 いまだ来鳴かず 鳴く声を 聞かまく欲(ほ)りと
   朝(あした)には 門に出で立ち 夕へには 谷を見渡し
   恋ふれども 一声だにも いまだ聞こえず
反し歌
4210 藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山霍公鳥などか来鳴かぬ
     右、二十三日、掾(まつりごとひと)久米朝臣廣繩が和(こた)ふ。

処女(をとめ)墓の歌に追ひて和(なぞら)ふる一首(ひとうた)、また短歌
4211 いにしへに ありけるわざの くすはしき 事と言ひ継ぐ
   血沼(ちぬ)壮子(をとこ) 菟原(うなひ)壮子の うつせみの 名を争ふと
   玉きはる 命も捨てて 相共に 妻問ひしける
   処女らが 聞けば悲しさ 春花の にほえ栄えて
   秋の葉の にほひに照れる 惜身(あたらみ)の 盛りをすらに
   大夫(ますらを)の 語(こと)労(いとほ)しみ 父母に 申し別れて
   家離(さか)り 海辺に出で立ち 朝宵に 満ち来る潮の
   八重波に 靡く玉藻の 節(ふし)の間も 惜しき命を
   露霜の 過ぎましにけれ 奥つ城(き)を ここと定めて
   後の世の 聞き継ぐ人も いや遠に 偲ひにせよと
   黄楊(つげ)小櫛(をぐし) しか刺しけらし 生ひて靡けり
反し歌
4212 処女らが後の表(しるし)と黄楊小櫛生ひ代り生ひて靡きけらしも
     右、五月の六日、興(こと)に依(つ)けて大伴宿禰家持がよめる。

4213 東風(あゆ)をいたみ奈呉の浦廻に寄する波いや千重しきに恋ひ渡るかも
     右の一首は、京の丹比(たぢひ)が家に贈る。

挽歌(かなしみうた)一首、また短歌
4214 天地の 初めの時よ うつそみの 八十伴男(やそとものを)は
   大王(おほきみ)に まつろふものと 定めたる 官(つかさ)にしあれば
   天皇(おほきみ)の 命畏み 夷ざかる 国を治むと
   あしひきの 山川隔(へな)り 風雲(かぜくも)に 言は通へど
   直(ただ)に逢はぬ 日の重なれば 思ひ恋ひ 息づき居るに
   玉ほこの 道来る人の 伝言(つてこと)に 吾(あれ)に語らく
   愛(は)しきよし 君はこの頃 うらさびて 嘆かひいます
   世間(よのなか)の 憂けく辛けく 咲く花も 時にうつろふ
   うつせみも 常無くありけり たらちねの 母の命
   何しかも 時しはあらむを 真澄鏡 見れども飽かず
   玉の緒の 惜しき盛りに 立つ霧の 失せぬるごとく
   置く露の 消(け)ぬるがごとく 玉藻なす 靡き臥(こ)い伏し
   行く水の 留めかねきと 狂言(たはこと)や 人し言ひつる
   逆言(およづれ)か 人の告げつる 梓弓 爪引(つまび)く夜音(よと)の
   遠音(とほと)にも 聞けば悲しみ にはたづみ 流るる涙
   留めかねつも
反し歌二首
4215 遠音にも君が嘆くと聞きつれば哭(ね)のみし泣かゆ相思(も)ふ吾(あれ)は
4216 世間の常無きことは知るらむを心尽くすな大夫(ますらを)にして
     右、大伴宿禰家持が、聟南の右大臣(みぎのおほまへつきみ)の家
     藤原の二郎(なかちこ)の喪慈母患(ははのも)弔(とぶら)へる。五月二十七日。

霖雨(ながめ)晴るる日、よめる歌一首
4217 卯の花を腐(くた)す長雨の始水(みづはな)に寄る木糞(こつみ)なす寄らむ子もがも

漁夫(あま)の火光(いざりひ)を見る歌一首
4218 鮪(しび)突くと海人の灯せる漁火の秀(ほ)にか出ださむ吾(あ)が下思(も)ひを
     右の二首は、五月。

4219 我が屋戸の萩咲きにけり秋風の吹かむを待たばいと遠みかも
     右の一首は、六月(みなつき)十五日(とをかまりいつかのひ)、芽子早花(わさはぎ)を見てよめる。

京師(みやこ)より来贈(おこ)せる歌一首、また短歌
4220 海(わたつみ)の 神の命の み櫛笥(くしげ)に 貯ひ置きて
   斎(いつ)くとふ 玉にまさりて 思へりし 吾(あ)が子にはあれど
   うつせみの 世の理(ことわり)と 大夫(ますらを)の 引きのまにまに
   しなざかる 越道をさして 延(は)ふ蔦の 別れにしより
   沖つ波 撓(とを)む眉引(まよびき) 大船の ゆくらゆくらに
   面影に もとな見えつつ かく恋ひば 老いづく吾(あ)が身
   けだし堪(あ)へむかも
反し歌一首
4221 かくばかり恋しくしあらば真澄鏡見ぬ日時なくあらましものを
     右の二首は、大伴氏坂上郎女が、女子(むすめ)の大嬢(おほいらつめ)に賜ふ。

九月(ながつき)の三日、宴の歌二首
4222 この時雨いたくな降りそ我妹子(わぎもこ)に見せむがために黄葉(もみち)採りてむ
     右の一首は、掾久米朝臣廣繩がよめる。
4223 青丹(あをに)よし奈良人見むと我が背子が標(し)めけむ黄葉(もみち)土に落ちめやも
     右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。
4224 朝霧の棚引く田(たゐ)に鳴く雁を留め得めやも我が屋戸の萩
     右の一首歌(ひとうた)は、吉野の宮に幸(いで)ましし時、藤原の皇后(おほきさき)の
     御作(よみませ)るなり。但し年月審詳(さだか)ならず。十月の五日、河邊(かはへの)
     朝臣東人(あそみ あづまひと)が伝へ誦めり。

4225 あしひきの山の黄葉にしづくあひて散らむ山道(やまぢ)を君が越えまく
     右の一首は、同じ月の十六日(とをかまりむかのひ)、朝集使(まゐうごなはるつかひ)少目(すなきふみひと)
     秦忌寸石竹(はたのいみきいはたけ)を餞(うまのはなむけ)する時、守大伴宿禰家持がよめる。

雪ふる日、よめる歌一首
4226 この雪の消(け)残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む
     右の一首は、十二月(しはす)、大伴宿禰家持がよめる。

雪の歌一首、また短歌
4227 大殿の この廻(もとほ)りの 雪な踏みそね しばしばも
   降らざる雪そ 山のみに 降りし雪そ ゆめ寄るな
   人や な踏みそね雪は
反し歌一首
4228 ありつつも見(め)したまはむそ大殿のこの廻りの雪な踏みそね
     右の二首歌(ふたうた)は、三形沙彌(みかたのさみ)が、贈左大臣(おひてたまへるひだりのおほまへつきみ)
     藤原の北の卿(まへつきみ)の語(こと)を承けて、作誦(よ)めり。聞き伝
     ふるは、笠朝臣子君(かさのあそみこきみ)なり。また後に伝へ読む者(ひと)は、
     越中国(こしのみちのなかのくに)の掾(まつりごとひと)久米朝臣廣繩なり。

天平勝宝三年(みとせ)

4229 新(あらた)しき年の初めはいや年に雪踏み平(なら)し常かくにもが
     右の一首歌は、正月(むつき)の二日、守の館にて集宴(うたげ)せり。
     その時零雪殊多(ゆきふりつむこと)、積尺(ひとさか)有(まり)四寸(よき)なりき。即ち主人(あろじ)
     大伴宿禰家持此の歌を作める。

4230 降る雪を腰になづみて参ゐり来し験(しるし)もあるか年の初めに
     右の一首は、三日、介内藏忌寸繩麻呂が館に会集(つど)ひ
     て宴楽(うたげ)せる時、大伴宿禰家持が作める。

その時、積もれる雪重なる巌(いはほ)の趣を彫(ゑ)り成し、奇巧(たくみ)に草樹の花を綵(いろど)り発(ひら)く。此に属(つ)きて掾(まつりごとひと)久米朝臣廣繩がよめる歌一首
4231 撫子は秋咲くものを君が家の雪の巌に咲けりけるかも

遊行女婦(うかれめ)蒲生娘子(かまふのいらつめ)が歌一首
4232 雪の島巌に殖(た)てる撫子は千世に咲かぬか君が挿頭(かざし)に

ここに、諸人(もろひと)酒酣(たけなは)にして、更深(よふけ)鶏(とり)鳴く。此に因りて主人内藏伊美吉繩麻呂がよめる歌一首
4233 打ち羽振(はぶ)き鶏(かけ)は鳴くともかくばかり降り敷く雪に君いまさめやも

守大伴宿禰家持が和(こた)ふる歌一首
4234 鳴く鶏(かけ)はいやしき鳴けど降る雪の千重に積めこそ吾(あ)が立ちかてね

太政大臣(おほきまつりごとのおほまへつきみ)藤原の家の縣犬養(あがたのいぬかひ)の命婦(ひめとね)が、天皇(すめらみこと)に奉れる歌一首
4235 天雲を散(ほろ)に踏みあたし鳴神(なるかみ)も今日にまさりて畏(かしこ)けめやも
     右の一首、伝へ誦(よ)めるは掾久米朝臣廣繩。

死(みまか)れる妻(め)を悲傷(かなし)む歌一首、また短歌 作主未詳
4236 天地の 神は無かれや 愛(うつく)しき 吾(あ)が妻離(さか)る
   光る神 鳴り波多(はた)娘子(をとめ) 手携ひ 共にあらむと
   思ひしに 心違(たが)ひぬ 言はむすべ 為むすべ知らに
   木綿(ゆふ)襷(たすき) 肩に取り掛け 倭文(しつ)幣(ぬさ)を 手に取り持ちて
   な離(さ)けそと 我は祈(の)めれど 枕(ま)きて寝し 妹が手本(たもと)は 雲に棚引く
反し歌一首
4237 うつつにと思ひてしかも夢(いめ)のみに手本巻き寝(ぬ)と見ればすべなし
     右の二首、伝へ誦めるは遊行女婦蒲生なり。

二月(きさらき)の三日、守の館に会集(つど)ひて宴して、よめる歌一首
4238 君が旅行(ゆき)もし久ならば梅柳誰(たれ)と共にか吾(あ)が蘰(かづら)かむ
     右、判官(まつりごとひと)久米朝臣廣繩、正税帳を以ちて、
     京師(みやこ)に入(のぼ)らむとす。仍(かれ)守大伴宿禰家持、此の
     歌を作(よ)めり。但越中(こしのみちのなか)の風土(くにざま)、梅花(うめ)柳絮(やなぎ)、
     三月(やよひ)咲き初む。

霍公鳥を詠める歌一首
4239 二上(ふたがみ)の峯(を)の上(へ)の繁(しじ)に籠りにし霍公鳥待てど未だ来鳴かず
     右、四月の十六日(とをかまりむかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。

春日(かすが)にて祭神之日(かみまつりせるほど)、藤原の太后(おほきさき)のよみませる御歌一首。即ち入唐大使(もろこしにつかはすつかひのかみ)藤原朝臣清河(きよかは)に賜ふ
4240 大船に真楫しじ貫(ぬ)きこの吾子(あご)を唐国(からくに)へ遣る斎(いは)へ神たち

大使(つかひのかみ)藤原朝臣清河が歌一首
4241 春日野に斎(いつ)く三諸(みもろ)の梅の花栄えてあり待て還り来むまで

大納言(おほきものまをすつかさ)藤原の卿(まへつきみ)の家にて、入唐使(もろこしにつかはすつかひ)等を餞(うまのはなむけ)する宴日(ひ)の歌一首 即チ主人卿ヨメリ
4242 天雲の往き還りなむものゆゑに思ひそ吾(あ)がする別れ悲しみ

民部少輔(たみのつかさのすなきすけ)丹治比(たぢひ)真人(まひと)土作(はにし)がよめる歌一首
4243 住吉(すみのえ)に斎(いつ)く祝(はふり)が神言(かむこと)と行くとも来(く)とも船は早けむ

大使藤原朝臣清河が歌一首
4244 あら玉の年の緒長く吾(あ)が思(も)へる子らに恋ふべき月近づきぬ

天平五年(いつとせといふとし)、入唐使に贈れる歌一首、また短歌 作主未詳
4245 そらみつ 大和の国 青丹よし 奈良の都ゆ
   押し照る 難波に下り 住吉の 御津に船(ふな)乗り
   直(ただ)渡り 日の入る国に 遣(つか)はさる 我が兄(せ)の君を
   懸けまくの 忌々(ゆゆ)し畏き 住吉の 吾(あ)が大御神
   船(ふな)の舳(へ)に 領(うしは)きいまし 船艫(ふなども)に み立たしまして
   さし寄らむ 磯の崎々 榜ぎ泊(は)てむ 泊々(とまりとまり)に
   荒き風 波に遇はせず 平けく 率(ゐ)て還りませ もとの国家(みかど)に
反し歌一首
4246 沖つ波辺(へ)波な立ちそ君が船榜ぎ還り来て津に泊つるまで

阿倍朝臣老人(おいひと)が、唐(もろこし)に遣はさるる時、母に奉れる悲別(かなしみ)の歌一首
4247 天雲のそきへの極み吾(あ)が思(も)へる君に別れむ日近くなりぬ
     右の件(くだり)の八首歌(やうた)は、伝へ誦める人、越中の大目(おほきふみひと)
     高安倉人種麻呂なり。但し年月の次(なみ)は、聞ける時の
     随(まにま)、載(あ)げたり。

七月(ふみつき)の十七日(とをかまりなぬかのひ)、少納言(すなきものまをすつかさ)に遷任(うつ)されて、悲別(かなしみ)の歌を作みて、朝集使(まゐうごなはるつかひ)掾久米朝臣廣繩が館に贈貽(おく)れる二首(ふたうた)
既に六載の期に満ち、忽ち遷替の運に値ふ。是に旧(ふりにしひと)に別るる悽(かな)しみ、心中に欝結(むすぼほ)れ、涕の袖を拭(のご)ふ。いかにか能く旱(かは)かむ。因(かれ)悲しみの歌二首を作みて、莫忘の志を遺せり。其の詞(うた)に曰く
4248 あら玉の年の緒長く相見てしその心引き忘らえめやも
4249 石瀬野(いはせの)に秋萩凌(しぬ)ぎ馬並(な)めて初鷹猟(はつとがり)だにせずや別れむ
     右、八月(はつき)の四日(よかのひ)贈れりき。

便ち大帳使を附(さづ)け、八月の五日に、京師に入(のぼ)らむとす。此に因りて四日、国の厨(くりや)の饌(もの)を介内藏伊美吉繩麻呂が館に設(ま)けて、餞(うまのはなむけ)す。その時大伴宿禰家持がよめる歌一首
4250 しなざかる越に五年(いつとせ)住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも

五日(いつかのひ)、平旦(つとめて)上道(みちだち)す。仍(かれ)国司(くにのつかさ)次官(すけ)より、諸の僚(つかさづかさ)まで、皆共(みな)視送りす。その時射水(いみづ)の郡(こほり)の大領(おほきみやつこ)安努君廣島(あぬのきみひろしま)が門の前の林の中(うち)に、預め饌餞(うまのはなむけ)の宴(まけ)を設(な)す。時に大帳使大伴宿禰家持が、内藏伊美吉繩麻呂が盞(さかづき)を捧ぐる歌に和ふる一首(ひとうた)
4251 玉ほこの道に出で立ち行く吾(あれ)は君が事跡(ことと)を負ひてし行かむ

正税帳使掾(まつりごとひと)久米朝臣廣繩、事畢りて退任(まけところにかへ)れり。越前国(こしのみちのくちのくに)の掾大伴宿禰池主が館に適(ゆ)き遇ひて、共に飲楽(うたげ)す。その時久米朝臣廣繩が、芽子(はぎ)の花を矚(み)てよめる歌一首
4252 君が家に植ゑたる萩の初花を折りて挿頭(かざ)さな旅別るどち
大伴宿禰家持が和ふる歌一首
4253 立ちて居て待てど待ちかね出でて来て君にここに逢ひ挿頭しつる萩

京(みやこ)に向(まゐのぼ)る路にて、興(こと)に依(つ)け預め作める、宴(とよのあかり)に侍りて詔を応(うけたま)はる歌一首、また短歌
4254 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国を 天雲に 磐船(いはふね)浮べ
   艫(とも)に舳(へ)に 真櫂しじ貫(ぬ)き い榜ぎつつ 国見しせして
   天降(あも)りまし 掃(はら)ひ平らげ 千代重ね いや嗣ぎ継ぎに
   領(し)らし来る 天(あま)の日継と 神ながら 我が大皇(おほきみ)の
   天の下 治め賜へば もののふの 八十伴男(やそとものを)を
   撫で賜ひ 整へ賜ひ 食(を)す国の 四方(よも)の人をも
   あぶさはず 恵み賜へば 古よ 無かりし瑞(しるし)
   度まねく 奏(まを)し賜ひぬ 手拱(てうだ)きて 事無き御代と
   天地 日月と共に 万代に 記し継がむそ
   やすみしし 我が大皇 秋の花 しが色々に
   見(め)し賜ひ 明らめ賜ひ 酒漬(さかみづ)き 栄ゆる今日の 奇(あや)に貴さ
反し歌一首
4255 秋の花種々(くさぐさ)なれど色ことに見(め)し明らむる今日の貴さ

左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘の卿を寿(ことほ)かむと、預めよめる歌一首
4256 古に君が三代経て仕へけり我が王(おほきみ)は七代奏(まを)さね

十月(かみなつき)の二十二日(はつかまりふつかのひ)、左大弁(ひだりのおほきおほともひ)紀飯麻呂(きのいひまろ)の朝臣が家にて宴する歌三首
4257 手束弓(たつかゆみ)手に取り持ちて朝狩に君は立たしぬ棚倉の野に
     右の一首は、治部卿(をさむるつかさのかみ)船王(ふねのおほきみ)の伝へ誦める、
     久邇(くに)の京都(みやこ)の時の歌なり。作主(よみひと)しらず。
4258 明日香川川門(かはと)を清み後れ居て恋ふれば都いや遠そきぬ
     右の一首は、左中弁(ひだりのなかのおほともひ)中臣朝臣清麻呂が伝へ
     誦める、古き京の時の歌なり。
4259 十月(かみなつき)時雨の降れば我が背子が屋戸のもみち葉散りぬべく見ゆ
     右の一首は、少納言大伴宿禰家持が、当時梨の黄葉(もみち)を
     矚(み)て、此の歌を作めり。

〔天平勝宝〕四年

壬申(みづのえさる)の年の乱(みだれ)、平定(たひ)らぎし以後(のち)の歌二首
4260 皇(おほきみ)は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ
     右の一首は、大将軍(おほきいくさのきみ)贈右大臣(おひてたまへるみぎのおほまへつきみ)
     大伴の卿の作みたまふ。
4261 大王は神にしませば水鳥の多集(すだ)く水沼(みぬま)を都と成しつ 作者未詳
     右の件の二首は、〔天平勝宝四年〕二月の二日に聞きて、
     茲(ここ)に載(あ)ぐ。

閏三月(のちのやよひ)、衛門督(ゆけひのかみ)大伴古慈悲(こじひ)の宿禰が家にて、入唐副使(もろこしにつかはすつかひのすけ)同(おや)じ胡麿の宿禰等を餞(うまのはなむけ)する歌二首
4262 唐国(からくに)に行き足らはして還り来むますら健男(たけを)に御酒(みき)奉る
     右の一首は、多治比真人鷹主が、副使(つかひのすけ)大伴胡麻呂
     の宿禰を寿(ことほ)く。
4263 櫛も見じ屋中(やぬち)も掃かじ草枕旅ゆく君を斎(いは)ふと思(も)ひて 作主未詳
     右の件の二首歌(ふたうた)伝へ誦めるは、大伴宿禰村上、
     同じ清繼等なり。

従四位上(ひろきよつのくらゐのかみつしな)高麗朝臣福信(こまのあそみふくしむ)に勅(みことのり)して、難波に遣はし、酒(おほみき)肴(さかな)を入唐使(もろこしにつかはすつかひ)藤原朝臣清河等に賜へる御歌(おほみうた)一首、また短歌
4264 そらみつ 大和の国は 水の上(へ)は 地(つち)ゆくごとく
   船(ふな)の上(へ)は 床(とこ)に居るごと 大神の 鎮(いは)へる国そ
   四つの船 船(ふな)の舳(へ)並べ 平らけく 早渡り来て
   返り言 奏(まを)さむ日に 相飲まむ酒(き)そ この豊御酒(とよみき)は
反し歌一首
4265 四つの船早帰り来(こ)と白紙(しらが)付け朕(あ)が裳の裾に鎮(いは)ひて待たむ
     右、勅使ヲ発遣シ、マタ酒ヲ賜フ楽宴(ウタゲ)ノ日月、
     未ダ詳審(ツマビ)ラカニスルコトヲ得ズ。

詔を応(うけたまは)らむが為に、儲(あらかじ)めよめる歌一首、また短歌
4266 あしひきの 八峯(やつを)の上の 樛(つが)の木の いや継ぎ継ぎに
   松が根の 絶ゆることなく 青丹よし 奈良の都に
   万代に 国知らさむと やすみしし 我が大王の
   神ながら 思ほしめして 豊宴(とよのあかり) 見(め)す今日の日は
   もののふの 八十(やそ)伴の雄(を)の 島山に 赤る橘
   髻華(うず)に挿し 紐解き放(さ)けて 千年寿(ほ)き ほさき響(とよ)もし
   ゑらゑらに 仕へまつるを 見るが貴さ
反し歌一首
4267 すめろきの御代万代にかくしこそ見(め)し明らめめ立つ年の端(は)に
     右の二首は、大伴宿禰家持がよめる。

天皇(すめらみこと)と太后(おほきさき)と、共に大納言(おほきものまをすつかさ)藤原の家に幸(いでま)しし日、黄葉(もみち)せる沢蘭(さはあらき)一株(ひともと)を抜き取りて、内侍佐佐貴山君(ささきやまのきみ)に持たしめ、大納言藤原の卿また陪従(みとも)の大夫等(まへつきみたち)に遣賜(たま)へる御歌(おほみうた)一首
命婦(ひめとね)が誦(とな)へて曰(い)へらく
4268 この里は継ぎて霜や置く夏の野に吾(あ)が見し草は黄葉(もみ)ちたりけり

十一月(しもつき)の八日(やかのひ)、太上天皇(おほきすめらみこと)、左大臣橘朝臣の宅(いへ)に在(いま)して、肆宴(とよのあかり)きこしめす歌四首
4269 よそのみに見つつありしを今日見れば年に忘れず思ほえむかも
     右の一首は、太上天皇の御製(おほみうた)。
4270 葎(むぐら)はふ賎しき屋戸も大王の座(ま)さむと知らば玉敷かましを
     右の一首は、左大臣橘卿。
4271 松陰の清き浜辺に玉敷かば君来まさむか清き浜辺に
     右の一首は、右大弁藤原八束朝臣。
4272 天地に足らはし照りて我が大王敷きませばかも楽しき小里(をさと)
     右の一首は、少納言大伴宿禰家持。 未奏。

二十五日(はつかまりいつかのひ)、新嘗会(にひなへまつり)の肆宴(とよのあかり)に、詔を応(うけたま)はる歌六首
4273 天地と相栄えむと大宮を仕へまつれば貴く嬉しき
     右の一首は、大納言巨勢朝臣。
4274 天にはも五百(いほ)つ綱延(は)ふ万代に国知らさむと五百つ綱延ふ
     右の一首は、式部卿(のりのつかさのかみ)石川年足(としたり)朝臣。
4275 天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒(くろき)白酒(しろき)を
     右の一首は、従三位(ひろきみつのくらゐ)文屋(ふむやの)智努麻呂(ちぬまろの)真人(まひと)
4276 島山に照れる橘髻華(うず)に挿し仕へ奉(まつ)らな卿大夫(まへつきみ)たち
     右の一首は、右大弁藤原八束朝臣。
4277 袖(そて)垂れていざ我が苑に鴬の木伝(こづた)ひ散らす梅の花見に
     右の一首は、大和国守(おほやまとのくにのかみ)藤原永手(ながて)朝臣。
4278 あしひきの山下日蔭かづらける上にやさらに梅を賞(しぬ)はむ
     右の一首は、少納言大伴宿禰家持。

二十七日(はつかまりなぬかのひ)、林王の宅にて、但馬(たぢまの)按察使(あぜちし)橘奈良麻呂の朝臣を餞(うまのはなむけ)せる宴歌(うた)三首
4279 能登川の後は逢はめど暫(しま)しくも別るといへば悲しくもあるか
     右の一首は、治部卿船王。
4280 立ち別れ君がいまさば磯城島(しきしま)の人は我じく斎(いは)ひて待たむ
     右の一首は、右京少進(みぎのみさとつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰黒麻呂。
4281 白雪の降り敷く山を越え行かむ君をそもとな息の緒に思(も)ふ 左大臣尾ヲ換ヘテ云ク、いきのをにする。然レドモ猶喩シテ曰ク、前ノ如ク誦メト。
     右の一首は、少納言大伴宿禰家持。

五年(いつとせといふとし)正月(むつき)の四日(よかのひ)、治部少輔(をさむるつかさのすなきすけ)石上朝臣宅嗣(いそのかみのあそみいへつぐ)が家にて、宴する歌三首
4282 言(こと)繁み相問はなくに梅の花雪にしをれて移ろはむかも
     右の一首は、主人(あろじ)石上朝臣宅嗣。
4283 梅の花咲けるが中に含(ふふ)めるは恋や隠(こも)れる雪を待つとか
     右の一首は、中務大輔(なかのまつりごとのつかさのおほきすけ)茨田王(まむたのおほきみ)。
4284 新(あらた)しき年の初めに思ふ共(どち)い群れて居れば嬉しくもあるか
     右の一首は、大膳大夫(おほかしはでのつかさのかみ)道祖王(みちのやのおほきみ)。

十一日(とをかまりひとひのひ)、大雪落積(つ)もれること、尺有二寸(ひとさかまりふたき)。因(かれ)拙懐(おもひ)を述ぶる歌三首
4285 大宮の内にも外(と)にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し
4286 御苑生(みそのふ)の竹の林に鴬はしば鳴きにしを雪は降りつつ
4287 鴬の鳴きし垣内(かきつ)ににほへりし梅この雪にうつろふらむか

十二日(とをかまりふつかのひ)、内裏(おほうち)に侍(さもら)ひて、千鳥を聞きてよめる歌一首
4288 河渚(かはす)にも雪は降れれや宮の内に千鳥鳴くらし居むところ無み

二月(きさらき)の十九日(とをかまりここのかのひ)、左大臣橘の家の宴に、攀ぢ折(と)れる柳の條(えだ)を見る歌一首
4289 青柳(あをやぎ)の上枝(ほつえ)攀ぢ取りかづらくは君が屋戸にし千年寿(ほ)くとそ

二十三日(はつかまりみかのひ)、興(こと)に依(つ)けてよめる歌二首
4290 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも
4291 我が屋戸の五十笹(いささ)群竹吹く風の音のかそけきこの夕へかも

二十五日(はつかまりいつかのひ)、よめる歌一首
4292 うらうらに照れる春日(はるひ)に雲雀あがり心悲しも独りし思へば
     春ノ日遅々(ウラウラ)トシテ、ヒバリ正ニ啼ク。悽惆ノ意、
     歌ニアラザレバ撥ヒ難シ。仍此ノ歌ヲ作ミ、式テ
     締緒ヲ展ク。但此ノ巻中、作者ノ名字ヲ称(イ)ハズ、
     徒(タダ)年月所処縁起ヲノミ録セルハ、皆大伴宿禰家持
     ガ裁作セル歌詞(ウタ)ナリ。


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.巻第二十(はたまきにあたるまき)

山村(やまむら)に幸行(いでま)しし時の歌二首(ふたつ)
先の太上天皇(おほきすめらみこと)、陪従(おほみとも)の王臣(おほきみおみ)に詔(みことのり)したまはく、夫諸王卿等(いましらもろもろ)、和(こた)へ歌を賦(よ)みて奏(まを)せと宣(の)りたまひて、即ち御口号(みうたよみ)したまはく
4293 あしひきの山行きしかば山人(やまびと)の我に得しめし山つとそこれ
舎人親王(とねりのみこ)、詔を応(うけたま)はりて和へ奉(まつ)れる御歌一首(ひとつ)
4294 あしひきの山にゆきけむ山人の心も知らず山人や誰(たれ)
     右、天平勝宝(てむひやうしようはう)五年(いつとせといふとし)の五月(さつき)、大納言(おほきものまをすつかさ)
     藤原朝臣(ふぢはらのあそみ)の家に在(いま)せる時、事を奏(まを)すに依りて請ひ
     問ふ間(ほど)、少主鈴(すなきすずのつかさ)山田(やまたの)史(ふみひと)土麿、少納言(すなきものまをすつかさ)
     大伴宿禰家持に語りけらく、昔(さき)に此の言(こと)を聞けりと
     いひて、即ち此の歌を誦(よ)めりき。

天平勝宝五年八月(はつき)の十二日(とをかまりふつかのひ)、二三(ふたりみたり)の大夫等(まへつきみたち)、各(おのもおのも)壺酒(さかつぼ)を提(ひきさ)げて、高圓野(たかまとぬ)に登り、聊か所心(おもひ)を述べて作(よ)める歌三首(みつ)
4295 高圓の尾花(をばな)吹きこす秋風に紐ときあけな直(ただ)ならずとも
     右の一首(ひとうた)は、左京少進(ひだりのみさとつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰池主。
4296 天雲に雁そ鳴くなる高圓の萩の下葉はもみち堪(あ)へむかも
     右の一首は、左中弁(ひだりのなかのおほともひ)中臣清麿朝臣。
4297 をみなへし秋萩しぬぎさ牡鹿の露分け鳴かむ高圓の野そ
     右の一首は、少納言大伴宿禰家持。

六年(むとせといふとし)正月(むつき)の四日(よかのひ)、氏族人等(やからどち)、少納言大伴宿禰家持が宅(いへ)に賀集(つど)ひて、宴飲(うたげ)する歌三首
4298 霜の上(へ)に霰(あられ)飛走(たばし)りいや益しに吾(あれ)は参(まゐ)来む年の緒長く 古今未詳
     右の一首は、左兵衛督(ひだりのつはもののとねりのかみ)大伴宿禰千室(ちむろ)。
4299 年月は新た新たに相見れど吾(あ)が思(も)ふ君は飽き足らぬかも 古今未詳
     右の一首は、民部少丞(たみのつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰村上。
4300 霞立つ春の初めを今日のごと見むと思へば楽しとそ思(も)ふ
     右の一首は、左京少進大伴宿禰池主。

七日(なぬかのひ)、天皇(すめらみこと)、太上天皇(おほきすめらみこと)、皇太后(おほみおや)、東(ひむかし)の常宮(みや)の南の大殿に在(いま)して、肆宴(とよのあかり)きこしめす歌一首
4301 印南野(いなみぬ)の赤ら柏は時はあれど君を吾(あ)が思(も)ふ時はさねなし
     右の一首は、播磨(はりま)の国の守(かみ)安宿王(あすかべのおほきみ)奏(まを)したまへり。古今未詳。

三月(やよひ)の十九日(とをかまりここのかのひ)、家持が庄(なりところ)の門の槻(つき)の樹の下(もと)にて宴飲(うたげ)する歌二首
4302 山吹は撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつ挿頭(かざ)したりけり
     右の一首は、置始連長谷(おきそめのむらじはつせ)。
4303 我が背子が屋戸の山吹咲きてあらば止まず通はむいや年の端に
     右の一首は、長谷花を攀ぢ、壺を提(ひきさ)げて到来(きた)れり。因是(かれ)
     大伴宿禰家持、此の歌をよみて和(こた)ふ。

同(おや)じ月の二十五日(はつかまりいつかのひ)、左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘の卿(まへつきみ)、山田御母(やまだのみおも)の宅に宴したまへる歌一首
4304 山吹の花の盛りにかくのごと君を見まくは千年(ちとせ)にもがも
     右の一首は、少納言大伴宿禰家持、時の花を囑(み)て
     よめる。但し未だ出(いだ)さざりし間(ほど)、大臣(おほまへつきみ)宴を
     罷(や)めたまへるによりて、詠み挙げせざりき。

霍公鳥(ほととぎす)を詠(よ)める歌一首
4305 木(こ)の暗(くれ)のしげき峯(を)の上(へ)をほととぎす鳴きて越ゆなり今し来らしも
     右の一首は、四月(うつき)、大伴宿禰家持がよめる。

七夕(なぬかのよひ)の歌八首(やつ)
4306 初秋風すずしき夕へ解かむとそ紐は結びし妹に逢はむため
4307 秋と言へば心そ痛きうたて異(け)に花になそへて見まく欲りかも
4308 初尾花(をばな)花に見むとし天の川へなりにけらし年の緒長く
4309 秋風になびく川廻(び)の和草(にこぐさ)のにこよかにしも思ほゆるかも
4310 秋されば霧たちわたる天の川石並(な)み置かば継ぎて見むかも
4311 秋風に今か今かと紐解きてうら待ち居るに月かたぶきぬ
4312 秋草に置く白露の飽かずのみ相見るものを月をし待たむ
4313 青波に袖(そて)さへ濡れて榜ぐ舟のかし振るほとにさ夜更けなむか
     右、七月(ふみつき)の七日の夕(よひ)、大伴宿禰家持、独り天漢(あまのがは)を
     仰(み)てよめる。
4314 八千種(やちくさ)に草木を植ゑて時ごとに咲かむ花をし見つつ偲(しぬ)はな
     右の一首は、同じ月の二十八日(はつかまりやかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。
4315 宮人の袖付け衣秋萩ににほひよろしき高圓(たかまと)の宮
4316 高圓の宮の裾廻(すそみ)の野つかさに今咲けるらむ女郎花(をみなへし)はも
4317 秋野には今こそ行かめもののふの男女(をとこをみな)の花にほひ見に
4318 秋の野に露負へる萩を手折らずてあたら盛りを過ぐしてむとか
4319 高圓の秋野の上の朝霧に妻呼ぶ壮鹿(をしか)出で立つらむか
4320 ますらをの呼び立てませばさ牡鹿の胸(むな)分けゆかむ秋野萩原
     右の歌六首(むつ)は、兵部少輔(つはもののつかさのすなきすけ)大伴宿禰家持、独り
     秋の野を憶(しぬ)ひて、聊か拙懐(おもひ)を述べてよめる。

天平勝宝七歳(ななとせといふとし)乙未(きのとひつじ)二月(きさらき)、相替へて筑紫の諸国(くにぐに)に遣はさるる防人(さきもり)等が歌
4321 畏きや命(みこと)被(かがふ)り明日ゆりや加曳(かえ)が斎田嶺(いむたね)を妹(いむ)無しにして
     右の一首は、国造(くにのみやつこ)の丁(よほろ)、長下郡(ながのしものこほり)、物部秋持(もののべのあきもち)。
4322 我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影(かご)副(さ)へ見えて世に忘られず
     右の一首は、主帳(ふみひと)の丁、麁玉郡(あらたまのこほり)、若倭部身麿(わかやまとべのむまろ)。
4323 時々の花は咲けども何すれそ母とふ花の咲き出来(でこ)ずけむ
     右の一首は、防人、山名郡(やまなのこほり)、丈部(はせつかべの)眞麿(ままろ)。
4324 遠江(とへたほみ)白羽(しるは)の磯と贄(にへ)の浦と合ひてしあらば言も通(かゆ)はむ
     右の一首は、同じ郡の丈部川相(かはひ)。
4325 父母も花にもがもや草枕旅は行くとも捧ごてゆかむ
     右の一首は、佐野(さやの)郡(こほり)、丈部黒當。
4326 父母が殿の後(しりへ)の百代草(ももよぐさ)百代いでませ我が来たるまで
     右の一首は、同じ郡生玉部(いくたまべの)足國(たりくに)。
4327 我が妻も絵に描き取らむ暇(いつま)もか旅ゆく吾(あれ)は見つつ偲はむ
     右の一首は、長下郡、物部古麿(ふるまろ)。
     二月(きさらき)の六日(むかのひ)、防人部領使(ことりつかひ)遠江(とほつあふみ)の国の史生(ふみひと)坂本
     朝臣人上(ひとかみ)が、進(たてまつ)れる歌の数十八首(とをまりやつ)。但し拙劣(つたな)き
     歌十一首(とをまりひとうた)有るは取載(あ)げず。

4328 大王の命かしこみ磯に触り海原(うのはら)渡る父母を置きて
     右の一首は、某郡助丁(すけのよほろ)、丈部造(みやつこ)人麿。
4329 八十(やそ)国は難波に集ひ船(ふな)飾り吾(あ)がせむ日ろを見も人もがも
     右の一首は、足下郡(あしからのしものこほり)の上丁(かみつよほろ)、丹比部(たぢひべの)國人(くにひと)。
4330 難波津に装ひ装ひて今日の日や出でて罷(まか)らむ見る母なしに
     右の一首は、鎌倉郡(かまくらのこほり)の上丁、丸子連(まるこのむらじ)多麿(おほまろ)。
     二月の七日、相模(さがむ)の国の防人部領使、守(かみ)従五位(ひろきいつつのくらゐの)
     下(しもつしな)藤原朝臣宿奈麿(すくなまろ)が進れる歌の数八首。但し拙劣(つたな)
     き歌五首(いつつ)は、取載(あ)げず。

防人の悲別(わかれ)の心を追痛(いた)みてよめる歌一首、また短歌(みじかうた)
4331 天皇(すめろき)の 遠の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫の国は
   賊(あた)まもる 鎮(おさ)への城(き)そと 聞こし食(を)す 四方の国には
   人多(さは)に 満ちてはあれど 鶏(とり)が鳴く 東男(あづまをのこ)は
   出で向かひ かへり見せずて 勇みたる 猛(たけ)き軍卒(いくさ)と
   労(ね)ぎたまひ 任(まけ)のまにまに たらちねの 母が目離(か)れて
   若草の 妻をも枕(ま)かず あらたまの 月日数(よ)みつつ
   葦が散る 難波の御津に 大船に 真櫂しじぬき
   朝凪に 水手(かこ)ととのへ 夕潮に 楫引き撓(を)り
   率(あど)もひて 漕ぎゆく君は 波の間を い行きさぐくみ
   真幸(まさき)くも 早く到りて 大王(おほきみ)の 命(みこと)のまにま
   大夫(ますらを)の 心をもちて ありめぐり 事し終はらば
   恙(つつ)まはず 還り来ませと 斎瓮(いはひへ)を 床辺(とこへ)に据ゑて
   白妙の 袖折りかへし ぬば玉の 黒髪しきて
   長き日(け)を 待ちかも恋ひむ 愛(は)しき妻らは
反(かへ)し歌
4332 大夫の靫(ゆき)取り負ひて出でて行(い)けば別れを惜しみ嘆きけむ妻
4333 鶏が鳴く東男(あづまをとこ)の妻別れ悲しくありけむ年の緒長み
     右、二月の八日、兵部少輔大伴宿禰家持。
4334 海原(うなはら)を遠く渡りて年経(ふ)とも子らが結べる紐解くなゆめ
4335 今替る新(にひ)防人が船出する海原の上に波な開(さ)きそね
4336 防人の堀江榜ぎ出(づ)る伊豆手船楫取る間なく恋は繁けむ
     右の三首は、九日、大伴宿禰家持がよめる。

4337 水鳥(みづとり)の立ちの急ぎに父母に物言(は)ず来(け)にて今ぞ悔しき
     右の一首は、上丁(かみつよほろ)、有度部(うとべの)牛麿。
4338 畳薦(たたみけめ)牟良自(むらじ)が磯の離磯(はなりそ)の母を離れて行くが悲しさ
     右の一首は、助丁(すけのよほろ)、生部(いくべの)道麿。
4339 国めぐる当(あとり)か任(ま)けり行き巡り還(かひ)り来までに斎(いは)ひて待たね
     右の一首は、刑部(おさかべの)虫麿。
4340 父母え斎ひて待たね筑紫なる水漬(みづ)く白玉取りて来までに
     右の一首は、川原虫麿。
4341 橘の美衣利(みえり)の里に父を置きて道の長道(ながち)は行きかてぬかも
     右の一首は、丈部足麿(たりまろ)。
4342 真木柱(まけばしら)讃めて造れる殿のごといませ母刀自(とじ)面(おめ)変はりせず
     右の一首は、坂田部(さかたべの)首麿(おびとまろ)。
4343 我(わ)ろ旅は旅と思(おめ)ほど恋にして顔持(こめち)痩すらむ我が身悲しも
     右の一首は、玉作部(たまつくりべの)廣目(ひろめ)。
4344 忘らむと野ゆき山ゆき我来れど我が父母は忘れせぬかも
     右の一首は、商長(あきをさの)首麿(おびとまろ)。
4345 我妹子(わぎめこ)と二人我が見し打ち寄(え)する駿河の嶺(ね)らは恋(くふ)しくめあるか
     右の一首は、春日部(かすかべの)麿。
4346 父母が頭(かしら)掻き撫で幸(さき)くあれて言ひし言葉そ忘れかねつる
     右の一首は、丈部稲麿(いなまろ)。
     二月の七日、駿河の国の防人部領使、守従五位下布勢(ふせの)朝臣
     人主(ひとぬし)、実(まこと)進(たてまつ)るは九日。歌の数二十首(はたち)。但し拙劣(つたな)き歌
     十首(とを)は、取載(あ)げず。

4347 家にして恋ひつつあらずは汝(な)が佩(は)ける大刀(たち)になりても斎(いは)ひてしかも
     右の一首は、国造の丁(よほろ)、日下部(くさかべの)使主(おみ)三中(みなか)が父の歌。
4348 たらちねの母を別れてまこと我旅の仮廬(かりほ)に安く寝むかも
     右の一首は、国造の丁、日下部使主三中。
4349 百隈(ももくま)の道は来にしを又更に八十(やそ)島過ぎて別れか行かむ
     右の一首は、助丁(すけのよほろ)刑部(おさかべの)直(あたへ)三野(みぬ)。
4350 庭中の阿須波(あすは)の神に小柴さし吾(あれ)は斎はむ還り来までに
     右の一首は、主帳(ふみひと)の丁(よほろ)、若麻續部(わかをみべの)諸人(もろひと)。
4351 旅衣八つ着重ねて寝(いぬ)れどもなほ肌寒し妹にしあらねば
     右の一首は、望陀郡(うまぐたのこほり)の上丁(かみつよほろ)、玉作部國忍(くにおし)。
4352 道の辺(べ)の茨(うまら)の末(うれ)に延(は)ほ豆のからまる君を離(はか)れか行かむ
     右の一首は、天羽郡(あまはのこほり)の上丁、丈部鳥。
4353 家風は日に日に吹けど我妹子が家言(いへごと)持ちて来る人も無し
     右の一首は、朝夷郡(あさひなのこほり)の上丁、丸子連大歳(おほとし)。
4354 立ち鴨(こも)の立ちの騒きに相見てし妹が心は忘れせぬかも
     右の一首は、長狭郡(ながさのこほり)の上丁、丈部與呂麿(よろまろ)。
4355 よそにのみ見てや渡らも難波潟雲居に見ゆる島ならなくに
     右の一首は、武射郡(むざのこほり)の上丁、丈部山代(やましろ)。
4356 我が母の袖(そて)持ち撫でて我が故(から)に泣きし心を忘らえぬかも
     右の一首は、山邊郡(やまのべのこほり)の上丁、物部乎刀良(をとら)。
4357 葦垣の隈所(くまと)に立ちて我妹子が袖(そて)もしほほに泣きしそ思(も)はゆ
     右の一首は、市原郡の上丁、刑部直千國(ちくに)。
4358 大王の命かしこみ出で来れば我(わ)ぬ取り付きて言ひし子なはも
     右の一首は、種淮郡(すゑのこほり)の上丁、物部龍(たつ)。
4359 筑紫方(へ)に舳(へ)向かる船のいつしかも仕へまつりて国に舳向(へむ)かも
     右の一首は、長柄郡(ながらのこほり)の上丁、若麻續部羊(ひつじ)。
     二月の九日、上総(かみつふさ)の国の防人部領使、少目(すなきふみひと)
     従七位下(ひろきななつのくらゐのしもつしな)茨田(まむたの)連(むらじ)沙彌麿(さみまろ)が進る歌の
     数十九首(とをまりここのつ)。但し拙劣(つたな)き歌六首は、取載(あ)げず。

私拙懐(おもひ)を陳(の)ぶる一首、また短歌
4360 天皇(すめろき)の 遠き御代にも 押し照る 難波の国に
   天の下 知らしめしきと 今の緒に 絶えず言ひつつ
   かけまくも あやに畏し 神(かむ)ながら 我ご大王の
   打ち靡く 春の初めは 八千種に 花咲きにほひ
   山見れば 見の羨(とも)しく 川見れば 見のさやけく
   ものごとに 栄ゆる時と 見(め)し賜ひ 明らめ賜ひ
   敷きませる 難波の宮は 聞こし食(を)す 四方の国より
   奉る 御調(みつき)の船は 堀江より 水脈(みを)引きしつつ
   朝凪に 楫引き泝(のぼ)り 夕潮に 棹さし下り
   あぢ群の 騒き競(きほ)ひて 浜に出でて 海原見れば
   白波の 八重折るが上に 海人小船(をぶね) はららに浮きて
   大御食(おほみけ)に 仕へまつると をちこちに 漁(いざ)り釣りけり
   そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも
   ここ見れば うべし神代ゆ 始めけらしも
反し歌
4361 桜花今盛りなり難波の海押し照る宮に聞こしめすなべ
4362 海原のゆたけき見つつ葦が散る難波に年は経ぬべく思ほゆ
     右、二月の十三日、兵部少輔大伴宿禰家持。

4363 難波津に御船下ろ据ゑ八十楫(やそか)貫(ぬ)き今は榜ぎぬと妹に告げこそ
4364 防人(さきむり)に立たむ騒きに家の妹が業(な)るべきことを言はず来(き)ぬかも
     右の二首は、茨城郡(うばらきのこほり)、若舎人部(わかとねりべの)廣足(ひろたり)。
4365 押し照るや難波の津より船装(ふなよそ)ひ吾(あれ)は榜ぎぬと妹に告ぎこそ
4366 常陸(ひたち)指し行かむ雁もが吾(あ)が恋を記して付けて妹に知らせむ
     右の二首は、信太郡(しだのこほり)、物部道足(みちたり)。
4367 吾(あ)が面(もて)の忘れもしだは筑波嶺(つくはね)を振り放け見つつ妹は偲(しぬ)はね
     右の一首は、茨城郡、占部(うらべの)小龍(をたつ)。
4368 久慈川は幸(さけ)くあり待て潮船に真楫しじ貫(ぬ)き我(わ)は還り来む
     右の一首は、久慈郡、丸子部(まろこべの)佐壯(すけを)。
4369 筑波嶺の早百合(さゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹そ昼も愛しけ
4370 霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみいくさ)に我は来にしを
     右の二首は、那賀郡(なかのこほり)の上丁(かみつよほろ)、大舎人部(おほとねりべの)千文(ちふみ)。
4371 橘の下吹く風のかぐはしき筑波(つくは)の山を恋ひずあらめかも
     右の一首は、助丁(すけのよほろ)、占部廣方(ひろかた)。
4372 足柄(あしがら)の 御坂た廻(まは)り 顧みず 吾(あれ)は越(く)え行く
   荒し男(を)も 立しや憚る 不破の関 越(く)えて我(わ)は行く
   馬(むま)の爪 筑紫の崎に 留(ち)まり居て 吾(あれ)は斎(いは)はむ
   諸々は 幸(さけ)くと申す 還り来まてに
     右の一首は、倭文部(しつりべの)可良麿(からまろ)。
     二月の十四日、常陸の国の部領防人使(ことりさきもりつかひ)、大目(おほきふみひと)
     正七位上(おほきななつのくらゐのかみつしな)息長(おきながの)真人(まひと)國島(くにしま)が進れる歌
     の数十七首。但し拙劣(つたな)き歌七首は、取載(あ)げず。

4373 今日よりは顧みなくて大王(おほきみ)の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ我は
     右の一首は、火長、今奉部(いままつりべの)與曽布(よそふ)。
4374 天地(あめつち)の神を祈りて幸矢(さつや)貫(ぬ)き筑紫の島を指して行(い)く我は
     右の一首は、火長、大田部荒耳(あらみみ)。
4375 松の木(け)の並(な)みたる見れば家人(いはびと)の我を見送ると立たりし如(もころ)
     右の一首は、火長、物部眞島(ましま)。
4376 旅ゆきに行くと知らずて母父(あもしし)に言申さずて今ぞ悔しけ
     右の一首は、寒川郡の上丁、川上巨老(おほおゆ)。
4377 母刀自(あもとじ)も玉にもがもや戴きて角髪(みづら)の中に合へ巻かまくも
     右の一首は、津守(つもり)宿禰小黒栖(をくるす)。
4378 月日(つくひ)やは過ぐは行けども母父(あもしし)が玉の姿は忘れせなふも
     右の一首は、都賀郡(つがのこほり)の上丁、中臣部足國(たりくに)。
4379 白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度(やたび)袖(そて)振る
     右の一首は、足利郡の上丁、大舎人部禰麿(ねまろ)。
4380 難波門(なにはと)を榜ぎ出て見れば神(かみ)さぶる生駒高嶺に雲そたなびく
     右の一首は、梁田郡(やなたのこほり)の上丁、大田部三成(みなり)。
4381 国々の防人集ひ船乗りて別るを見ればいともすべなし
     右の一首は、河内郡の上丁、神麻續部(かむをみべの)島麿。
4382 太小腹(ふたほがみ)悪しけ人なり疝病(あたゆまひ)我がする時に防人に差す
     右の一首は、那須郡の上丁、大伴部廣成。
4383 津の国の海の渚に船装ひ発(た)し出も時に母(あも)が目もがも
     右の一首は、塩屋郡の上丁、丈部足人(たりひと)。
     二月の十四日、下野(しもつけぬ)の国の防人部領使、正六位(おほきむつのくらゐの)
     上(かみつしな)田口朝臣大戸(おほと)が進れる歌の数十八首。但し拙劣(つたな)
     き歌七首は、取載(あ)げず。
4384 暁(あかとき)のかはたれ時に島陰(かぎ)を榜ぎにし船のたづき知らずも
     右の一首は、助丁(すけのよほろ)海上郡(うなかみのこほり)海上の国造、池田
     日奉直(ひまつりのあたへ)得大理(とこたり)。
4385 行(ゆ)こ先に波な音(と)動(ゑら)ひ後方(しるへ)には子をと妻をと置きてとも来ぬ
     右の一首は、葛餝郡(かづしかのこほり)私部(きさきべの)石島(いそしま)。
4386 我が門(かづ)の五本(いつもと)柳いつもいつも母(おも)が恋すな業(なり)ましつつも
     右の一首は、結城郡、矢作部(やはきべの)眞長(まなが)。
4387 千葉(ちは)の野の児手柏(このてかしは)の含(ほほ)まれどあやに愛(かな)しみ置きて発ち来ぬ
     右の一首は、千葉郡(ちはのこほり)、大田部足人。
4388 旅とへど真旅になりぬ家の妹(も)が着せし衣に垢付きにかり
     右の一首は、占部(うらべの)虫麿。
4389 潮舟の舳(へ)越そ白波急(には)しくも負ふせ賜(たま)ほか思はへなくに
     右の一首は、印波郡(いにはのこほり)、丈部直(はせつかべのあたへ)大歳(おほとし)。
4390 群玉(むらたま)の枢(くる)に釘刺し堅めとし妹が心は危(あよ)くなめかも
     右の一首は、サ島郡、刑部(おさかべの)志加麿(しかまろ)。
4391 国々の社(やしろ)の神に幣(ぬさ)奉(まつ)り贖(あが)乞ひすなむ妹が愛(かな)しさ
     右の一首は、結城郡、忍海部(おしぬみべの)五百麿(いほまろ)。
4392 天地(あめつし)のいづれの神を祈らばか愛(うつく)し母にまた言問はむ
     右の一首は、埴生郡(はにふのこほり)、大伴部麻與佐(まよさ)。
4393 大王の命にされば父母を斎瓮(いはひへ)と置きて参(まゐ)出来にしを
     右の一首は、結城郡、雀部(きさきべの)廣島。
4394 大王の命かしこみ夢(ゆみ)のみにさ寝か渡らむ長けこの夜を
     右の一首は、相馬郡、大伴部子羊(こひつじ)。
     二月の十六日、下総の国の防人部領使、少目従七位下
     縣犬養宿禰(あがたのいぬかひのすくね)浄人(きよひと)が進れる歌の数二十二首(はたちまりふたつ)。但し
     拙劣(つたな)き歌十一首は、取載(あ)げず。

独り龍田山の桜の花を惜しめる歌一首
4395 龍田山見つつ越え来し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに
独り江水(え)に浮漂(うか)べる糞(こつみ)を見て、貝玉の依らざるを怨恨(うら)みてよめる歌一首
4396 堀江より朝潮満ちに寄る木糞(こつみ)貝にありせば苞(つと)にせましを
館(たち)の門(かど)にて、江南美女(をとめ)を見てよめる歌一首
4397 見渡せば向つ峯(を)の上(へ)の花にほひ照りて立てるは愛(は)しき誰が妻
     右の三首は、二月の十七日(とをかまりなぬかのひ)、兵部少輔大伴宿禰
     家持がよめる。

防人の情(こころ)に為りて思を陳べてよめる歌一首、また短歌
4398 大王の 命かしこみ 妻別れ 悲しくはあれど
   大夫の 心振り起し 取り装(よそ)ひ 門出をすれば
   たらちねの 母掻き撫で 若草の 妻は取りつき
   平らけく 我は斎(いは)はむ 好去(まさき)くて 早還り来(こ)と
   真袖もち 涙を拭(のご)ひ むせびつつ 言問(ことどひ)すれば
   群鳥(むらとり)の 出で立ちかてに とどこほり かへり見しつつ
   いや遠に 国を来離れ いや高に 山を越え過ぎ
   葦が散る 難波に来居て 夕潮に 船を浮けすゑ
   朝凪に 舳(へ)向け漕がむと さもらふと 我が居(を)る時に
   春霞 島廻(み)に立ちて 鶴(たづ)が音の 悲しく鳴けば
   はろばろに 家を思ひ出 負征矢(おひそや)の そよと鳴るまで 嘆きつるかも
反し歌
4399 海原に霞たなびき鶴(たづ)が音の悲しき宵は国方(くにへ)し思ほゆ
4400 家思ふと眠(い)を寝ず居れば鶴(たづ)が鳴く葦辺も見えず春の霞に
     右、十九日、兵部少輔大伴宿禰家持がよめる。

4401 唐衣(からころも)裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母(おも)なしにして
     右の一首は、国造、小縣郡(ちひさがたのこほり)、他田舎人(をさだのとねり)大島。
4402 ちはやぶる神の御坂に幣まつり斎ふ命は母父(おもちち)がため
     右の一首は、主帳、埴科郡(はにしなのこほり)、神人部(かむとべの)子忍男(こおしを)。
4403 大王の命かしこみ青雲(あをくむ)のとのびく山を越よて来ぬかむ
     右の一首は、小長谷部(をはつせべの)笠麿。
     二月の二十二日(はつかまりふつかのひ)、信濃の国の防人部領使、道にて
     病を得て来たらず。進れる歌の数十二首。但し拙劣(つたな)き
     歌九首は取載(あ)げず。

4404 難波道を行きて来(く)まてと我妹子が付けし紐が緒絶えにけるかも
     右の一首は、助丁(すけのよほろ)、上毛野(かみつけぬの)牛甘(うしかひ)。
4405 我が妹子(いもこ)が偲ひにせよと付けし紐糸になるとも我(わ)は解かじとよ
     右の一首は、朝倉益人(ますひと)。
4406 我が家(いは)ろに行(ゆ)かも人もが草枕旅は苦しと告げやらまくも
     右の一首は、大伴部節麿(ふしまろ)。
4407 ひな曇り碓日(うすひ)の坂を越えしだに妹が恋しく忘らえぬかも
     右の一首は、他田部(をさだべの)子磐前(こいはさき)。
     二月の二十三日、上野(かみつけぬ)の国の防人部領使、大目
     正六位下(おほきむつのくらゐのしもつしな)上毛野君駿河が進れる歌の数十
     二首。但し拙劣(つたな)き歌八首は取載(あ)げず。

防人の悲別(わかれ)の情(こころ)を陳ぶる歌一首、また短歌
4408 大王の 任(まけ)のまにまに 島守(さきもり)に 我が発ち来れば
   ははそ葉の 母の命は 御裳(みも)の裾 摘み上げ掻き撫で
   ちちの実の 父の命は 栲綱(たくづぬ)の 白髭の上ゆ
   涙垂り 嘆きのたばく 鹿子(かこ)じもの ただ独りして
   朝戸出の 愛(かな)しき吾(あ)が子 あら玉の 年の緒長く
   相見ずは 恋しくあるべし 今日だにも 言問(ことどひ)せむと
   惜しみつつ 悲しびいませ 若草の 妻も子どもも
   をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ
   白妙の 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと
   引き留め 慕ひしものを 天皇(おほきみ)の 命かしこみ
   玉ほこの 道に出で立ち 岡の崎 い廻(たむ)むるごとに
   万(よろづ)たび かへり見しつつ はろばろに 別れし来れば
   思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを
   うつせみの 世の人なれば 玉きはる 命も知らず
   海原の 恐(かしこ)き道を 島伝ひ い榜ぎ渡りて
   あり巡り 我が来るまでに 平らけく 親はいまさね
   つつみなく 妻は待たせと 住吉(すみのえ)の 吾(あ)が統神(すめかみ)に
   幣(ぬさ)まつり 祈り申(まう)して 難波津に 船を浮け据ゑ
   八十楫(やそか)貫(ぬ)き 水手(かこ)ととのへて 朝開き 我(わ)は榜ぎ出ぬと
   家に告げこそ
反し歌
4409 家人(いへびと)の斎へにかあらむ平らけく船出はしぬと親に申(まう)さね
4410 み空行く雲も使と人は言へど家苞(いへづと)遣らむたづき知らずも
4411 家苞に貝そ拾(ひり)へる浜波はいやしくしくに高く寄すれど
4412 島陰に我が船泊てて告げやらむ使を無みや恋ひつつ行かむ
     二月の二十三日、兵部少輔大伴宿禰家持。

4413 枕太刀腰に取り佩き真憐(まかな)しき夫(せ)ろが罷(ま)き来む月の知らなく
     右の一首は、上丁(かみつよほろ)、那珂郡、檜前舎人(ひのくまのとねり)石前(いはさき)が妻(め)、
     大伴眞足女(またりめ)。
4414 大王の命かしこみ愛(うつく)しけ真子が手離れ島伝ひ行く
     右の一首は、助丁(すけのよほろ)、秩父郡、大伴部小歳(をとし)。
4415 白玉を手に取り持(も)して見るのすも家なる妹をまた見てもやも
     右の一首は、主帳(ふみひと)、荏原郡(えはらのこほり)、物部歳徳(としとこ)。
4416 草枕旅ゆく夫汝(せな)が丸寝(まるね)せば家なる我は紐解かず寝む
     右の一首は、妻(め)椋椅部(くらはしべの)刀自賣(とじめ)。
4417 赤駒を山野に放(はか)し捕りかにて多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣らむ
     右の一首は、豊島郡の上丁、椋椅部荒虫(あらむし)が妻(め)、
     宇遲部(うぢべの)黒女(くろめ)。
4418 我が門の片山椿まこと汝(なれ)我が手触れなな土に落ちもかも
     右の一首は、荏原郡の上丁、物部廣足(ひろたり)。
4419 家(いは)ろには葦火(あしふ)焚けども住みよけを筑紫に至りて恋しけ思(も)はも
     右の一首は、橘樹郡(たちばなのこほり)の上丁、物部眞根(まね)。
4420 草枕旅の丸寝の紐絶えば吾(あ)が手と付けろこれの針(はる)持(も)し
     右の一首は、妻(め)、椋椅部弟女(おとめ)。
4421 我が行きの息づくしかば足柄の峰這(は)ほ雲を見とと偲(しぬ)はね
     右の一首は、都筑郡(つつきのこほり)の上丁、服部(はとりべの)於由(おゆ)。
4422 我が夫汝(せな)を筑紫へ遣りて愛(うつく)しみ帯は解かなな奇(あや)にかも寝も
     右の一首は、妻(め)服部呰女(あため)。
4423 足柄の御坂に立(た)して袖振らば家(いは)なる妹はさやに見もかも
     右の一首は、埼玉郡(さきたまのこほり)の上丁、藤原部等母麿(ともまろ)。
4424 色深(ぶか)く夫汝(せな)が衣は染めましを御坂廻(たば)らばまさやかに見む
     右の一首は、妻(め)物部刀自賣。
     二月の二十幾日(はつかまりいくかのひ)、武藏(むざし)の国の部領防人使、
     掾(まつりごとひと)正六位上安曇(あづみ)宿禰三國が進れる歌の数
     二十首。但し拙劣(つたな)き歌八首は取載(あ)げず。

4425 防人にゆくは誰が夫(せ)と問ふ人を見るが羨(とも)しさ物思(も)ひもせず
4426 天地(あめつし)の神に幣(ぬさ)置き斎ひつついませ我が夫汝(せな)吾(あれ)をし思(も)はば
4427 家(いは)の妹ろ我(わ)を偲(しの)ふらし真結(ゆす)びに結(ゆす)びし紐の解くらく思(も)へば
4428 我が夫汝(せな)を筑紫は遣りて愛(うつく)しみ帯(えび)は解かなな奇(あや)にかも寝む
4429 馬屋なる縄断つ駒の後(おく)るがへ妹が言ひしを置きて悲しも
4430 荒し男(を)のい小箭(をさ)手挟(だはさ)み向ひ立ちかなるましづみ出でてと吾(あ)が来る
4431 笹が葉のさやく霜夜に七重(ななへ)着(か)る衣に増せる子ろが肌はも
4432 障(さ)へなへぬ命(みこと)にあれば愛(かな)し妹が手枕離れあやに悲しも
     右の八首は、昔年(さきつとし)の防人の歌なり。主典(ふみひと)刑部(うたへのつかさの)
     少録(すなきふみひと)正七位上(おほきななつのくらゐのかみつしな)磐余(いはれの)伊美吉(いみき)諸君(もろきみ)が、
     抄写(かきつけ)て兵部少輔大伴宿禰家持に贈れり。

三月(やよひ)の三日(みかのひ)、防人を検校(かむが)ふる勅使(みかどつかひ)、また兵部(つはもののつかさ)の使人等(つかひども)、同(とも)に集ひて飲宴(うたげ)するときよめる歌三首
4433 朝な朝(さ)な上がる雲雀になりてしか都に行きて早還り来む
     右の一首は、勅使、紫微(しび)の大弼(おほきすけ)安倍沙美麿(さみまろ)の朝臣。
4434 雲雀あがる春へとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく
4435 含(ふふ)めりし花の初めに来(こ)し我や散りなむ後に都へ行かむ
     右の二首は、兵部少輔大伴宿禰家持。

昔年(さきつとし)相替はれる防人が歌一首
4436 闇の夜の行く先知らず行く我をいつ来まさむと問ひし子らはも

先の太上天皇(おほきすめらみこと)の霍公鳥を御製(みよみ)ませる歌(おほみうた)一首
4437 霍公鳥なほも鳴かなむ本つ人かけつつもとな吾(あ)を音(ね)し泣くも
薩妙觀(さつめうくわむ)が詔を応(うけたま)はりて和へ奉れる歌一首
4438 霍公鳥ここに近くを来鳴きてよ過ぎなむ後に験(しるし)あらめやも

冬の日、靱負(ゆけひ)の御井(みゐ)に幸(いで)ましし時、内命婦(うちのひめとね)石川朝臣 諱曰邑婆 詔を応(うけたま)はりて雪を賦(よ)める歌一首
4439 松が枝の土に着くまで降る雪を見ずてや妹が籠り居るらむ
     その時、水主内親王(みぬしのひめみこ)、寝膳安からず。累日参りたまはず。
     因(かれ)此の日太上天皇、侍嬬(みやをみな)等に勅(の)りたまはく、水主内親王
     の為に、雪を賦みて奉献(たてまつ)れとのりたまへり。是に諸(もろもろ)の
     命婦(ひめとね)等、作歌(うたよみ)し堪(か)ねたれば、此の石川命婦、独り此の歌
     を作(よ)みて奏(まを)せりき。
     右の件の四首(ようた)は、上総の国の大掾(おほきまつりごとひと)正六位上(おほきむつのくらゐのかみつしな)
     大原真人今城(いまき)伝へ誦(よ)めりき。年月未詳。

上総の国の朝集使(まゐうごなはるつかひ)大掾大原真人今城が京(みやこ)に向かへる時、郡司(こほりのつかさ)の妻女等(めら)が餞(うまのはなむけ)せる歌二首
4440 足柄の八重山越えていましなば誰をか君と見つつ偲はむ
4441 立ち萎(しな)ふ君が姿を忘れずば世の限りにや恋ひ渡りなむ

五月(さつき)の九日(ここのかのひ)、兵部少輔大伴宿禰家持が宅(いへ)にて集飲(うたげ)せる歌四首
4442 我が背子が屋戸の撫子日並べて雨は降れども色も変らず
     右の一首は、大原真人今城。
4443 久かたの雨は降りしく撫子がいや初花に恋しき我が兄(せ)
     右の一首は、大伴宿禰家持。
4444 我が背子が屋戸なる萩の花咲かむ秋の夕へは我を偲はせ
     右の一首は、大原真人今城。
4445 鴬の声は過ぎぬと思へども染(し)みにし心なほ恋ひにけり
     右の一首は、即ち鴬の哢(な)くを聞きてよめる。大伴宿禰家持。

同じ月の十一日(とをかまりひとひのひ)、左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘の卿(まへつきみ)の、右大弁(みぎのおほきおほともひ)丹比國人真人が宅に宴したまふ歌三首
4446 我が屋戸に咲ける撫子幣(まひ)はせむゆめ花散るないやをちに咲け
     右の一首は、丹比國人真人が左大臣を寿(ことほ)く歌。
4447 幣しつつ君が生(お)ほせる撫子が花のみ問はむ君ならなくに
     右の一首は、左大臣の和へたまふ歌。
4448 あぢさゐの八重咲くごとく弥(や)つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ
     右の一首は、左大臣の、味狭藍(あぢさゐ)の花に寄せて詠みたまへる。

十八日(とをかまりやかのひ)、左大臣の、兵部卿(つはもののつかさのかみ)橘(たちばなの)奈良麿(ならまろの)朝臣(あそみ)が宅に宴したまふ歌一首
4449 撫子が花取り持ちてうつらうつら見まくの欲しき君にもあるかも
     右の一首は、治部卿(をさむるつかさのかみ)船王(ふねのおほきみ)。
4450 我が背子が屋戸の撫子散らめやもいや初花に咲きは増すとも
4451 愛(うるは)しみ吾(あ)が思(も)ふ君は撫子が花になそへて見れど飽かぬかも
     右の二首は、兵部少輔大伴宿禰家持が追ひてよめる。

八月(はつき)の十三日(とをかまりみかのひ)、内の南の安殿(やすみとの)にて、肆宴(とよのあかり)したまへるときの歌二首
4452 官女(をとめ)らが玉裳(たまも)裾曳くこの庭に秋風吹きて花は散りつつ
     右の一首は、内匠頭(うちのたくみのかみ)播磨守(はりまのかみ)兼(か)けたる正四位下(おほきよつのくらゐのしもつしな)
     安宿王(あすかべのおほきみ)奏(まを)したまへり。
4453 秋風の吹き扱(こ)き敷ける花の庭清き月夜(つくよ)に見れど飽かぬかも
     右の一首は、兵部少輔従五位上(ひろきいつつのくらゐのかみつしな)大伴宿禰家持。未奏。

十一月(しもつき)の二十八日(はつかまりやかのひ)、左大臣、兵部卿橘奈良麿朝臣が宅に集ひて、宴したまふ歌三首
4454 高山の巌(いはほ)に生ふる菅(すが)の根のねもころごろに降り置く白雪
     右の一首は、左大臣のよみたまへる。

天平(てむひやう)元年(はじめのとし)、班田(たあがつ)時の使葛城王(かづらきのおほきみ)の、山背の国より、薩妙觀(さつめうくわむ)の命婦(ひめとね)等が所(もと)に贈りたまへる歌一首 芹子(セリ)ノ髱(ツト)ニ副ヘタリ
4455 あかねさす昼は田賜(た)びてぬば玉の夜のいとまに摘める芹これ
薩妙觀の命婦が報贈(こた)ふる歌一首
4456 大夫と思へるものを大刀佩きて可尓波(かには)の田居に芹そ摘みける
     右の二首は、左大臣読みあげたまへり。

〔天平勝宝〕八歳(やとせといふとし)丙申(ひのえさる)、二月の朔(つきたち)乙酉(きのととり)二十四日(はつかまりよかのひ)戊申(つちのえさる)、天皇(すめらみこと)、太上天皇(おほきすめらみこと)、〔太〕皇太后(おほみおや)、河内(かふち)の離宮(とつみや)に幸行(いでま)して、信信(よよ)を経て、壬子(みづのえね)に難波の宮に伝幸(うつりいでま)し、三月(おやじつき)の七日(はつかまりなぬかのひ)、河内の国の仗人(くれの)郷(さと)の馬史國人(うまのふひとくにひと)が家にて、宴したまへるときの歌三首
4457 住吉の浜松が根の下延(ば)へて我が見る小野の草な刈りそね
     右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持。
4458 にほ鳥の息長川(おきながかは)は絶えぬとも君に語らむ言(こと)尽きめやも
     右の一首は、主人(あろじ)散位寮(とねのつかさ)の散位(とね)馬史國人。
4459 葦刈ると堀江榜ぐなる楫の音は大宮人の皆聞くまでに
     右の一首は、式部少丞(のりのつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰池主
     読みあぐ。即ち云へらく、兵部大丞(つはもののつかさのおほきまつりごとひと)
     大原真人今城、先つ日他所(あだしところ)にて読みあげし歌な
     りといへり。
4460 堀江榜ぐ伊豆製(て)の船の楫つくめ音しば立ちぬ水脈(みを)速みかも
4461 堀江より水脈さかのぼる楫の音(と)の間なくそ奈良ば恋しかりける
4462 舟競(ふなぎほ)ふ堀江の川の水際(みなきは)に来居つつ鳴くは都鳥かも
     右の三首は、江(え)の辺(べ)にてよめる。
4463 霍公鳥まづ鳴く朝明(あさけ)いかにせば我が門過ぎじ語り継ぐまで
4464 霍公鳥懸けつつ君を松陰に紐解き放くる月近づきぬ
     右の二首は、二十日、大伴宿禰家持興(こと)に依(つ)けてよめる。

族(やがら)を喩(さと)す歌一首、また短歌
4465 久かたの 天(あま)の門(と)開き 高千穂の 岳(たけ)に天降(あも)りし
   天孫(すめろき)の 神の御代より 梔弓(はじゆみ)を 手(た)握り持たし
   真鹿児矢(まかこや)を 手挟(たはさ)み添へて 大久米の ますら健男(たけを)を
   先に立て 靫(ゆき)取り負ほせ 山川を 岩根さくみて
   踏み通り 国覓(ま)ぎしつつ ちはやぶる 神を言向け
   まつろはぬ 人をも和(やは)し 掃き清め 仕へまつりて
   蜻蛉島(あきづしま) 大和の国の 橿原(かしばら)の 畝傍(うねび)の宮に
   宮柱 太知り立てて 天(あめ)の下 知らしめしける
   天皇(すめろき)の 天(あま)の日嗣(ひつぎ)と 次第(つぎて)来る 君の御代御代
   隠さはぬ 赤き心を 皇辺(すめらへ)に 極め尽して
   仕へくる 祖(おや)の職業(つかさ)と 事立(ことた)てて 授け賜へる
   子孫(うみのこ)の いや継ぎ継ぎに 見る人の 語り継ぎてて
   聞く人の 鑑(かがみ)にせむを 惜(あたら)しき 清きその名そ
   疎(おほ)ろかに 心思ひて 虚言(むなこと)も 遠祖(おや)の名絶つな
   大伴の 氏と名に負へる 健男(ますらを)の伴
反し歌
4466 磯城島(しきしま)の大和の国に明らけき名に負ふ伴の男(を)心つとめよ
4467 剣大刀(つるぎたち)いよよ磨ぐべし古ゆさやけく負ひて来にしその名そ
     右、淡海真人三船(あふみのまひとみふね)が讒言(よこ)せしに縁りて、出雲守大伴古慈悲(こじひの)宿禰
     任(つかさ)解けぬ。是以(かれ)家持此の歌をよめり。

臥病(や)みて常無きを悲しみ、修道(おこなひ)せまくしてよめる歌二首
4468 現身(うつせみ)は数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな
4469 渡る日の影に競(きほ)ひて尋ねてな清きその道またも会はむため

寿(いのち)を願ひてよめる歌一首
4470 水泡(みつぼ)なす仮れる身そとは知れれどもなほし願ひつ千年(ちとせ)の命を
     以前(かみ)の歌六首(むうた)は、六月(みなつき)の十七日(とをかまりなぬかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。

冬十一月(しもつき)の五日の夜、少雷起鳴(かみなり)、雪散覆庭(ゆきふれり)。忽懐感憐(かなしみて)よめる短歌(みじかうた)一首
4471 消(け)残りの雪にあへ照るあしひきの山橘を苞(つと)に摘み来な
     右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持。

八日、讃岐守(さぬきのかみ)安宿王(あすかべのおほきみ)等(たち)、出雲掾(いずものまつりごとひと)安宿奈杼麿(あすかべのなどまろ)が家に集ひて、宴したまふ歌二首
4472 大王の命かしこみ於保(おほ)の浦を背向(そがひ)に見つつ都へのぼる
     右の一首は、掾安宿奈杼麿。
4473 うち日さす都の人に告げまくは見し日のごとくありと告げこそ
     右の一首は、守(かみ)山背王(やましろのおほきみ)の歌なり。主人(あろじ)安宿奈杼麿(あすかべのなどまろ)
     語りけらく、奈杼麿朝集使(まゐうごなはるつかひ)に差され、京師(みやこ)に入(まゐ)て
     むとす。此に因りて餞(うまのはなむけ)する日、各(おのもおのも)歌をよみて、
     聊か所心(おもひ)を陳(の)ぶ。
4474 群鳥(むらとり)の朝立ち去(い)にし君が上はさやかに聞きつ思ひしごとく
     右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持、後日(のち)に出雲守山背王
     の歌に追ひて和ふる作(うた)。

二十三日(はつかまりみかのひ)、式部少丞(のりのつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰池主が宅に集ひて、飲宴(うたげ)する歌二首
4475 初雪は千重に降りしけ恋ひしくの多かる我は見つつ偲はむ
4476 奥山の樒(しきみ)が花の名のごとやしくしく君に恋ひ渡りなむ
     右の二首は、兵部大丞(つはもののつかさのおほきまつりごとひと)大原真人今城。

智努女王(ちぬのおほきみ)の卒(みうせ)たまへる後、圓方女王(まとかたのおほきみ)の悲傷(かなし)みてよみたまへる歌一首
4477 夕霧に千鳥の鳴きし佐保路をば荒しやしてむ見るよしをなみ

大原櫻井(さくらゐの)真人が、佐保川の辺(ほとり)を行く時、よめる歌一首
4478 佐保川に凍りわたれる薄氷(うすらび)の薄き心を我が思はなくに

藤原の夫人(おほとじ)の歌一首 浄御原ノ宮ニ御宇(アメノシタシロシメ)シシ天皇ノ夫人ナリ。字ヲ氷上大刀自(ヒガミオホトジ)ト曰ヘリ
4479 朝宵に音(ね)のみし泣けば焼き大刀の利心(とごころ)も吾(あれ)は思ひかねつも
4480 畏(かしこ)きや天(あめ)の朝廷(みかど)を懸けつれば音のみし泣かゆ朝宵にして
     右の件の四首、伝へ読むは兵部大丞大原今城。

〔勝宝〕九歳(ここのせといふとし)三月の四日、兵部大丞大原真人今城が宅にて、宴する歌二首
4481 あしひきの八峯(やつを)の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君
     右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持が植椿(つばき)を属(み)てよめる。
4482 堀江越え遠き里まて送り来(け)る君が心は忘らゆまじも
     右の一首は、播磨介藤原朝臣執弓(とりゆみ)、任(まけところ)に赴(ゆ)くときの
     別悲(わかれ)の歌なり。主人大原今城伝へ読めりき。

〔勝宝九歳〕六月の二十三日、大監物(おほきおろしもののつかさ)三形王(みかたのおほきみ)の宅にて、宴する歌一首
4483 移りゆく時見るごとに心痛く昔の人し思ほゆるかも
     右、兵部大輔(つはもののつかさのおほきすけ)大伴宿禰家持がよめる。

4484 咲く花は移ろふ時ありあしひきの山菅(やますが)の根し長くはありけり
     右の一首は、大伴宿禰家持が、物色(もの)の変化(うつ)ろへるを悲伶(かなし)みてよめる。

4485 時の花いや愛(め)づらしもかくしこそ見(め)し明らめめ秋立つごとに
     右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。

天平(てむひやう)宝字(はうじ)元年(はじめのとし)十一月(しもつき)の十八日、内裏(おほうち)にて肆宴(とよのあかり)きこしめす歌二首
4486 天地を照らす日月の極みなくあるべきものを何をか思はむ
     右の一首は、皇太子(ひつぎのみこ)の御歌。
4487 いざ子ども狂行(たはわざ)なせそ天地の堅めし国そ大和島根は
     右の一首は、内相藤原朝臣奏(まを)したまふ。

十二月(しはす)の十八日、大監物三形王の宅にて、宴する歌三首
4488 み雪降る冬は今日のみ鴬の鳴かむ春へは明日にしあるらし
     右の一首は、主人三形王。
4489 打ち靡く春を近みかぬば玉の今宵の月夜霞みたるらむ
     右の一首は、大蔵大輔(おほくらのつかさのおほきすけ)甘南備(かむなびの)伊香(いかごの)真人。
4490 あら玉の年往き還り春立たばまづ我が屋戸に鴬は鳴け
     右の一首は、右中弁(みぎのなかのおほともひ)大伴宿禰家持。
4491 大き海の水底(みなそこ)深く思ひつつ裳引き平(なら)しし菅原の里
     右の一首は、藤原宿奈麿朝臣が妻(め)石川女郎(いしかはのいらつめ)が、
     薄愛離別(したしみおとろへてのち)、悲恨(かなし)みてよめる歌なり。年月未詳。

二十三日、治部少輔大原今城真人が宅にて、宴する歌一首
4492 月数(よ)めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか
     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

二年(ふたとせといふとし)春正月(むつき)の三日、侍従(おもとひと)・堅子(ちひさわらは)・王臣等(おほきみたちおみたち)を召して、内裏(おほうち)の東(ひむかし)の屋の垣下(みかきもと)に侍(さもら)はしめ、玉箒(たまばはき)を賜ひて肆宴きこしめす。時に内相藤原朝臣勅(みことのり)を奉(うけたまは)りて、宣(のりたま)はく、諸王卿等(おほきみたちまへつきみたち)、随堪任意(こころのまにま)歌よみ詩(ふみ)賦(つく)れとのりたまへり。仍(かれ)詔旨(みことのり)のまにま、各(おのもおのも)心緒(おもひ)を陳(の)べて歌よみ詩(ふみ)賦(つく)れり。諸人ノ賦レル詩マタ作メル歌ヲ得ズ。
4493 初春の初子(はつね)の今日の玉箒(たまばはき)手に取るからに揺らく玉の緒
     右の一首は、右中弁(みぎのなかのおほともひ)大伴宿禰家持がよめる。
     但し大蔵(おほくらのつかさ)の政(まつりごと)に依りて、え奏(まを)さざりき。
4494 水鳥の鴨の羽(は)の色の青馬を今日見る人は限りなしといふ
     右の一首は、七日の侍宴(とよのあかり)の為に、右中弁大伴宿禰
     家持、此の歌を預(あらかじ)めよめり。但し仁王会(おがみ)の事に
     依り、六日(むかのひ)、内裏(おほうち)に諸王(もろもろのおほきみたち)卿等(まへつきみたち)を召し
     て、酒を賜ひ肆宴(とよのあかり)きこしめし、禄(もの)給へるに因りて
     奏さざりき。

六日、内庭(おほには)に仮に樹木(き)を植ゑて、林帷(かきしろ)と作(し)て、肆宴きこしめす歌一首
4495 打ち靡く春ともしるく鴬は植木の木間(こま)を鳴き渡らなむ
     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。未奏。

二月の某日(それのひ)、式部大輔(のりのつかさのおほきすけ)中臣清麿朝臣が宅にて、宴する歌十首(とを)
4496 恨めしく君はもあるか屋戸の梅の散り過ぐるまで見しめずありける
     右の一首は、治部少輔大原今城真人。
4497 見むと言はば否(いな)と言はめや梅の花散り過ぐるまて君が来まさぬ
     右の一首は、主人中臣清麿朝臣。
4498 愛(は)しきよし今日の主人(あろじ)は磯松の常にいまさね今も見るごと
     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。
4499 我が背子しかくし聞こさば天地の神を乞(こ)ひ祈(の)み長くとそ思ふ
     右の一首は、主人(あろじ)中臣清麿朝臣。
4500 梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしぬに君をしそ思ふ
     右の一首は、治部大輔(をさむるつかさのおほきすけ)市原王(いちはらのおほきみ)。
4501 八千種の花は移ろふ常盤(ときは)なる松のさ枝を我は結ばな
     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。
4502 梅の花咲き散る春の長き日を見れども飽かぬ磯にもあるかも
     右の一首は、大蔵大輔甘南備伊香真人。
4503 君が家の池の白波磯に寄せしばしば見とも飽かむ君かも
     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。
4504 うるはしと吾(あ)が思(も)ふ君はいや日日(ひけ)に来ませ我が背子絶ゆる日なしに
     右の一首は、主人中臣清麿朝臣。
4505 磯の裏に常呼び来棲む鴛鴦(をしどり)の惜しき吾(あ)が身は君がまにまに
     右の一首は、治部少輔大原今城真人。

興(とき)に依(つ)けて、各(おのもおのも)高圓(たかまと)の離宮処(とつみやところ)を思(しぬ)ひてよめる歌五首
4506 高圓の野の上(うへ)の宮は荒れにけり立たしし君の御代遠そけば
     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。
4507 高圓の峰(を)の上(うへ)の宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや
     右の一首は、治部少輔大原今城真人。
4508 高圓の野辺はふ葛(くず)の末つひに千代に忘れむ我が大王かも
     右の一首は、主人中臣清麿朝臣。
4509 延(は)ふ葛の絶えず偲はむ大王の見(め)しし野辺には標(しめ)結ふべしも
     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。
4510 大王の継ぎて見(め)すらし高圓の野辺見るごとに音(ね)のみし泣かゆ
     右の一首は、大蔵大輔甘南備伊香真人。

山斎(しまのいへ)を属目(み)てよめる歌三首
4511 鴛鴦(をし)の棲む君がこの山斎(しま)今日見れば馬酔木(あしび)の花も咲きにけるかも
     右の一首は、大監物御方王(みかたのおほきみ)。
4512 池水に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花を袖(そて)に扱入(こき)れな
     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。
4513 磯影の見ゆる池水照るまでに咲ける馬酔木の散らまく惜しも
     右の一首は、大蔵大輔甘南備伊香真人。

二月の十日、内相の宅にて、渤海(ぼかいに)大使(つかはすつかひのかみ)小野田守(たもりの)朝臣等(ら)を餞(うまのはなむけ)する宴の歌一首
4514 青海原(あをうなはら)風波なびき往くさ来(く)さ障(つつ)むことなく船は速けむ
     右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。未誦之。

七月の五日、治部少輔大原今城真人が宅にて、因幡守(いなばのかみ)大伴宿禰家持を餞(うまのはなむけ)する宴の歌一首
4515 秋風の末吹き靡く萩の花ともに挿頭(かざ)さず相か別れむ
     右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。

三年(みとせといふとし)春正月(むつき)の一日(つきたちのひ)、因幡の国の庁(まつりごととの)にて、国郡司等(つかさびとら)を賜饗(あへ)する宴の歌一首
4516 新(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
     右の一首は、守(かみ)大伴宿禰家持がよめる。
最終更新:2010年01月17日 19:58
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