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動物園
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匿名ユーザー
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動物園 03/07/23
矢鴨は出来るだけ早くとっ捕まえて食うべきだが、当たりどころがいいのか悪いのか、矢が刺さったまま徘徊していると同情を一身に浴びて救われる。
人間が他の動物に向ける並外れた愛情は理解を超えており、それをもう少しヒトに向けたらどうだろうかとも言いたくなるが、一方でたかが動物に残虐な仕打ちをするのもまた人間であり、嘲笑される動物愛護派、軽蔑される動物虐待派ともにヒト全体から見て小数派であることは喜ばしいことである。
ヒト以外の動物を動物園に閉じ込めておくことは、どう考えても不自然であるが、「希少動物だから保護して殖やす為」「生息環境がない為」を理由にすることは既に破綻しており、「自然環境に近い雰囲気を作る」ことが専らの言訳となっている。動物園に幽閉される彼らの無気力な瞳に映る我と我が身を省みて、檻から出ることを考え始める為という効用もあるにはあるが、たまに脱走した動物が大騒ぎになって捕獲されそれが凶暴な動物と認識されていたならば殺されるところを見ると複雑でもある。
日本での企鵝の愛好具合は度が過ぎていて、しかもそれは「企鵝と言えば南極」なる認識が大勢を占めていて、実際南極にいる企鵝を日本で飼育するのはかなりの無理があるので、より赤道に近いところに生息している種を飼育しているわけだが、そういう種は雪と氷の世界ではなく、岩と砂の世界に住んでいるので、氷山を連想させる飼育部屋は無理がある。頭に黄色い飾りのある企鵝は、洒落者として「マカロニペンギン」に属しており、中でも岩飛企鵝が人気者であるが、通常「企鵝は企鵝」としか知られていない。まあ、十七種しかおらず、大して違いはないのだが、企鵝を可愛がるなら多少のことは知っておくほうがいいように思う。そして一国をあげて企鵝の人気が高いのは日本だけの現象であり、これは動物園の努力にもよるだろうが、実際のところ、企鵝の専門家も「何故日本人はこんなに企鵝が好きなのか」については匙を投げている。
不自然な飼われ方をしているのは何も企鵝に限らないが、なかでも熊猫は象徴的である。あまり活発に活動するような印象を受けないのは、動物園でどてっと座り日向ぼっこしている姿を、その目ではなく映像として見たに過ぎないだけにも関わらず、強固に「熊猫はものぐさ」とは恐れ入る。実際は雑食であり、特に果物に目がないのに「笹が好物」垂れ目とは、模様がそう見えるだけだ。なお、鯱の目も熊猫同様、黒い部分は模様であって、実際の目は小さく鮫の目と似ている。余程近寄らないと判らないのだが、鯱の黒い模様あれは目ではありませんよ。
熊猫だ。熊猫の、鎖に吊るされたタイヤのブランコに乗って遊んでいる姿を見て、微笑ましいと思う小学生並みの貧困な精神は早く棄ててしまえ。厳密に檻とは言えないが、飼育空間を広義に檻と呼ぶ事として、檻の中の熊猫を見て、貰った餌を食べている姿、与えられた遊戯具で満足している、いや、させられている姿を見て何か感じないか。熊猫が可哀想?残念ながら違うね。もう一歩足りない。熊猫が可哀想としか思えない貴方が可哀想なのだ。与えられた餌。与えられた気晴らし。外の世界を知らないこと。それで満足させられていること。それは我々と何が違うのかね?動物園を通して日本人の動物観を嘆くことが出来るなら更にもう一歩、動物園の動物を通して見えることがある筈だよ。檻から出たら大騒ぎになるけど、逃げ切れなければそこで全てが終わってしまうけど、気晴らしまでも与えられて、それで満足していることは、悔しくないかい?
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