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世襲

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世襲 03/08/26

  世襲が多い。

  世襲が増えることは、その世界が発達成熟して安定期に入ったと見ることが出来る。しかし安定してしまってそれ以上の爆発的飛躍が出来なくなっていることも暗示している。当然例外もあり、例外を重ねて強調しつつ煙に巻くのも楽しいわけだが、楽しいばかりじゃつまらない。

  世襲に関して親の言い分は大抵こうなる。「親を見て育ち同じ道を選んでくれたことは複雑だが嬉しい」大変謙虚でもっともらしく聞こえるが、つまりそれは親以外の大人と接触したことがなく、親の世界しか知らず、それより他に選ぶ道がなかったことの結果ではないか。子にあらゆる体験をさせ世界を拡げさせるという、親として当然果たすべき役割を果たしていないから「やりたいことが見つからない」という子に対して「現実はそんなに甘くない」と卑怯な逃げ方をして可能性の芽を潰す。

  親として子をいつまでも支配下に置くことの出来る快感を子の人格よりも優先するから、縮小再生産を繰り返し、その世界は弾力性を失う。

  世襲を当然とする、世襲でなければ成り手がない、世襲でないと治まりがつかない、など形はいくつかあるが、その中で営々たる歴史を汗を伝統を重ねていて子も世襲を誇りとする世界ならば構わないだろうが、世襲するべきではない世界で親の後を継いでそれを誇りとする馬鹿及び度外れた親馬鹿がいるから話はややこしくなる。

  極端なまでに間抜けな例として「世襲議員による金正日批判」という実に涼しい話もあるわけだが、世襲するべきではない世界は政治だけに留まらないのは当然の話で、特にそれが個人の努力と実力が大きく反映される世界であればあるほど世襲は相応しくなく、しかし世襲そのものは絶対的な悪ではないながらも、ただ二世というだけで拝崇する行為が明らかに間違っているのだ。

  ところが世の中は人脈によって動いているという、如何ともしがたい事実も一方にあって、しかしコネクションと情実によるその世界の特殊特権化を防ぐ為には、外部からの新しい血を積極的に導入することで解決出来るが、それを怠るとやがて畸形社会になってまう。

  共に親離れ子離れ出来ない結果の世襲もある。一方滅ぶ寸前の伝統を継ぐ世襲もある。親が世襲を拒否して放蕩者を勘当した後乗っ取られて「こんなことになるならあいつに食い潰された方がまだ良かった」と後悔する場合もある。こうなると世襲そのものよりも、結局親の教育という根源的な問題に突き当たってしまうわけであり、それはもう迷宮どころの騒ぎではない。

  地縁血縁のなかった新世界ではどうだったか。不思議なことに新世界に於ける世襲はごく当然のことであり、新世界であるからこそ世襲を拒否するのもまた当然の話であった。そこは世襲云々よりも「まず生きること」が先決であったから世襲などという馬鹿げた話などする暇はなかったのだろう。そして今の新世界ではその流れのままであるが、「実力で夢を掴むことが出来る世界」が売り物であったその国では今、人脈によってのみ動いている社会となり、元々個人主義を出発点に置いた筈のその国が、「生きることイコール人脈を作ること」になってしまったことは、古い伝統を拒否して建国した民の末裔が、伝統への強い憧れにより、この先極端な世襲社会への道を歩もうとしていることを示している。

  「結局最後は人だ」という言葉、いい言葉なのか悪い言葉なのか、両面性があり過ぎ、言い交わされ過ぎて最早何も興らない。世襲が繰り返されるのは、親自身がそれ以上の成長を拒否するからである。

  学ばない親の下で子は何を学べばいいのだろう。
 
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