テスト中
理不尽
最終更新:
匿名ユーザー
-
view
理不尽 05/03/16
自己を卑下する者は多いが、その自己診断が適切である場合は卑下ではない。
それは正しく自己を評価していながらそれを認めたくない心情の現れであり、卑下の否定を他者に求める甘えが存在している。そしてその甘えを許す土壌があれば自らを言い表す適切な判断から過大評価へと次第に進み、やがて現実と自己診断の齟齬に恐慌を来す。
現実とは理不尽なもので、理不尽である事が正常とされる規律の中では理想など望むべくもない。遠大なる理想を掲げて歩む事は規律を乱す行為となり、理想を捨て理不尽に迎合すると物事は容易く運ぶ。迎合を忌避して信念を貫いたところで変化が訪れたりはしない。
悪いのは規律ではない。悪いのは自身でもない。悪いのは規律の構造を理解しようとしない逃避であり、悪いのはそれに対応する方法を求めない無知である。
彼に激励は無用であり、谷底に突き落とすだけでよい。突き落とされた谷底で餓えるなら見守ればよい。攀じ登るならやはり見守ればよい。逆境にあって輝く者は現実を見据えている。理不尽を見据えている。そして理不尽を受け入れた時には手遅れになっている。
如何ともし難い事態に直面して為すべきことは、それを糧として心を育てる事だ。足掻くのは一度落ちるところまで落ちた後でよい。人生にやり直しなどない。だからそれまでに得た教訓を別の局面に活かすことが出来るかどうかが、ある種の理不尽からもう少しましな別の理不尽に挿げ替えることが可能となるだろう。
TOTAL ACCESS: - Today: - Yesterday: -
LAST UPDATED 2025-11-07 16:25:39 (Fri)
TOTAL ACCESS: - Today: - Yesterday: -
LAST UPDATED 2025-11-07 16:25:39 (Fri)