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罠 05/03/30

  対立する格言や相反する人生訓が存在するのはそれぞれに真理が含まれているからだ。

  一貫して気まぐれであることを特徴とする人々が多くを占める世界に於いて、権力の移行とともに尊重される格言や人生訓は入れ替わる。一通りの言葉が出揃えば後は使いまわしてゆくだけであり、状況に応じた格言が複数存在して矛盾を引き起こしているのは当然のことだ。矛盾する格言を持たない単独の真理と考えられている言葉は、その状況が未成熟で全貌を現していないことを意味する。

  状況に応じて用意されている矛盾した格言のうち、いずれを採用すべきか迷う時は自らの希望や願望をひとまず忘れ展開を予測しなければならない。格言を言訳ではなく真理として用いるつもりならば、冷徹な眼で選択肢を数え上げそれらを比較検討した上で最も合理的かつ勝算のある道を選ぶ。するとその選択は古くから存在する格言に合致しているのだ。

  求められているのは感情ではなく計算なのだが、あからさまにそう言うと反発を招く。「合理的」という言葉でさえも感情論を前に敗北する場合が多い。計算を「展開を読む力」と表現しても、展開を読めない愚か者は目の前にある餌に飛びつく。

  世界は罠に満ちている。残念ながらそれが真実である。罠を見抜いて回避する者を怨む人々は自らが罠に嵌ったことの反省をせず、その憤懣を糧ともせずに他人を怨み続け、いつまでも罠に嵌り続ける。

  状況を的確に判断し、展開を読む力をつけねばならない。展開が予測出来なければ有利な展開に持ち込む方法を見つけねばならない。方法を見つけたら実行せねばならない。それは困難な途であり罠に嵌っている方が楽であるから大多数の人々は罠を受け入れる。そして言訳として諦めの格言を持ち出したり、見当外れの格言を指して間違っているなどと嘯くのだ。
 
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