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冷やし中華パン

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冷やし中華パン 04/06/11

  さて、「冷やし中華パン」なるものを見かけ、その志に敬意を払い購入してみた。挑戦心は高く評価しつつ味を高く評価出来ないのは残念なのだが、八方破れの繰り返しがいつか銘物を産むであろうことを考えて、今後も奇想な商品を飽くことなく並べて貰いたい。以下の悪口は味に対してのものであり、挑戦心に対するものではないことを確認しておく。

  しかしこの冷やし中華パンの味は想像を遥かに下廻るものであった。下廻る距離もまた想像力の限界を超えていて、余りに悲惨な味なので乾いた笑いが止まらない。もし見ることがあったならば迷わず買うことを勧める。今後二度と接する機会がないだろうし、この味は語り継ぐ価値もある。

  焼きそばパンを知っているだろう。コッペパンを皮一枚残して真っ二つに切り、裂け目に焼きそばを詰め込んだものだ。あの姿で冷やし中華が挟まっていると考えてよい。見た瞬間の負に向かう予感はまさに正しい。冷静に眺めてみると胡瓜も錦糸卵もなく、麺と紅生姜のみで手抜きを体現した代物だ。

  冷やし中華とはたれが重要なのであって、甘いも辛いも全てを引き受ける骨だ。しかしこの冷やし中華パンにあっては、その量は辛子の如くその粘りは碇の如くそして味は透徹している。つまり冷やし中華パンに掛かっているたれは、余りに液体であればパンに染みてしまうのである程度の粘性を確保しなければならないとする思想は理解出来るものの、一般的な冷やし中華の皿の端にへばりついている辛子程度の量がお好み焼きソース程度の粘りをもって中央部にだけの分布しており、しかし味は殆ど判らない。

  たれの味が判らないのは、端から噛りゆく故最初は存在しないからだ。しかしたれの存在しない部分は麺が異常な迫力を有している。その迫力は、一旦茹でられた麺が絡まりあって固着することを防ぐ為の油性の皮膜から来ているようだ。一般的な冷やし中華は作られてすぐ消費されるので緬が乾いてしまって開封前の即席生麺状態になることを考慮しなくともよいが、場合によって数時間放置される冷やし中華パンでは麺を油で包んでいるようだ。

  だから「冷やし中華」から受ける清涼感溢れる印象を持ったまま噛り付くと、味付けを忘れたこてこての焼きそばパンだと感じる。一口だけで咀嚼もままならず、しかしせめて紅生姜までは辿り着きたいと願う。どうにか紅生姜のところまで来て、さてここで気力を挽回しようとしても、その紅生姜は冷やし中華であることを示す記号ではなくて、単にどろどろのたれを蓋するために散らされたことを知る。たれの味は既に舌が油で被われているから判らないのだ。

  あれで冷やし中華と呼ぶつもりか。例えば君は油を引いた鉄板で水を加えながら炒めてぶよぶよになった麺を冷ましてどろどろのソースと紅生姜を添えたものを冷やし中華と呼ぶ勇気があるのか。油濃くて胸焼けする冷やし中華がどこの世界にあるか。あったとしてもそれをパンに挟むでない。挟んだとしてもそれを売るでない。

 
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