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餅
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匿名ユーザー
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餅 04/08/07
考えてみれば杵と臼を使って餅を搗くのは特別な行事になってしまっている。
餅搗き自体が大晦日に行われる行事として元々特別ではあるが、今では杵と臼を使うことが少ない。今の時代と我々の年代では懐かしいも何もない筈だが、手前の場合田舎で迎える正月には餅搗きが恒例行事となっていたが、稀に杵と臼を使いつつ、大抵は電動餅搗機であった。あれはどうも味気ないのであって、風体としては炊飯器を巨大化させた感じで、蓋を開けると中では洗濯機の如く餅米を掻き回している。
蒸したての餅米を放り込み、動かすと箆のような扇風機の羽根のような奴がゆっくり廻る。あれならば餅に限らず小麦粉と水を放り込めば麺の素が出来るようにも思える。少なくとも洋菓子を大量に作る必要のある場合は検討に値するだろう。
調子に乗って大量に餅米を放り込むと、時間は掛かるものの練り残しなく確実に餅となるのだが、一纏まりになった餅とは漬物の重石並みの迫力で腰に負担を強要する。少し廻しすぎた場合にこれを取り出そうとすれば、杵と臼の適度に粒の残った粗い餅に比べて柔らかい。搗き立て餅の餅が柔らかいのは当然の話であるが、的確に重心を感知して支えなければ掌から外れたあたりの餅がでろんと垂れてくる。搗き立ての餅である上に米粒は形を留めていないから大層伸びるのであって、「あああ。落ちる!」と叫ぶと補佐する者がゆっくり伸びてゆく餅を掴んで上の本体に引っ付ける。そのままだと次々落ちてくるからついには「もう行こ行こ」と餅を中心に何人かで囲んで持ったまま上新粉が待機している机に向かう。少量の餅の塊ならば多少熱くても伸びても手で持ち運ぶことが可能だが、大量になると濡れタオルが出動することになる。
それだけならば微笑ましい情景にも思えるが、蒸したばかりの餅米を間髪置かずそのまま餅にするのであり、つまり出来たての餅は非常に熱い。練り続けて空気を攪拌したように感じても、熱いまま隙間のある餅米から熱いまま隙間のない餅になるだけであって、熱さが封印された餅は事実上持てないのあり、微笑ましいどころか「そっち!」「どいて!」などの怒号が飛び交う修羅場と呼べる。一旦餅を餅搗機から出してしまえば和やかな談笑とともに小さく千切った餅をそのまま丸めたり餡子を包んだりするわけで、誰かがきな粉を用意して少し食べつつ、今度は蓬餅の用意などを始める。
電動餅搗機でよく練られた餅は、根性の欠片も感じられないほど柔らかいわけだが、その柔らかさはすなわち粘着力の強力なることを意味している。袖に付いたら「擦るな!」と一喝され、乾くまで待って引き剥がすのだが、これは布に付着した場合に限り可能で、何か固い物体に餅の伸びきったあたりがぺたりと張り付いたことに気付かず放っておくと、後になって凸凹の塗装を施された新建材の家の壁のような手触りが残る。これを木工用接着剤のように剥がすことは無理であり、包丁の背などで強引にばりばり削る羽目になる。
杵と臼で作る餅の歯応えは潰れ残りの粒が原因なのだろうが、ただ柔らかいだけの餅より好きだった。あざとく粒を残した餅ではなくて、完全に餅の姿でありながら微かに粒が感じられる餅の美味さは、電動餅搗機と杵臼の違いを目で確認しただけの錯覚ではないと信じていたい。
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