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四つ子
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匿名ユーザー
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四つ子 03/07/05
四つ子を見た。なぜ見た瞬間四つ子と判ったのか。ベビーカーがその理由だ。
ベビーカーとは通常一人の幼児がすっぽり納まる言わば車輪の付いた揺籠なのであって、時に折り畳まれたりもするが、大抵は同じ形をしている。二人並んで収容されていた双子用ベビーカーを以前見たことがあって、その時はそういう物もあるのだと珍しく思っただけであったが、この度四つ子用ベビーカーを見てぶっ飛んだ。
四人掛けである。進行方向に二人並んでおり、それより前方に押し手を向いて二人並んでいる。覆いはそれぞれから出ている。中央に屋根のない商店街の如し。電車のボックス席をそのまま縮小した様なベビーカーであった。四人とも同じ服を着ており、帽子の天辺のぼんぼりが赤、青、黄、緑と違いはそれだけであって、写真を撮りたい話を聞いてみたいと考えながら呆然と眺めている中、あたりの視線にはもう慣れてしまっているのか、車椅子よりふたまわり程大きい四人掛けのベビーカーを踏ん張り気味に押していた母親は汗を浮かべて歩き去った。
それにしても心配なのは学費である。皆全ての段階で公立に行くとしても、同じ学年であるから同じ教材を毎年四組揃えねばならない。ただし公立なら同じ学校になるわけで、混乱は確実である。もし、親が凝って一文字違いで統一した名前でも付けていた日には、退屈とは無縁の子供時代を過ごすことだろう。
誕生日は必然的に同じ日になると思うが、日を跨いでしまっていたらどうするのだろうか。折角なら同じ日にしてやりたいと思うだろうし、お祝い騒ぎも一日で済めば公平だ。
高校・大学と進学する際、例え進路を変えてもタイミングは同じであるから学費と聞いただけで灰になっても親を責めることはできない。大騒ぎのまま成人すると今度は怒涛の勢いで結婚式が押し寄せてくる。全てが終わっても虚脱感に浸る暇はない。次々と孫が生まれてくる。
何となく楽しそうに思えてきたではないか。
しかし最近ベビーカーを押す母親が多い。もう歩けるぐらいに成長してもなお乗せている。ふらふらとどこかへ歩いていってしまわないように厳重に扱うことが親の義務であると考えるならば、高かったから出来るだけ使おうと考えているならば、利権に塗れて導入されたチャイルドシートが悪影響を及ぼしているならば、子供の足腰の発育が遅れたとしても、まあ、不自由するのは本人であるし、子育てをしている実感がベビーカーのハンドルにあるならば、文句は言うまい。
しかし四つ子の母親にあっては、珍しいベビーカーを入手するのにどれだけ苦労したかは知らないが、歩けるようになったら速やかにベビーカーとは縁を切ってほしい。ただでさえ競争意識の強い子供が、同じ屋根の下同じ顔で同じ大きさで四人も揃っているならば、たちまちのうちに走り回ることになるだろう。すれ違っただけだが、四つ子の幸を祈る。どうか立派に育ってくれ。
子供を子供扱いすれば、いつまでも子供のままである。そのことは、子供を子供扱いする親を見ればよくわかる。彼らはきっと子供扱いされたまま親になってしまったのだろう。核家族の弊害は叫ばれて久しい。育児のプロである祖母曾祖母の復権はこの先あるのだろうか。
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