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照れ

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照れ 04/04/02

  さて、電車の扉が今まさに閉まらんとする瞬間ホームを駆けても空しく眼前で扉が閉まった場合、「薄笑いを浮かべる日本人」といった論調の文章等はどこにでも転がっていて、手前もその通りだと思っていたが、考えを修正する。

  何故ならば、「乗り損ねた人」ではなくて「降り損ねた人」を見てしまったのだ。長い座席の左端つまりドアのすぐ横に座っていたのだが、正面に古いオロナミンCみたいな奴が傾いて寝ていた。座席の埋まり具合はおよそ六割といったところで、まず空いていると言える状況だ。とある乗換仕様の駅で発車の鈴が鳴り、開いた扉の真横に居た手前は「寒いからはよ閉めろ」と祈っていたところ、オロナミンC突然がばと跳ね起き、一瞬で事態を察知したのだろう、膝から転がり落ちていた書類鞄を掴み、発車の鈴の中、閉まりかけた扉に突進した。

  その扉は手前の座っていたすぐ横の扉であって、手前の正面に座っていたオロナミンCから最も近いが故に選択された自然な結果であるが、低い姿勢で突進したオロナミンCの目的は打ち砕かれた。ぴったり閉じた扉に景気よく激突して、扉に跳ね飛ばされてオロナミンCは尻餅をついた。あれを確か作用反作用の法則と言ったか、それともエネルギー保存の法則だったかとぼんやり考えながら周囲の人々と共に眺めていた。

  電車に乗り損ねた人の浮かべる薄笑いは照れ隠しと思われるが、誰に対して照れを隠しているのかと言えば、それは電車に乗っている人々に向けての話だ。つまり乗ることの出来なかった一部始終を眺めていた人に向ける顔だ。この場合、それを見ていた人は発車と共にその駅から離れ、乗り損ねた人は後ろに続く車両から哀れみの視線を受けることになるが、それは電車が見えなくなるまでの話だ。乗り損ねたことを目撃していた人が行ってしまうと照れ笑いの顔は必要ではなく、また電車自体が壁となるので向かいのホームからは殆ど見えていない。ただし電車が去った直後の誰もいないホームにぽつんと残されている姿でおよそ何があったか判ることもある。

  乗り損ねた場合は電車の中と外として違う空間にいるから格別の問題はないのだ。降り損ねたオロナミンCはその点不幸であった。降りようとした寸前に閉じた扉に激突して尻餅をついた状態のまま、やがて電車は動き出す。眼鏡がよい具合に鼻に落ちていて、益々オロナミンCだ。まず眼鏡をずり上げ、同じく吹っ飛んだ鞄を掴みなおし、こう言った。

   「くそっ」

  オロナミンCは顔に怒りの表情を浮かべていた。薄笑いを浮かべていたのはオロナミンCを観察していた手前以下数人の乗客の方であって、「そのような状況で笑うのは変だ、怒るのが普通だ。日本人は普通じゃない」と主張する西洋かぶれの論理をぶち壊した生き証人であるオロナミンCは顔を歪めて立ち上がり、憮然として足早に後方の車両へ移動してゆく。単にその場に居た堪れなかっただけなのだろうが、降りる筈だった駅寄りの車両へ移る後姿は物悲しく、オロナミンCが扉に吹っ飛ばされた姿を見ていた人々は、オロナミンCが車両の継ぎ目の扉を強めに叩き締めた音でついに堪え切れず、各々自らの靴あたりへ視線を固定して笑っていた。オロナミンCよ、君は日本人の汚名を返上したことを誇りに思うがよい。

 
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