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パン

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パン 05/01/04

  倒産してしまったが、和歌山市に「丸正」マルショウという百貨店があった。

  考えてみれば和歌山にはおよそ六年住んでいたから、手前のささやかな流転人生のうち最も長く滞留していたことになる。引越す機会が多ければその都度記憶に楔が打ち込まれてゆき、古い話が比較的思い出し易い。和歌山に居たのは三歳から九歳までのことであり、男子にとって黄金時代と言える時期だ。

  あれは小学二年生の頃だったからおそらく六歳のことだろう。当時住んでいたのは和歌山市内ぎりぎりの、駅と厩舎に挟まれた騒々しい地域だった。当時はまだ紀三井寺競馬場も潰れておらず、だから厩舎があって家のベランダを開ければすぐそこに馬が居た。その家から和歌山市内の繁華街へ行く為に自転車では遠過ぎたのでバスに乗らねばならず、「自転車で行けるところ」が行動範囲であり世界の全てであった小学生として、バスに乗って百貨店の丸正に行くことは非日常的な心躍る体験だった。

  そう、覚えている。「落ち着く時は眠る時だけ」の子供が百貨店の買物に付いて廻るなど周囲に迷惑この上ない。なのに何故母は常に手前を連れて行ったのか。丸正で母が何かの買い物をしている間、じっと動かず静かにしているお気に入りの場所が唯一あったのだ。

  それはパン屋だった。硝子越しにパン捏ねの実演を見ることが出来、とても柔らかそうな粘土様のものを棒で押し拡げ、重ねて畳み、小麦粉を振り、また捏ねて、引き伸ばし、千切り、丸め、包み、成形してゆくところを、飽くこともなくじっと見つめていた。中には大抵二人居て、硝子一枚のすぐ向こうで粉が舞い鮮やかな手つきで生地が延べられてゆくのを魔法を見るようにいつまでも立ち尽くし眺めていた。子供の肩の高さぎりぎりが作業台の高さであり、だから見ることに全く苦痛は感じなかった。捩ってゆくクロワッサンを作る過程を見るのが最も好きだったが、何よりもそこが好きだった理由があった。

  額を硝子に押し付けて一心に見ていると、丸めていた生地を突然こちらの顔に向かって投げるのだ。驚いて身を起こすと中で大笑いしていて、硝子にびたと張り付いてゆっくり落ちる生地を再び丸めてパンを作り続ける。十五分に一度くらい生地を投げてくれて、それは丁度生地が飛んでくるかもしれないことを忘れて夢中になっているところを狙い済まし、びたと目の前に張り付く。毎回必ず驚いて、それがとても楽しみだった。

  単調な作業の中、硝子の向こうで首だけ見えている子供が動かずにじっと眺めていれば、遊んでやろうと思いたくもなるだろう。今なら買物の最中に放置された子供を楽しませようとしてくれたことがよく判る。でもあの時は、生地が飛んでこなくても決して退屈ではなかった。白い粉がパンの形に変わってゆくところを驚きの目で眺めていて、それだけでも満足だったのだ。

  丸正は倒産してしまってもう見ることが出来ない。毎日作り続けているからこその淀みない手捌きを、縁日の飴細工の前でじっと細工過程を眺めている子供を見て不意に思い出し、大きく息を吐いたら鼻の奥がつんとした。

 
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