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脳治療革命の朝

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閑雲野鶴読書録柳田邦男>脳治療革命の朝

 「脳治療革命の朝」朝は「あした」と読む。「あした」を漢字で「朝」と書く時は意味が「夜が終わって明るくなりはじめたころ」ということで、読んでみれば題名の意味がよく分かる。ただしこの本の前に「犠牲」や一連の癌をテーマにしたものを読んでおけば、著者の立場をより違和感なく理解できるだろう。
 この本で書かれている「脳低温治療」から今では「心肺脳蘇生治療」という新しい試みがなされていることも知っておいて損はない。脳死状態になった時に僅かな望みがあるならば、そこに希望を託すことが出来るかもしれない。

  脳死問題については最近あまり聞かないが、移植と絡めてもっと問題を掘り下げるべきであるように思う。脳死と判定されて麻酔無しで開腹しての臓器摘出の際に脳圧が一気に上がり「痛みを感じているのではないだろうか」といった疑問を無視して臓器移植を強行するのは恐ろしく思う。

  大学三年以来ずっと持っていた臓器提供カードを、この「脳治療革命の朝」を読んで捨てた。「死の多様性」についてはきりがないし宗教も絡んでくるので踏み込みたくないが、生と死の間のわずかな差の中に存在する可能性を自ら捨てることになると気付かされたからだ。

  医者からは素人の癖にと言われ、読者からは自分だけ判っていればいいわけではないと言われても、医者としての立場ではなく素人としての立場でもないノンフィクションと作家としての柳田邦男の視点が、如何に貴重で大切なものかを本当に評価されるのはいつのことになるのだろうか。


 
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