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『私の最高の誕生日』:(直接投稿)

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
(アニメ設定世界線では)27歳の誕生日、おめでとうございます、黒にゃん!!

この一年も、黒猫ifコミカライズが少年エースで絶賛連載中で
毎月新たな黒にゃんの姿が見られるという、眷属冥利に尽きるものでした。

懸念だった小説下巻分までコミカライズが続くのかと言うところも
眷属の反響の大きさから杞憂に終わり、無事に下巻分が進んでいますね。

特に先月号ではビジュアル的に初お目見えとなる、黒にゃんの父親
静さんの姿も描かれてさらに盛り上がっているところでしょうか。

ペース的には恐らく来年の今くらいまでコミカライズが続きそうですし
この一年もまた、まだまだ黒にゃんの話題で楽しんでいけそうです。

そしてゆくゆくは黒猫if夢のアニメ化へと向けて
これからも眷属として全力で応援していきたい所存です。

さて、そんなわけで。
その一環として、今年の黒にゃんの誕生日にちなんだSS
『私の最高の誕生日』
を投稿して、今年の黒にゃんの生誕を祝福させて頂きました!。

この話は黒猫if世界線を基本としていて、京介が弁展高校を卒業して
黒猫が17歳の誕生日を迎える辺りの話となっています。

また私がコミケC100,C101で発刊した(そしてC102で刊行予定の)
「俺の恋人と高校生活を満喫するわけがない」の続編となっております。

内容としては黒猫if本編の夏休み以降の話を書いていますが

京介と黒猫が毎朝一緒に登校をしたり
『夏の銀色』をゲー研で完成させたり
学祭で二人の思い出をつくったり
京介が実家で一人暮らしをする際に手伝いにいったり
クリスマスを一緒に過ごしたり

といったものになっています。

pixiv でもサンプルとして序盤の部分を上げていますので
興味のある方はそちらもお読み頂ければと思います。


なお、この話に出てくる黒にゃんバースディケーキを
今年も行きつけのケーキ屋さんで作って頂きました。


こちらも本文に合わせて楽しんで頂けますと幸いです。

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「よしっ、今日はこんなもんだろ。あとは必要になったら出してけばいいよな」

 今日からまさに自分だけの『領域』【テリトリー】となった部屋の中を、俺は
ゆっくりと見渡した。

 アパートの外観的には、築三十年の木造通りの年季の入りようじゃあるが。
 しっかりリフォームされてるお陰か、部屋の内装は割と綺麗になっている。
 六畳ワンルームとはいえ、男の一人暮らしには十分すぎる広さだろうしな。
 これでもトイレと風呂は別々だし、結構広めの流しも備え付けられている。
 そこに二口のガスコンロもあるから、その気になれば自炊も捗るだろうさ。

 そんなわけで、今日から待ちに待った一人暮らし生活の始まりってわけだ。
 テンションも上がって、誰かさんみたいな厨二表現だって口走っちまうぜ。

 ま、いまだ手付かずの段ボールとかも壁際に幾つか積まれちゃいるが、その辺
に入っているものは、逆に言えばすぐに必要になるもんじゃない。
 今日のところは引っ越しの疲れだってあるしな。

 もっとも、荷運び自体は親父が軽トラを借りて手伝ってくれたし、そもそもの
荷物の数自体、そんなにあったわけじゃない。
 でっかいのは家で使ってた勉強机と本棚、布団くらいなもので、後は服とか日
用品とか精々漫画とかだからなぁ。
 大学生活で必要なものは、どうせこれから揃えていくんだろうしよ。

 とはいえ実家とここの荷物の出し入れで、半日の力仕事だったのも間違いない。
 ひとまず寝るには困らない程度は片付けたわけだから、今日のところは飯でも
食ってゆっくりしたいところだ。
 気が付けば、腹だって結構減ってきてるしな。ひとまずコンビニで、弁当でも
買ってくるとするか。

 ピンポーン!

 そんなことを考えていた矢先、聞きなれない呼び鈴の音が部屋中に響き渡った。
 流石に新聞の勧誘とかには早過ぎだろうし、隣の人が挨拶にでも来たとかかね?

 そう思い至った俺は、ともかく『はい』と声を上げて玄関へ向かった。
 やっぱ今後のことを考えれば、あまり心象を悪くするのもまずいだろ?
 少なくとも大学に在籍する四年の間は、ここに住むつもりだからなぁ。

「こんにちは、京介。その様子だと無事に引っ越しも終わったのかしら?」

 だけど予想外-そりゃ、ちょっとは考えなくもなかったが-なことに、玄関の
前に佇んでいたのは、まだ見ぬ隣人ではなくて。

「って、早速来てくれたのか、瑠璃。でも、約束は明日だったよな?」
「ええ、勿論それも解っているわ。でも引っ越しを無事に終えた恋人を、ねぎら
いにきていけなかったかしらね?」
「い、いやいや、そんなわけないだろ。すっげー嬉しいぜ。早速上がっていって
くれよ。まあ、まだ茶の一杯も出せる状態じゃないんだけどな」

 俺にとっては、最愛にして最高の恋人の姿がそこにあった。
 俺も卒業式を終えたばかりの高校は、今は春休みに入っているわけだが。
 瑠璃も私服姿-クリーム色のハーフコートにジーンズだ-で、両手には大きめ
の手提げ袋を持っていた。

「大丈夫よ。そう思ってポットに紅茶も入れてきたから」

 瑠璃は手提げ袋から、ステンレス製の携帯ポットを取り出して見せた。

「……俺はこんなにも気が利く彼女さんを持って、本当に果報者すぎるよなぁ」
「ふふっ、その称賛は有難く受け取っておきましょうか。もっとも」

 瑠璃はそこで言葉を切ると、俺の顔を下から覗き込むように上目遣いになった。

「……それもとっても頼りになる彼氏さんがいてこそよ?」

 そして口元を緩やかに綻ばせて、天上の女神もかくやと微笑んで見せた。
 それだけで今日一日の疲れなんて、どこかに吹っ飛んでしまうほどのな。
 この世でもっとも愛らしい、瑠璃だけの嫋やかな笑顔と自負しているぜ。

「……お、おう。ともかく、上がってくれよ」

 本当、半年とちょっと前に付き合い始めた時にも、思いもしなかったよ。
 瑠璃がこんな風に微笑んでくれるだけで、胸の中が一杯に満たされるし。
 その度にもっともっと瑠璃のことが、愛おしく思えていくだなんて、な。

 居間に折り畳みテーブルと座布団を出して、まずは瑠璃に座って貰った。
 そして台所に置いたケースから食器を二組分取り出すと、居間へと戻る。

「あら、準備がいいことね?」
「伊達に聡明な彼女さんの彼氏をやってるわけじゃないからなぁ?」

 大きな手提げ袋やそこに水筒まであることを考えれば、瑠璃が何を持ってきて
くれたのかなんて、すぐに察しがつくからな。
 本日から目下一人暮らしデビューの俺が、満足な飯の用意なんてできないだろ
うと、気を利かせてくれたんだろうぜ。

 瑠璃はタッパーに詰めてきたおかずを、手際よくお皿に盛り付け直していった。
 その間に俺は瑠璃のポットを拝借すると、各々のコップに中身-色と匂いから
して番茶っぽいな-を注いでおいた。

「お、照り焼きチキンにエリンギの肉巻きか。力仕事で疲れてた身には、ありが
たい限りだぜ」
「ええ、沢山作って来たから、思う存分食べて頂戴。明日からも新生活のために、
やることは沢山あるでしょうし」

 高校時代-正確に言えば今月末までは高校生だけどな-でも、瑠璃は毎日俺の
分の弁当を作ってきてくれたんだが。
 お陰ですっかり俺の好物は把握されて、必ず肉料理の一品は入れてくれていた。
 勿論、栄養バランスも配慮して、野菜や乳製品も取れるようになってたけどな。

 まあ、瑠璃の料理の腕前なら、どんな献立も間違いなく美味くできてるんだが。
 俺とて育ち盛りな十代の男子だ。肉の持つ魔力には、やっぱ抗えないもんだろ?

 でも今日持ってきてくれた献立は、がっつりとしてジューシーな、肉の旨味を
感じられるような料理ばかりだった。
 瑠璃のことだ。引っ越しで消耗した俺の体力とかも、考えてくれてたんだろう。
 それからきっと。『引っ越し祝い』も兼ねた、好物てんこ盛りなんだろうしな。

「だな。ありがたく食べて、体力付けさせて貰うぜ。それじゃあ、頂きまーす!」

 まったくこんな美味そうな料理を見せられちゃ、腹の虫もすっかり臨戦態勢だ。
 ここはありがたく彼女さまのご厚意を受け取らなきゃ、罰が当たるだろうしな。

 いや、念のために断っておくが、勘違いしないでくれよ?
 一人暮らしを始める前から、とっくに餌付けされている、だとか。
 彼女の好意でお気楽紐生活を始める気だ、とか、そういうわけじゃないからな?

 瑠璃は瑠璃なりに、俺たちのこれからを見据えて行動してくれているわけだし。
 俺もそんな瑠璃の想いに応えられるよう、新生活は引き締めるつもりだからよ。

 元来ぐうたらで日和見主義な俺だが、これでも結構、気合が入っているんだぜ。
 こんなにも尽くしてくれる彼女に、彼氏として頑張らなきゃならないからなぁ。

 瑠璃は主に性格的なところで、それほど表に出て目立つような感じじゃないが。
 努力も才能も実力も。何より信念の強さだって、桐乃にも匹敵する凄まじさだ。
 この一年もの間、瑠璃と共に過ごし恋人として付き合って、よーく理解したぜ。

 少なくとも俺自身が、瑠璃と向き合えるだけの自信を持てなきゃ話にならない。
 そのための何かを始まる大学生活で身に付けなきゃなと、密かに決意している。

 瑠璃だけじゃなく俺だって。これからの未来を、一緒に歩んでいきたいからな。

 美味そうに肉巻きを頬張る俺を、穏やかな微笑みで見守る瑠璃を見やりながら。

 俺はより一層の気合を入れ直したもんだぜ。

        *        *        *

「……それじゃ約束通り、明日は十時にお邪魔するわね」

 春分の日も過ぎて名実ともに春とはいえ、まだまだ三月だ。
 ついさっきまで綺麗な夕焼けも見えてはいたが、六時を過ぎると日もすっかり
落ちて、辺りは夜の帳に包まれてきていた。
 俺の新居から五更家まで歩いて十分ちょいだが。いや、だからこそだよな。
 こんな夜道を彼女一人きりで帰したら、彼氏失格ってもんだろうよ。

 それにまあ。やっぱりできる限り一緒にいたいってのが本音でもある。
 瑠璃は自分の家事もあるから、俺の部屋に長居はさせられないからな。

 家の目の前まで送った俺に、瑠璃も名残り惜しそうにそう言ってくれた。
 明日だって朝も早くから一緒にいられるってのも、解っちゃいるんだが。
 少しの間でも離れがたく思ってしまうのは、やっぱり同じなんだろうな。

 ま、瑠璃も同じ気持ちだと思えるのは、嬉しいことでもあるんだけどな。

「おう、家事の先達として、よろしくご指南お願いするぜ。それから今日の飯も
本当にありがとうな。今日の疲れもみんな吹っ飛んだからよ」

 それは重畳ね。なんて一見、何時もの澄まし顔で応えたように見えるんだが。
 俺の感謝の気持ちが本心からだって、素直に受け止めてくれたんだと思うぜ。
 なにせこっちまで嬉しくなるような柔らかな笑みが、口元に浮かんでたしな。

 それじゃあと踵を返した瑠璃が、玄関に入る姿をじっと見送っていたんだが。
 最後にちらりと振り返った瑠璃と目が合って、思わず苦笑いが零れてしまう。

 本当、お互いどんだけだよ、ってな。

 でも、なんだ。無事に志望校へ合格して、念願の一人暮らしも始まるってのに。
 今からこんな体たらくじゃ、瑠璃がいない時は寂しくてどうにかなりそうだぜ。

 そりゃ今時は、電話やメールでいくらでも話したりはできるわけだが。
 やっぱりそれでも、お互いの顔や存在を感じていたいって思うんだよ。

 本当、俺はここまで執着心が強かったのかって、ほとほと思い知らされている。
 話が瑠璃のこととなると、もうなりふり構っちゃいられなくなってるからなぁ。

 そう思うたびに、実に直感的な解決方法が頭にもたげてくる。

 そう。いっそのこと、もう一緒に暮らしてしまえば、だよな。

 とはいえ、瑠璃はまだ高校生だぜ?それに実家の家事を担う大黒柱でもある。
 大体俺にしてもだ。ようやく来月から、大学での新生活を始める段階だしな。
 それですら満足にやり遂げられるかどうか、正直に言えば不安で仕方がない。
 親元を離れて一人でやっていくなんて、まさに生まれて初めての経験だしよ。

 だからこそ、そんな不安な気持ちを誤魔化すために。
 めっちゃ頼りになる彼女に縋ってるだけだろ、なんて自覚も結構あるからな。

 まったく今からこんなザマじゃ、すぐにでも愛想を尽かされちまいそうだぜ。
 ただでさえ学校が変わって、お互いの生活パターンはずれる一方だってのに。
 いや勿論、そんな最悪の事態にならないよう、俺なりに全力を尽くすけどな。

 だから俺はあくまで軽やかに右手を振って、もう一度瑠璃へと返礼した。
 文字通り後ろ髪惹かれる思いを、見栄でも胸を張っていられるようにな。

 まあ、その反動も手伝ってか。
 帰り道は寂しい気持ちに圧し潰されそうだったのは、ここだけの秘密な?

        *        *        *

 翌日。朝一番に俺の部屋にやってきた瑠璃と、まずは一緒に朝飯を食べた。
 わざわざ言うまでもないが、殆ど瑠璃が準備して持ってきてくれたものだ。

 タッパーに詰められた肉じゃがやオムレツをおかずに、今日も勿論、味噌汁の
入ったポットを持ってきてくれている。
 やっぱさ。味噌汁があるのとないのとじゃ、飯を食べた時の満足感が違うだろ?
 決して主役になれなくても、汁ものとして食を進めるサポートをしたり、暖か
な味噌の味わいが、実に気分を落ち着けてくれると思うわけだ。

 まあ、つまるところ、何が言いたいかといえばだ。
 俺のその辺りの好みもしっかり把握していて、汁ものなんて運ぶのに手間が掛
かるものまで用意してくれる瑠璃さんマジぱねぇ、ってことなんだけどな。

 結局、俺のしたことなんて、実家から持ってきた炊飯器-三合炊きの小さいの
が余ってた-で、ご飯を炊いたくらいだしな。
 一人暮らしを始めた途端にこの体たらくなのは情けない限りだが、そこは追々
と改善していければと思っている。
 いくら気張ったところで、俺-というか平均的な一人暮らしデビュー男子-が
いきなり家事万能になったりはしないだろ?

 それにだ。この間の卒業式の後で、瑠璃と交わした『約束』の通り。
 瑠璃の世話焼きに関して、できるだけ口を挟まないことにしている。

 ま、そも瑠璃に任せるのが一番効率良くて確実だ、なんてしょっちゅうだから、
今更な話でもあるんだが。
 ましてや家事がどうとか、俺が言うのは烏滸がましいレベルだし、瑠璃に気兼
ねなく指導してもらうためにも、余計な壁は取っ払っておこうってな。

 それこそ本当の家族みたいに気安く、ってわけだな。

「ひとまずこれで調理器具は大丈夫かしらね。次は洗濯用品をみましょうか」

 っと、いかんいかん。すっかり話が横道に逸れちまってるな。
 ってそこ!何時ものこととかいうなよ、これでも気にしてるんだぜ?

 まあ、そんなわけで。朝食を一緒に済ませた俺たちは、少し離れた場所にある
ホームセンターにまでやって来たところだ。

 これからの一人暮らしに入り用なものを、あれこれ揃えようと思ったわけだが。

『あなたのことだもの。無ければ無いで気にも止めないでしょうけれど。あれば
日々の生活に役立つアイテムも、結構あるものよ?』

 なるほど、そんなものかと、色々な売り場を回っているところなんだが。
 一体何に使うものなのか、さっぱりわからない代物も多かったりするな。
 大きな買い物かごの半分くらいは既に埋まっているんだが、半分くらいはそう
いう用途不明なものになっている。

 ま、その辺は瑠璃が実践しながら、直々にレクチャーしてくれるって話だ。
 それならどんなに面倒な家事だろうと、きっと楽しく覚えられるだろうさ。

 今だって、生き生きと買い物をしている瑠璃を見ているだけで、こっちだって
嬉しくなってるくらいだしな。

「……ひとまずはこれくらいにしておきましょうか。二人でも持ち帰れなくなり
そうだもの」
「だなぁ。こういう時はホント、早く車の免許をとりたくなるよ」
「ふふっ、そうね。でも教習所に行くにしても、まずは大学生活に慣れてからに
なるのでしょう?」
「流石に一か月くらいは様子を見てから、かねぇ。バイトもすぐにでも始めたい
から、そっちの時間次第でもあるけどな」

 教習所代に関しては、親父から借りれることにはなっているんだが。
 勿論、借りるからには、後で出世払いで返す約束をしているからな。

 それに免許をとる以上、ゆくゆくは自分の車だって持ちたいだろう?
 バイトくらいじゃ中古車が精々だろうが、贅沢は言ってられないさ。

「……あまり最初から無理はしないでね?あなたはこうと決めると、まったく脇
目を振らなくなるのだから」

 俺を見やる瑠璃の瞳には、日向ちゃんを窘める時みたいな厳しさもあったが。
 その奥深くには。思い遣りと不安とが見え隠れしてるのも良くわかっている。

「流石に俺でも、しょっぱなから無茶はやらないって。ま、それによ」

 そんな瑠璃の思い遣りを蔑ろにしないよう、常々気を付けねばと思っている。
 視野の狭さに掛けちゃ右に出る者はそうないと、痛いほど自覚してるからな。

「ヤバそうなら何時でも叱ってくれる、しっかり者の彼女だっているしな?」
「フッ、任せておきなさい。……と、言いたいところだし、頼って貰えるのは嬉
しく思うのだけど。最近のあなた、面倒ごとを丸投げし過ぎではないかしら?」
「い、いやいや、自分でも勿論、最大限に気を付けていく所存でありますぞ!」

 より一層、眼光鋭くこちらを見据えてはくるものの。
 こんな時の瑠璃は微かに眉尻が下がって、どこか困ってるように見えてしまう。
 そこが実に愛らしいなぁ、なんて密かに思ってたりで、我ながら困ったもんだ。

 だからこんな軽口やらお調子者な言い様が、つい無意識に出てしまうわけだが。
 ま、わざわざ意識なんてしなくても、その方が俺の性分に合ってるんだけどな。

 そういやその辺の噛み合いも、俺たち兄妹と瑠璃の相性の良さがあるのかもだ。
 桐乃が何かと瑠璃を怒らせたり恥ずかしがらせてたのも、今の俺には良く解る。

 だって実際に可愛いもんなぁ。感情がはっきりと面に出た瑠璃の表情は。
 普段の澄ました態度とは違って歳相応に。いや、むしろ幼く見えるしな。

 その後、両手いっぱいに袋を提げた俺たちは、昨日からの俺の部屋へと戻った。
 残りの荷解きを瑠璃も手伝ってくれたし、買ってきた道具も早速フル活用しな
がら、あれよあれよと部屋は片付いていった。
 実際その場にいた俺が、誇張抜きで驚愕したくらいだぜ。

「さて、随分と遅くなってしまったけど、そろそろお昼にしましょうか」
「おう、そうだな。に、しても……」

 今朝方までの俺の部屋は、居間の隅には段ボールが積みあがっていたし。
 流しや風呂場もそのままで、まったく倉庫かよって殺風景な有様だった。

 それが今やだ。段ボールがすっかり無くなったのは、さっきも言った通りだが。
 着替えとか食器なんかもきちんと小棚やラック-さっき買ってきたヤツだ-に
収まっていて、この部屋の生活感が一気に増した気がする。
 加えて棚とか台になってるところに、細い缶ケースに刺したドライフラワーと
かちょっとしたインテリアがさりげなく飾ってあったりもした。

 今まで実家暮らしをしてた時には、自分の部屋には必要なものがあれば十分で、
調度品とか何のためにあるんだよ、なんて思っていたもんだが。
 今日ばかりはその存在意義を、心底実感させられちまったよ。

「なんていうか、ホント、改めて俺の彼女の偉大さに敬服したよ」
「ど、どうしたのよ、急に。部屋の片づけを少しばかり手伝っただけでしょう?」
「まだたった一日だけどな。こうして一人暮らしを始めてみれば、俺がどんだけ
何も考えてなかったのか、よーくわかったんだよ。何事も経験してみるもんだな」

 人が落ち着いて過ごせる場所ってのは、相応しい雰囲気を作ってこそなんだな。
 昨夜、荷物が散らばる生活感のまるで無い部屋で寝てみて、心底思い知ったよ。
 まさか自分がって思うくらいに、心細くて不安な気持ちに苛まれていたからな。

「まあ、お陰でもっともっと瑠璃に惚れ直したってことだ。これからも一生愛想
を尽かされないよう、気合を入れて掴まえておかなきゃなってよ」
「なぁ!?な、なにを言ってるのよ、あなたは……」

 きっと瑠璃にしてみれば、普段から何気なくしている当然のことなんだろうが。
 毎日の家事や妹の世話を熟すために、何時も周りに気を配っているんだからな。
 なんていうか、こう。一人の人間としての格の違いってのを実感させられたよ。

 とはいえ、だ。ちょっと前まで、何かと桐乃と比べられた時みたいに。
 それが腹立たしいとか癪だとかなんて気持ちには、さらさらならない。

 むしろ逆に、俺が誇らしい気持ちで一杯なくらいだからな。
 どうだ、俺の彼女はこんなにもスゴイんだぜ、ってもんだ。

 だから紛れもなく俺の本心なのは間違いないんだが。
 最近では珍しいことに、当の本人が顔を真っ赤にして照れてるもんだから、俺
の方まで余計に恥ずかしくなってくるぜ……
 この程度なら普段から瑠璃に言いまくっているし、昔はともかく今じゃ瑠璃も
結構耐性がついていて、軽く受け流してくれるんだけどなぁ。

 ま、自他ともに認めるほど、鈍感力にかけては定評のある俺だ。
 女ごころってのは、常に伺い知れない複雑怪奇な代物だからな。

 恋人になってから余裕で半年が過ぎているし、瑠璃とは以心伝心のように通じ
あえているって実感できる時もあるんだが。

 まだまだ大切な彼女の意を汲み取れない、駄目な彼氏で申し訳ないぜ。
 ともかく瑠璃の細やかな気遣いに感動したって説明して、納得して貰ったよ。

 気を取り直して昼飯を食べた俺たちは、さらに二度ホームセンターを往復して、
風呂やトイレの水回りのものとか、台所用品とかも一通り揃えておいた。
 お陰で一気に人が住んでる場所って、実感できるようになったもんだぜ。

 まあ、何も今日のうちにそこまで急がなくても、と思わなくもなかったが。
 今月はまだ一週間は残っているし、大学の入学式は更にもう一週間は後だ。
 その間にぼちぼち生活環境を整えていけばいいよな、って思ってたからな。

「じゃあ今日はこの辺でお暇するわね。……明日も来て、いいのかしら?」
「そこは遠慮なんてしないでくれって。合鍵だってもう渡してあるだろ?携帯の
メールででも一言伝えてくれりゃあ、自由に入って貰って構わないぜ」
「そ、それはそうなんだけど……い、一応、ここの生活に馴染むまでは、あなた
だって部屋にずけずけ入られては、困るのではないかしら?」
「別に見られて困るものもないしな。ああ、ひょっとして『例の本』のことなら
心配いらないぜ?引っ越しのついでに全部捨ててきたからな」
「えっ……そ、そう、なの?その、良くは解らないのだけど……それはそれで男
の人は困るのではないのかしら?」

 割と真剣な表情の辺り、恐らく瑠璃は本気で心配してくれているかもだが……
 まあ、あれだ。家では妹たちの、母親代わりにもなっているくらいだからな。
 『そういう問題』とかも、純粋に生理現象の一つとして捉えている……のか?

「お、おう。その辺はその、なんだ。説明は省かせて貰うが、あんまり気にしな
いでくれていいからな。……逆に聞きたいんだが」

 いまだ納得がいかないのか、上目遣いでこちらを伺う瑠璃が愛らしすぎて。
 ついいつもの癖が出て、口が滑ったのは失敗だったよな。後から考えると。

「瑠璃としてはいいのか?その、俺が『そういうの』で欲求を満たすってのは」
「そんなことまで束縛しないわよ。欲求というのなら、例えば私が『今後は私が
作った食事以外を口にすることは許さない』などと言い出したら、あなたは大人
しく従ってくれる心算なの?」
「そりゃあ確かになぁ。どんなに瑠璃の手料理が好きでも、そこまでは物理的に
無理な話だと思うぜ」
「でしょう?だからそんなことまで気遣う必要はないのよ。大体」

 瑠璃はそこまで言ったとたん、慌てたように自身の口元を右手で覆った。

「ま、了解だ。その辺は節度を持って上手い具合に、ってわけだよな。やっぱり」
「……そ、そうね。理解のある彼氏で助かるわ」

 瑠璃は微笑んだが、いくら鈍い俺でも表情が強張っているのはすぐに解かった。
 大切に想ってる彼女に、そんな愛想笑いをさせてしまった理由についても、な。

 そりゃあ一人暮らしをしたかった理由の一つに、誰憚ることなく瑠璃と一緒に
いられる場所が確保できるって点は大きい。
 そしていずれは、って考えるのも、健康な男子なら自然な流れだとは思うぜ。
 まあ、自分でも相当なヘタレだと自覚もしてるから、そう思うようにいくわけ
ないと肝に銘じちゃいるけどな。

 それに実は、だ。
 既に瑠璃自身から『覚悟ができるまで時間がかかりそう』と、はっきり伝えら
れている状況だったりもする。
 本来、気弱で恥かしがり屋の瑠璃にとっては、そんなことを俺に伝えるのは相
当の勇気が必要だったと思うんだが。
 それでもきっと瑠璃は、互いの気持ちが空回りした挙句にすれ違わないように
と、考えた上で先手をうってくれた結果なんだろう。
 一人暮らしができると浮かれるあまり、瑠璃にまったく配慮ができてなかった
その時の俺は、情けなくて涙が出るくらいだったよ。誇張じゃなく、な。

 だってそのくらい真剣に、瑠璃は俺との将来を考えてくれてたってことだろう?
 時間がかかりそうだってことは、何時かはと瑠璃も考えてくれているんだから。

 なのにこの時だって、瑠璃に負い目を感じさせていたんだと、まったく俺は気
付けてなかったんだから、度し難い馬鹿者だったぜ。

 そりゃなんでもかんでも、最初から上手くいくわけはないってのも真理だ。
 家事の技量にかけては、今すぐにでも母親すら実践できる瑠璃だとしても。
 大学に向けて始めた彼氏の一人暮らしに、戸惑うことだってあるようにな。

 俺は勿論だが、瑠璃にしても。
 お互いに理解し合わなければならないことは、まだまだ沢山あるんだろう。

 それに考えてみれば、付き合い始めてからまだ一年にも満たない俺たちだ。
 自分で言うのもなんだが。付き合う前からも、瑠璃とは濃密な時間を過ごして
きたもんだから、割と当たり前の距離感とか把握できてないかも知れない。

 さっきも言った通り『意識が通じ合う』みたいなことだって、幾度となく覚え
があるくらいなんだが。
 今みたいなある意味現実的な問題に直面した時に、案外と互いの認識の違いが
如実に出て、びっくりすることも出てきたりする。

 でもまあ、そう悲観したものでもないかもだよな?

 こうして一つ一つ確認していくことで、改めて瑠璃との心の距離も縮められる、
良い切っ掛けなるのかも知れないし。

 それにその度に照れたり恥かしがる、瑠璃の可愛い姿が見られるんだからよ。

        *        *        

 開けて翌月。俺は晴れて大学生活のスタートを切った。

 授業-大学じゃ正確には講義だが-時間の長さだったり、講師は専門的な内容
を前振り無しに語り出すしで、高校までのそれとの違いに散々面食らったよ。
 そもそも履修する講義は、自分で学生課に履修届を出さなきゃならない。
 それも届け出順の早い者勝ちで定員に入れるかが決まる、自己責任だぜ?

 休講の連絡とかも、構内の掲示板を毎朝欠かさずチェックしなきゃ解らないし。
 さっきも言ったが講義は実に難解な上に、まともに調べてたら数日じゃ終わら
ないレポートとか平気で課題に出るしで、最初はほとほと困り果てたよ。

 速攻で学友を作って協力体制を築けなければほぼ詰みだとか、最初から教えて
おいて欲しいよな、まったく。
 ま、その学友の中には、俺に代返-講義の出席を確認する点呼のことな-を頼
むと片っ端から自主休講して、課外活動-と言う名のバイトだ-に勤しんでる輩
も出てきたりするカオスっぷりだ。
 まあ、そこは俺も交換条件で色々頼んでるから、持ちつ持たれつだけどな。

 しかし大学ってのは、自由っちゃ自由だし、気楽なのは間違いないんだが。
 色んな意味で自己責任なわけだから、サボったツケは最後には全部自分で払う
ことになるんだろう。
 すぐに易きに流される俺にとっちゃ、とことん油断ならない場所だと思うぜ。

 でもそんな俺でも、今のところ毎日大学に行って、欠かさず講義を受けている。
 まあ確かに、自転車に乗りゃ十分で構内に入れるのも、大きな要因の一つだな。

 大学から帰りがけのスーパーで買った食材を手に、俺はようやく馴染んできた
アパートの部屋へと入った。
 そして玄関を潜るなり、すぐに香しい味噌料理の匂いが鼻孔をくすぐってくる。

「お帰りなさい、京介。今日は随分と暑くなったけれど、初めての体育は大丈夫
だったのかしら?」
「ただいま、瑠璃。ま、適当に身体を動かして健康になろう、ってのが目的みた
いだしな。みんなでのんびりソフトとかやったよ」
「へぇ、そうなのね。確かに変に競争したり記録とか測ったりしなければ、余計
な心労を負わずにすむ人も多いでしょうに。羨ましい限りだわ」
「じ、実感籠ってるな。まあ、成績をつける必要はあるんだろうが、高校までの
は本末転倒だよなぁ。まあそんなわけで、久々の運動で心地よく腹も減ったぜ」
「ええ、すぐにお夕飯も出来るから、もう少し待っていて頂戴」

 すぐに弁展高の制服にエプロン姿の瑠璃が、台所-といっても、居間とは暖簾
で区切られているだけだが-から俺を迎えてくれた。
 そして俺から買い物袋を受け取ると、台所に戻って夕飯作りを再開する。
 そんな瑠璃の邪魔をしないよう、俺は勉強机の椅子に座って一息ついた。

 今日はレポートとか特に出てないから、この後はまとまった時間もある。
 今週末に向けての準備もあるから、呑気に遊ぶような時間なんてないが。

「お待たせ。今日は味噌漬けのポークピカタよ。多めに作っておいたから、残り
は朝ごはんにも食べて頂戴」
「お、味噌の良い匂いはこれだったのか。瑠璃に前に作って貰った時から、結構
好物なんだよなぁ」
「ふふっ、何時も美味しそうに食べてくれていたものね。私としても、作り甲斐
があって嬉しいわ」

 お盆からちゃぶ台へと乗せられたお皿には、ポークピカタとロールキャベツが
たっぷりと盛り付けられていた。
 勿論、炊き立ての白米の茶碗と、食欲をそそる匂いの味噌汁のお椀も一緒だ。

「じゃあ、また明日の朝に。食器は洗っておいて貰えると助かるわ」
「それは任せといてくれ。でも、毎日本当に助かってるんだが……大変ならいつ
でも休んでくれていいんだからな?」
「それは心配ご無用よ。前に約束した通り、あなたのお弁当は毎日私が用意する
し、そのための差配に抜かりはなかったでしょう?」

 俺がここで一人暮らしを始めてからというもの。
 瑠璃はほぼ毎日、俺の部屋にきては夕飯を作ってくれるし、大学が始まってか
らは、朝に高校への道すがら、手作りの弁当も届けてくれる。
 ここの家事は望むようにさせて欲しいと、なぜか恩恵を受ける俺の方が、瑠璃
から頼まれている状況だったりする。

 そりゃ俺からすれば、実にありがたすぎる申し出なんだが。
 流石にそこまで任せるのは、瑠璃だって大変すぎるだろうから、最初は遠慮を
するつもりだったんだぜ、これでもな。
 でもよ。まるで瑠璃が創作と向き合ってる時のように。
 真剣そのものの眼差しで訴えられちゃ、俺には白旗を上げるしかなかったさ。

 勿論、瑠璃が今言った通り、さほど負担にならない理由やそのための手法なん
かもしっかりと説明されたし。
 それが間違いなく実践できるものだと、瑠璃は毎日のように証明してるわけだ。
 俺なんかがそこに口を差しはさめる余地なんて、これっぽちもないんだけどな。

「ああ、それも解ってるさ。ま、そのくらい気楽に構えててくれって話だ」
「ふふっ、本当に人のことには心配性ね、あなたは。ええ、何かアクシデントが
おきた時には、遠慮なく相談させて貰うわ。これは来るべき未来への『予行演習』
なのだから、起こり得る問題点の抽出とその対策が出来てこそ、真に意味がある
というものよ」

 瑠璃が言いたいことも、勿論俺にだって解らないわけじゃない。

 俺が一人暮らしの間に瑠璃との仲もさらに進展させたいとか、邪念に塗れて考
えていた時にだって。
 瑠璃はさらに『その先のこと』までを見据えて、お試し期間としてより有効に
使おうって提案してくれているわけだ。

 そりゃ俺だって、ここは真剣に協力せざるを得ないだろ?
 結果的に瑠璃に負担が掛かるなら、少しでもフォローしようと考えていたんだ。
 自分は楽をしたいだけで、彼女の好意に乗っかるだなんて流石に御免だからな。

 とはいえ、だ。
 折角作ってくれたこの料理だが、瑠璃は俺と一緒に食べていくわけじゃない。
 この後はすぐに自宅に戻って、自分ん家の夕飯を作ることになるんだからな。
 仕事で帰りが遅くなりがちな両親の代わりにと、ひなちゃんたちと一緒に食卓
を囲むのが自分の務めだと、常々言ってるくらいだ。

 勿論承知の上だが、それだけ一緒にいられる時間が減るのも寂しいもんだ。
 いや、どんだけ贅沢なことを言ってやがる、ってのは自分でも解ってるが。
 どんなに恵まれようとも。いやだからこそ、もっと上が欲しくなるんだな。

「……まあ、今週末は瑠璃の誕生日パーティだろ?瑠璃だって最初から根を詰め
すぎて、何時ぞやみたいに体調を崩さないでくれよ?」
「まったくだわ。沙織があなたの引っ越し祝いと合わせて、盛大に開くと言って
たしね。主賓がへまをして主催の顔に泥を塗る訳にはいかないもの」
「だろ?って、そんなこと言ってる俺も気を付けなきゃだな」
「ええ。これはお父さんから聞いた話なのだけど。大学で一人暮らしを始めた時
は、環境の変化やストレスが重なって、原因不明の腹痛が続いたり、夜中に突然
吐いてしまったりしたそうよ。あなたも最近少し顔色が悪い時もあるから、十分
気を付けないと。って、御免なさい。食事中には相応しくない話題だったわね」
「お、おう。先達のありがたい体験談は、肝に銘じておくぜ。ま、最近ちょっと
寝付きが悪いせいかもなぁ」

 俺たちは一頻り笑いあった。
 瑠璃は俺の食事の様子を伺いつつも、帰り支度をてきぱきと済ませていた。
 瑠璃自身の荷物は、通学用のカバンくらいしかないんだが、さっき調理してい
た食材をタッパーに詰めたりとかもな。
 それを五更家の夕飯のおかずに回して、時間や労力の節約にしているわけだ。

「ふぅ、ごちそうさま。腹いっぱいになると、疲れも吹っ飛ぶな」
「お粗末様です。そう言って貰えると何よりよ。それでは忙しないけれど、そろ
そろ帰るわね」

 既に帰り支度を済ませていた瑠璃は、俺が食べ終わるのと同時に立ち上がった。

「また明日、京介」
「ああ、気を付けてな、瑠璃」

 俺はせめてもと、起ち上って玄関まで瑠璃の後をついていく。
 彼氏としては責任を持って、瑠璃の家まで送り届けたいところなんだが。
 毎日のことだし、すぐそこなのだからと、瑠璃からは釘を刺されている。

 まあ、一緒にいればいるほど、もっと離れがたくなるのも間違いない。
 きっと瑠璃にしても、俺と同じ気持ちになるからこその話なんだろう。
 朝には会えると言い聞かせて、ここはすっぱり見送るところだろうさ。

「誕生日パーティは楽しみにしていてくれよ、瑠璃」

 だけど今日だけは、どうしても一言添えておきたかった。
 これからの準備にも、一層気合も入るってものだからな。

 勿論よ、にっこりと微笑んで頷くと、瑠璃は外階段を下りて行った。
 鉄板を踏むその足音が聞こえなくなるまで、俺は玄関に佇んでいた。

 いや、本当。大学で出来たばかりの学友の話を聞いてみてもだ。
 さっきの静さん宜しく、慣れない環境で苦労しているみたいだ。
 彼女が毎日通い妻よろしく、飯や家事をしにきてくれるなんて。
 贅沢な一人暮らしをしてる身で、言う資格なんてないだろうが。

 さっきまで賑やかだったのに、一人残されるのも辛いことだよな。
 それが心から愛しく想っている人であれば、尚更ってもんだろう?
 実家じゃ休日に一人自室に籠ってだって、思ってもみなかったぜ。

 --いや、一度だけあったか。昨年の今頃、桐乃が海外へ行っちまった時に。

 ぱぁーん!

 俺は己の両頬に目掛けて、思いっきり己の両手を張り付けた。
 そんな感傷に浸っている場合じゃない。後、数日しか猶予はないんだからな。

 改めて気合を入れ直した俺は、椅子から勢いをつけて立ち上がった。

 お陰で十分に腹も膨れたんだ。その分だって頑張らなきゃ、恋人の誕生日を祝
うどころじゃないぜ。

 俺は通学用に使っているカバンを肩掛けにして、自分の部屋を出て行った。
 無茶はしないまでも。多少の無理を押し通す時も、男にはあるもんだろう?


        *        *        *


 私の今年の誕生日は、幸か不幸か雲一つない青空が広がってくれていた。

 生来『闇側の人間』【ダークサイダー】な私には、却って似付かわしくないと
も言える空模様なのだけど。
 でも今日は京介の引っ越し祝いと共に、私の誕生日パーティも開かれる。
 そう思えばこんな澄み渡った空にこそ、天の配材と感謝の念も湧いてくるわね。

 しかも沙織の計らいで、今回は京介の住むアパートの裏庭で、青空パーティを
開くことになっているのだから。
 きっとこの天気にしても、沙織や京介の日頃の行いの表れともいえでしょう。

 まったく、二人とも病的なまでにお節介な上に、面倒見が良いのだもの。
 おたくっ娘の表裏とも、沙織と京介の尽力があるから成り立っているし。
 誰でもない私自身、この二年の間に二人と密接に関われてきたからこそ。
 友人たちに誕生日を祝って貰えるような、自分の居場所があるのだから。

 思い返してみても、自分でも信じられないくらいの奇跡みたいな話よね。

 内気で人見知りで自尊心だけは強くて、友人なんて一人も出来なくて。
 それでもそんな自分を変えるきっかけになればと、参加したオフ会で。
 この二人に。そして今ここにはいないけど、桐乃と出会えたからこそ。

 私は今の自分になることが出来たのだから。

 掛け替えのない友人を。飽きることなき非凡な日々を。
 何よりも、愛する想い人をこの手に掴むことができたのだから。

 例え二年前にタイムスリップして、自身に説いてみたところで。
 絶対に信じてくれないと断言できる程の、得難い奇跡の上でね。

「さあ、会場の準備は整いましたでござるよ。お二人とも、今から主賓御入場と
なります故、準備は宜しいでしょうか?」

 チェックの長袖シャツにぐるぐるメガネ、そして頭には白いバンダナ。
 何時も通りオタク装備を身に纏った沙織が、京介の部屋に入ってきた。

 アパートの裏庭では、沙織たちがパーティの準備を行っていたのだけど。
 私と京介は主賓だからと、京介の部屋で手持ち無沙汰に待っていたのよ。

 まったく、あなたたちが会場の用意に勤しんでいるというのに。
 私たちがお気楽にお喋りなんてしている気分にはなれなかったから、何時の間
にか昔の思い出に浸ってしまっていたじゃない。

「勿論だぜ。しかし本当、いつの間に大家に許可なんて貰ってたんだよ」
「フフフッ、蛇の道は蛇、と申しましてな。拙者も驚きましたが、調べてみれば
少々家に縁のある御方でしたので、快く相談に乗って貰ったというわけでござる」
「成程、そういう話だったのね……まあ、あなたなら別に縁がなくとも、いくら
でも話を付けられそうなものだけど」
「とはいえ使える手だてがあるなら、有効活用もしませんとな。何せお二人のお
陰で……」

 そこで沙織は眼鏡のフレームを摘まむと、そのままくいっと持ち上げた。

「わたくし、実家に対する遠慮というものが、すっかり無くなりましたから!」

 そして『本来の沙織』へと戻った端正な笑顔で、私と京介を射貫いてくる。

 沙織は様々な経緯があったからこそ、本来の自分とは違う『沙織バジーナ』と
して、おたくっ娘の管理人となっていたのだけど。
 或いは沙織本人を最初から出していたなら、今頃どうなっていたのかしら?

「お、おう。まあ、無茶はしないでくれよ。それでどうなってるんだ、パーティ
のほうは」
「あなたが言えたものではないでしょうに……それにそれは沙織に聞くよりも」
「左様。実際にお二人の目で見て頂きましょうぞ!」

 ……いえ、そんなことを考えても詮無きことだわ。
 沙織には沙織の。そして桐乃にも京介にも、勿論私にだって。
 それぞれの事情や理由が絡み合い、紡ぎ出されたこその出会いだったもの。

 そしてこれからの関係をも織り成して、無二の服飾を創り上げなければね。

 沙織に促された私たちは、並んで階段を下りるとアパートの裏側へと回った。

 パチパチパチパチ。

 その途端、裏庭で待っていたみんなが、私たちへと拍手を送ってくれた。

「ハッピーバースディ、瑠璃ちゃん!二年でももっと良いゲームを創ってこー!」
「結構いいとこじゃねぇか、兄弟。大学でも己の道を存分に突き進むんだな!」
「お誕生日おめでとう、黒猫さん。改めてお引っ越しお疲れ様、きょうちゃん」
「一人暮らしは羨ましいですよ、高坂先輩。進学したら僕も実家を出たいですね」
「お誕生日おめでとうー、五更さん。新作できたらわたしにもプレイさせてねー」

 瀬菜や真壁先輩に加えて、卒業してもこの会に集まってくれた三浦先輩や井上
先輩といったゲー研のメンバーたち。
 京介と同じ大学に進学していて、私も何かとお世話になる機会も多い田村先輩。

「さあ、主賓のご両人も登場したところで『五更瑠璃さんの十七歳のお誕生日と
高坂京介さんお引越しおめでとうパーティ』の開催といたしましょう!それでは
皆様方、グラスの準備は宜しいでござるかー!」

 そして勿論、今日に限らず何時もまとめ役を務めてくれている沙織。

 裏庭にはキャンプで使うような、折り畳み式のテーブルと椅子が幾つも置かれ
ていて、その上に料理や飲み物、お菓子が所狭しと並んでいた。
 学校によく置いてある大きなホワイトボードには、今し方の沙織の口上そのま
まの名称が大きく示されていて。
 その周りを水性ペンの一発描きとは思えない、緻密なイラストが描き込まれて
いて、この即席の会場を色鮮やかに飾ってくれていたわ。

 私が言うのもなんだけど。
 この歳になってからの誕生日や、一人暮らしの引っ越し祝いで、こんな立派な
パーティを用意してくれるなんて思ってもみなかったわ。
 それに思い返すまでもなく、こんな大人数に祝われた初めての誕生日でもある。
 ち、違うのよ?うちの家族は毎年欠かさず、私の誕生日を祝ってくれていたわ。
 けれど家に呼べるような友達なんて、今の今までいなかったのだから当然よね。

 沙織には今までだって、生涯感謝してもし足りないくらいの恩を受けているし。
 きっとこれから先の人生でも、幾度となくお世話になってしまうのでしょうね。
 だって私たちから何も言わなくとも、状況を察して気を回してきてしまうもの。

 勿論、その好意に甘えるだけにならないよう、こちらも返していく心算だけど。

 でも、そう……ね。
 沙織になら甘えたり、胸中の弱みを見せても大丈夫だと思ってしまう。
 まるで家族みたいに自然と気を許してしまうのよね……困ったことに。

 ふふっ、ひょっとして。私にとって姉のような存在に思えているのかしら、ね。

 そんな感慨に耽っていた私と京介のところに、田村先輩がお盆に乗せたグラス
を二つ、持ってきてくれた。
 炭酸系の飲み物のようだけど、テーブルの瓶を見る限りシャンメリーかしら?

「それではお二人の益々のご活躍と皆様のご健勝を祈りましてーー乾杯!!」
「「「「「「「かんぱーい!!!」」」」」」」

 全員でグラスを空に掲げ上げて、近くの者と心地よい音と共に杯を合わせた。

「お誕生日おめでとう、瑠璃!」
「お引越しおめでとう、京介」

 私と京介もまずはグラスを合わせて、お互いの慶事を言祝いだ。
 今更と思うかも知れないけど、こうした儀礼的なことも大切な意味を持つもの。

 いえ、別に私の趣味の話ではないわよ?私の家では、家族の誕生日とか子供の
卒業とか、お父さんたちの昇進とか。
 或いはお盆とかクリスマスとかの祭事には、いつも家族でお祝いをしてきたわ。
 小さい頃はそれが当然だったから、そういうものとしか思っていなかったけど。
 この歳になってみれば、お父さんやお母さんがどうして家族のイベントを大切
にしていたのか、良く解る気がしているのよ。

 娘から見ても、何時でも気持ちが通じ合っている、仲睦まじい両親だとしても。
 感謝の気持ちを言葉にしたり、形として表すことがどれだけ大切なものなのか。

 家族以外に大切な人が出来た私も、ようやくそれが痛い程に実感しているから。

 何より、どんなに面映ゆくとも。
 新たな家族になるべくして、真剣に将来を考えている状況にもなれば、ね。

 京介とのグラス合わせが終わった途端、私たちの周りに皆が集まってくる。
 改めて祝いの言葉と共に乾杯して、皆からの気持ちを有難く受け取ったわ。

 本当、何もかも一年前には。いえ、二年前には考えもしなかったことよね。

 この日のことも、私にとっては生涯忘れられない思い出になるのでしょう。
 もっともここ一年ばかりは、何かある度にそう思わされている気もするわ。

 その後は並べられた料理に舌鼓を打ちつつ、皆で歓談に興じていたけれど。
 ちなみに今日の料理は、田村先輩宅に集まった女性陣で作ったという話よ。
 もっとも、実際に主戦力として活躍したのは、田村先輩と沙織でしょうね。

 それから出来た料理やテーブルなどは、三浦先輩の車で運び入れたそうよ。
 この辺りは手作り感を大切にしている沙織らしいし、他のメンバーも皆で協力
してくれていてようで、嬉しさもひとしおだったわ。

「さて宴もたけなわでござるが、誕生日と言えば……そう、バースディケーキこ
そが主役と言って過言ではありますまい。ここで満を持して特製ケーキの登場で
あります。皆さま方、どうかご注目のほどを宜しくお願いするでござるよ!」

 沙織の合図の元、奥のテーブルに置かれたプラスチックケースを、瀬菜と真壁
先輩がゆっくりと開いた。
 どうやらアイスボックスだったらしいその中から、眩い白妙に包まれた方形の
ケーキが姿を現した。

 オーソドックスな白の生クリームで、全体を滑らかに塗り上げらながらも。
 側面には複雑に波立たせたり、ローズバットやシェルなどの技法を凝らして絞
られたクリームで、絢爛に飾り付けられていた。
 さらに春先の旬のフルーツ-苺やキウイ、日向夏などね-で外周をふんだんに
彩りつつも、全体のバランスはいささかも崩れてはいなかったわ。

 その出来栄えは素人の私から見ても、感嘆させられたものだったわ。

 何よりも一番に私の目を引いたのは。
 ケーキの上面にはチョコペンや色粉、ピューレなどを使った大きなイラストが
鮮やかに描き出されていたのだけど。

「沙織……これは」
「フフフッ、気に入って貰えましたでしょうか、黒猫氏!このイラストはお恥か
しながら、拙者が手ずから描かせて頂いたものでござるよ」

 そのイラストは『夜魔の女王』の衣を纏った、私を描いた代物だったから。


「本当は『我々』が一堂に会しているところを、描いてみたかったのですが……
流石に拙者の腕では荷が勝ちすぎました」

 沙織は謙遜しながら、そう言っていたけれど。
 私も日向や珠希にせがまれて、何度かケーキにアニメのキャラクターを描いた
ことがあるから、その難しさはよくわかっているのよ。
 往々に柔らかなクリームの上に、当然のように一発描きになるわけだし。
 元絵に近い色を作ることも、はみ出さずに塗ることだって難しいものよ。

 ケーキ屋によっては、イラスト入りのケーキを頼めるところも多いけれど。
 いざ自分でやってみれば、あれはプロの持つ技ゆえと思い知ったくらいよ。

 その経験から見れば、沙織の描いた私は特徴を捉えて纏まっているし。
 輪郭の線もバランスも殆どブレていない、見事な出来栄えと思えるわ。

 そう、ケーキに描いたとは思えない程のクオリティは、実に見事なものだけど。

 それにしても、これは……

「わー、随分と可愛らしい瑠璃ちゃんですね。これはやっぱアレですか。恋する
乙女は可憐さ!って感じですかね、沙織さん!」
「なぁっ!?ちょ、ちょっと何を言い出すのよ、瀬菜!」
「でも確かに、ここまでの笑顔な五更さんは、部活中でも見覚えはないですね。
元絵の由来とかあるんですか?」
「フッフッフッ、よくぞ聞いてくれました。拙者、オタクっ娘のオフ会の時には、
幹事の責務として会の記録の録画や写真を取っているでござる。今回のイラスト
を描くにあたって、そのデータを見返していたでござるが。まさに今日の誕生日
ケーキに相応しい場面を見付けましてな」
「え、沙織、いつの間にそんなの撮ってたんだ?今まで全然、気付かなかったぜ」
「それはそうでござろう。皆の自然な姿が残せるようにと、ありとあらゆる手法
を凝らして、機材を隠伏していましたからな!」
「そ、それは世間一般的には、盗撮と言うのではないかしら!?」
「まあまあ、五更さん。友達同士のホームビデオなノリってことでしょ?それに
ちょっとわたしも、その蔵出し映像が気になるなぁ」

 それこそ私が今まで見たこともない程に目を輝かせて、沙織を急かす井上先輩。
 わ、割と気さくな性格だとは思っていたけれど、やはりあなたとて『闇の者』。
 ひとたび心惹かれることがあれば、血の騒めきを抑えられないと言うわけね……

「ではお見せいたしましょう!これがこのイラストの元となった動画でござる!」

 沙織はノートPCをテーブルの上に置くと、モニタを皆に見えるよう起こした。
 そして予めデスクトップに置いていたのだろう、ショートカットを実行させる。

 すぐさまフルスクリーンで、動画が再生され始めたのだけど。

「……ああ、なるほどな。あやせからの頼みで、桐乃へ贈るプレゼントを二人に
相談していた時のか、これは」
「おお、流石は京介氏。あの日のことを覚えていらっしゃるとは」

 勿論、私だってこの日のことは鮮明に覚えているわ。
 この場所は秋葉原にある、とあるコンセプトカフェ。
 私と沙織は京介からの相談-厳密には桐乃の中学の友人の『新垣あやせ』なる
人物が発端だけど-で、桐乃へのプレゼントの品を考えていたのよ。

「でもこう見ると、瑠璃ちゃんの表情が随分と硬いですね。まるで昨年の入学し
たての時みたいですよ」
「そうですなぁ。確かに黒猫氏も拙者も、この時は高校に入る前でござったよ。
皆様もご覧になっている通り、この頃の黒猫氏は中々感情を表に見せてくれない
実にクールな御仁でありましたが……ここでござる!」

 沙織が動画のポーズを掛けたところで、丁度私の顔が大写しになったのだけど。
 改めて見せられると、まさかこんな隙を晒していたのかと驚くばかりだったし。
 確かにケーキに描かれた私の表情とそっくりで、むしろ感心してしまったわね。

「黒猫氏にしては珍しいとは思っても、この時の拙者はさほど気に留めなかった
のでござるが。こうして見返してみると、成程、と思うところがありますなぁ」

 そう言うと沙織は、私と京介とを交互に見やった。
 昔からこんな時には定番の、口をωな形にしてね。

 勿論、沙織が言いたいことは、私たち二人にはよく解っているわ。
 私が京介への気持ちをはっきり自覚したのは、この時の集まりの数日前のこと。
 桐乃の携帯小説のアニメ化を巡って、ひと悶着があった編集部に。
 その縁で京介と一緒に小説の『持ち込み』をしたことが、原因だったのだから。

「なるほどー、この時から黒猫さんの気持ちは、決まってたんだねぇ。弁展高に
入ったのも、やっぱりそのために?」
「そ、そうです、ね。自分の想いを成就しようと、心の中で決めていましたから」
「かー、中学の時にそこまで考えてたとか、立派なモンじゃねぇか!ま、ゲー研
に高坂と一緒に入部してきた時には、とっくに付き合ってるとばかり、思ってた
けどなぁ」

 普段の私なら、こんな恥辱に塗れた飽和攻撃の的となったら、迷わずに逃走を
選ぶでしょうけどね。
 今日ここに集まってくれた人は、苦楽を共にしてきた文字通りの同志だもの。
 京介との仲は全員が承知の事実だし、今更になって隠すものではないけれど。
 けれど、無意識な気持ちの発露を宴の肴にされるのは、流石に恥かしいわ……

 こういう時の沙織は、こちらが本気で嫌がるギリギリを攻めてくるのだから。
 本当に困った悪戯っ子だわ、まったく。

「……そうだったのか。あの時は何か良いアイディアはないかって、必死に頭を
フル回転させてたしなぁ。瑠璃のこんな笑顔に気付いてなかったとか、ちょっと
勿体ない気分だぜ」
「私だって無意識だったのだしね。といっても、あなたがそこまで目敏い人なら、
私も余計な苦労はしなかったかもしれないわね?」

 隣で並んで動画を見ていた京介の顔を、私は改めて見上げた。
 それこそ『ケーキの私』に負けないくらいの想いを籠めてね。

「でも……そうね。大切な人のことを何よりも優先する、そんなあなただから惹
かれたのだもの。だからこの時には気付かれなくて、むしろ良かったのかも知れ
ないわよ?」
「そうなのか?まあ、そんなことをしている間に、瑠璃に愛想を尽かされなくて
ほっとしてるぜ」
「ですねぇ。そうなれば瑠璃ちゃんも高坂せんぱいも、ゲー研に入ってなかった
かも知れませんし、その場合あたしもどうなっていたか」
「そう考えるとお二人の仲は勿論ですが、『夏の銀色』の成功も高坂先輩が鍵を
握っていたんですか。運命の分水嶺ってのは、確かにあるものなんですね」
「でもお陰でわたしも高三になって、もう一度部活に打ち込めたんだから、感謝
しかないよねぇ。よーし、二人にもう一回乾杯だー!」

 井上先輩の音頭の元、再び天に向けて掲げられるグラスたち。
 それはこちらの台詞よ。なんて思っていたら、自然と京介と視線が交錯した。

 ふふっ、本当に私たち二人だけでなく。
 この場にいる誰が欠けても、きっと『ここ』には辿り着けなかったのでしょう。

 私も京介も。その謝意を全員に返すべく、力いっぱいにグラスを振り上げたわ。

「ほっほー、本当に良い仲間と巡り合えたものですなぁ。ムネンながら部活には
参加出来ずとも、充実した皆さんの表情を見ているだけで、黒猫氏の友人として
嬉しくなるでござるよ」
「何を言っているのよ、沙織。あなたがいなければここに集まるどころか、始ま
ることさえなかった関係よ。そう考えれば、あなたこそが私たちの『特異点』と
呼べるのではないかしら?」
「まったくだ。いっつも俺たちのために、駆けずり回ってくれてるんだからなぁ。
どんなに感謝してもし足りないところだが、まずは今日の幹事と俺たちの最高の
リーダーに、乾杯だ!」

 三度掲げられた杯と、それに続く皆の唱和の声。

 そして私は-きっと京介や沙織もそうだと思うけれど-心の中で、この場には
いないもう一人の『親友』へと乾杯のエールを送る。

 そう、あなたがいなければ、やはり何も始まらなかったでしょうから。

 内気で人見知りな私が、オタクっ娘にずっと居続けることができているのも。
 才能の差を見せつけられ、それでもなお創作を続ける原動力になったことも。
 そして何よりも。京介の優しさに触れて、常に共にあろうと誓ったこともね。

 本当、こんな幸せの中に身を置いているなんて、今でも夢だと思えてしまう。

 でも夢なんかで終わらせるわけにはいかないのよ。
 これからだって暖かな未来へと繋げられるように、全力で挑む心算よ。

 だって、桐乃と約束をしたもの。
 『良かった』と思わせると、ね。

 あの娘は一番大切なものを私に託して、一人で世界と戦っているのだから。
 私の方が軽々しく根を上げてしまったら、『生涯の強敵』の名折れだもの。

「さて、名残り惜しいところではありますが、本日の会もこのイベントを持って
終了とさせて頂きますでござる。本日、めでたく生誕を迎えられた黒猫氏への誕
生日プレゼント贈呈でござるよ!」

 沙織の言葉と共に、今度は井上先輩が大きな袋を持って私の元へとやってきた。
 リボンと包装紙で飾られたその袋には、私でも見覚えがあるロゴが入っている。

「改めてお誕生日おめでとう、五更さん。これはみんなでアイディアとお金を出
しあったプレゼント。気に入って貰えれば幸いかな」

 受け取ったそれは、大きさの割りにはそれ程の重さは感じられなかった。
 視線で尋ねると井上先輩は小さく頷いてくれたので、私は出来うる限り丁寧に
包装を解き、続けて袋を開けた。

「これは……実に麗らかな春の装いね。素敵なお洋服を、みんなありがとう」

 中に入っていたのはロゴの通り、有名ブランドの服だったのだけど。
 全体的に大きなフリルを散りばめたデザインの桃色のブラウスで、私の好みに
合致しつつも、確かに最新のファッションと思えるお洒落な代物だったわ。

「良かったぁ。井上せんぱいの見立てはバッチリでしたね!」
「ううん、みんなのアドバイスあってこそかな。わたしはあくまでデザイン的な
提案しかしてないしねぇ」
「それも謙遜でござろう。作画資料にファッション誌はほぼ押さえているとお聞
きしましたが。いやはや、流石はプロの審美眼でござるなぁ」
「うんうん、わたしのセンスじゃ黒猫さんに似合わないしねぇ。でもちょっぴり
でも意見を出せて良かったよー」
「ま、高坂とのデートにでも使ってくれや。ちなみに高坂の趣向もしっかり反映
されているんだぜ?」
「それは余計な一言ですよ!まったくデリカシーがないんですから」

 沙織たちだけでなく、田村先輩や三浦先輩、真壁先輩までも満足そうに頷いて
くれていた。
 確かに皆のアイディア、というのに間違いはないみたいね。

 私は感動の余りに身震いする思いで、皆に改めて感謝をしようとしたところで。

「それから……こっちは俺からだ。みんなの方には混ぜて貰えなくてなぁ」

 確かにただ一人、私への服のプレゼントを黙って見ていた京介だったけれど。
 不意に私の横へとやってきて、両手に抱えるくらいの包みを差し出してきた。
 勿論プレゼント用なので、こちらの包みも綺麗に包装されていたのだけどね。

 私はひとまずは恭しく受け取ると、すぐに包みを結わえていたリボンを解いた。
 京介のことだもの。後生大事に抱えているよりも、この方が良いのでしょうし。

「京介のはバッグなのね。しかも……随分としっかりとした」

 外観はオーソドックスでシンプルな-革のベルトでかぶせを軽く結わえている
のがポイントかしら-デザインの、淡い緑色のハンドバックなのだけど。
 とても柔らかな革の手触りや細部の作り込みから察するに、こちらもブランド
品で、恐らくは数万円は下らなさそうな代物に思えたわ。
 そう、普通なら高校生の彼女のプレゼントには、似付かわしくないくらいの。

「おっと、心配なら無用だぜ。これはきっちり俺が用意したプレゼントだからな。
詳細に関しては、割愛させて貰うが」

 京介は私の表情を一瞥して、言いたいことを凡そ察してくれたようだけど。
 あなたが一人で、というのなら、より見過ごせない問題があるじゃない……
 免許やマイカーで、あなたとてこれから資金が必要になる身の上でしょう?

「でも……こんな高価そうな」
「そこは言いっこなしですよ、瑠璃さん。京介さんはこのために、深夜にバイト
をいくつか入れていたのです。『初めての彼女の誕生日に、自分でプレゼントの
一つ揃えられなきゃ彼氏失格だろ?』と、大層張り切っておられました。私たち
の贈る服に合うような品まで選んで。その意を汲んで上げてくださいまし」
「おおい、槇島さん!?それこそ、そこは言わぬが華ってもんだろ!?」
「カッコつけてるだけじゃ、彼女だって不安になっちゃうものですよ、高坂せん
ぱい。特に瑠璃ちゃんはただでさえ心配性なんですから、しっかりフォローして
あげませんと」
「そ、そうか。えーっとだな、瑠璃」

 沙織と瀬菜に促されて、改めて私と向き合う京介。

「できるだけ隠し事も無茶なこともしないって約束してた矢先に、黙ってバイト
してたのは本当に申し訳ない。男の勝手な意地ってヤツだが……その、できれば
快く受け取って貰えると嬉しいぜ」

 京介は深々と私に頭を下げてまで、そんなことを懇願してくる。
 本来、プレゼントを貰ってお礼を言うのは、私の方でしょうに。

「ま、待って頂戴。そんなことを怒っていたのではないわ……」

 自分の想定外のことばかりで、思考と感情が追いついていなかっただけだもの。
 私は大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、京介を真っ直ぐに見据えた。

「勿論、言いたいことは沢山あるのだけど……そこまで想って貰えて、嬉しくな
いわけないじゃない。プレゼント本当にありがとう、京介」

 そして私も京介へ向けて、勢いよく頭を下げた。
 想いが溢れすぎて、それ以上顔を合わせていられなかったのが本音だけど。

 本当、私は大莫迦ものだわ。

 大学へ進学して一人暮らしを始めた京介が、どこか遠くへ離れてしまうのでは
ないかと不安になるあまりに、提案した毎日の家事手伝いだったのに。

 当の京介は、そんな私にも悟られないように。
 私のために慣れない生活の中、身を挺して頑張ってくれていたのだから。

 まったく、私は一体何を杞憂していたというのかしらね……

 ああ、でも。
 ひょっとすれば、京介だって私と同じだったのかもしれない。

 学校が別々になって、日中は想い人が預かり知らぬところにいる状況が。
 相手を想っている分だけ、居たたまれなくなってしまうこの気持ちがね。

「ふふっ、それにしても困ったものよね、私たち。皆にこうまでしてお膳立てさ
れているのに、まだ足りないなんて」

 そう思うと、思わず笑いも込み上げてしまったわ。
 お陰で溢れだしそうなものまで引っ込んでくれたから、正直助かったけれど。

「そう、かもなぁ。まあ不器用な分、俺たちなりにやっていくしかないってこと
だよな。みんなには勿論、全力で感謝だけどな!」

 京介は私の手を取ると、皆を振り返りながら互いの手を突き挙げた。
 そして私たちは、皆にもう一度頭を下げながら謝意の言葉を贈った。

 それに合わせて、その場にいる全員が、割れんばかりの拍手を贈ってくれた。

 本当に、最近は何かある度にそんなことを思ってしまうのだけど。

 皆の笑顔と、私たちを祝福してくれているこの拍手と。
 私の隣でそれを一緒に受けてくれている京介のお陰で。

 今日この日は、これからの私の人生において。

 最高の誕生日として記憶されるのでしょうね。

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