夜の帳が落ちたエリア11。
その闇夜にライトアップされた政庁が浮かんでいる。
ルルーシュは学園の屋上でその光景をただ無言で見つめ続けていた。
そんな彼の背後にはスザクが居た。
しかし、ルルーシュはスザクと向き合おうとしない。いや、今向き合う事は出来ないと言う方が正しいだろう。
ルルーシュの表情には隠しきれない程の苦悶と憎悪の色が浮かんでいたのだから。
原因は単純明快。
スザクは携帯片手に先程までルルーシュが会話していた人物、ナナリーと話しているからだ。
自分を売った男が何食わぬ顔をして最愛の存在と会話をしている。
幾らルルーシュと言えども、お得意のポーカーフェイスを貼り付ける事は不可能だった。
唯一の救いと言えるのは、スザクと話しているナナリーの声がルルーシュには聞こえない事だろうか。
ルルーシュは手摺に凭れ掛かり視線を落とす。そして、今度は心此所に有らずといった様子で中庭で行われている舞踏会を見つめた。
一方、スザクはそんなルルーシュの背中にチラリと視線を送った後、通話口から聞こえるナナリーの声に耳を傾けた。
『すいません。スザクさん』
「こっちこそごめん、ナナリー。変な期待させちゃったみたいで……」
ナナリーという単語にあらん限りの力で手摺を握りしめるルルーシュ。だが、背中が死角となりスザクがそれに気付く事は無かった。
『いえ、雰囲気が似ていたので驚いてしまって……あの……』
「何だい?」
言葉に詰まるナナリーに向けて、スザクは柔和な声色で問うた。だが……。
『学園の皆さんはお元気ですか?』
「っ!!」
返って来た問いにスザクは絶句した。すると、返答が無い事が余程不安だったのか通話口より響くのは震えるようなナナリーの声。
『スザク…さん?』
「えっ!? あぁ……うん……元気だよ」
『そうですか。よかった…よかった…』
依然としてナナリーの声は震えたまま。しかし、そこに先程までの不安の色は無い。
彼女が心の底から安堵している事が分かり、スザクは唇を噛み締める。が、今の彼の表情を知る由も無いナナリーは――。
『それでは来週エリア11で』
「うん」
『お会い出来る日を楽しみにしていますね』
待ち遠しさを隠しきれない様子で、やや高陽した口調と共に会話を切り上げた。
ナナリーとの通話が終わるとスザクは携帯を制服のポケットに仕舞い込む。
一方、漸く悪夢が終わりを告げた事に安堵したルルーシュは、気取られぬよう軽く一息吐くと振り向いた。
その顔に先程までの苦悶の色は無かった。仮面を貼り付けたルルーシュが問う。
「終わったか? スザク」
「終わったよ。ルルーシュ」
そう告げるとスザクはルルーシュの傍らまで歩み寄る。
ルルーシュは近づいて来るスザクに向けて極自然な笑みを浮かべてみせた。
「それじゃあ、行こうか。主賓が居ないままだと会長がふて腐れるぞ?」
「そうかな? 結構楽しんでるみたいだけど……分かったよ」
手摺より少し身を乗り出して中庭を見たスザクが苦笑すると、ルルーシュもそれに習う。その時、二人の視線が交差した。
目が合った彼等は互いに釣られるかのようにどちらとも無く気恥ずかしそうな笑みを浮かべると、肩を並べ出口に向かって歩き出した。
傍目に見れば、その光景は如何にも仲の良い友人同士だと映るだろう。
だが、彼等の間にはお互い一年前には想像も出来なかったような……深い谷が広がっていた。
――――――――――――――――――――――
一見、庭園かと見紛うばかりに花が咲き乱れる一室。
その部屋の中央に彼女、ナナリー・ヴィ・ブリタニアは居た。
彼女の表情は芳しくない。ナナリーには3つの懸案事項があったからだ。
一つは言わずもがな、兄であるルルーシュの行方。そしてもう一つは学園メンバーの安否だった。
皇族として復帰したナナリーは、それらを調べる術を持ち得なかった。何故か。
ブラックリベリオン以降、父である皇帝シャルルに彼女は学園との接触、その一切を禁じられていたからだ。
それでも気になったナナリーは皇族への復帰もそこそこに訪ねて来たシュナイゼルへ真っ先に相談したが、逆にルルーシュの捜索はアッシュフォード家の立場を危うくするとの指摘を受けてしまう。
そのような事を言われてしまえば心優しい彼女が動ける筈も無い。
ナナリーはこの一年ただひたすらに兄や学園の仲間の安否を気遣う事しか出来なかった。
だが、ここに来てルルーシュの無事はナナリー本人によって確認された。
本来なら彼女にとって何よりも喜ばしい事の筈。が、ナナリーの表情は優れなかった。
それは単(ひとえ)にルルーシュから告げられた頼み事の真意と、その後のスザクの態度に起因する。
それらが新たな懸案事項として燻る事となったからだ。
――お兄様……スザクさんは嘘を吐いてるのかしら?
ナナリーは一人思考の海に沈む。が、未だルルーシュの真意は分からず仕舞い。
出口の見えない迷宮に迷い込みそうになったナナリーは、ひとまず残りの懸案事項へと思考を切り替えた。
――学園の皆さんは元気……良かった。本当に……。
スザクから告げられた言葉を胸の内で反芻した時、ナナリーはやっと表情を和らげた。
と、同時に最後の懸案事項も霧散していった。
最後の懸案事項。それは、突如として現れた新しい異母兄、ライ皇子に関する事だった。
学園での記憶を奪われたライは一年近く前、皇族としてオデュッセウスを始めとする他の皇族達と顔合わせをしていた。
そこにシャルルの意図があったのかは定かでは無いが、復帰したばかりのナナリーはその場には呼ばれなかった。
8年近くも他の兄姉とは疎遠となっていた彼女をオデュッセウスやシュナイゼルは快く迎え入れたが、対するギネヴィアやカリーヌはナナリーを疎ましく思う傾向が強く、会話らしい会話を交わしていない。
特にカリーヌは殊の外ナナリーを毛嫌いしており、久方ぶりの再会であるというのに陰湿な言葉を浴びせた程だ。
結果として、その事をナナリーに知らせたのはオデュッセウスだった。
当初、その名を聞いたナナリーは大層困惑し執拗に問うたが、オデュッセウスが知っているのは容姿程度で詳しい事は一切知らされていなかった。
しかし、余りにも執拗に問うナナリーに困り果てたオデュッセウスは「何れ会う機会もあるだろうから、その際に尋ねてみるといいよ」と窘めるとその場を後にしてしまう。
困ったナナリーはシュナイゼルにも同じ事を問うたのだが、シュナイゼルに至っては「彼の事は放っておこう」との一点張りでライに関する情報は一切引き出せなかった。
初めて見せるシュナイゼルの頑な態度を若干不思議に思いつつも、ナナリーが次に訪ねたのは警護担当として赴任してきたアーニャだった。
が、アーニャの答えはオデュッセウスのものとそう大差が無かった。
その為、最後にナナリーは藁にも縋る思いでアーニャと同じくその場に居たというスザクに尋ねた。
だが、スザクは「殿下は彼とは別人だ」と断言してしまう。
スザクの発言は嘘と言えば嘘になるが、聞きようによっては真実とも言える。あのライはライでは無くライゼルなのだから……。
ナナリーはその時のスザクの悲しそうな口振りが気になりつつも、やっと安心する事が出来た。
そうして、やっぱり有り得ない事だった、同名の別人なのだとの結論に至った。
至ったのだがそれでも妙な胸騒ぎが消える事は無く、それは彼女の心を燻り続けた。
その結果、近いうちに会って自分自身で確認すればいいと己に言い聞かせたのだが、彼女の思惑とは別に二人は終ぞ出会う事は無かった。
ナナリーは先程のスザクの言葉を今一度反芻する。
そして、その中には当然ライも入っているのだと思った。いや、思い込んでしまった結果、ナナリーの懸案事項は一つとなった。
但し、その事で彼女の気が楽になる事は無い。
彼女にとってルルーシュの真意が分からない事は何よりも心苦しいのだから。
しかし、今はそれよりも重要な事が有るのをナナリーはまだ知らない。
暴君と化したライが今この時、銀色の仮面を被りカリフォルニア基地を騒がせていたという事を……。
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コードギアス 反逆のルルーシュ L2
~ TURN04 太平洋奇襲作戦(前編)~
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機情の長を出迎えるべく、左右に分かれた兵士達が居並ぶメインターミナル。
当初、そこに現れたカリグラの姿を見た兵士達は、ゼロを彷彿とさせるその容姿に慌て蓋めいた。
が、幸いにも到着前に皇帝の身辺警護を司る特務総督府より連絡が入っていた為、警戒こそすれカリグラを拘束しようという動きは無い。
尤も、彼に対してそのような行為に及べばこの場に居る者達全員良くて人形、悪ければ屍に成り果てるだけだが。
ざわめく兵士達を余所に悠々と歩みを進めるカリグラ。そんな彼の視線の先には二人の男女が居た。
二人の傍まで歩み寄ると仮面の奥でライはその内の一人、眼鏡を掛けた男を見定めた。
「出迎エ御苦労。オ前ガ"ロイド・アスプルンド"カ?」
「そうだよ。そういう君がカリグラ卿だね?」
問われた男、ロイドは飄々とした口調で返す。するとロイドの傍に居た女が慌てて咎める。
「ちょっとロイドさん!……も、申し遅れました。セシル・クルーミーです」
全く物怖じしないロイドにセシルは気が気でなかった。
しかし、カリグラは特に気にも止めずにセシルの名乗りに小さく首肯して返すと言った。
「早速ダガ、私ノ軍馬ヲ見タイ」
「軍馬? 面白い表現をするね。まぁいいや、どうぞどうぞ」
足取り軽く案内役を買って出たロイド。そんな彼の後ろをカリグラは無言で続く。
喧噪醒めやらぬメインターミナルが視界に入っていないのか。
まるで無視するかのようにその場を後にする二人の姿に、皆の奇特な視線が痛いセシルは一人肩を竦めながら後に続いた。
メインターミナルを抜けた三人は連絡通路を進む。
通路のガラス窓の向こうには、滑走路と無数の巨大な航空艦が離陸前の整備を受けている光景が広がっている。
カリグラは歩きながらガラス窓の向こうに見えるその光景を眺めていた。
隣には相変わらずの態度で楽しげに語るロイドの姿。
その後方を歩むセシルは憮然とした態度であったが、最早咎める気も起きないようだ。
「いやぁ、君の騎乗データを見せてもらった時は本当に驚いたよ?」
「………」
「何せ久々だったからねぇ。スザク君クラスのデータを見るのはさ」
反応が無い事などまるでお構いなしといった様子で嬉しそうに語り続けるロイド。
しかし、スザクという名が出た時カリグラはやっと反応を示した。
「"ナイトオブセブン"……」
「そうそう。君の反応速度は彼には及ばないみたいだけど、それも僅かな差……いや、部隊指揮のシュミレートじゃ完全に上回ってる。よく似た身体能力なのに、タイプは全く違うよねぇ。ンフフ」
脳裏で二人のデータを思い浮かべているのか、ロイドは恍惚の笑みを浮かべていた。
そんなロイドの台詞に背後からセシルが追従する。
「そうですね。スザク君は例えるなら一騎当千の騎士ですけど、あなたはまるで――」
「ソレ以上ハ止メテオケ。帝国デソノ名ヲ冠スル事ガ出来ルノハ皇帝陛下只オ一人」
「し、失礼しました!」
カリグラが振り向く事無く窘めると、セシルは慌てて謝罪した。
すると、ロイドは意外だとでも言いたげな口調で呟いた。
「ふ~ん。優しいところもあるんだねぇ」
「何ガダ?」
「君の噂は色々と聞いてるよ? 機密情報局長官、カリグラ。公爵さえも粛清する男。一部の人達は君を帝国の影の暴君だって言って畏れてる」
公爵・粛清。それら二つの単語を聞いたセシルは瞳を見開いた。
「えっ!? あの事件って……」
「そう、彼の仕事だよ」
告げられた事実にセシルは今更ながら目の前を歩む男、カリグラに畏怖の眼差しを送った。
一方、ロイドは「ねぇ?」とでも言いたげな視線でカリグラを見やるが、カリグラの視線は相変わらず窓の向こう。
「ヨク知ッテイルナ」
「貴族社会は狭いからねぇ――っと、着いたよ」
特に気にした様子を見せず、ロイドは壁に埋め込まれたパネルに指を走らせアヴァロンへと続く扉を開いた。
◇
そのアヴァロン内部にあるナイトメアの格納庫。
そこには新型のヴィンセント指揮官機を初めとする数体のナイトメアが鎮座しており、格納庫内では慌ただしく動き回る技術者が多数見受けられる。
だが、そこには明らかに技術者では無いと分かる二人の男が居た。ギルフォードとデヴィッドだ。
デヴィッドは眼前に佇む一機のナイトメアを見上げると疑問を口にする。
「この機体は何なのでしょうか? ギルフォード卿……」
問われたギルフォードもまた、デヴィッドと同じくその機体を見上げると顎に手を当てた。
「枢木卿のランスロットに似ているが……頭部が全く違う。それに、あれはフロートユニットか? 初めて見る形だ……」
「しかし、フロートにしては少々小さ過ぎませんか? この大きさの機体を飛ばせる程の出力があるのでしょうか?」
「……見た目だけでは判断出来ないな」
二人は互いに言葉を交わしながら、眼前に佇むナイトメアについて考察していた。
ギルフォードが言ったようにそのナイトメアは傍にある彼等の機体、ヴィンセント量産型や指揮官機とは明らかに違っていた。
外殻はランスロットを基調としているようでもあるが、頭頂部にその存在を雄弁に主張する1本角と深い海のような蒼い双眸、そして輝く銀色の体躯。
その間接部位は黒色で、それが銀色と相まってこの機体の存在を更に際立たせている。
更に特筆すべきはその大きさ。隣に控えるヴィンセントより頭二つ程抜け出ていた。
「枢木卿専用の新型でしょうか?」
「それは……無いだろう。先程ロイド博士はコンクエスターの整備に手間取った、と仰っていたからな」
ギルフォードはやや困惑した様子で返すと、格納庫の中央に主の如く佇む白いナイトメアに視線を移す。
「あれがコンクエスターだろう」
「では、これは?」
「分からない。しかし……」
再度の問いにギルフォードは言葉に詰まった。するとその時、入口より楽しげに語るロイドの声が格納庫に響いた。
二人はほぼ同時に背後を振り向く。
すると、ロイドの隣を歩む仮面の男が視界に入ったデヴィッドは思わず吐き捨てるかのように言った。
「彼奴は……」
「やめておけ」
「……はい」
しかしギルフォードに咎められてしまい、デヴィッドは渋々といった様子で口を噤んだ。
「お久しぶりです。カリグラ卿」
ギルフォードが軍隊式の敬礼で出迎えるとデヴィッドは無言で後に続く。
すると、カリグラが応じる前にロイドが口を開いた。
「あれ? 知り合いだったの?」
「えぇ、ですが――」
「実際、コウシテ直ニ会ウノハ初メテダガ……久シ振リダナ、"ギルフォード卿"。アノ作戦以来カ……」
「その節は……申し訳無い」
ギルフォードは若干表情を強張らせつつ謝罪した。
しかし、カリグラたるライとしてはほぼ思惑通りに動いたギルフォードを咎めるような気は起きなかった。かといって、褒めるのかと言えばそれこそ有り得ない。
「謝罪ハ不要。結果デ示セ。ソウダナ……案外近イウチニ訪レルヤモシレナイナ」
「近いうちに?……まさかっ!!」
「可能性ハ有ル」
短く頷くカリグラを見たギルフォードの瞳が光る。
「そう思うに至る情報を掴んでいると?」
「タダノ勘……イヤ、コレハ願望ダナ。ダガ、貴公ハ何モ思ワナイノカ?」
直ぐ傍で二人の会話を憮然とした態度で聞いていたデヴィッドは、その何とも曖昧な返答を聞いた瞬間、露骨に訝しんだ。
だが、ギルフォードは違った。彼は一言断りを入れると自身の思いを吐露した。
「いえ……ゼロは油断ならない男です。アプソン将軍にもご忠告申し上げたのですが、聞き入れては……護衛も不要とまで言い出される始末で……」
「危機管理能力ノ欠如。アレハ所詮ソノ程度ノ男ダ……デハ、共ニ行クカ」
その場に居た一同はカリグラの提案に心底驚いた様子で一斉に瞳を丸くした。その中で、皆を代表するかのようにセシルが問う。
「あ、あの……カリグラ卿もお乗りに?」
「アァ、陛下ヨリ允可ハ得テイル」
カリグラは面食らった様子のセシルに向き直ると外套の下から封筒を取り出した。
受け取ったセシルは中身を確認して一言、「た、確かに……」と述べると、満足げに頷いたカリグラは指示を下す。
「"レーダー網"ニ引ッ掛カラナイヨウ艦隊ノ後方ヲ飛ベ。"アプソン"ニ気取ラレルノハ面倒ダ」
「こちらの方が先に進発する予定ですけど……」
セシルは少々不満げに言った。既に管制塔には飛行計画を提出済みであり、作成したのは彼女だったからだ。
だが、当然それはカリグラには関係の無い事だった。
「修正スレバイイ」
平然と告げられたセシルは、思わず視線でロイドに助けを求めた。が――。
「従うしか無いんじゃない?」
「……他人事ですね」
ロイドに裏切られた格好となってしまったセシル。
が、カリグラの手前声高に拒否する訳にもいかず抗議の眼差しを浮かべるしか無かった。
一方、ロイドはそんな寒々しいまでの視線を受けても「雑務は任せてるからね~」と何とも軽いノリで告げるのみ。
カリグラに至っては、見向きもしていない。
そんな中で唯一焦った素振りを見せたのはギルフォードだった。
「で、では、我々はこれで。皇女殿下へのご挨拶に伺いますので……」
セシルの不機嫌さを感じ取ったギルフォードは、デヴィッドを引き連れるとそそくさとその場を後にした。
ロイドはヒラヒラと手を振りギルフォード達を見送った後、カリグラの前方に歩み出る。そうして振り向くと両手を広げ嬉々とした笑みで告げた。
「おめでとぉ~。これが君の機体だよ」
しかし、対するカリグラは何のリアクションを見せる事無く、腕を組むと眼前に佇む機体を無言で見上げていた。
ロイドもまた、それ以上語る事無く機体に視線を移す。
暫しの沈黙が流れる。
やがて、未だ眺め続ける二人の傍を気を取り直したセシルが通り過ぎる。
彼女は機体の足下にある機器類にまで至ると書類を手に取り説明を始めた。
「多少違う箇所もありますが、外郭はランスロットを基調としています」
銀色の仮面の下。ライは機体に宿る蒼色の双眸を見つめつつ、セシルの解説に耳を傾ける。
「全高は5.65m。全備重量は9,327kg。装備目録はこちらになります」
セシルは機器類の上に置いてあった厚手のファイルをカリグラに手渡すと、やや誇らしげな面持ちで概要を語り始めた。
「指揮官機をご希望との事でしたので、各種の情報処理能力とデータリンク。他にはECCMへの抗堪性及び索敵能力を強化しました。それらは隣にある指揮官機より上です」
「何しろ予算は潤沢だったから」
セシルの解説にロイドが合いの手を入れた。余談ではあるが、ロイドはその資金を幾らかランスロットに回していたりする。
二人の説明を聞きつつ、カリグラは書類を読み進める。
「麾下"ナイトメア"及ビ艦船ノ発射管制サエモ統治下ニ置ケルカ」
「はい。この機体に搭載されている命令権限を上書き出来るのは皇族方の直接命令のみです。しかし、ラウンズ専用機には元より拒否権限が与えられています」
「ソレラヲ除ケバ概ネ絶対遵守ノ命令ニナルトイウ訳カ……」
カリグラの呟きに対してセシルは小さく頷くと説明を続ける。
「他の装備は現行のランスロット・コンクエスターと概ね同じですが、ハドロンブラスターは取り除いています。その代わりと言っては何ですが、遠距離用装備として強化型ヴァリスを採用しています」
「理由ハ?」
「ハドロンブラスターは、発射時に姿勢制御を必要とするので機動性に難点が残ります。その点、この機体は現行のナイトメアの機動性能を限界まで追求していますから」
「ソレニシテハ、ヤヤ大型ノ機体ダガ?」
「ですから新型のフロートユニット、エナジーウィングを搭載しました………試作型ですけど」
「成ル程………待テ、試作型ダト?」
最後の一言が引っ掛かったカリグラは顔を上げると問うた。が、それに対する答えは直ぐ横に居たロイドから発せられた。
「そうだよ。理論は彼女が完成させてるんだけど、なにぶん実戦データが不完全でね。いきなり僕のランスロットに装備する訳にはいかなかったからさ」
「私ノ"データ"ヲ使ウ気カ?」
ロイドの意味する所を察知したカリグラは二人を交互に見据えた。視線が合った気がしたセシルは自然と後退る。
しかし、ロイドは「そうだけど?」とあっさり白状すると特に悪びれる様子も無く笑った。
そんな無邪気な子供のような笑みを向けるロイドを見て、カリグラは少し拍子抜けした。
「飛ブノダロウナ?」
「それは流石にテスト済みだよ。ただ、もう少しデータが欲しいんだよね」
「ソウシテ得タ"データ"ヲ元ニ、完成型ガ"ランスロット"ニ搭載サレルノダロウ? ナラバ――」
「今何かと忙しいんだよね、彼。でも、そこに君が現れた。ランスロットとの適合率89%っていう君がね」
「………」
「シュミレート値を当て嵌めただけだから誤差はあるけど、それを差し引いてもこの数値は十分優秀だよ」
ロイドの視線を受けて、モルモットにされるのは我慢ならないと思ったライ。
だが、彼は躊躇した。取り外させるには書類に記載されているスペックは余りにも魅力だったのだ。
ライは手に持った書類に再び視線を落とす。
「型式番号Z-01/X――」
「機体名はトライデント。陛下直属の機密情報局、そのトップが乗る機体としてはいい名前だと思うけど?」
「ちょ、ちょっとロイドさんっ!!」
ニヤリと口元を緩めるロイドを見たセシルが慌てて止めに入るが――。
「陛下ハ"ポセイドン"カ?」
シャルルの容姿を思い起こしたのか、仮面の下でライは微苦笑を浮かべると僅かに肩を揺らした。
それを見たロイドはすかさず釘を刺す。
「僕はそこまで言ってないよ~」
が、その顔には笑みが浮かんでいた。セシルはそんな二人を見てただただ唖然とするばかり。
「シカシ、何処ガ"トライデント"ダ? アレデハ"ランス"ダガ……」
顎で機体を指し示すと率直な感想を述べるカリグラ。すると、ロイドは「待ってました」とでも言わんばかりに破顔した。
「セシル君。見せてあげて」
「はぁ……分かりました」
二人のやり取りに付いて行けなくなりつつあったセシルは、切り替えるかのように溜息を一つ吐くと声を張り上げた。
「全員一時作業を中断して!」
格納庫内にセシルの声が響いた。
それまで彼等を横目に黙々と作業をしていた技術者達の手が一斉に止まる。
技術者達の視線を一身に受けたセシルは再び口を開く。
「今から起動させます。データのバックアップをしておくように」
セシルが理由を告げると、技術者達は再び慌ただしく動き始めた。それを不思議に思ったカリグラはロイドに問う。
「ドウイウ意味ダ?」
「この機体は起動時に大規模な電波障害を発生させるんだよ。機体に内蔵してる高出力のレーダーとサクラダイトが干渉し合ってるんだけどね。一度、作業中に起動させちゃってデータが吹き飛んだ事もあったからさ」
「電磁波ノ類カ? 身体ニ悪ソウダナ……」
「ほんの2~3分の事だし。まぁ、大丈夫でしょ」
根拠の無い言葉だったが、仮面の下でライは思わず顔を顰めるに留めた。
やがて全技術者からのバックアップ完了の知らせを受けたセシルは、そこで始めて機体の足下に設置してあるコンソールに指を走らせた。
機体より小気味良い電子音が格納庫内に響き渡る。
「起動しました。続いて、指揮形態に移行します」
セシルが告げた次の瞬間――。
ジャキンッ!!
トライデントの頭頂部に有る一本角。それが三叉に分かたれた。
「成ル程、コレガ……」
それを仮面越しに認めたライは納得した様子で呟いたが、次の瞬間には彼は思わず目を見張っていた。トライデントの双眸が蒼から紅に変わったからだ。
――これではまるで……。
「データリンク完了。システム異常無し。トライデント、形態移行完了しました」
「今は、このアヴァロンのメインシステムと連結させてるよ」
二人からの知らせに、ライは紅く変化した双眸を見つめながら問う。
「……当然、理由ガ有ルノダロウナ?」
その最もな問いにロイドは「まぁね」と前置きした後、再び口を開く。
「君が望んでる複数の大部隊への指揮を一度に処理出来るような演算システムは、大き過ぎてナイトメアには積めないからね。一個小隊規模なら十分可能だけどさ」
「膨大ナ情報処理ハ艦船搭載ノ"システム"ニ行ワセルト言ウ訳ダナ?」
カリグラの指摘にロイドは短く首肯した。が、急に神妙な面持ちになると言葉を紡いだ。
「……そこで一つ。胸部部分への被弾には注意してね。この機体の心臓部とも言えるAPA方式のレーダーとESMを内蔵させてるから。ここが損傷したら指揮どころじゃ無くなるよ」
「分カッタ。ソレデ? ソノ"レーダー"ノ有効範囲ハ?」
「最大で約250kmです。しかし、このレーダーはモードとの組み合わせ次第ではそれ以上の索敵能力を発揮出来るかと……」
「確カニ最重要部位ダナ……」
「後は陸戦用としてファクトスフィアと熱源探査能力も向上させてる」
セシルとロイドからの説明を受けたカリグラは質問を変えた。
「良ク分カッタ。ダガ、個別戦闘ニ関シテハ?」
「コンセプトは指揮官機なんだけどねぇ……」
カリグラの質問にロイドはやや肩を竦めた後、告げた。
「まぁ、いいや。遅れは取らないね。でも、その際に気をつけて欲しいのは指揮形態のまま戦わない事。併用した場合のエナジーの消費量は尋常じゃないから、10分も戦えば空っぽになるよ」
「胸部ノ件トイイ急所ガ多イナ」
「それは君の理想が高過ぎるんだよ」
「ロ、ロイドさん!」
「ん? 何か間違った事言った?」
一見すれば非難とも取れるロイドの発言にセシルは慌てた。
しかし、当の本人はセシルに首を傾げて見せた後、カリグラに向き直る。
「指揮能力や索敵能力を特化する為に性能の大部分をそこに持って行ってるんだよ? 同時に個別戦闘でも圧倒しろってのがそもそも無茶な話だもの」
「ダガ、オ前ハ遅レハ取ラナイト言ッタ……ソレヲ可能ニシテイル絡繰リハ?」
「君の実力も理由の一つだけど、コアルミナスと機体各所に使用しているサクラダイトの比率はランスロットより多いからね。勿論、多ければ良いってもんじゃないよ。そこは――」
「制作者ノ腕ガ物ヲ言ウ?」
ロイドの言葉を遮ったカリグラは値踏みするかのように仮面を向ける。対するロイドは口角をやや吊り上げて見せた。
「そういう事。えぇと、他には――」
そうして、ロイドが再び口を開いたその時――。
「私のエナジーウィングですねっ!」
セシルの声が周囲に響いた。
「はいはい、そうですね」
ロイドが少々拗ねた様で口を尖らせると、それまで一歩引いていたセシルが胸を張って前に出る。すると、不承不承といった様子でロイドは語り始めた。
「彼女が言った様に、これの機動性能は既存のフロートユニットとは一線を画す程。絶対の制空権を与えられてると言ってもいいね」
「シカシ、実戦投入ガ成サレタ事ハ一度モ無イノデハ無イカ。アクマデモソレハ机上ノ話ダロウ?」
ロイドの賞賛混じった説明を誇らしげな笑みを浮かべながら聞いていたセシル。
カリグラの発言にも彼女が笑みを崩す事は無かったが、その額にはうっすらと青筋が浮かんでいた。
それを見たロイドの表情が強ばる。笑いながら怒るセシルの怖さを良く知っていたからだ。
「い、今はね。でも、間違い無いと言ってもいいよ」
「マァ良イ。乗レバ分カル事ダ……」
ロイドの狼狽を余所に、再び眼前の機体を見上げたカリグラはポツリと呟いた。
「短期間デヨク作ッタモノダ」
「あれ?褒めてるの?」
「タダノ感想ダ」
食いついて来たロイドを軽くあしらうかのように言うと、あしらわれたロイドは微笑を浮かながら同じように機体を見上げた。
「開発計画は昔から有ったからね」
ロイドの言葉にカリグラは僅かに首を傾げて続きを促すと、その役目をセシルが買って出た。
「以前より指揮官機を含む次世代機の開発計画は進められて来ました。トライデントはその初期に考案された計画を元に製造されています。ただ……」
「適正を満たせるパイロットは片手で数える程度でさ。結果、製造コストが跳ね上がっちゃって計画は頓挫。その後に僕のランスロットが注目された。当然だけど」
「最終的にはシュナイゼル殿下の後押しもあり、ランスロットをベースにした今の次世代機の量産が始まりました」
シュナイゼルの名前に仮面の下のライの片眉がピクリと動く。が、二人がそれに気付く事は当然無い。
ライは仮面越しに紅く変化した双眸を見つめながら言葉を紡ぐ。
「幻ノ機体ト言ウ訳カ……世代ハ?」
「計画された当時は第4世代が主流だったけど、性能としては第8世代と第9世代の中間ぐらいかな。当時としては、規格外の怪物だね」
「シカシ、ソノ怪物デサエ至ラナイ……第9世代トハ一体ドレ程ノモノニナルノダロウナ」
「ンフフ、興味有る? だったら、それを見る為にもエナジーウィングのデバイサー頑張ってね」
「………………」
ロイドの要望にカリグラが沈黙でもって答えると、暫しの間周囲に静寂が訪れた。
やがて、徐にカリグラが口を開く。
「角モソウダガ、瞳ノ色ガ変ワル……面白イ趣向ダナ」
「あぁ、それ? 陛下の指示だったんだよね」
あっけらかんと告げたロイド。その言葉に思わず瞳を見開いたライは慌てて仮面を向けた。
「何ダト?」
「あれ? 言ってなかった? これの開発資金を出したのは――」
「皇帝陛下自らお出しになられました」
セシルの一言に、仮面の下のライの表情は開いた口が塞がらないといった様子でいた。
しかし、そこまでの驚きとは知るよしも無いロイドは飄々と語る。
「頼めば幾らでも予算が下りて来るんだもん。ホント、潤沢過ぎて逆に怖いくらいだったよ」
「………………」
「あの……カリグラ卿?」
微動だにしないカリグラを不思議に思ったセシルは恐る恐るといった様子で尋ねると――。
「クハハハッ!」
カリグラは突如として笑い出した。格納庫に哄笑が響き渡る。
やがて、呼吸を整えたカリグラはやや肩を震わせながら言った。
「陛下ノゴ期待ニ沿ワネバナ」
そうして再び銀色の機体を見上げた。
――味な真似をしてくれる……。
仮面の下でライが射抜かんばかりの視線を機体に浴びせていた時、彼の肩にロイドが手を置いた。
「ところでさ。出発が延びた訳だし、君は暫くはこの基地に滞在するんだよね?」
「ソレガ?」
それを不快そうに手で払ったカリグラ。一方で、全く気にしていないように笑みを浮かべるロイド。
「ちょっとシミュレーションして行かない? こっちとしては、データも欲しいしさ」
「…良イ考エダナ」
一瞬の思考。しかし、シュミレート事態は嫌いでは無かったライは、暇潰しにはなるか、と思ったのだろう。次の瞬間には同調していた。
それを受けて、再びロイドの顔が破顔する。
「決まりだね。じゃあ、セシル君。準備よろしく」
「はい」
その後、次から次へと湧き出て来るシュミレーションに、心身ともに疲れ果てたライは自身の決断を心底後悔する事となった。
最終更新:2009年10月24日 22:20