太平洋の大海原。その上空を一隻の航空艦が飛行していた。
その艦、アヴァロンのメインブリッジでは、手元のコンソールパネルに視線を落としながら眉間に皺を寄せたセシルが常人には近寄り難い雰囲気を醸し出している。
そんな只ならぬセシルの雰囲気に気付いたロイドは彼女の顔を覗き込んだ。
「どうしたの? えらく不機嫌みたいだけど?」
しかし、彼女が顔を上げる事は無かった。
「あれ、どうにかならないんですか?」
「あれって?」
ロイドは皆目見当がつかないようで首を傾げてみせると溜息一つ、小さく肩を落としたセシルはやっと顔を上げるとそっと後方へ視線を移す。
彼女の視線の先に居たのは、足を組みブリッジに据え付けられた椅子に悠然と腰掛けると、手に持った書類に目を通す仮面の男、カリグラの姿だった。
普段、腰に据えている剣は彼が嚮団に居る時と同じ位置、椅子の左側に立て掛けてある。
それを見て、ロイドはやっとセシルの不機嫌な理由を理解したのだが――。
「どうにもならないでしょ」
考える素振りなど微塵も見せずに言い放つロイドに、セシルは心底呆れた表情を向けた。
「どうにもならないって……ロイドさん。この艦はどなたの持ち物でしたっけ?」
「あれ? 忘れちゃったの? シュナイゼル殿下だけど?」
「分かってます!」
飄々としたロイドの態度に業を煮やしたセシルは思わず声を荒げたが、慌てて口を塞ぐと恐る恐るといった様子で振り向いた。
しかし、カリグラは相も変わらずに我関せずといった様子で書類を捲っている。
ホッと胸を撫で下ろしたセシルは囁く。
「あそこには、本来そのシュナイゼル殿下や他の皇族方しか座れない筈ですよ?」
「じゃあ、それを彼に言える? 僕はとてもじゃないけど言えないねぇ」
「ハァ……それは――」
締まらない笑みを浮かべるロイドを見て、深い溜息と共にセシルが苦言を呈しようとした時、二人の元に血相を変えた兵士が走り寄って来た。
「ロ、ロイド伯爵ッ!」
「何々? どうしたの?」
尋常では無い様子を見てもなお、嬉しそうに瞳を輝かせるロイド。対照的にセシルは不安そうに兵士を見やると――。
「新総督を乗せた旗艦より救援要請を傍受しました!」
兵士の報告に悪い予感が的中したのか、セシルは顔を蒼褪めさせた。すると、これにはロイドも僅かばかりに瞳を細めると硬質の声色で問うた。。
「内容は?」
「ハッ! 太平洋上で黒の騎士団の奇襲を受け――」
逼迫した様子で語る兵士。しかし、その言葉は最後まで語られる事は無かった。
「格納庫ニ繋ゲ!」
書類を放り出したカリグラは勢い良く立ち上がると、命を受けた通信兵は慌てて回線を開く。
「…ど、どうぞ!」
一瞬の間の後、ブリッジにある大型モニターにギルフォードの上半身が投影された。
「"ギルフォード卿"。黒ノ騎士団ガ現レタソウダ」
開口一番告げられた事実に、ギルフォードは複雑な表情を浮かべた。
『あなたの願望通りになりましたか』
「貴公ノ懸念通リデモアルガ?」
『……確かに』
思わぬ指摘だったのか、苦笑するギルフォード。
「今頃"アプソン"ハ貴公ヲ連レテクレバ良カッタトデモ思ッテイルダロウナ」
そう言ってカリグラは僅かに双肩を揺らすと言葉を続ける。
「出撃セヨ。指揮ハ私ガ執ル」
『貴卿が、ですか?』
ギルフォードの表情が露骨に曇る。
すると、それを認めたカリグラは不満げに腕を組むと胸を反らした。
「問題デモ?」
『……Yes, My Lord』
ギルフォードは躊躇しつつも、直に肯定の言葉を告げると通信を切った。
カリグラは通信が切れると同時に立て掛けてあった剣を手に取り腰に据えると、足早にブリッジを後にしようとする。
しかし、そんな彼の歩みをロイドの言葉が引き留めた。。
「あのさぁ――」
「止メテモ無駄ダゾ?」
「まさか。こっちとしてもエナジーウィングの実戦データは喉から手が出る程欲しいからね。止める気なんて更々無いよ」
「ちょ、ちょっとロイドさんっ!!」
ロイドの嬉々とした口振りに慌てるセシルを無視して、その真意を今一つ読み切れないでいたカリグラは問う。
「デハ何ダ? 手短ニ済マセロ」
「紅い機体には気を付けてね」
「……"紅蓮二式"ノ事カ」
黒の騎士団。紅い機体。それらの単語に該当するのは彼の知識の中でもたった一つ。
故にゼロの所業を報告書で知っていたカリグラ、もといライは自然とその名を口にした。
しかし、ロイドは意外だとでも言いたげに口を開く。
「あれ? 知ってたんだ。そうそう、その紅蓮だけど黒の騎士団が出張って来たなら、多分居る筈だからね」
「我ガ軍馬ナラバ恐ルルニ足ランダロウ?」
それがどうした、とでも言いたげに言い放ったカリグラはロイドに向き直った。それもその筈。
紅蓮の戦闘能力は、ブラックリベリオンにおいて鹵獲した藤堂達の月下に残っていた模擬戦データや、これまで蓄積したランスロットとの戦闘データと照合する事で詳細に解析済みである。
そもそも、その実力は過去、ランスロットと対等に渡り合った時点で折り紙付き。
そのランスロットが「白き死神」として他国より畏怖の対象となった今、その名はブリタニアのみならずブリタニアと戦火を交える国々にも波及する。
が、それでもそのスペックは第7世代クラス。
更には飛翔能力を持たないという点を鑑みても、第8と第9世代の中間点に位置するトライデントの敵では無い。
ライも当然それは承知していたからだ。
しかし、よもや自機の生みの親である筈のロイドが、何故に「気を付けろ」と懸念を顕わにするのか理解出来なかったライは、押し黙ると返答を待つ。
すると、それを察したロイドはカリグラの言葉を肯定した後、自身の思惑を告げ足した。
「僕もそう思う。それに、唯一紅蓮のポテンシャルを完全に引き出す事が出来た蒼い機体はもう居ないから尚更。けど、それでもあの機体のパイロット、腕はスザク君クラスだからさ。念の為だよ」
「資質ハ"ナイトオブセブン"ニ匹敵スル、カ……何レ"アノ男"トハ殺シ合ウ機会ガ訪レルヤモ知レン。前座ニハ丁度良イ」
「こ、殺し合うって……」
驚愕の表情を浮かべたセシルが呻くかのように呟くと、銀色の仮面が妖しく光る。
「"アノ男"ガ光デアッタノナラ、ソウハナラナイ。光ト闇ハ表裏一体。共存ハ可能ダロウ。シカシ、奴ハ私ト同ジ……イヤ、アレガ立ツノハ"夕闇"ダナ。マサカ気付イテナイノカ?」
「そ、それは……」
セシルは思わず言い淀んだ。
ユーフェミアを失ってからのスザクの瞳は光を無くしたかのように暗く、ラウンズに叙された当初に行われた御前試合ではジノ相手に我が身を顧みない闘いを繰り広げた程だ。
ジノ達他のラウンズとそれなりの親交を持つようになってからは、幾分か光を取り戻しつつあった瞳も嘗てのスザクを知るセシルからすれば十分に薄暗い。
そう、スザクの今の姿は正にカリグラが言ったようにセシルにとって夕闇の中、アテも無く彷徨い歩く幼子のように痛々しいものだったからだ。
しかし、返答に苦慮しているセシルに向けて闇そのモノとも言える存在、カリグラは愉快げに肩を揺らす。
「察シテハイルヨウダナ。マァ、己ノ行イヲ棚ニ上ゲテ、コノ私ヲ非難スル輩ダ。本格的ナ衝突ヲ迎エタトシテモ、何ラ不思議ナ事デハ無イ」
「そんな事は――」
させません!と言いかけたセシルを、しかしロイドが遮った。
「そうなったら、僕としては大切なデバイサーを失う事になるから止めて欲しいねぇ?」
「ロイドさん!! そんな呑気な――」
「ハッ!! ソレハ一体ドチラノ身ヲ案ジテノ台詞ダ?」
「へっ?」
「さぁ? どっちだろうねぇ」
呆気に取られるセシルを横に、惚けてみせたロイドの答えは実際のところ「どちらも」である。
1対1の戦闘では辛くもスザクに。しかし、部隊を用いての戦闘では圧倒的にカリグラに軍配が上がる、とロイドは予想していた。
しかし、誤解の無いように言っておけば、避けれるのであれば避けたいというのはロイドの中でも偽らざる本音だ。
そう、ロイドにとってスザクは優秀なデバイサーであり、それはカリグラに至っても同じだったのだから。
逆を言えば、ラウンズと機情のトップのどちらもロイドにとってはデバイサー扱いだと言う事でもあるが。
当然、カリグラたるライはロイドの心底に有るモノを察した。しかし――。
「……喰エン奴ダ」
仮面の下でライは苦笑混じりに咎めるに留めた。
飄々とした態度を崩さぬロイドに毒気を抜かれた為でもあるが、問い詰めた所でその発言はどうとでも言い逃れる事が出来るからだ。
踵を返したカリグラは再び歩み始める。が、今度は自ずと歩みを止めると思い出したかのように口を開いた。
「蒼イ機体。紅蓮トソレヲ以テ"ゼロ"ノ双璧ト呼ブ、カ。誰ガ言イ出シタノカハ知ラナイガ、嘗テ幾度トナク"ゼロ"ヲ討タントシタ"コーネリア殿下"ノ御前ニ悉ク立チ塞ガッタ者達トシテ、ソノ渾名ハ言イ得テ妙……クハハハハッ! 是非ニ揃ッテ手合ワセ願イタカッタモノダ」
それがよもや自分で自分を褒める言葉であるなど、今のライには思いも寄らない事であろう。
決して叶わぬ言葉を口にしたライは、悠々とブリッジを後にする。
やがて、扉が閉まるとその後ろ姿を見送ったロイドは独り言のように呟いた。
「面白くなって来たねぇ」
非常事態であるにも関わらず、その瞳は笑っていた。
そんなロイドを見て、セシルは深い深い溜息を零すのだった。
◇
旗艦に取り憑く黒の騎士団のナイトメア部隊。
作戦は順調に推移していた。しかし――。
『カレン、紅蓮の調子はどうだ?』
実働部隊の一人でもある杉山。その声は何処か不安げだった。
ここの所の激戦に次ぐ激戦をフルに戦い抜いて来た紅蓮は、元々右腕に問題を抱えていたのだ。
現在の紅蓮に装備されている甲壱型腕装備は、ブラックリベリオンにおいてランスロット・エアキャヴァルリーに破壊された右腕の代わり。
謂わば予備パーツで作られた応急代替でしか無い。
輻射機構は備わっているが、伸縮機構の簡略化や出力・連射力の低下。更には、自動でカートリッジの射出が行えないといった不具合を。
杉山はそれを思慮していたのだ。
しかし、一方でカレンはそんな杉山の思案を吹き飛ばすかのように気丈に振る舞う。
「大丈夫。手動だったらちゃんと動くし問題無いわ」
そう告げた彼女は手近な砲台を一基、輻射波動で破壊してみせる。そして――。
「ね? 安心――」
カレンが通信モニターに映る杉山に向けて笑みを浮かべてみせた時、突然その画面がホワイトアウトした。
「な、何これ? 杉山さん? 杉山さんっ!?」
カレンは慌てて通話を試みるが、画面は何も映し出さない。
それどころか通信機能させも麻痺したのか、スピーカーは雑音を響かせるのみ。
しかし、メインカメラに写る杉山とその部下達が乗った無頼に異常は伺えない。それは紅蓮も同じ事。
それらを確認したカレンは、ホッと一息吐くと周囲を見回す。
藤堂率いる四聖剣メンバーにも同じく動揺が広がっていた。
ちなみに、卜部はラクシャータ達との合流を優先しておりこの作戦には間に合っていない。
カレンは再び視線を落とすと通信モニターを見やる。が、そこは相変わらず白の世界。
だが、3分程経過してカレンがいよいよ故障を疑い始めた時、モニターは突然何事もなかったかのように杉山の姿を映し出した。
「え? あ、あれ?……今のは?」
『そっちもか? 分からない。電波障害の類いだと思うが……』
二人は一様に首を傾げるが、同時に通信機器の故障では無い事に胸を撫で下ろす。それは他のメンバーも同じだった。
そう、彼等は知らないのだ。
大規模な電波障害。それこそ、銀色の暴君が起動した合図だという事を……。
◇
「シールドを展開しても、その中に入っちゃえばこっちのものさ。航空戦力もお終いみたいだし。でも、復帰戦にしてはちょっと物足りないね」
先程起きた謎の障害を気にしつつも、朝比奈は墜ち行く護衛艦を見送りながら余裕ありげに呟いた。が――。
『浮かれていると因幡の白兎になるぞ?』
仙波の諭すかのような口調に朝比奈は苦笑する。
「はいはい、基本に忠実にってね」
そんな二人の通信を聞きながら千葉が口を開く。
「中佐。ゼロは?」
『艦内への侵入は果たしたようだが、その後はECCMの影響か、連絡が取れん』
藤堂が口惜しげな口調で呟くと、カレンがすかさずフォローに入る。
「ゼロなら大丈夫です! 私達もこれから艦内の制圧に――」
『ゼロを信じ過ぎるのもどうかと思うけどね』
『朝比奈。今はそのような事を――』
皮肉を漂わせる朝比奈の発言を咎めようと仙波が言葉を紡いだ時、突如として彼等の間をまるで縫うように緑色の光が三つ、通り抜けた。
刹那、爆音の三連発が大気を伝い彼等のコックピットを震わせた。
『うわぁっ!!』
『くそっ!』
『っ!? やられた?』
同時にスピーカーから響いて来る杉山達の悲鳴に、思わず振り返った藤堂達は愕然とした。
そこには、黒煙を上げる三機の無頼の姿があったからだ。
二機は頭部を、一機は左脚を失っていた。
やがて無頼達は事切れた人形のように、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。
『す、済まない! 後は――』
『『も、申し訳ありませんっ!!』』
杉山とその部下二人は、短く詫びるとコックピットブロックをパージ。
射出されたブロックは青海の中に落ちて行った。
藤堂達は杉山達が無事だという事に胸を撫で下ろしつつも、即座に緑色の光が飛来した方向に機首を向ける。
すると、その視線の先にあったのは飛翔する4機のナイトメアの姿。
同時に鳴り響くアラート音。
「ブリタニアからの――」
「援軍!?」
「バカなっ!? 早過ぎるわい!!」
朝比奈を皮切りに、千葉や仙波が驚きの声を上げる。
しかし、そんなただ中にあっても藤堂だけは一人冷静に状況を分析していた。
「いや、方角としては後ろ備え。それにあれは…フロートユニット?」
藤堂が眼前に迫る一団を睨み付けている頃、先頭を飛翔するナイトメアを見たカレンは――。
「そんな! あの機体はっ!!」
バベルタワーで遭遇した、神速を誇ったあの機体に良く似ている事実に驚愕の声を上げた。
◇
藤堂達が迫る機体に敵意を剥き出しにしている頃。
その機体の搭乗者たるギルフォードは感嘆の吐息を零していた。
「よもやあの距離から当てるとは……」
呟いたギルフォードは背後を見やる。彼の視界一面に広がるのは雲の海。
だが、僅かに出来た雲と雲の切れ目にそのナイトメアは居た。
長距離用に銃口を絞り込んだ新型ヴァリスを構えると、2対6面で構成された白銀色の翼に三叉の角を雄々しく広げ、深紅の双眸で艦の翼上に取り付いた藤堂達をまるで獲物でも見るかのようにジッと見据える銀色の機体、トライデント。
しかし、その姿は直ぐに流れて来た雲によって隠れてしまう。
この時点で、藤堂達がその存在に気付く事は無かった。
感嘆しているギルフォードに対して、スピーカーよりデヴィッドの声が響く。
『ギルフォード卿!』
「あぁ、そうだな。さぁ、幕を降ろそう」
我に返ったギルフォードは己に言い聞かせるかのように気を吐いた。
だが、既にその時彼の見据える先には急拵えとはいえ藤堂を中心として右より朝比奈・仙波・千葉が前衛を固め後衛に紅蓮が、といった防御陣形が出来上がっていた。
「あれを切り崩すのは骨が折れるが、さて……彼はどうするつもりか……」
藤堂相手では空を飛べる事は絶対的優位では無い事と、自機の機体特性を完全に把握出来ていない事。
そして、何よりもカリグラの指揮能力が未知数という事も相まったギルフォードは一人愚痴る。
しかしその頃、デヴィッドの駆るグロースター・エアには一本の秘匿通信が入っていた。
『"A2"、仇ヲ討チタイカ?』
「なに?」
『兄弟ノ仇ヲ討チタイカト聞イテイル』
「当然だ!!」
カリグラの問いに対して、先の総領事館での一戦でバートとアルフレッドを討たれていたデヴィッドは怒号を響かせる。
それは普段のカリグラ……いや、ライであったならば決して許しはしない口振り。
しかし、今の彼はそれを聞いても仮面の下で口元を歪ませ『ソウカ』とだけ呟くと――。
『貴様ハ勇マシク戦エルカ?』
続けざまに挑発めいた言葉を紡いだ。
「……何だと!?」
まるでアルフレッド達がそうでは無かったとでも言いたげな問い掛けに、激昂したデヴィッドは操縦桿を握り締めた。しかし――。
『怒ルナ。勇マシク戦エルノデアレバソレデ良イ』
デヴィッドの怒りの一切を無視すると、カリグラはオープンチャンネルに切り替える。
『"A1"ハ直進シ前衛中央ノ機体ヲ狙エ。"A3"、"A4"ハ両脇ニ陣取ル"二機"ヲ牽制。"A2"ハ翼下ニ潜リ込ミ指示ガアルマデ待機シロ』
ECCMの影響をものともしないトライデントのレーダー網には、この空域全ての敵味方情報が手に取るように分かる。
それを証明するかのように、機体のメインモニターには四つの仮想窓が浮かんでいた。
強固なデータリンクシステムを使い、ギルフォード達の機体のメインカメラが捉えている映像も収集していたのだ。
一息で命じ終えたカリグラは、彼等からの返答を待たずして通信を切ると仮面を外す。
「着弾点がズレた……あぁ、気流の影響か」
ライは杉山達を仕留めた狙撃が狙い通りの箇所に当たらなかった原因に思い至ると、直ぐさま手元のパネルを操作する。
「これで5対5だ。さぁ、始めようか」
そうして、望みのデータを手に入れたライが愉悦を帯びた口調で呟くと、レーダーに映るギルフォード達の機体が速度を増した。
すると、その時。
トライデントは雲海の中より一発の弾丸を、ギルフォードの背中目掛けて発射した。
◇
旗艦の後方より、大気を切り裂いて4機のナイトメアが迫る。
「来るよ!」
「分かっている!」
朝比奈と千葉はその内の一機。突出して来るギルフォード機を仕留めるべく己の機体、月下の左腕に備えられた速射砲の照準を合わせる。
が、同時にギルフォードの後方上面よりも2機が迫る。
それらにも対応しようとした結果、照準がブレる事となったがそこは藤堂。
「二人は両翼の敵に対応しろ!! 仙波! 抜かるな!!」
『『『承知っ!!』』』
藤堂は的確に指示を飛ばすと、三人は瞬時に反応してみせた。
しかし、その時出来た僅かな隙を突いてギルフォードの背面に居たデヴィッドが機首を下げる。
気付いた藤堂は再び声を張り上げた。
「船底に潜り込む気か。紅月君! 背後は任せる!」
『はい!!』
「仙波っ!! 来るぞ!」
『お任せを! さぁ来い! 相手にとって不足無し!』
藤堂は迫るギルフォード機を注視しつつも、同時に千葉や朝比奈にも指示を送りながら足下に潜り込んだ機体にも対処すべく周囲を見張る。
仙波機が腰より引き抜いた廻転刃刀を正面に構える。対するギルフォード機もまるで呼応するかのようにMVSを手に取った。
急接近する二機。
そして互いに刃を交えようとした次の瞬間、ギルフォードの機体は一転して急上昇。交戦を避けた。
「逃げるか! 張り合いの無い――」
虚を突かれた仙波は逃がすまいと目で追う。だが……。
『っ!? あれはっ!!!』
『避けろぉっ!!』
千葉と朝比奈。二人の絶叫が仙波の耳朶に触れる。
驚いた仙波が正面に向き直ると――。
「なっ!?」
彼の眼前には緑色の光弾が迫っていた。
それは、先程トライデントが放った一撃。
光弾はギルフォードの機体を死角としていたのだ。
「お、おのれっ!!」
仙波は回避するべく操縦桿を握り締めるが、避け切れるまでの確証は持てなかった。
よしんば避けれたとしても、その場合後方に構える藤堂達にまで危害が及ぶ可能性がある。
咄嗟の判断を下した仙波は、アームブロックの構えを取った。
着弾。
轟音が響き渡った。藤堂が叫ぶ。
「っ!? 仙波ァァァッ!!」
突然の出来事にカレンも思わず振り返ると、飛び込んで来た光景に彼女は思わず息を呑んだ。
視界に映るのは、尋常ならざる程の黒煙を上げる仙波の月下。その後ろ姿だったからだ。
「そんな……仙波さん!!」
「無事か、仙波!?」
『な、何……とか……』
藤堂とカレン。二人の問いに対して、着弾時の衝撃により意識が朦朧としているのか。仙波の声に先程までの覇気は無い。
そんな最中、左隣に陣取っていた千葉は仙波機の惨状を目の当たりにした瞬間、悲鳴に近い声を上げていた。
「酷い…脱出して下さい。その機体ではもう戦えません!!」
千葉の言は当然の事と言える。
仙波の月下は両腕のみならず頭部も吹き飛び、機体前面の装甲も完全に喪失。
更には動力部までもが剥き出しになっており、そこから漏電の為か火花が散っていた。
素人目に見ても戦える状態で無いのは一目瞭然だったのだから。
『し、しかし、装置が作動せん…のだ……』
「っ!? それなら!」
弱々しく口を開く仙波に、一刻の猶予も無いと判断した千葉が刃を振るう。
彼女は機体とコックピットブロックを強制的に切り離すと、駆け寄った朝比奈機がそれをキャッチ。
続け様に千葉は噴煙を纏う仙波機を蹴り落とすと、海面に落ちる只中で機体は激しく爆散した。
『す、済まん…』
「パラシュートは、無事みたいですね。それじゃ、行きますよ」
『ちょ、ちょっと待っ――』
朝比奈はコックピットブロックに損傷の無い事を確認すると、仙波の静止も聞かずに放り落とす。
『ぬわぁぁぁっ!!』
コックピットブロックが仙波の絶叫を纏いながら大海原に吸い込まれていくと、一部始終を見ていたカレンが問う。
「だ、大丈夫なんですか?」
すると、眼下を覗き込んでいた朝比奈が口を開いた。
「……パラシュートの作動を確認。うん。大丈夫」
『朝比奈、お前……』
これには千葉も呆れ顔。
そうこうしていると、敵機が後退する素振りを見せた事に一人警戒の念を怠らなかった藤堂が問う。
「朝比奈、今の攻撃は?」
『俺が相手にしてた機体からじゃありません』
朝比奈が否定の言葉を紡ぐと、我に返った千葉も後に続いた。
『私の方もそうです。むしろ、その後方……あの雲海の中から飛来したように見えました』
「……間違い、無いか?」
『『はい』』
二人からの報告を聞いた藤堂は、口を真一文字に結ぶとレーダー画面を見つめる。
そこには彼等以外では船底に潜り込んでいるデヴィッド機を除けば三機の敵影しか映し出していない。
何故なら、今の月下の索敵範囲はECCMの影響下という事もあり5km四方程度である。しかし、対する雲海までの距離は10km近い。
その事実に藤堂は眉を顰めると一瞬、そんな射手が居る筈が無い、と心中で否定しかけた。
千葉の発言をまともに聞いた場合、それ程の距離があるにも関わらずその射手は撃った事になるのだから。
しかし、一方で千葉の優秀さも藤堂は良く理解しており、簡単に「見間違いだろう」と切り捨てる事も出来なかった。
故に思う。確かに、それは最も旗艦に被害が及ばぬように考慮した射撃だ、と。
上空からの射撃ならば気付かれる可能性は低いが、万が一気付かれた場合、そして避けられた場合は確実に旗艦の翼を傷付けてしまう。
対して、翼上に対しての水平撃ちならば避けられても旗艦に損害を与える可能性は低いからだ。
しかし、それは一歩間違えれば翼どころか旗艦本体にも直撃する可能性がある。
だからこそ、藤堂は思う。並みの精神ならば躊躇する、と。
にも関わらず、その射手はやってみせた事になる。それどころか、戦力を減らす事まで成功させている。
だが、それらは藤堂にしてみれば推察の域を出ない。故に、悩む。しかし、それも一瞬だった。
戦場において絶対という言葉ほどあてにはならないという事を、彼は長い経験から学んでいたのだから。
「分かった。気を付けろ、紅月君」
『えっ?』
「敵は今、目に見えてる数だけでは無いという事だ」
驚くカレンを余所に結論を出した藤堂が注意を喚起すると、補うかのように二人が後に続く。
『最低でも、あと1機は隠れてる可能性が有るって事だよ』
『ああ。そしてそれが事実だった場合、恐らく其奴こそが――』
『『指揮官!!』』
二人の言葉に藤堂は小さく頷きながらも釘を刺す。
「それはあくまでも可能性の問題だが、範囲外に何かが居る可能性が有る事だけは忘れるな!!」
『は、はいっ!』
『『承知!!』』
この時、藤堂達は朧気ながらも気が付いた。
目の前を飛び回る機体に指示を送りながら、この戦場を支配下に治めようとしている存在が自分達の視線の先にある雲海、その中に居る可能性が有るという事を。
しかしこの時、指揮官たる藤堂が思慮した事により彼等の統率は一瞬とはいえ鈍っていた。
当然、それを見逃すライでは無い。
『"A2"、ヤレ』
スピーカーより響く傲慢とも言える口振りに、デヴィットは激憤しそうな胸の内を必死に抑える。
そうして翼下を潜り抜け飛び出した彼は、背面を晒している藤堂達に向けてライフルを構えた。
今、薙ぎ払うかのように一斉射すれば何れかの機体に被弾させる事は十分に可能であった。が――。
「こいつはっ!」
彼は見てしまったのだ。総領事館にて、兄弟であるアルフレッドを討った機体。紅蓮の無防備な背中を。
瞬間、デヴィッドの脳裏に先程のカリグラの問いが過ぎる。
―― 貴様ハ勇マシク戦エルカ? ――
その後の彼の行動は、ライフルの一斉射では無かった。
ライフルを放り出したデヴィッドはMVSを引き抜くと、一撃必中とばかりに背後を晒している紅蓮に猛然と襲い掛かったのだ。
そんなデヴィットの挙動は、雲海に身を隠すトライデントのモニターにも送られていた。しかし――。
「そうだ、それで良い。さぁ、無事に仇を討てるか? 序でに、試させて貰うぞ? 紅蓮二式」
ライは口元を妖しく歪めた。
最終更新:2010年07月28日 03:24