古代ギリシャ

「言語の哲学としての言語哲学」については一方では古代ギリシャの文法学や古代ローマの弁証法(dialectike)や修辞法(retolike)を淵源とする。他方で、純粋な哲学としては、その祖イオニア学派も自然学に傾倒したがその過程で既にパルメニデースやゼーノーンはパラドクスを駆使している。
また、ソピステース(ソフィスト・知者)たちは相手に議論によって勝利しようとしたことから、また、「知を愛する人」(フィロソポス、後の「哲学者」)を自称したソークラテースの“産婆術”も、相手を誘導しつつ哲学的解決へと導くという手法から、少なからぬ言語と論理とへの反省的意識が存在していたと推定される。
ただし、ここまでは伝承と断片とラエルティオスの報告とプラトーンによる創作を通じての推測である。
言語についての哲学的反省について、確実に本人の一次資料に基づいてある程度の分量を述べることができるのはプラトーンからである。
彼は、イデア論やアナムネーシス(想起)説を提唱するに際して、言語的反省と論理的推論に基づいて(対話という表現形式を用いながらも)哲学的諸原理に到達した。
更に、その弟子アリストテレースに到ると、単にその形而上学をはじめとする哲理への到達手段として論理を用いたのみならず、論理構造と虚偽論それ自体を体系化して学問範疇となす。
特にその論理学は基本的に19世紀のフレーゲまで、論理学の基本となるものであった。

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最終更新:2020年12月01日 13:50