『じゃあ……。帰ります、また……電話、するね』
身だしなみを整え、服を着ためぐみはか細い声でそう言うと、敦子の部屋を出て行った。
微かな吐き気に苛まれながら、敦子は一人ベッドに潜り込んだ。微かに残っためぐみの匂いをかぎながら、自然と溢れてくる涙を拭おうともせず、敦子は悶々としながら何度も寝返りを打った。
”わたしたち、これから、どう、なるのかな”
10年前、自分がつぶやいた言葉に、白石恵美はある結論に達したのではないだろうか。
このまま、けして結論の出ない愛に身を焦がし続け、そして年老いていくことには耐えられない、と。
時が過ぎて心がうつろいを見せる前に、二人の間に、永遠に刻み込まれるものを手に入れ、そして永遠にそれを保つための方法として、めぐみは死を選んだのではないのだろうか。
だが、本当にそうなのだろうか。それなら、なぜ恵美は一人で命を絶ったのか。もし自分の想像が正しいのなら、二人で死を選ぶ方が自然なのではないのか。
恵美が死んだ今、けして答えの出ることのない疑問の答えは、意外な形で敦子の目の前に現れろことになった。
あの日から、数日が過ぎていた。あれから、敦子からは電話もメールも一切していなかった。
気持ちは落ち込んだままだったが、だからといって勤務を休むわけにもいかない。敦子は一人懊悩を胸に秘めて警察官としての勤務に励んでいた。
『これが今度のヤマの重参の資料だ。野郎の同級生から手に入れた』
生活安全課で打ち合わせ中に杉田が取り出したのは卒業アルバムとおぼしき革張りの背表紙の一冊だった。
現在敦子たちが追いかけているのは、繁華街を中心にして発生している自動車荒らしの件だった。目撃者の証言や聞き込みから得た情報から、少し離れた街のある中学の卒業生を中心にした暴走族上がりのグループが犯行に関わっているらしい、と分かった。目撃された男はどうやら敦子と同年代らしいことも分かっていた。
『これですか……』
杉田から渡されたアルバムをぱらぱらとめくっていく。記された卒業年度は確かに敦子と同じだった。
『わぁ、自分と同じ年ですね、卒業してるの』
『知ってるやつとかいんのか?』
杉田の問いに敦子は遠くを見る表情になった。
『うーん、ここからちょっと離れてますからね、ここの中学。自分は中学時代クラブとかやってなかったんで、そういう横の繋がりもないですし……』
敦子がそう言うと杉田は意外そうな顔になった。
『そうなのか? お前タッパもあるし、ガキん時から剣道やってたのかと思った』
そう言う杉田は幼稚園の頃から柔道を始め、インターハイ出場経験や全国大会での優勝経験もある猛者だった。
『あはは、自分が始めたの、大学に入ってからなんです』
言いながらめくっていったあるページに、敦子の視線が吸い込まれたように止まった。
笑顔が凍り付き、顔色が紙のように白くなる。
『……おい、どした? おい?』
不審そうな顔で呼びかける杉田の声で、敦子は我に返った。
『え、あ、すいません……。なんでも、ないです』
震える口調でそう言ってから、敦子は作り笑いをした。
『大丈夫、です。ちょっとこのところ徹夜とか多かったんで……寝不足ですね』
『ふうん。なら、いいんだけどよ。あんまし無理すんなよな』
うろんげな口調でそう言いながら、杉田はタバコに火をつけた。
打ち合わせが終わったあと、敦子はプライベート用の手帳を取り出した。一番最後のページをめくる。
ページを埋め尽くす勢いで貼り付けられたプリクラの中に、10年前の春休みに撮った恵美と自分とのツーショットを見つけて、しばし凝視した。
”……やっぱり”
もう一度、資料のアルバムを自席に持ち込み、先ほどのページを捜す。
そこは、よくある学校生活の一コマを納めた部分だった。体育祭や文化祭、課外授業や修学旅行など……。
その中に、二人の少女が仲むつまじく写った写真があった。一人は、背が高くすらりとしていて、りりしげな顔立ちの少女だった。そう、まるでかつての自分がそうだったように。
そして、もう一人は、長い黒髪に白く透き通るような肌、くるりとした瞳を彩る長いまつげ、そしてふっくらとした鴇色の唇が愛らしい少女。
白石恵美が、そこにいた。
プリクラとアルバムの写真を比較すればするほど、10年前の敦子は写真の少女のコピーとしか思えない。
先日湧き起こった疑念は最悪の形で確信に変わっていた。
おそらく、10年前の恵美少女に悪意はなかっただろう。ただ、恵美は純粋に自分が愛して、そして無惨に拒絶された少女のコピーを手に入れることができただけなのだ。
さらに、その少女は期待に応えて自分を愛してくれた。
そして自分の愛をうけいれようとしなかった少女そっくりの少女との間に、永遠に刻み込まれる愛の証を手に入れ、そしてその少女の愛を永遠に手にしたまま、命を絶つ。
二人ともに死んだのではダメなのだ。自分が死んだあとも、その愛を抱き続け、そして終生自分の巫女として生きるであろう存在を恵美は欲したのではないだろうか。
”その前髪の感じ、すごくきれいにまとまってる。私の思ったとおり”
10年前の恵美の言葉が鮮やかに脳裏に蘇る。
写真の少女と、同じ髪型、同じ眉の整え方を勧めたのは、何故なのか。
”だから、だからなのね、恵美……!”
写真の中の恵美は、笑顔を浮かべたまま何も答えてはくれない。
あるいは、それは復讐だったのだろうか。
自分を受け入れようとしなかった少女への、歪んでねじれた思いをこういう形で残すしかなかったのだろうか。
”好きで好きでたまらなかった。その子のこと、考えるだけで、胸がいっぱいになって、苦しくなる”
かつて恵美はそう自分に語った。あれは過去形ではなく、敦子という存在を手に入れてからも、恵美の心にはずっと残っていた思いだったのではないか。
”敦子はね、私にとって世界で一番大切な星のような存在なんだ”
そう思っていたのは、自分だけだったのだ。自分が本物の星だと思っていたのは、実はそうではなかった。そう、プラネタリウムに映し出された星空を見て、自分はありがたがり喜んでいたのだ。
真実がどうなのかは、今となっては誰にも分からない。だが結果的に賢明な恵美は自分の思い通り、望みを叶えてこの世を去った。
愚かな自分は、恵美に乗せられて、そして恵美が考えたであろう通りに、今も恵美のことを思い続けている。
そう、そのことが明白になった今でも、だ。
溢れそうになる涙を一人堪えながら、敦子は写真の恵美を見つめ続けた。
それから、めぐみからの連絡に、曖昧な答えでお茶を濁しながら、半年が過ぎようとしていた。
その間、何度か会いはするものの、適当な理由をつけてはごく短い時間で打ち切って、敦子はめぐみを避けるようになっていた。
恵美そっくりの顔を持つめぐみに会うことに、敦子の心が耐えきれなくなっていたのだ。
そして、めぐみに出会うまでそうしていたように、この店で適当な相手を見繕っては一時の肌のぬくもりを求めるということを繰り返すようになっていた。
すさんだ心が晴れることもなく、そのもやもやをぶつけるかのような無謀とも言える捜査活動をするようになったのも、この頃からのことだった。
”わたしには、もう輝く星など、ないんだ”
そんな思いが、この半年の敦子の心を支配し続けていた。
「あっ、あああっ、あぅぐっ……」
ベッドの上で、四つんばいのまま敦子は鋭く身体を震わせ、そして快楽に負けた上半身を脱力させてベッドに顔を押しつけた。高々と突き上げるようにした腰に、先ほど敦子がそうしていたように、優子の腰が押しつけられかき回すようにうごめいていた。
「はぁッ、ねぇ、これで、いいの? こう? ……これで、気持ちいい?」
戸惑いを含んだ優子の言葉に、敦子は嬌声と身体の正直な反応で答えを返すしかなかった。
「いいっ、よ……、あ、あ、あぁんっ!」
二人の身体をつなげているディルドーが、ぐっ、ぐっ、と敦子の下半身の奥底をつつきそしてかき混ぜる。使用した経験がなかった割には、優子の腰の動きは的確に敦子を快楽に導いていた。
「あっ、あっ、ダメ、ああっ……」
ひときわ鋭く震えたあと、敦子のうめきが徐々にか細く、そして消えていった。
シーツを掴む指先が白くなり、そして力が抜けていく。
「んんっ……はぁ……っ」
吐息ともうめきともつかぬ声を漏らして、敦子の身体がぐったりとなった。
繋がっていた身体を引き離し、自分の身体にも埋め込まれた禍々しいものを抜き取ると、優子は優しく微笑んで、腰を突き出すような無様な格好でぐったりとしている敦子の背中を抱きしめ、仰向けにした。正面から抱きしめ直しながら、優しく頬にキスすると、長く伸びた髪を撫でつけながら、そのまま自分より体格の勝る敦子に寄り添うようにする。
「……今までこういうの使ったことなかったから、あんまり良くなかったんじゃない?」
苦笑しながらそうささやく優子に、おぼろげに意識を取り戻した敦子は弱々しく笑いかけた。
「そんなこと、ないよ……。でなきゃ、こんなに、感じないよ……」
吐息混じりにそう言うと、敦子も優子にキスを返した。
「そお? なら、いいんだけど……」
コケティッシュな笑顔を浮かべてそう言うと、優子は自分の髪を手ですきながら、ほっとため息をついた。
「ありがと……。とても寂しくて、苦しかったから。誰かに抱きしめて欲しかったから、敦子に慰めてもらえてよかった」
すこし晴れ晴れとした顔でそう言うと優子はハンドバッグからタバコを出し、そして火をつけた。
「そっか……。よかったね」
身体をよろよろと起こすと、敦子は自分の両膝を抱えるようにしてベッドの上で座り込んだ。
自分と優子との間に漂う紫煙の動きを目で追いながら、敦子はじんじんと痺れたようになっている下半身の火照りにふと吐息を漏らしていた。今は自分の身体を支配する気だるさに浸っていられても、すぐにそんなものは消えていってしまうのだ。
階下に戻り、料金の支払いを済ませると、どこか名残惜しそうな優子に別れを告げ、敦子は家路につくことにした。
どこか物言いたげなママの視線を感じながらも、それから目を逸らして、敦子は店を出た。
(プラネタリウム 第4話 終)