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 張り込みの交代要員が現れたのは午前0時を少し回ったあたりだった。後ろについた交代要員の車のライトのまばゆい光がバックミラーに差し込むのに目をしかめながら、杉田はゆっくりと車を発進させた。
「ふぁーっ、終わった終わった。帰るぞ」
 欠伸混じりにそう言う杉田に苦笑しながら、敦子は振り返って後方に止まった別の課員の車に目で挨拶を返していた。
 しばらく無言で車を走らせていた杉田だったが、赤信号に引っかかったついでにタバコに火をつけて大量の煙を吐き出した。
 張り込み中ずっとタバコを我慢していた反動か、旨そうに煙を吐き出すと、煙たそうな敦子に気付いて慌てて窓を開ける。
「わりい、うっかりしてた」
「いいですよ、慣れてますから」
 そう敦子が返すと、杉田はやや呆れた表情になった。
「そりゃ悪かった。つーかなんでそんなにつんけんする」
「自分がですか?」
 反論した敦子に杉田はにやりと笑った。
「ああ。うちに配属されたばっかの時はもっと溌剌としてたぞ。ここ半年くらいだな。お前がつんけんし出したのは」
「そんなことは、ないと思いますけど……」
 的を射た指摘に敦子は思わず口を尖らせた。
「そうかな。オレにはそうは思えないが。お前がやたらと独断専行し出したのもそれくらいからだ」
「……」
 口をつぐんだ敦子に杉田はしばらく何も言わなかった。
「……半年前何かあったのか? いや、言いたくなければそれでもいいがな。もし悩みがあるなら聞いてやる。オレに話して解決する問題じゃねぇのかもしれんが」
 そう言って杉田はタバコを灰皿に押し込むと顎の下を掻いた。
「女房にお前の話をしたらな。何か悩みでもあるんじゃないか、一度話を聞いてやったらどうだって言われたんだ。そういうのも上司の仕事だろうってな」
「……すみません」
 むっつりとして、敦子はしばらく黙り込んでいた。そんな敦子の態度に、杉田は呆れたような閉口したような表情をしていたが、ややあって口を開いた。
「園田よ。お前が自分のもやもやを仕事にぶつけようがどうしようが、それでオレらの仕事に差し支えねぇなら、別にかまやしない。だがな、お前のやってることはいつかとんでもないしっぺ返しを食らうだろうよ。その結果、何が起きたってお前はそれで良いだろう。自業自得と納得もできるだろうし」
 杉田の視線は完全に真剣なものに変わっていた。
「だがな、こっちはそうはいかねえ。追いかけてるヤマが頓挫しちまうかも知れねえ。あるいは、お前の暴走が原因で責任を取るのはお前だけじゃないんだ。課長だってそうだし、オレだってそうだ。
 ……まぁ、オレのことはどうでもいい。だが、ウチの課の他の連中だって大迷惑だ。もしそんな大事にでもなったりしたらな」
 杉田は次のタバコに火をつけて深く吸い込んだ。
「……それにだ。その結果だな、ウチの課が最悪お前という優秀なデカも失うような結果になっちまったら、それも手痛い損失の一つだ」
 意外な杉田の言葉に敦子はやや泡を食った。
「班長、それは違います、自分は……けして優秀なんかじゃ」
「優秀さ。お前は……そうだな、こんなことを言えば男女差別だって言われるかも知れんが。お前は女にしとくのが勿体ないくらいデキル奴だ。機転も利くし、洞察力もある。それに度胸もいいし根性もある。
 お世辞じゃねえ、課長だってそう思ってるから、お前が無茶やらかしても始末書で済ませてくれてるんだ。オレがお前と同じくらいの時は、お前みたいにはとってもじゃないができなかった」
 そう言って杉田は照れくさそうに笑った。敦子は、絶句してしばし杉田の横顔を凝視していた。
「……今のお前の行動の根底にあるのは、オレの見立てでは人間不信としか思えねえ。お前はそう思ってるつもりは無いのかもしれんが、根っこの部分では誰も信じれねえ、そう思ってるから、誰にも何も言わず勝手な行動を取る。
 その結果がどうなるのかって言えば、孤立するしかなくなる。警察は、いや人間社会ってのはそんな奴を最終的には受け付けなくなる。そりゃそうだ、テメエのことをバカにしてる奴のことなんざなんで好きになる」
 手厳しい杉田の言葉に、敦子はかっとなった。
「班長、それは誤解です、わたしは周りの人をバカになんかしていません!」
 いきり立って反駁する敦子を杉田は鼻で笑った。
「お前がそうでもな、端からすればそう見える行動とってりゃ、お前の本音なんざ関係ないんだ。それでお前が失敗してりゃ、ああ、バカがまたドツボ踏んでるぜ、って笑い飛ばせばいい。
 だが、そうじゃなければむかつくだけだ。そんな感情をねじ伏せるには、お前がとんでもなく上に立つかなんかしなきゃダメなんだ。ましてお前は女で、まだキャリアも足りねえ。そんな奴が好き勝手してりゃ、バカにされてるって感じてもおかしくはねえ。違うか」
「……それは、そうなのかも知れませんが……」
 冷徹な指摘に血が上った頭が冷める。敦子は意気消沈して俯いた。
 そんな風に自分のことを分析されて、困惑と同意が心中でせめぎ合う。
「……お前は、今でも充分デキル奴だが、これからもっといいデカになる可能性がある。オレはそういう奴をつまんねえことで潰したくないし、潰れて欲しくもない。だから今お前とこうして話をしてる。女房に言われたから、だけじゃねえ」
 一瞬自分を見た杉田の視線に、優しい輝きが見えた。その瞬間、どこかささくれ立っていた自分の中の何かが、微かに和らぐのを敦子は実感していた。
「……班長」
「ん?」
 逡巡が一瞬敦子を口ごもらせた。どこまで話すべきなのか。
「……前に、班長言ってましたよね。お前、うら若い女が彼氏の一人もいねえのか、って」
「……そんなこと言ったっけな。ええと、ありゃ悪気のない冗談でだな……」
 予想外の敦子の言葉に意表をつかれて杉田は慌ててそう言った。
「……いえ、そのことはいいんです。あのとき、わたしが言ったこと、覚えていますか?」
「え? なんってったっけ。ああ、お前、男に興味なんかありません、とかなんとか」
 思案顔で杉田がそう言うと敦子は引きつったように微笑みを浮かべた。
 心が、震える。杉田に打ち明けた結果、最悪の場合自分はこの職を辞めねばならないだろう。

 警察という保守的な組織が自分のような、いわば異端の愛に生きるという生き方を容認してくれるとは限らない。だが、真摯に話をしてくれる杉田に応えるためにも、それは避けては通れない道だった。
「……あのとき、あのときああいったのは、けして冗談じゃありません」
「へ?」
 杉田は訝しげに顔をしかめた。その表情を見ながら、敦子は覚悟を決めた。
「班長だから、言いますね。……わたしは女の子を……女の子しか愛せないんです」
 杉田の顔が、なんとも言えぬしょっぱいものに変化した。くわえたままのタバコの灰が、ぽとり、とその場に落ちる。
「……ちょっと待て、お前、それは……」
「班長、信号、変わってます」
 敦子の言葉に杉田は慌てて車を発進させた。スピードが乗ったところで殆ど根元までになったタバコを灰皿にねじ込んだ。
「冗談、てわけじゃねえな。お前はこんな時につまらねえ冗談言う奴じゃない」
 繰り返し、確認するような杉田に敦子は思わず笑みをこぼれさせた。
「驚かせて、すみません。けど、自分にとっては重大な問題なので」
「そりゃそうだ」
 ちょうどここを曲がれば署まで一本道、という交差点にさしかかった。だが、杉田はウィンカーを出さずそのまま車を直進させた。
「……署に戻るまでに話が終わりそうもねえ。ちょっと寄り道だ」
 困惑した表情を隠しきれない杉田に敦子はもう一度詫びを言った。そして話を続ける。
「……わたしが中学生の時です。わたしのいたクラスに転校生がきました……」
 恵美との出会い、そして心と心が重なり合い、それが愛にまで発展したこと。出口の見えない愛の形がどう進展してどういう結果にたどり着いたのか。その後恵美少女が突然命を絶ったあと、その死を受け入れることができぬまま、苦しみ抜いた自分の前に現れためぐみのことまで、敦子は包み隠さず杉田に打ち明けた。
「……めぐみと出会って、自分の苦しみは終わったのだ、そう思っていました。けど、半年前わたしは気付いてしまったんです。何故あの子が自分の命を絶ったのかを。
 決定的な確信に変わったのは、半年前の車上荒らしのヤマを追いかけていたときでした。班長、覚えていますか? 班長が参考資料で持ってきたほしの卒業アルバムのこと」
 敦子の言葉に、杉田は目を見開いてまじまじと敦子を見た。
「ああ。思い出した、思い出したぞ。そう言えばあの時、お前、あのアルバム見て血相変えてたよな。そうか……。確かにあの時のお前は普通じゃなかった。畜生、なんで今まで気付かなかったんだ」
 杉田はそう言いながら車を止めた。ここはこの街にある工業地帯の外れで夜は殆ど人も車の通りも少ない場所だった。ハザードランプを点けながら、ライトを消す。かすかに入る周囲の小さな灯りとハザードの点滅を除けばほぼ真っ暗闇といっても過言ではない車内の中で、二人はしばらく黙り込んでいた。ハザードのリレー音だけが車内に響き渡る。
「恵美は、わたしのことを世界で一番大切な星のような存在だ、と言いました。わたしも、恵美に対してそう思っていました。けど、それは、そう思っていたのはわたしだけでした」
 ややあって口を開いた敦子の言葉を、杉田は黙って聞いていた。
「恵美には、転校する前に好きだった女の子がいました。けどその子は恵美の思いを受け入れてはくれなかったんです。それどころか、そのことがきっかけで、恵美はわたしの学校に転校する羽目になりました。そして、その好きだった女の子とよく似た所のあるわたしと、出会ったんです」
 そこまで言って、敦子は自分の視界がぼやけるのが分かった。目が熱くなり、涙が溢れてしまう。
「恵美は、わたしにその好きだった子のコピーであることを求めました。もちろん、口に出して言ったわけじゃありません。同じような髪型、同じような眉の整え方、多分、服装や制服の着こなしもわたしにさせて、その子と同じ存在を手に入れたんです。アルバムに映っていた、恵美とその女の子の写真を見て、初めてそのことに気付きました」
 溢れてしまった涙をハンカチで拭って、敦子は声が詰まるのを懸命に堪えた。
「その時野暮ったい女の子だったわたしはそれを単純に喜んでいました。恵美の真意に気付かずに。
 恵美の目標はきっと、わたしとの間に永遠に刻み込まれる愛の証を手に入れて、それを永遠に維持して死ぬことだったのだと思います。わたしと一緒に死ななかったのは、わたしに一生それを見届けさせるためだったのでしょう。
 そしてあの子は目的を達成して、わたしの目の前から姿を消しました。永遠に。
 あの子は、恵美は満足できたでしょうね。もしかすると、そうすることがあの子にとって自分を受け入れなかった子に対しての復讐だったのかも、知れません。
 でも、わたしはそうじゃない。その時……わたしと恵美が見ていたものはたしかに同じでした。きれいな星がいっぱい映ったプラネタリウム。あの子はそのことに気付いていたけれど、わたしは本物の星だと思っていた。そのことに気付かないまま、あの子が死んだあともずっと、そう思いこまされていたんです。わたしは、ニセモノをずっと、よりどころにしていたんです」
 それ以上喋れなくなり、敦子はハンカチで目を覆いながらむせび泣いた。
 杉田は何も言わず、ただ無言で敦子が落ち着きを取り戻すのをじっと待っていた。
「……取り乱してしまって、すみません」
「いや。構わねえ、気にすんな」
 言いながら杉田はタバコに火をつけ、吸い込んだ。
「……恵美に悪意がなかったのは、分かっています。けど、わたしは、そのせいでもう一人のめぐみまで、こんなことに巻き込んで、しまいました。取り返しのつかないことをしてしまった」
 鼻をすすって、敦子は両手で顔を覆った。それ以上は、もう何も言えそうになかった。
 長い沈黙のあと、杉田は続けざまにタバコに火をつけ、深々と吸い込んだ。
「なぁ、園田よ」
 沈黙を破った杉田の声に、敦子は顔を上げた。
「……はい」
「……オレは、女じゃないし、その、なんだ……同じ性別の奴にそういう興味は持てねえ。今、お前の話を聞いて、お前の悩みっていうか、そういうのは何となく分かった。分かったが、全部を理解はできてないだろう。その上で、言うんだが」
 敦子は杉田を見た。
「ホンモノかニセモノかなんて、気にすることねえんじゃないか?」
「えっ……?」
 杉田は片手の平で顔を撫でると、姿勢を正して敦子に向き直った。
「お前が、10年前にその女の子と触れあって、そして感じた感動は、ニセモノなのか? そうじゃねえはずだ。自分の心が震えた瞬間は、間違いなく本物だろうが。
 ……だとしたら、それが裏に何を秘めてたっていいじゃねえか。お前がその時何を感じて、どう大切にしていたのか、それでいいんじゃねえのか?」
 敦子は、何も言わず杉田の言葉を聞いていた。真摯に語る杉田の横顔から視線を逸らすことなく。
「お前は、そのもう一人のめぐみちゃんって子に出会うまで、5年ほど苦しんだんだろう? だったら、もうそれで良いじゃねえか。
 それ以上、苦しみを引きずってもしょうがねえんじゃねえか? そんなもんに縛られて何も見えなくなっちまったら、そんときゃオレらが普段手を焼いてるクズどもと同じになっちまう。
 それはな、警察官としてじゃねえ、一人の人間としてそうなっちゃいけねえんだ。
 ……そりゃな、誰だっていろんな恨み辛みを抱えてる。大なり小なりな。オレだって何にもないわけじゃない。だからって、そんなことにとらわれててもしょうがねえ。だから」
「だから?」
「赦しちまうんだ。忘れることなんてできねえからな」
 そう言って杉田は穏やかに微笑んだ。
「赦す……」
 敦子はおうむ返しにつぶやいた。
「その恵美って女の子のことだけじゃない。お前を縛り付けて離さない苦しみもだ。もちろん、言われたからってはい、そうですね、ってできねえだろうよ。時間はかかるだろう。それでもやるしかないんだ。そうしなきゃ、お前はほんとに何もかもダメになっちまう。分かるか」
「はい……」
 つぶやいて敦子は視線を自分の足下に埋めた。
「……取りあえずな、お前はその女の子の、墓参りに行ってこい。そうやってな、少しずつ区切りをつけていくんだ。明日非番だろうが」
 急に、ふっと目の前が開けたような感覚に襲われて、敦子は目をしばたたかせた。なぜそうなったかは自分でもよく分からなかった。
「……分かりました。明日、行ってきます、班長……」
 少しして顔を上げ、杉田を見た。のぞき込むような杉田の表情が、にんまりとしたものに変化した。
「その顔だ。久しぶりだな、お前のそんな顔は」
「えっ」
 なぜか赤面した敦子に構わず、杉田は車のヘッドライトを点して、サイドブレーキを解放した。
「帰るぞ。随分遅くなっちまった」
「はい。あの、班長」
「なんだ?」
 敦子はゆっくりと息を吸い込んだ。杉田に全てを打ち明けてしまった以上、敦子の取るべき道は一つしかない、と思った。
「ありがとう、ございました。それと、あの……。班長には短い間でしたが、色々とご迷惑をおかけしてしまって……あいたっ」
 そこまで言ったところで、杉田のごく軽いげんこつを頭に受けて、敦子は小さく悲鳴をあげた。
「お前、オレの話聞いてなかったのか? 勝手に辞めようとしてんじゃねえ。ウチはいつだって人手不足なんだ。お前の個人的なシュミなんざ仕事に差し支えなきゃ関係ないんだよっ」
 口調こそ乱暴だが、笑顔の杉田に敦子は一瞬ぽかんとして、そして釣られるように笑顔になった。
「すみません、班長」
「おう」
 それ以上、署に戻るまで二人は何も言わなかった。

(Bパートへ続く)

最終更新:2006年09月08日 15:06