食堂の扉が開き、みんなは一斉に振り向いた。その扉から出てきたのは、小早川ゆたかその人だった。「ゆーちゃ――」ゆたかの帰りに、こなたが立ち上がって声を掛けようとしたその時、「わかったよ、犯人」『!!!』全員が息を呑み、周りの人間を見渡す。この中の、誰が犯人なのか……それがついにわかったのだ。「それで、ゆたか。犯人は誰なの!?」「落ち着いて、みなみちゃん」思わず声を荒げたみなみを諭しながら、四人に歩み寄る。心を落ち着かせるために、小さく深呼吸をした。「最初は、本当に犯人がわからなかった。証拠がなさすぎたから」目を瞑り、まるで昔を思い返すように胸に手を当てる。『たったの四日間』だけで、本当に……本当に様々なことがあった。「それで、いろいろと捜査して、犯人がわかった――犯人がわかった後も、ちょっと躊躇したんだ。だってその人は、私の大切な人だから」唇を噛み締めて、うっすらと目を開ける。その瞳は濡れていた。「……だけど、もう躊躇わない。『人を殺した』。それは許されることじゃないんだ」ゆたかの意思に反して、瞳から涙が流れてくる。だが、ゆたかはそれを気にせずに高く左手を掲げ――「高良先輩、そして峰岸先輩を殺した犯人は……貴女だよ」その手を、犯人に向けて振り下ろした。 「こなたお姉ちゃん」『!!?』正直、誰も予想していなかった人物の名があげられ、他の三人はこなたを見た。まばたきの数が尋常ではない。それほど動揺しているのだろうか。「最初は、こなたお姉ちゃんを容疑者から外してた。最後の最後まで、信じてはいたけど……」とても悲しそうな瞳でこなたを見つめる。信じていた姉の無実。それを自分の手でひっくり返すことになろうとは……「……どう、して」従妹から犯人として疑われ、こなたが初めて言葉を口にした。「どうして……私が犯人だと思うの……?」震えた声で、かすれた声で、本当に小さく呟いた。「最初は、誰でも犯行ができると思ってた。足跡もなかったし、丸太小屋の監視カメラにも誰も映ってなかったから。 ……でもこのトリックを思いついてからは、少なくとも高良先輩はこなたお姉ちゃんじゃなきゃ殺せないって気付いたの」「……あれ? ゆたか、ちょっと待って」涙を拭きながら説明をするゆたかに、みなみが訊ねてきた。「足跡が残ってなかったなら、犯人が誰かわかるはずないんじゃ……」「そういえば……。証拠もないのに犯人って言えないよね」そう、ひよりの言う通りだ。証拠がないのに犯人を特定などできやしない。しかし、ゆたかは揺るがなかった。「普通はそうだけどね。だけどこの場合は『証拠が残ってない』っていうことが証拠なんだ」「??? リカイに苦しみマース……」「確かにちょっと複雑かもしれないけど、意外に単純なトリックなんだ。運にもよるけどね」そう言いながら、ゆたかはポケットの中に手を入れて携帯電話を取り出す。画面を見て二、三操作し、三人に手渡した。真っ白の雪が写っている。そこにあったものは……
「足跡が二つ……?」「昨日の日付だね。でも、これがどうかしたの?」「右を押して次の写真を見て」言われた通り、右を押して次の写真へと切り替える。そこには、先ほどと同じように足跡が写っていた。ただし、こちらは一つだけ。加えて日付は今日。先ほど撮ってきたばかりのようだ。「昨日、パトリシアさん『だけが』深みにはまった時、気付いたの。足跡を消したんじゃなくて、ただ単に『残らなかったんじゃないか』って。そしてそれは同じ場所で撮った写真なの」 「――体重デスネ!?」「「あっ!!」」パティの言葉に、ゆたかは無言で頷いて肯定を表す。その瞬間、こなたのまぶたが微かに動いた気がした。「ここにいる人を軽い順番に並べると、私、こなたお姉ちゃん、田村さん、パトリシアさん、みなみちゃんの順番になるんだ。 私とこなたお姉ちゃんとの体重はあまり差がなくて、私達二人と田村さんとの体重はかなりの差があるの」三人に向かって手を伸ばし、携帯を催促する。ひよりから携帯を返してもらい、最初の写真に戻してまた三人に見せた。「そして、この写真は私とパトリシアさんが昨日残した足跡なんだ」「ツマリ……今朝はユタカの足跡は消えテ、私のだけガ残ったというコトですカ?」「そう。昨日は軽く雪が降ってただけだから、私の足跡だけが消えたの」この中で極端に体重が軽いこなただからこそできた荒技だった。天候によっては足跡は残ってしまうから、二日連続で雪が降ってくれたのはかなり幸運だったのだろう。「私とパトリシアさんの体重にもあんまり差はないから、犯人は小早川さんと泉先輩のどちらか……」「私は犯人じゃない。つまり、犯人はこなたお姉ちゃんに自動的に決まっちゃうんだ」この推理の間、こなたはずっと立ち尽くしたままだった。そのままの状態で、ただ地面だけを見つめている。反論する気がないのか、自分が犯人と疑われて動揺しているのか……「でも、スキーの順番はどうしたの? あれは高良先輩が決めたんじゃ……」「前日のうちに、こなたお姉ちゃんが何か言ったんだと思う。『出来ない人からやった方がいいんじゃないかな』って」「Butミナミは? ミユキの前に滑っタのですカラ、ミナミが死んでモ」「あの……そのこと、なんだけど……」不意にみなみが左手を小さく挙げて呟いた。顔は赤く、何かを恥ずかしがっているようにも見える。「じ、実は……泉先輩から、『上手なところを見せるんじゃなくて、ちょっと下手な方が可愛いよ』って言われて……それで……///」「「!!」」「……決まりだね。こなたお姉ちゃんが陰で操ってたんだ。ありがとう、みなみちゃん」顔を更に真っ赤にして縮こまる。口車に乗ってしまったから、というより、そんな選択をしてしまった自分が恥ずかしいからのようだ。「……峰岸さんは?」「え……」さっきからずっと黙っていたこなたが、突然口を開いた。今にも泣き出してしまいそうな、そんな表情で。「峰岸さんも……私が、殺したっていうの……?」その姿を見て、心が痛んだ。これでは自分がこなたをいじめているように思えて……しかし、可哀想という理由だけでやめるのは、みゆきにもあやのにも、そしてこなた自身にも示しがつかない。心を鬼にして……自分は、自分のした推理を言うだけだ。「この部屋割を見てよ」自分の部屋で書いたであろう部屋割を机の上に置く。この屋敷の地図に、部屋ごとに自分たちの名前が書かれている。みゆきとあやのの名前は赤い丸で囲まれている。そしてゆたかは、こなたの部屋とあやのの部屋との間にある暖炉を指差した。
「廊下は区切られてるけど、暖炉を挟んで反対側がすぐ峰岸先輩の部屋。こなたお姉ちゃんは、この暖炉を通って峰岸先輩の部屋に行ったんだ」『!!?』予想もしてなかった発想に、推理を聞いていた三人の顔に驚愕の色が浮かぶ。「この暖炉を使って峰岸先輩の部屋に侵入して、殺した。捜査を混乱させるために、わざわざ鍵を開けて」「ジブンがcriminalであルことをゴマカスためデスネ?」パティの問に首を縦に振る。容疑者の幅を増やすために、部屋の鍵を開けた。こういうことなのだろう。「だけどそれだけじゃ足りないって思ってたのかな。今度は私の部屋に侵入を試みた」「誰でもマスターキーをゲットできるように……ゆたかの部屋の鍵を開けるため……」「『多分』だけど、こなたお姉ちゃんは私に睡眠薬を飲ませた。これが本当ならほぼ確実だよ」この睡眠薬の話でも、ひよりとみなみが驚愕の色を現わにする。そういえば、この話はパティにしかしていない。事前に話すべきだったかと少し後悔した。「鍵が閉まってればそれはそれでよかったんだろうけど、窓の鍵が開いてることに気付いて私の部屋の鍵を開けた。 暖炉を使ったか、先に鍵を盗んだか、実際はわからない。だとしても、こなたお姉ちゃんが犯人であることに変わりないよ。 犯人を特定させないために鍵を盗んだんだろうけど、『窓の下に足跡が残ってなかった』ことが証拠になってるからね。逆効果だったみた――」「違うッ!!」言い切る前に、こなたの叫びがゆたかの言葉を遮った。目に涙を湛えながら、声の限りに叫び続ける。「私は犯人じゃない!! どうして私がみゆきさんと峰岸を殺さなくちゃならないのさ!!?」「お姉ちゃん……」「それに! ゆーちゃんの推理には決定的な証拠はないよ!? 私じゃなくてもゆーちゃんの部屋には入れるじゃん!! それで私を犯人扱いしようっていうの!!?」一気にまくし立てて息が続かなくなったのか、ハァハァと肩で息をするこなた。できれば自分から認めてほしかったのだが……仕方がない。「あるよ。証拠」「!!」「これがその証拠だよ」携帯が入っているのとは反対方向のポケットから、血に染まったハンカチを取り出した。「それは?」「峰岸先輩の部屋で見つけたハンカチだよ。多分、二日前に峰岸先輩がこなたお姉ちゃんに貸したやつ」「そっ、それがどうしたっていうのさ!! 峰岸さんのハンカチなんだから峰岸さんの部屋にあって当ぜ――」「じゃあ、こなたお姉ちゃん」目を瞑り、小さく息を吸って、覚悟を決める。
――これで……これで、終わりにしよう。こなたお姉ちゃん―― 「このハンカチ、『いつ』返したの?」「!!!」こなたの瞳が、驚愕に大きく見開かれる。そして、表情が絶望へと変わっていき、だんだんと顔が下がっていった。「こなたお姉ちゃんはあの日、峰岸先輩からハンカチを受け取った後、そのまま発狂しちゃったはずだよね。 それから気絶したお姉ちゃんを部屋に運んで、私は峰岸先輩と一緒に捜査した。そして夕飯の時間から、ずっと私達と一緒にいた。 だから、私達の見てないところで峰岸先輩にハンカチを返すなんてできるはずがないんだ!」これが最後だと言わんばかりに、力強く言い放つ。それとほぼ同時に、こなたの身体がくずおれる。観念したのだろう。「……負けたよ、ゆーちゃん。私なんかよりも一枚も二枚も上手だったネ」「お姉ちゃん……」「そのハンカチ、血塗れになっちゃって、持ってたら間違いなく証拠になっちゃうから置いてきたんだけど……逆効果だったみたいだね……ははは……」沈黙した食堂にこなたの嘲笑が響く。その笑いは自嘲なのか、それとも別の何かなのか……「あと、もう一つ。ゆーちゃんの部屋の鍵は開いてたよ。上手い具合に睡眠薬が効いてくれたんだネ……」やはり、こなたは自分に睡眠薬を盛っていた。その事実もそうだが、『鍵をしめていなかった』自分にも愕然とする。だが……今は過去を嘆いている場合ではない。「……お姉ちゃん……どうして? あんなに、仲が良かったじゃない。なのに、なんでそこまでして殺さなくちゃいけないの……?」「……」仲のいい六人組。少なくとも、ゆたかの目にはそう見えていた。仲が悪かったようには、到底見えなかった。二人を殺す動機が見えないのだ。ただ一つ……最悪の可能性を除けば。もしこの予想が本当ならば、余りにも悲しすぎる。それだけは、あってほしくない……「……本当に、わからない?」「え」「ゆーちゃん、薄々感付いてるんじゃない? 私が二人を殺した理由」「――!!!」予想していた最悪の、更に上を行く最悪の形だった。そのこなたのセリフが、ゆたかを絶望の底に叩き落とす。「……なら、なおさらわかんないよ!! わかってたのに、どうして二人を殺したの!!?」「心の奥ではわかってたよ。だけど、どうしても認められなかった。信じられなかった。二人を……そして私自身をネ」まさか、そこまで病んでいたなんて……どうして、姉をわかってやれなかったのだろうか。今更になって、後悔だけがつのる。「アノ……話がミエナイデス……」パティの言葉に、今やっと気付いたかのように二人が反応した。みなみとひよりも横で頷いている。その様子を見て、こなたは立ち上がって近くの椅子に腰掛けた。横顔には哀愁が漂っている。「最初っから話すけど……私さ、小中の頃、いじめられてたんだよ」「え……?」「泉先輩……がですか……?」「ユタカから聞きまシタ……。ナンデモ、イジメの域をコえていた、ト……」「そうだよ。靴を隠すとか、そんな生易しいものじゃなかった。『手が滑った』とか言って硫酸を掛けてきたりとか」「りゅっ、硫酸っスか!?」「理科の実験でさ。その時はなんとか避けたけど、いつか本気で殺されるんじゃないかって、怯えて過ごしてた」そう語るこなたは、とても辛そうな顔をしていた。すべてを知っているゆたかとしては、聞いててとても耳が痛い。こんな話を、本人がしなきゃいけないなんて……「先生は見て見ぬふり。お父さんには言えるわけもない。唯一の友達だった……心の底から信じてた子からも、『私も被害にあったから』って理由で突き放された。 その時からだったネ、私が人間を信じられなくなったのは。人間なんて、自分さえよければそれでいいんだよ」もう誰も、こなたの顔を直視することができなかった。こなたが余りにも不憫で……可哀想で……「強い奴は自分より弱い奴を利用する。それでそいつがどうなろうが知ったこっちゃない。 だから私は、下剋上を図った。学校一の秀才が受けるって言う陵桜学園を目指して頑張った。 そして私は見事に受かり、秀才のそいつは落ちた。ざまぁみろって思ったよ」今までの、記憶の中にいるこなたを捜してみても、こんなに汚い言葉を使うこなたはいない。今目の前にいるのは、こなたであってこなたでない。ゆたかを除く誰もがそう思っていた。「それで、私は合格発表の日にそいつを呼び寄せた。今までずっと蔑んできた奴に負けた気分はどうだ? ってね。 最初は、初めて誰かの上に立てた優越感に舞い上がってたよ。だけど、次にそいつが放った言葉が、私をメチャメチャにした……!!」いつの間にか、こなたの言葉に力がこもっていた。顔も強ばっていて、まるでその時の光景を思い出しているかのようだ。そして、次の瞬間――「うあぁぁぁあぁぁああああああぁぁあああああぁあああ!!」「きゃあ!!?」突然、目の前のテーブルを力一杯に蹴りあげた。その衝撃でテーブルは倒れ、上に乗っていたグラスや食器が床に落ち、音を立てて割れていく。しかし、こなたの暴走は止まらない。勢いよく立ち上がり、叫びながら後ろの壁を何度も何度も叩きつけた。その顔は、『鬼』と言っても過言ではないだろう。「ぁあぁあああぁああ! 今思い出しただけでも虫酸が走る! アンタが!! アタシに!! そんなことを言える権利なんかどこにもねぇんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」この中でゆたかだけが知っている、暗黒時代のこなたが、そこにいた。もうムチャクチャだ。こなたらしさなんかどこにもない。キャラ崩壊もいいところだ。だが、そんなことを言える人間など誰もいない。ただただ、黙ってその光景を見ていることしかできなかった。「はぁ……はぁ……」こなたが落ち着いたのはそれからほどなくしてだった。「ご、ごめんね……私……アイツのことになると……ちょっと……」壁にもたれかかり、苦しそうに肩で呼吸をしている。あれだけ暴れたのだから、当然といえば当然だろう。そのタイミングを見計らったかのように、みなみが口を開いた。「……でも、その話のどこに今回の事件との関連性が……」今までこなたの過去話しか聞いていないため、肝心の『動機』が見えないのだ。そんな時、こなたのすぐそばまで歩み寄って、ゆたかが一言。「信じきれなかったんだよね。二人を……ううん、私達全員を」ゆたかの言葉に、こなたは首を縦に振ることで肯定を示す。そして、呼吸を整えてから、再び語り始めた。「……高校に入学してからも、疑心暗鬼は続いたんだよね。つかさとかがみとみゆきさん、三人と仲良くなったけれど……本気で信じることができなかった」「裏切られたくないから。例え裏切られても、自分が受ける被害を最小限に食い止めるために」こなたのセリフに横からゆたかが補足をいれる。すべてをこなたの口から言わせるのは……あまりに可哀想すぎる。悲しみを少しでも減らしてあげたいという思いが、自然とゆたかの口を動かしていた。「私はかなり黒いからネ。全部の事柄を疑ってかかったよ。 『勉強を見てやるという口実で私を笑うんじゃないか』とか、『楽しそうに笑ってるけれど、本当は早くこの空間から抜け出したいんじゃないか』とか」「三人だけじゃない。先生とか、峰岸先輩達とか、私達に対しても同じだった。そうでしょ?」「そ。三年間ずっとだよ。でも、陵桜は私をいじめてくる人はいなかった。だから、信じても大丈夫かなって思い始めた矢先の出来事だった」「受験に失敗した……。これが、こなたお姉ちゃんをまた黒く染めた」こなたは答えなかった。だけども、それが肯定を表していることは明らかだった。数秒の沈黙のあと、こなたが小さくため息をついた。「多分、今までで最高に黒かったよ。あの時は」「受験に失敗したことをネタにいじめられるんじゃないか……」「励ましの言葉も、私を蔑んでるとしか思えなかった。口では『残念だったね』って言ってるけど、心の中じゃ『ざまぁみろ』……そうとしか思えなかった」やはり、ゆたかの想像が当たってしまった。疑心暗鬼からくる『思い込み』。これが、こなたの動機だったのだ。「特に、みゆきさんと峰岸さんがね。あの二人、私達の中でもずば抜けて頭がいいんだよ。 だから……怖かった。頭が良いからこそ、私を見下すんじゃないか……」「だから……殺したんんスか……?」「『やられる前に殺れ』……ってね。これ宇宙の真理だよ」そんなわけない。それがすべてではないのだ。だが、こなたの場合……それしか選択肢がなかったのだ。「正直、みんな殺してやろうって思ってた。みんな殺して、自分も死ぬつもりだった。 だけど……峰岸さんを殺した後に気付いたんだ。『間違ってたのは私だったんだ』って……」壁にもたれかかっていたこなたの身体がだんだんと沈んでいく。もう立っている気力もなくなったのだろう、床に座り込んだ時には、足と手をだらしなく投げ出していた。「でも、後悔はしてないよ。……というより、出来そうもないや。だって、自分自身を信じれてないんだからさ……」すべてを語り終え、こなたは悲しそうに天井を見上げた。人を信じたくても、信じることができない……悲しき少女の、哀しき結末だった。 「……わからない」そんなこなたを見下ろしながら、みなみは首を横にふる。「私には、わかりません。なぜ……なぜ、あなたは……」みなみの問に、こなたは反応しなかった。そのままの態勢で、ただ天井を見つめている。そして、ゆっくりと目を閉じ……その目の端から、涙が溢れていた。「……わからなくてもいいよ。どうせ私は……永遠に独りぼっちなんだからさ……」束の間の静寂が食堂を包み込む。こなたの嗚咽がそれを破ったのは、数秒後のことだった。 彼女が流した涙の真意を、理解した者は誰もいない。ただ一つ、理解できたこと。それは―― 「ゆーちゃん、みなみちゃん」迎えのリムジンの中で、こなたが二人に呟いた。このリムジンは今、みゆきの別荘からふもとに下りてきて、街中へと向かっている。こなたの要望により、ここから一番近い警察署へと直行しているのだ。「なんですか……?」「なぁに? こなたお姉ちゃん」二人の問いかけに、こなたは窓の外を見つめながら言った。「二人はさ、信頼しあってるよね」そこまで聞いて、こなたの言いたいことがわかった。「あんまり他人を心の底から信じないほうがいいよ。いつかは裏切られるんだからさ」こちら側からは、その顔を伺うことはできない。だが……彼女はおそらく、無表情なのだろう。一切の感情もなく、窓の外を見つめ続けているのだろう。窓の外は真っ白な世界から抜け、豪雪地帯特有の二重玄関の家がぽつりぽつり見え始めている。その景色を、こなたは何を思いながら見つめているのだろうか……「……私は、信じ続けますよ。ゆたかを」「え……」「みなみちゃん……?」返事が帰ってくるとは思っていなかったのか、こなたまでも驚きの顔をみなみに向けた。「例え、ゆたかに騙されたとしても……何か事情があったのだと、私は考えるはずです」真剣な顔で語るみなみの顔を、こなたは黙って見つめている。ゆたかはその瞳から感情を読み取ろうとしたが……こなたの瞳の揺れがその邪魔をする。「泉先輩だって、心の底から信じることができる友達ができたなら……いいえ、もういるはずなんです。それに気付けなかっただけなんです。 だから、泉先輩もいつか、人を信じれる時が来ます。ここに、そして埼玉に、あなたを信じている人がいるんですから……」そう言って、優しい笑顔をゆたかに向けた。「みなみちゃん……」『こなたが犯人だ』ということをみんなが知って、てっきりこなたを避けるかと思っていた。しかし、少なくともみなみはそうではなかった。こなたを信じているのは自分だけではないと、この時、ゆたかは初めて理解した。「……っはは。私、これじゃ完全に悪役だネ」そう自嘲しながらも、表情はなごやかだった。暗黒時代の面影はもうない。『今まで自分達が見ていた範囲で』のだが、それはいつものこなたの表情だった。「負けたよ、二人とも。二人の友情は本物みたいだ」「こなたお姉ちゃん……?」「どこまでできるかわからないけど……もう一度、人を信じてみるよ。もう、遅すぎるけどね」こなたの言葉に、胸が熱くなった。今まで何度もこなたを慰めてきたけれども、それでも、こなたの凍り付いた心を溶かすことはできなかった。時間はかかってしまったが……これだけでもう、十分だ。「そこでさ……お願いがあるんだ」「お願い?」目に溜まり始めていた涙を拭い、聞き返す。するとこなたは、ちょっとだけ悲しそうに眉を細めて二人に言った。「お父さんとかがみ達が事件のことを聞いたら、間違いなく面会に来ると思うんだ。だから……みんなに、面会に来ないように伝えてくれないかな」「「え……?」」予想外の言葉に、ゆたかもみなみも目を丸くした。「だってさ、みなみちゃんの言い方だと、みんな私のことを信じてくれてるんでしょ? だったら、みんなに会わせる顔がないよ」こなたの言葉が終わらないまでも、自然と笑みが零れてしまった。信じる心を、確実に取り戻しつつある。それが嬉しくて、嬉しくて……「ゆーちゃんとみなみちゃんは許すけど……他の人には、面会に来てほしくないんだ。……ダメ、かな」こちらを向いた瞳が潤んでいる。まだ、怯えているのだろう。だが、怯える必要はなにもない。もとより返事はただ一つなのだから。「それが、泉先輩の望みなら」「みんなに伝えておくよ」「……ありがとう、二人とも……」二人の返事に安心したのか、微笑みを返してくれる。事件を起こしていた元凶は消え……今度こそ、すべてが終わったのだ。 「着きましたよ」それから数十分後、リムジンは遂に警察署へと到着した。リムジンから降りたこなたは、中にいる四人へと振り向く。「しばらく……お別れっスね」「サッキ話ハ聞いてまシタ……。ワタシタチは……面会アウトなんデスネ……」「うん……ごめんね。あんまりたくさん会ってると、こっちも辛いから……」「いいっスよ。泉先輩の望んだ道なんスから」しばらく二人を見つめた後、今度はゆたかとみなみに顔を向ける。ゆたかの瞳から涙が溢れているのを見て、その涙を拭ってやる。「泣いちゃダメだよ、ゆーちゃん。私は犯罪者なんだからさ」「……っ……でも……でも……」「大丈夫だって。死刑とかにならない限りはまた帰ってくるんだし。私はまだ未成年だから、刑が確定したら埼玉に戻るしね」「……先輩」完全に『お姉さん』の顔になったこなたを、みなみが優しい笑顔で見つめる。「もう……大丈夫みたいですね」「ううん……本当は、怖いよ」リムジンのドアにもたれ掛かり、晴れ渡った空を見ながらこなたは言う。その肩は微かに震えていた。だが……それとは対照的に、表情は、いつものこなただった。「でも……二人に、教えられたからね。少しずつでも、変わっていかなくちゃ」「……ひっぐ……お姉……ちゃん……」「じゃあ、私行くね。こんなところにいつまでもリムジンが止まってたら、みんな怪しまれちゃうし」扉を閉めると、こなたは背を向けて歩き始めた。小さくなっていく背中を見つめながら、ゆたかは思い出した。まだ、まだこなたに伝えていないことがある。「おねぇちゃん!!」窓を開けて、ゆたかは声の限りに叫んだ。その声にこなたは立ち止まり……しかし、振り返らない。それでもいい。例え面と向かわなくてもいい。この声が、届くなら!!「っ……私、ずっと待ってる! えぐ……時間のある時は……ひっく……必ず会いに行く! だから……だから……!!」その叫びに、こなたは…… ――ありがとう。ゆーちゃん―― 左手をあげることで応え、また、歩き始める。こなたが振り返ることは、遂になかった。
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