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パウブ・クロスクの伝説:発端

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lupinduke

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パウブ・クロスクの伝説:発端
The Legend of Puab Closk: The Beginning
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原題はPuab…文中にはPaub…たぶん、パウブでいいんですよね、コレ。
PoFのモンクFac関係で入るゾーン:知識の洞窟内で拾えます。
「パウブ・クロスクの~」で3冊ほど、それっぽいところに置いてあります。
確認したのはAshen Orderのクエ中ですので、DisipleFac上げの過程で違う本が貰える可能性もあるかもしれません。たぶん。
ちなみに、このゾーン自体は、「Ashen Order」のFac40000以上か、Fac40000以上の人の引率があれば入れるようです。

パウブ・クロスクの伝説:発端 10代目
智の番人Rao Lin著

アシェン・オーダーに属さぬ者は、Paub Closkを次のように評す。いわく、彼はQuelliousの胎内より生まれ出た預言者であり、神々の横暴と無慈悲から世界を救うために遣わされた者だと。あるいは、”戦禍の時代”に、たったひとりで世界の秩序を取り戻した人物だと。 もちろんこれらは誇張である。だが真実は時として、こうした神話以上に激動の展開を見せるもの。たしかに大師範 Paub Closkは、世界の人々を救うという大役を成し遂げた。しかし同時に、生をかつてない危険にさらしてしまったのも彼なのだ。 この世に史上最強の武器をもたらしたのが、他ならぬPaub Closkだからだ。
Paub Closkの出生について語ろう。突飛な想像をめぐらせている物語もあるが、Paubが実際に生を受けたのはフリーポートの町である。Paubは働き者の商人の家に生まれた子どもだった。7歳のとき、両親を失った。フリーポートとハイホールドの砦の間で、キャラバン隊がオークに襲われるという事件があったのだが、Paubの両親はこの隊商に参加していたのだ。旅の危険を承知していたのだろう、両親は万一の場合に備え、懇意にしていたアシェン・オーダーのモンクらにPaubの養育を依頼していた。 両親が殺された日、Paubのもとにモンク僧たちが現れた。彼を迎えに来たのだった。 モンクたちはPaubに生命について教え、Quelliousについて説いた。成長するにつれ、Paubは”穏やかなるもの”に慰めを見いだし、心からの帰依を誓うようになる。暇さえあれば瞑想にふけり、しだいに内なる平穏と理解を身につけていくPaub。真の悟りに手が届くのもあと一息、そう見て取った教師らは、彼にしばらく町から離れるように勧めた。1人で旅し、静寂の境地を見定めてくるべし、と。 Paubは師たちの助言に従い、ロー砂漠へと足しげく通った。砂漠にいるとき、彼は最も安らかな気持ちになることができた。
Paubは若き日の日記の中に、砂漠への旅の1つについて、次のような記述を残している。 「頬をなでては去って行く砂も、砂漠の夜の凍える寒さも、私の旅を励ましてくれるものでしかない。ささやきかける風の中に、私は己自身を聞く。砂漠のはかり知れぬ広がり、それが私だ。私は待つ。昼の光が身を焼き、清めてくれるのを」 砂丘とPaubとの深い関わり。ここにはそれが明示されている。 25歳のとき、Paubは師範の襲名を認められた。史上最年少での快挙だった。Paubはすべての弟子たちに砂漠の摂理を教え、それを手本とするよう促した。アシェン・オーダーには名のある師範があまたいた中で、Paubは最も優れた武術師範だった。 彼が教えを授けた者は、皆例外なく優秀な師範へと成長し、Paubの名声は否が応にも高まった。師範となってからわずか10年の後、Paubは弟子に地位を譲った。
Paubは空いた時間のほとんどを、深い瞑想や武術知識の拡充に費やした。遠くまで足を伸ばしては、できうる限り新たな武術の型を学んだ。学んだ型は、洗練し磨きをかけてアシェン・オーダー全体に広めた。 Paubはひと言「砂漠へ行く」と言ったきり、定かな行き先を告げぬまま、いつ戻るかも告げぬまま、ふらりと姿を消すことがあった。そうして何週間も戻らなかったが、Paubのこういう性癖は広く知られていたという。 そうした砂漠への旅の1つが”混乱の時代”の末頃に行われた。いつものようにPaubは砂漠に姿を消し、ひとつの季節が移り変わるまで戻らなかった。砂漠が彼に呼びかけ、Paubが呼びかけに応じたのだと言われている。また、彼を呼んだのはQuelliousその人であったと言う説もある。そのようにして、彼は砂漠に行ったのだ。
弟子たちによると、Paubは呼びかけてくる声を求め、ひたすら歩き続けたという。ある夜更け、小高い砂の山の上で瞑想していたとき、Paubは呼びかける声をはっきりと聞いた。振り向いた彼は、巨大な竜巻を従え、川が真っ直ぐ突進してくるのを目にした。嵐は彼を飲み込み、巨大な赤い柱の上に彼を吐きだしたと言われている。 次に起こった出来事は、どの物語でも同じように語られている。 Paubは石柱の頂でQuelliousと語りあい、Quelliousはひたすらに悟りを求める彼を讃えた。そしてその純粋無垢な心と体を愛でたという。やがてQuelliousは Paubに史上最強の武術、すなわちアーケイニック・コンバットを授けた。伝えられているところによれば、Paubはその後何ヶ月にもわたって石柱にとどまり、寝食を忘れて鍛錬に打ち込んだという。そうして秘技を会得したPaubは、その一切をアシェン・オーダーに持ち帰った。


 ざっと見てみると、やはりアシェン・オーダーしか出てこない。
元は同じとはいえ、アシェン・ディサイプルとしての歴史も見てみたいもんです。

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