晴れ渡る空の下、竜座について眠る神龍の体の上に、一人の浅黒い肌の少年がよじ登っている。
「王子ー!そのような所におのぼり遊ばすな!
ええい!神龍の見張り番は何をしておった!
衛兵!衛兵ー!早く王子が登るのをおとめせよ!!」
「ふははは!余はムウの次代を次ぐ後継者であるぞ!
お前達などに止められるようなヤワな鍛え方はしておらんわ!」
慌てふためく臣下を後目に軽々と自分の体をよじ登る少年を、神龍は薄目を開けて眺めていた。
龍は寝たふりをして、自分のテリトリーに入った者の様子を観察することがある。
この時の神龍も、同じ事をしていたのだ。
「ふん!図体ばかり大きくても、こいつは人間の言うことを簡単に聞く腰抜けではないか!
こんな木偶の坊を恐れる余ではないわ!
ほれほれ!怒ってみよ!」
げしげし。ぴしぴし。ぽかぽか。ぴんぴん。どんどん。
神龍に少年が無体を働く度に下から悲鳴じみた声があがるが、神龍は意に介さない。
逆に神龍がわずかに動かした髭に当たった少年の方が、ころころ転がって神龍の頭から落ちてしまった。
また下から悲鳴が上がるが、少年がとぐろを巻く神龍の体に捕まったので、悲鳴は安堵のため息に変わる。
「おのれ~!未来のムウの支配者になんと無礼な!
許せぬ!目にもの見せてくれるわ!」
少年の理不尽な怒りの声と共に、神龍の耳に今までに倍する人々の悲鳴が届いた。
その悲鳴の中に【逆鱗】の単語を聴き取り、わずかに神龍の体が動く。
逆鱗とは、龍の顎の部分に一枚だけ逆さまに生えた鱗のことだ。
龍は逆鱗に触れられる事を忌み嫌い、誰かが逆鱗に触れたならその者は即座に激怒した龍に殺される。
しかし神龍は、自分の逆鱗に触れる者がいるなどとは考えもしなかった。
自身が神龍…神と呼ばれるほどの力を持っている事は、誰もが知っている事なのだ。
誰がその怒りを自分に向けたいと思うだろうか?
しかし、その時、顎の下、自分の逆鱗に触れた手の感触を、神龍ははっきりと感じ取ったのだ。
「わ~っはっはっは!!どうだ!
逆鱗とやらに触れたぞ!これなら木偶の坊といえど…ぬおおっ!?」
急に動き出した神龍の体に跳ね飛ばされ、少年の体は高々と宙に舞った。
怒りに燃える神龍の頭が少年を追って持ち上がり、その体を一飲みにしようとする。
しかし、少年の体は唐突に消え、巨大な顎は虚しく空を切った。
急を聞いてようやく到着した魔法使いの手によって、少年の体は別の場所へと転移されたのだ。
「なんということを…なんということを!!
誰か!武器を持て!戦闘用のゴーレムを集めよ!
神龍をくい止めよ!神龍の怒りを鎮めよ!」
下位龍ならば容易く怒りを鎮める御札は、何枚用いようと神龍の怒りを静めることは出来なかった。
魔法弾も、別の国を滅ぼした兵器も、神龍と同じほど大きなゴーレムも、神龍を殺す事は出来なかった。
神龍が身を震わせれば御札は落ちて意味をなさず。
神龍が尾を振るい吐息を吐けば、ムウの誇る兵器もゴーレムも壊され、崩れ落ちていく。
逆鱗に触れた王子を神龍に差し出せば、王子の命と引き換えに神龍の怒りも収まっただろう。
しかし、ムウの王も王子もその決断を下さず、結果神龍はますます怒り狂い、被害は増幅していった。
そんな中、怒る神龍を止めるための一つの案が飛び出した。
それは、残るゴーレムのうち最も戦闘力の高いものに他のゴーレムを融合し、強化する作戦だった。
融合したゴーレムには、神龍の龍玉から造られた3色の玉が与えられ、さらなる強化が図られることになる。
神龍の力で神龍を制するこの案は、大勢の同意を得た。
一部で強化対象となったゴーレム制作者の精神状態を理由に反対する意見も出たが、その声は小さかった。
高い知能と戦闘能力を併せ持つメイド型ゴーレムは、次々と最も戦闘能力の高い六百六拾六号と融合していく。
ただ、融合解除能力を持つ一号と、人間並みの能力しか持たない七百七拾七号だけが融合を免れた。
融合した六百六拾六号は期待通りの、いやそれ以上の戦闘能力を手に入れた。
神龍の攻撃は、その吐息も含めて全てが六百六拾六号を倒せない。
逆に、六百六拾六号が大鎌を一振りすれば、それだけで勝負が決まる。
神龍の体で最初に切れ目が入ったのは、顎の下、問題の始まりとなった逆鱗。
切れ目はすぐに逆鱗から全身に広がり、バラバラになった神龍の体は力を失って地に落ちた。
後には、自身の死によって怒りを鎮めた神龍の魂が、空を飛んでいるだけだ。
「よくやった六百六拾六号!これでムウ大陸の未来は安泰じゃ!」
「お褒めに与り恐悦至極でございますご主人様」
王家の者達がニャンコ先生と部下の手で逃走しているため、現状最も位の高い男に六百六拾六号は一礼する。
顔は伏せたままで、六百六拾六号と呼ばれたメイドゴーレム…ムムムは笑った。
「お休みなさいませ…お父様と同じように」
そして、ムムムに話しかけた男の首が落ちる音が、惨劇再開の合図となった。
ムムムが暴走した時のために、二重三重にメイドゴーレム無力化の策は用意されていた。
危険な兆候が見えたなら、すぐにゴーレム一号の能力で融合を解く準備もできていた。
しかし現実は無情なもので、それらの策が全て机上の空論であった事はすぐに証明される。
メイドの中には倒した相手の力を吸収する者がいて、ムムムはその力で神龍から力を吸収していたのだ。
ムムムを止めようとする試みはその全てが失敗に終わった。
時間が残されていない中の選択であったとはいえ、それはあまりに大きな失敗であり。
神龍から奪った力を操るムムムの攻撃を止められず、人々は次々に切り刻まれていく。
やがて、周りに動く者がいなくなったのを確認し、ムムムは城の中へと歩みを進めようとした。
城の中にまだ生き残りがいる事はわかっていたため、生ある者全てを眠らせようとしてだ。
しかし、城内にいる者達に反撃の意志が無かったわけではない。
城の入り口付近に、二人の男がムムムを待ちかまえていた。
ターロンは気付かなかったが、魔法学園の生徒なら気付くかもしれない。
男のうち片方の顔が、学園図書館の管理人オルビア・ターナーにそっくりなのだ。
もう一人の男は頭の上に猫耳を乗せて、別の意味で注意を引いていたが。
「ごきげんようご主人様。お休みなさいませ」
すぐにムムムは、神龍でさえ殺した『次元ごと切り裂く刃』で2人を切り刻もうとした。
しかし、不可視の刃は2人に届く前に阻まれる。
原因はすぐにムムムにもわかった。
城内に残った者達の組み上げた魔法陣が、次元への干渉を阻む結界を創り出しているのだ。
「無駄な抵抗だわ。大人しくしていれば苦しまずに眠れたのに」
ムムムはすぐに吸収した他のメイドの能力で魔法陣の位置を特定し、術者達はなますのように切り刻まれる。
しかしそれこそが、ムムムの能力を知る魔法使い達の仕掛けた命がけの罠だったのだ。
「どうやら始まったようです…準備はよろしいですか?」
「愚問だな!天才のぼくの辞書に、準備不足の文字など無い!
萌えを理解しない愚か者の後始末をしなければならないのは不本意だが…
ぼくの最高傑作のナナナを置いていくのも不本意だが……しかぁし!
これで萌えを追求したぼくの知識全ては永遠に残る!
忘れるなよ!ぼくの体は滅びても、萌えは永遠に滅びん!何度でも蘇るのさ!」
オルビア似の男は猫耳を頭に乗せた男の答えに苦笑し、持っていた白紙の本を開き、呪を唱えた。
たちまち猫耳男の体は字となり文となり、白紙の本に吸い込まれていく。
やがて白紙の本は、その中に猫耳男の知識全てを記した、一冊の本となる。
城内で儀式魔法を行っていた者達を虐殺し終えたムムムは、残された次元結界への攻撃を続けていた。
まもなく、結界の効果時間は終わる。
その前に、狂気の天才に造られた狂えるメイドを止めなければならない。
「…これで、この惨劇は終わりだ」
オルビア似の男の手の中で、本は勝手に必要なページを開く。
瞬間、男を中心に巨大な魔法陣が展開した。
死を覚悟して儀式を行っていた魔法使い達の命を、魔力に変えて集め。
猫耳男が頭の中で考え出した術式を、本の力を引き出して完全な形で発動したのだ。
魔法陣が消えた時、ムムムの体は石と化していた。
その足下では、胸元から転がり落ちた三色の玉が静かに明滅を繰り返している。
最終更新:2009年11月28日 13:06