「空気さん、空気さん」
「……ん。もう、放課後だったっけ?」
「いや、普通に教室移動っすね。……どれだけ寝過ごすつもりだったんですか?」
口調からは今にも押し出されんばかりのフランクさが感じられるが、全体的な雰囲気としてはどこか陰りのある黒髪の少女――、
東横桃子の問いかけに、欠伸を噛み殺して応じる男子生徒。
伸びをして、首を捻りながら頭を掻く。金髪がくしゃりと揺れる。
それからまた気だるそうに、数学の教科書――一限目のものだ――を、机に戻す。
桃子は知っていた。
彼は、金髪の少年は――須賀京太郎は、教科書の殆どを学校に置き去りにしていると。
「ほら、イケメンさん。行くっすよ」
「……呼び方、安定しないのな」
「須賀くんが、敬愛と親密と三分の一の純情な感情を込めて私を下の名前で呼んでくれたら考えてやるっすけど」
「……どんな風にだ?」
「んー、仲良しっぽく『京さん』とか『京ちゃん』とか!」
軽く期待を込めた桃子の視線を、「じゃあパスで」と手のひらで払う京太郎。
おおよそ頭一つ分違う彼の目許にはその実、万物に対する拘りというものが感じられない。
どこか遠くを――ここではないどこかを、それだけを捉えている。
はあ、と溜め息を漏らす。
ある事件があってから――この手の瞳をするものは、少なくないのだ。
今も隣にいるこの少年がその内の一人だとしても、無理はなかった。
「あと、須賀くんってのもやめて貰えるか?」
「はいはい。まあ、空気キャラのよしみで受け入れてやるっすけど」
「……悪いな。ありがとう、東横」
東横桃子は――影が薄いという次元を通り越して、影そのものとなってしまったような少女だ。
顔は整っている。スタイルもいい。
性格は暗すぎず、むしろ、ある種フレンドリーと言ってもよい。
本来なら人の輪の中心に入っていてもおかしくない気軽さと、決して悪くはない気楽さがある。
それでも彼女は、友達が少ない。
苛められているとか疎まれているとかではなく、彼女の体質とも言える問題によって――桃子は人と関われない。
よほど大きな音を立てたり、派手な動きでもしない限り――。
東横桃子は、“他人に認識されない”。
否。正しく言うとすれば、認識されても意識されないのだ。
そこにいると、思われない。姿形も、発生すらも。
「……同級生にこんな運命の人みたいな人がいるのに、碌に友達らしいこともできないとかつまらないっす」
「何か言ったか?」
「なんでも……。……って、耳はいいって言ってましたよね? 知ってるっすよ!」
「そっか。俺は知らないんだよなぁ」
「うんうん、自分のことは意外と自分自身知らないものだ…………って、んな訳ないっす!」
「東横さん、うるさい」
「うわーん、他人行儀になったーっ! しかも、やっぱり耳がいいじゃないっすかぁー!」
その、数少ない友人。
それがこの――須賀京太郎である。
東横桃子の先程の体質にも関わらず、とても恥ずかしい告白をブチかましてくれたとある先輩がいる以上、
過度に須賀京太郎へとベタつきはしないが……。
それでも、自分のことを認識できる人間というのは実に貴重である。
というか、初めてだ。
正確に自分の姿を見ることができる――そんな人は。
これが同じ学年で、同じクラスで、隣の席であると言ったらもう運命と言っても過言ではない。
出会いは、こうだ。
我がスマートブレイン学園の――普通の高校とは違う、季節外れの入学式。
生まれ故郷を離れなくてはならないことへの不満と不安と、
どうせ場所が変わってもクラスに友人なんてできないんだろうなーという諦観から、
ホームルームをサボろうと思って、目的なく明後日の方向へ、廊下を歩いていたそのときだ。
「なあ、同じクラスだったよな? そっち、教室とは真逆だけどいいのか?」
方向音痴なのか、と笑いかける金髪の少年。
見覚えはあった。少年の言うように、自分と彼とは同じクラスであった。
だが……。
「そ、それ……私に……? 私に、言ってる……? まさか……? 本当に、っすか……?」
「そのサボり方は……新しいなぁ」
「さ、触っていいっすか!? これ何本に見えます!? 私綺麗っすか!? ポマードポマードっす!」
「へっ?」
「な、名前! 名前を教えて欲しいっす! うわー、キョドっちゃうっす! うわーっ! うわーっ!」
「……そっか、そういえば保健室はあっちだったっけ。お大事にな」
「ご丁寧にどうもどうも……って、違う! 逃がさないっすよ!」
「い゛っ!?」
「乙女座の私としてはセンチメンタリズムな運命を感じずにはいられないっす! 獅子座っすけど!」
それから、冷や汗を浮かべて距離を取ろうとする彼に食らい付き、なんとか自己紹介をした。
それこそ例の、自分を求めて恥ずかしい告白をした先輩――彼女のような、ド恥ずかしい告白だ。
何しろ、舞い上がっていた。
自分のことを完全に認識できるがいるなど、まさに瓢箪から駒だ。
詳しく聞いたところ、彼――須賀京太郎も長野出身であると言う。
これは正しく、運命であろう。
友人になるべくして、自分たちは出会ったのだ。少しはこの学園のことが好きになれそうだった。
「……で、ノッポさん」
「どうした、東横さん」
「他人行儀な呼び方は本気で傷付くのでやめて欲しいっす……。で、こんな噂聞いたことあります?」
「どんな噂なんだ?」
「まあ、ぼっちであるぼっちさんが知るわけないっすよねー」
「……そうだな、東横桃子さん」
「ちょ、ちょっとした冗談じゃないっすか! そんな怖い顔しないで欲しいっす!」
東横桃子が体質的にひとりぼっちだとしたら、須賀京太郎は実質的にひとりぼっちだ。
意図的に気配を消して、人の輪からそれとなく遠ざかり、無気力さで無責任さを表して頼られなくしている。
そんな須賀京太郎に、何でもないことで話しかけるのは、桃子を含めて数人か。
それ以外の人間に対しては至って普通に接するのに――桃子たちに対しては、やけにぶっきらぼうだ。
まあ、美少女に話しかけられて照れているのかもしれない。あはは。
それか、そういうお年頃なんだろうか。あとはデレツンとか。
「……で、どんなのなんだ?」
「んー、と」
この学園で、真しやかに囁かれるいくつかの噂。都市伝説の一つ。
それは――。
「『灰色の怪物と、生徒を襲う仮面の男』っすよ!」
「――――」
「あのー、どうかしたっすか?」
「……ん? 何が、どうかしたのか?」
「んー、何でもないっす。あはは、あはは」
最終更新:2014年03月02日 05:20