Interlude「今にも押し潰されそうな灰色の空の下で」
「ぶちょー……」
あの戦いから数日。
終わりを告げた、白水哩・鶴田姫子にとっての一世一代の決戦。
錆の滲む柵に背中を預けて、天を仰ぐ白水哩。
燃え尽きている。
鶴田姫子は、己の最愛の女性を見て、そんな評価を下した。
体重を預けて腕を投げ出していた。
やはり、一般的に言うように復讐とは空虚なものなのだろうか。
復讐を遂げた者に残るものはない。復讐では幸せになれない。何も得る事ができない。
ただただ、復讐とは虚しいものであると。
姫子は――そうは思わない。
残るものが無くても、幸せになれなくても、得る事ができなくても……。
マイナスをゼロに戻す事は出来るのだ。
傷つけられた自尊心を。己の名誉を、誇りを取り戻す事が出来る。
復讐を遂げてこそ、立つ瀬があるのだと。
財団Xに拉致をされ、改造手術を受けて――。
姫子は、人間の尊厳を奪われた。マイナスへと、己の人生を追いやられた。
それを肯んずるというのは、ただの家畜に堕ちるのと同然である。
尊厳を捨て去って、ただの豚として暮らす事となるのだ。
だから、姫子は復讐を敢行した。
白水哩、花田煌、安河内美子、江崎仁美――そしてほかならぬ自分自身の仇を討った。
これに後悔はない。
復讐相手を殺す事になってしまったがそれは……当然であると考えた。
雪辱を拭うには、それしかなかったのだ。
今も、復讐への後悔など毛ほども存在していない。
これは許せぬ領域であったのだ。それほどまでに、奴らは姫子の尊厳を奪った。
その仇討ちについて、一切の良心の呵責などない。
ただ、それでも獣に身を窶さずに済んだ。
人間となる為に、人間である為に――殺人を行ったのだ。
一方的な虐殺ではない。理不尽な暴力ではない。不当な惨殺ではない。
これは、正当なる復讐であった。
……その過程において、或いは最後に於いて、ある少年が力となってくれたのだが。
彼がいなければ、自分たちはただの飢狼として伏せていただろう。
きっと、復讐が終わった後に――こうして生きていられないほどの、罪を重ねていた。
自分たちは踏みとどまった。人間に戻れた。
そう考えているからこそ、姫子は、哩のこの態度に釈然としない感情を抱いているのは確かだ。
同時に、思った。
彼女は姫子が思っているほど強くなく――そして自分は彼女よりも、残忍なのだろう、と。
だから、燃え尽きてしまっても不思議ではない。
むしろ一般的に言うのであれば、自分の方が異常な部類なのだ。
姫子は考える。
社会的な価値観と、今の自分の持つ価値観は相違していると。
今の世の中では、殺人や暴力はおおよそ悪に該当する。
勿論、正当防衛であったり、治安の維持であったり……そういうものに、限定的に暴力が許容される事はある。
だが、それ以上は認められない。
それ以上は保障される実力の行使ではなく、ただの悪しき暴力行為となる。
だけれども――。
姫子は、もう一つ許されるものがあると考えていた。
別に社会的にそうしろとか、だから自分の行為は罪に当たらないなどと述べるつもりはない。
ただ、一切の罪悪感などは存在しないのだ。
許される暴力。
それは、魂の尊厳を護る為のもの。
その為ならば、殺人さえ(自己の中で)許容されるものと考えている。
だから、姫子に呵責はない。
奴は殺されて当然であった。姫子の復讐は正当なる行為だった。
その事について咎められるならばまた仕方がない。自分は法を破ったのだから。
だとしても、恥じる事はなかった。姫子は己の法に従ったのだから。
超えてはならない一線に踏み込まれたとき。
そこにはもう、命のやり取りしか残っていないのだと、姫子は考える。
同時に、思った。
確かに自分は幸せになる為に――再び幸せを目指せるように。
そのために、復讐を行った。その点は確かだ。
だけれどもこの先、果たして幸福になれるのだろうか。
それは分からない。
だが、確実に言える。真っ当な人生を後れはしないだろう。
殺人を犯したという瑕は、心に残る。
確かに良心が咎めてはいないけれど、それでも漠然と思う。
自分はただの人間ではなくなってしまった。向こう側に行ってしまったと。
自分は――それで構わない。
元より、殆ど失ったも同然の命だ。人間性を奪われかけていた命だ。
だから、今更構わない。
それでも、哩はどうなのだろうか。
尊敬する先輩であり、代えがたい相棒であり、共犯者であり、最愛の人物。
自分が泥を負うのは構わない。
彼女まで巻き込んでしまった事が、気がかりであった。
確かに元はと言えば、相乗りを言い出してきたのは哩の方であった。
彼女からしたら、姫子が付き合わされた側であろう。
でも、姫子からすれば違う。
自分は本心から復讐を行おうとしていた。その事に異存はなかった。
止められても、たった一人でも行っていただろう。その覚悟があった。
でも哩は、実は違ったのではないか。
そうならば、哩を止められなかったのは姫子の責任だ。
それこそ逆に、彼女を巻き込んでいる事となる。
もしも姫子が異を唱えさえすれば、哩は復讐を止めたかもしれない。
結局、復讐を果たして。
それで哩が苦悩すると言うのであれば、それは紛れもなく、制止しなかった己の責任だ。
殺人は厭わない。暴力を用いるのも構わない。復讐を遂げたのにも後悔ない。
だけれども、白水哩に、余計な罪の意識を背負わしてしまったならば――。
そんな事実だけは、姫子の中で罪悪感として発露するであろう。
「なあ、姫子」
自らの身体を抱きしめる姫子に掛けられる、声。
仰向けになったままの白水哩から発せられていた。
何かと、すぐに表情を元に戻し問いかける。
ああ、と頭を振って哩が応えた。
「さっきから、ずっと考えとったんよ」
「……はい」
「うちらは、須賀に助けられた。あいつの助けばなければ、うちらは遅からんうちに死んどったと思う」
「そう思うとです。きょーたろ君が居らんかったら、こうしてここにはいません」
「やけん……何か、恩ば返そうと思っとった。そいでん、何も思いつかん」
どうしたものか、と首を捻る哩。
どうにも先ほどからあんな態度で居たのは、悩んでいた為であったらしい。
何とも人騒がせであると思い、同時に安堵し、それからまた不安になる。
自分が、罪を負う事について不満はないと言った。
だけれども、やはり一人と言うのは怖い。哩と一緒に居たい。
そこで彼女が相乗りしてくるなら――これ以上に嬉しい事はない。
でも果たしてそうなのか。
彼女はやはり悔やんでいるのではないかとも、思える。
それを表に出そうとしていないだけで……。
「恩ってゆーても、きょーたろ君はその辺特に気にせんと思いますけど」
「やけん、気に食わん。目的ば果たしとるんに……借りっぱなしになっとるんは、後味が悪かよ」
「ああ……まあ、確かに。スッキリはしませんと」
「どうせなら、最後まで気持ちよくいきとーと……やけん」
その後の言葉を飲み込み、瞼を下ろす哩。
何かを言い憚っている。
彼女の中に既に答えのようなものはあって――それを言うのを、躊躇っているようであった。
となれば即ちそれは哩自身だけでなく、姫子にも関係する事。
彼女が躊躇する事など、それぐらいしか知らない。
他には、新道寺の仲間たちについてぐらいであろう。
となると――答えは一つしかない。
哩の沈黙の表情だけで、彼女の思考を察せる。
仮面ライダーWとなるにあたり、ミュージアム・財団Xに報復するにあたり、二人の絆はより深まった。
言葉が無くとも通じる――それほどまでに、密度ある関係となっていた。
「部長。私の事は、気にせんでよかとです」
「……姫子」
「私の考えとる通りやったら……それは、私のしたい事でもあるとですよ?」
「……」
「それに……前に言っとーと。『永遠の、その先まで相乗りしとーとです』って」
姫子の思いが伝わったのであろう。
やおら、哩は口を開いた。静かに目を閉じながら、ゆっくりと語り出す。
「京太郎は、うちらと同じ側の人間ぞ……アイツも、マイナスばゼロに戻さんと先には進めん人間」
「きょーたろ君は、あん中で唯一こっち寄りですけんね」
「やけんアイツも、決着をつける為に戦いばする。うちらの戦いと一緒で、アイツも戦いば続ける」
「そいけん、部長はその戦いに付き合う……と?」
「……色々考えた。そいでん、恩ば返すとなったらこれしか思いつかん」
溜め息を漏らす哩。
彼女は戦いの運命から解放された。姫子も解放された。
戦いは、先に進むために必要な事であった。ある種の儀礼と同様。
だけど、哩がこれから言わんとする事は――違う。
「折角、日常ば戻れるのに……また、戦う事になる」
「……」
「京太郎はそいば求めん。日常に戻れと、言うに決まっとる。正直……うちも、同じ気持ちよ」
部員の皆は助け出され、自分たちの運命を弄んだ財団X――加頭順は滅んだ。
哩も姫子も、戦う理由などなくなっていた。
ドーパントと戦う戦力と言う意味ならば、本来のWの二人でいい。
マイナスはゼロに戻ったのだ。戻らないにしろ、ゼロに向かって動き出した。
もう、休んでもいいのではないかと思える。
これまで自分たちに負わされた過酷な運命を考えれば、それは自然な事だろう。
でも――。
「京太郎に借りば返さんと……うちらは、人間じゃなくなる。アイツは、私たちば人間に戻してくれた。
そいなときに、自分たちだけ安穏に戻るとは……そいは豚と変わらん。恩知らずの、豚ぞ」
それは到底、二人だけでは成し遂げられなかった。
財団Xという真の黒幕の存在を知る事もなく。
花田たちがどこにいるのか、どんな状態なのかをも知れず。
助け出す前に、ミュージアムのライダーに打ち取られていたであろう。
彼は、文字通り二人の命の恩人だった。
こうしてまた歩き出せるのも、京太郎の助けがあってこそである。
そんな少年を放っておいて――年下の少年にツケを回して、知らんぷりして。
それが許されるのであろうか。
他人がどういうかではなく、白水哩と鶴田姫子の中で。
これは、我が身可愛さに、尊厳を売り渡す行為に等しい。
折角取り戻したものを、今度は自分の意志で捨て去ってしまうのである。
そんな事は肯んずれない。認めたくない。
哩が言っているのは、そういう事だ。
ただし彼女は、それがまた同時に、本当に正しい事なのかと考えている。
自分のエゴやちっぽけな感傷で、再び戦いの渦に飛び込む。
Wは一人では戦えない。どうしても、命を共にする相棒が求められる。
哩は、姫子を引き込む事を遠慮しているのだ。
漸く取り戻した日常を、それを手放す事に付き合わせる。
その事に二の足を踏んでいた。
であるから――姫子は笑う。
「仮面ライダーWは、まだ止まらない。そーゆー事とです」
「……姫子。よかと?」
「部長。二度も、言わせんでください。二度も言うんは無駄です。
私は……私たちは、永遠のその先まで相乗りする――嫌と言われよーと、そいでん相乗りしとーとです」
「姫子……」
「そこに今度は、きょーたろ君が加わる。きょーたろ君の相手も……別に悪かとは、思えなかと」
彼の事は、姫子も嫌いではない。
恩とかそういうのは兎も角として、人間的に好ましかった。
きっと、哩もそうだろう。
いきなり因縁を吹っかけてきて、一度は殺そうとした相手に……。
そのままじゃ、そちらのの目的にも支障が出るから冷静になれと諌め……。
いずれは復讐だけでなく、人を助ける事も出来るようになって欲しいと言う。
己の精神が分解しかねないほどのリスクを負ってまで、
姫子と哩に協力して――自分たちの仲間を助け出す事を手伝ってくれた。
そんな人間の為なら、命を懸けるのも悪くはないと思えるのだ。
これは、本来必要な事ではない。通過儀礼でもなければ、禊でもない。
哩と姫子が、自分の意志で――須賀京太郎を助けたいと思っているのだ。
ある意味、これが……初めて仮面ライダーらしい戦う理由となろうか。
雲海に覆われた街を見る。
この街の事は知らない。いい思い出ばかりではない。
この街に住む人々の事など知らない。顔を合わせてないものまで、姫子たちは関与できない。
でも、京太郎がそれらを守りたいと願うのであれば――。
そのために自分の体を張って戦うと言うのであれば――。
自分たちもそれに付き合ってやってもいいと、純粋に思えた。
「そいぎ、改めて……」
「はい。私たちは二人で一人の仮面ライダー」
「本当に戦いが終わる日まで……その先まで……」
「私たちは、相乗りし続けるとです」
――了
最終更新:2014年03月02日 05:25