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Interlude「憧のお・し・ご・と」


「はい、はい、はい……了解でーす♪」


 須賀京太郎はスマートフォンを持っているらしいが、新子憧は未だに折り畳み型携帯である。
 なんというか、タッチして操作するという事が面倒そうだと言うのがあるが、一番の理由は可愛いからだ。
 スマートフォンにストラップを付けるのと、ガラケーにストラップを付けるの。
 断然、後者の方がいいと思う。

 なんてことはともかく、新子憧は電話を切った。

 電話の相手は鴻上ファウンデーション。そこのドクター、対木もこ。
 戦いが一段落したという事で、バースのメンテナンスを行っていたのだ。
 不具合が無いか軽く検診するかというより、今回は割と大がかりな分解を含めた検査である。


 まずは、ここ最近戦ってきた相手が、相当な強さを持っていたという事。
 その分、深刻なダメージを刻まれてはいないか――一見判別しにくい部分にも――というのと、
 やがて来たるべきグリードとの戦いに向けて、調整を行おうというのだ。

 なるほど確かに、その通りだ。

 肝心の戦いで、どこかしらの不調により十分な実力を発揮できない。
 それどころか、それが原因で重大な負傷をするなど、避けたいものであった。
 最低限のメンテナンスは、マニュアルに従って自分もできるようにはしているものの、やはり専門的な事となれば門外漢。
 そのあたりは、ドクター=対木もこに任せっぱなしだ。


「……ふう」


 携帯を畳み、息を漏らす。

 すっかりと自分もこの戦いに――戦いの運命に適応してしまった。
 初めのうちは、戦いたくなかった。戦うなんて怖すぎた。
 今もまだ怖いが、それでも受け入れる事はそう難しい事ではなくなっている。

 絶対に嫌だし、そうなりたくなんて無いが……。
 万が一絶望的な戦いに直面したとしても、タフなジョークを飛ばして笑えるだろう。
 色々な意味で、慣れ始めていた。


 戦闘の最中、とにかくタフなジョークを言おうと思っているのは、ある男の影響だ。

 どんな時でも冗談と諧謔で笑い飛ばせれば、体が軽くなる。
 余計な力が抜けてリラックスすると、パフォーマンスが大きく変わる。
 というのは、その男の談。

 その時は半信半疑であったが、今では実感している。
 余計な緊張が無い方が、仕事量は大きくなるのだ。幾度かの戦いを通して、それは確認できた。


 その男とは――伊達明。

 戦場を巡る医者であり、比類なき程の能力を持った名医であり、
 仮面ライダーバース=新子憧のサポート役であり、教育者であり、師匠であり――。

 憧の“債権者”である。


(……本当に、グリードと戦う事になるのかな)


 溜め息を漏らした。

 鴻上光生の読みでは、グリードとオーズが争う事は避けられない。
 また、憧自身にも……あれだけやらかしたグリードたちが、今更すんなり元の鞘に収まるとは思えなかった。
 それがどの程度の諍いになるのかは分からない。
 京太郎の望む、「一発殴り飛ばして連れ帰す」程度なのか。それとも命がけの死闘なのか。

 ……まあ。
 願わくば、前者であって欲しかった。

 須賀京太郎との付き合いは、長いとも短いとも言えない。
 彼と共闘してからの長さでいうなら短いし、顔を合わせてからという意味なら長い。
 一応、オーズのサポートが任務である以上、彼の戦闘行動について把握はしていたが……。
 果たして本人が、どういう思いを抱えて戦っているとか、そのあたりについては無関知だった。

 それでもまあ、最近になって戦いを共にする間に、色々と分かってきた。


 まず須賀京太郎は、格好つけしいだ。
 それから、穏やかそうながらお調子者で、その癖変なところで神経質と言うか真面目。
 ポジティブかと思えば、ネガティブとも言える。

 思うところは色々ある。

 だけど、評価は決まっていた。
 結局あいつはお人好しで――悪い人間ではないのだ。
 実際、人を守るために戦っている以上、そんな憧の判断に間違いないだろう。


 で、グリードと戦う事になったとして……。
 そんな悪い奴ではない須賀京太郎が、一体どんな状態になるか。
 その事が憧にとって、気がかりだった。

 須賀京太郎の詳しい事情なんてのは知らない。
 別に無理に打ち明けて貰おうなんて思わないし、人の過去に関してそこまで憧は頓着を持っていない。
 もし彼が相談してくるなら聞くだろう。そんなぐらいだ。


 だけれども――。

 彼が、その外見に/年齢に不相応なほどの過去を持っていると言うのは、なんとなく感づいていた。
 元々、どことなくおかしな人間だと思った。
 平常そうにしていながら、行動がどことなく狂っているのだ。

 異常なまでの自己犠牲。異常なまでの献身。異常なまでの闘志。

 死にかけの一歩手前まで行っても、まだ立ち上がる。
 理不尽な契約を持ちかけられようとも、不平を漏らさず人助けを優先する。
 裏切られて傷つけられても、まだ、相手に手を伸ばそうとしている。

 こんなのは、よほどの聖人か。それとも狂人か。
 そんな風に思っていた。そして、不気味な存在だとどことなく憧は警戒していた。
 憧の持っていたこれまでの常識には、こんな人間はいなかったのである。


 だけれども――。

 憧は知った。
 彼は聖人でも狂人でもない。ただの常人であると。
 特別な精神性などない。
 天に選ばれた存在でもなければ、特殊な才能を身に宿してもいない。
 英雄の如き勇気も、勇者の如き清廉さも持たない。

 常人だった。
 常人であるからこそ傷付き悲しみ、それをどうにかしようと足掻きだした。
 割り切れてなどいない。飲み込めてなどいない。精神が完成してなどいない。
 須賀京太郎は年相応の、少年である。

 そんな、少年だからこそ。
 彼は年相応ではなくなってしまったのだ――。


 新子憧は知ったのだ。ある場面に立ち会う事があったから。
 彼が抱え込んだ過去を。背負い込んだ罪を。受けてしまった呪いを。

 宮永咲という少女。憧たちと同じく、ライダーであった少女。

 その少女との因縁――おそらくは彼女を喪失した事だろう――が、
 ただの少年だった須賀京太郎の心に、深い影を落とした。

 抱えきれない哀しみを持った時、耐えきれない痛みを受けたとき。
 人の精神と言うのは容易く変容する。
 超人ならば或いは耐えられるかもしれないが、彼は超人ではない。

 ただの、年相応の少年であったが故に――。
 彼はその、年相応の少年でなくなることを、余儀なくされたのだ。


 そこにどんな事情があったのか、憧は知らない。
 ただきっと、少年が身に受けるにはあまりにも重すぎるものだったのだろう。
 だから、須賀京太郎の心は変質した。変質してしまったのだ。

 あの出来事に立ち会ってから、それまでの須賀京太郎の像は変わった。

 得体の知れない、聖人じみた/狂人じみた精神性の持ち主ではない。
 ただ、謝る相手を失ってしまって、それでも何とか謝ろうとしているだけの哀れな少年だ。
 涙を流す事を忘れて、代わりに血を流し続ける。
 どうやって謝っていいかが分からないから、そんな自傷行為/自罰行為に耽る。

 そして、自分がそんな状態にあると正しく理解できてはいない。

 それだけの少年だった。


 最近はそれでも、そんな状態から立ち直りつつあるのだろう。
 まあ、それはよかったんじゃないかと思う。
 見ていて気分がいいものではないし、流石に同年代の少年が嘆き続けているというのに同情する。

 立ち直れるなら、それに越した事はないだろう。
 憧からはあまり手助けらしい手助けはできないが、それでも何かあったのなら、力ぐらいは貸してやってもいいか。
 それぐらいに、須賀京太郎の事を憎からず思っている。


 そんな京太郎が――。回復の兆候にある京太郎が――。

 グリードと戦う事になったのなら。
 完全に刃を交えて、決別しか選択肢がない状態になったのなら。
 どうなってしまうか、という事である。


(治りかけのところに瑕を受けるんだから……きっとまた、大変な事になるよね)


 傷口を余計に抉る事になる。

 その痛みに、彼は耐えられるのだろうか。


 耐えられるとも思うし、耐えられないとも思う。
 言ってしまえば、どうなるかは憧にもわからないのだ。

 彼は少なからず成長している。
 以前はどうだったかは知らないが、今の彼と以前の彼が同じ結論に至るとは限らない。

 また、憧を含め――彼には共に命を懸けあう仲間がいる。
 それはきっと、ただの関係よりも濃密だ。
 憧としては、それと友人は同列である。どちらが上でも下でもない。
 ただ、それぞれ関係に差異がある。それは当たり前だ。

 でも京太郎にとってはどうなのだろうか。

 願わくば――それが彼の持つ以前の人間関係とは異なるもので、彼の支えであってほしい。



 ……なんてのは。

 憧の自己保身も含まれた、願望である。
 憧の戦う理由は、彼を間接的にでも傷つけてしまうものであるから。
 憧が幸福になる為には、少なからず彼の(心の)犠牲が含まれてしまうから。

 だから、彼の心が少しでも傷付かなければいい。
 傷付いても、立ち直ってくれればいい。
 立ち直るような環境に居てくれればいい。

 それは、純粋な願いではなかった。
 純粋に彼の事を思いやっての望みではなかった。


(でも、グリードと戦えないと……あたしは……)


 憧には、借金がある。
 もしも――絶対にありえない選択肢だが――体を売ったとしても、到底返済など出来ない額。
 この年で憧は、債務者であった。

 未確認生命体による、日本各地でのテロ行為。

 それによって――憧の姉は、重傷を負った。
 普通の医者では、到底治療できる見込みがなかった。
 いや、可能ではあっただろう。だけれども、他にも全国で被害を及ぼしていたため、医者の数が足りなかった。


 このままでは、手遅れになってしまう――。


 そう判断した新子家は、可能な限りの人脈を使って、新子望の治療の手立てを模索した。
 日本国内では、慢性的に医者の数が足りない。
 重症者数だって多い。順番がいつ回ってくるのかさえも不明。
 このままでは、よしんば入院できたとしても恢復に至る前に死亡してしまう。

 治療費がいくらかかるとしても。
 新子家は、望の治療を優先した。

 尚――その時の執刀医が、伊達明であった。


 そして当然ながら、その治療と引き換えに。
 新子家は、多額の借金を負う事となった。

 足元を見られたとは思っていない。
 彼はその医療費に相応の、素晴らしい手術を行ったのだから。
 むしろ、渡航費などを考えるのならば、逆に安いほどだった。


 そんな折、憧の家を訪れたのが鴻上光生。
 自宅に眠る橙色のコアメダル――コブラ・カメ・ワニ――を求めてきた。
 引き換えに資金援助をすると、言っていた。
 二つ返事で飛びつきたいほどだった。

 効果も判らぬ古術品よりも、今を生きる人間の命である。
 当然父親は、その話に乗るだろうと思った。
 だけれども彼は、それを渋ったのだ。

 その埋蔵品にどれほどの価値があるかなんて、憧は知らない。
 しかし、こんな状況にあっても――おいそれと持ち出していいものではなかった、ようだ。
 憧は悩んだ。憤った。

 そんな何かも分からないものより、姉の命を助けるにかかった借金。
 憧は現実を見ていた。
 得体のしれないものなどは認めこそすれ、目指そうなどと、思ってはいなかったのだ。


 しかし同時に、頭の片隅では理解していた。

 あの未確認生命体。それは確実な超常現象だ。
 であるがゆえに、この、メダルも何かしらの曰くを持っていても不思議ではない。
 故に憧は、一旦契約を保留とした鴻上光生の元へと向かい、問いかけた。


 そこで知った。

 オーズという存在。
 コアメダルという存在。
 セルメダルという存在。

 欲望を形とした、いくつもの概念を。


 そして、新子憧は再会した。
 姉の手術を担当した、伊達明と。


 手術かと問うてみたが、答えは「NO」であった。
 医者である筈の伊達明が、何故そのような場所に居るのか不明だった。
 或いは人体実験なんてものでもやっているのかと、そんな想像すら浮かんだ。

 などと当惑する憧に目掛けて、明は何事もないかのように笑う。
 そして人差し指を立てて、こう言ったのだ。


「新子ちゃん。俺、こんだけ……稼がなくちゃならないのよ」


 百万円か、ともすれば一千万円かと思った。
 だけど実際は違ったのだ。
 一億円。
 明は一億円を稼ぐために鴻上ファウンデーションと、何らかの契約を取り交わそうとしていたのだ。


 それを聞いたときに憧の頭を過った事は一つである。

 何故、彼がそんな額を稼ごうとしているのか。
 どんな契約の内容ならば、それほどの額を出すのだろうか。
 それと、先ほど説明されたオーズとはどんな関連があるのだろうか――ではない。


 “都合がいい”。

 実に都合がいいものだと、憧は思った。


 彼女が――彼女の家が負った多額の借金。
 その借金に由来する手術に携わった伊達明。
 伊達明が契約を交わそうとしている、鴻上光生。
 鴻上光生が求めているメダルを持つ、自分。
 そして、メダルを手放せない自分の家。

 この状況は、実に憧にとって、都合がよかったのだ。


 そう考えてからの行動は早かった。
 憧は、明が交わそうとしている契約内容について質問。

 未確認生命体。或いはドーパント。
 それか、ともすればいずれ目覚めかねないグリードに対する措置としてのバース。
 オーズがコアメダルを利用するとしたら、バースはセルメダルを利用する。
 そんな、バースとして戦う事が、明には求められていたのだ。

 その装着者として、憧は志願した。
 勿論、万全のトレーニングとバックアップを要求した上で、だが。
 加えて憧が交渉材料として差し出したのは、橙のコアメダル。


(思えば……我ながら、随分吹っかけたわね)


 彼女が持ちかけた契約はこうだ。


 第一に、新子憧が仮面ライダーバースに変身して戦う。
 加えて、必要なそのとき(憧が良いと判断したとき)には、爬虫類のコアメダルを提供する。

 代わりに、憧はバースとして戦うに当たって十分な教育を受ける。
 その際の教育者が伊達明。彼への教育費用として、鴻上ファウンデーションは1億円支払う事。
 そして第二に、鴻上ファウンデーションは新子家の借金を返す事。

 それらの費用は全て先払い……という形だ。
 我ながら、実に欲張りな契約を持ちかけたと思う。変に度胸があったもんだ。
 だが結局――鴻上光生はそれを、受け入れた。


 ちなみにこんなにややこしい契約となっているのは……。
 伊達明に、まずは憧の家の借金を肩代わりしてもらい、
 それから、その借金の分も含めて彼が得ようとしていた金額を支払う――という形だから。
 まず、明に五千万を立て替えてもらった。
 その上で、五千万を返済+一億円の支払いを、鴻上ファウンデーションにさせようと言うものだ。

 本来ならこの一億円は、憧には関係ないものである。
 何故、わざわざ背負ってしまったのかには二つの理由。


 一つ目――。

 伊達明が一億円で契約をしようとしていたところに、自分が後から乗り込んだ。
 コアメダル+明より五千万低額なら、憧と契約を交わした方がお得である。
 だけれども、渋られる可能性がある。明と先に契約を結ぼうとしていた――とか。
 或いは明が、異議を申し立てたりするかもしれない。

 そう言うぐちゃぐちゃしたのが面倒だから、鴻上が頷きさえすれば後腐れない形の契約を取ろうと思った。
 額は増えてしまったが……そもそも、五千万などという普通では返しきれない借金である。
 ここで契約の機会を逃したり、或いは、ケチがついたりしたのならば、憧たちには返済の手段がなくなる。
 多少強引だとしても、この契約を逃すわけにはいかなかったのだ。


 二つ目は――。

 これは、ちっぽけな感傷のようなものだ。
 五千万という多額になった場合、大方の人間はそんな事は知らないと首を振るだろう。
 だが、憧にはそうはできなかった。
 そうしてしまったら、借金を返せたとしても、自分は幸せにはなれないだろうと思ったのだ。

 明は、姉の恩人に当たる。
 大好きな姉だ。よく頼り過ぎてしまっていた姉だ。明は、そんな姉の命を助けてくれた。
 勿論そこにあったのは親切心などではなく、プロとして患者を治療する契約に他ならない。
 それでも、やはり姉の恩人である事には変わりない。

 そんな明が、一億円を必要としている。
 どんな理由だかは知らないが、彼の性格からするに、態度はアレでも真剣そのものだ。
 それを、後から来た自分が奪い取る。
 恩人である明に対して、後ろ足で砂をかける行為をする事となるのだ。


 それは、憧の中ではアウトのラインだった。
 超えてはならない一線に当たる。
 借金が云々以前の問題だ。人間としてそれが許されるか否かの、基盤となる部分。

 そこを超えてしまったのならば、憧は人間ではなくなってしまう。
 少なくとも、自分自身納得はできないだろう。
 姉が助かり、家族の債権が消えて、全てが元通りになるとしても――。

 憧は幸福になれなくなる。

 いずれそんな“負い目”は憧の中で芽吹き、体に入ったガラスの破片が如く、心臓に到達するだろう。
 そうなったとき、自分たちは崩壊するだろう。
 ただ借金を負うよりも、後味の悪い、気持ちが悪い形でバラバラとなる。


 憧は不幸になりたくなかった。幸福でありたい。
 憧は打算的である。ちゃっかりしている。
 だからと言って、悪人ではなかった。彼女なりの、納得と言う倫理基準がある。

 だから多少なりとも泥をおっ被さったとしても、彼女は『納得』と『この先不幸にならない事』を選択した。

 それが、新子憧がバースとして戦う理由である。


 憧の強い欲望を評価すると、鴻上は言った。
 欲望とか、年頃の乙女に対して失礼な言葉だ。自分は純情であるのに……。

 ……閑話休題。

 とにかく、それが新子憧の戦う理由であった。
 この事を知っているのは、憧を除けば鴻上光生と伊達明の二人だけ。
 それ以外の誰にも、打ち明けていない。


「なんか、あたしだけが自分の為に戦ってるって……やっぱり言えたもんじゃないわよね」


 再度、溜め息を漏らした。

 自分は、他のライダーたちの尻馬に乗っている存在だ。
 皆が無償で戦っているところに飛び乗って、自分の取り分を稼いでいる。
 なんとも、情けないものだ……そのあり方が、皆に比べて、賤しすぎる。

 伊達ならハッキリと割り切れるだろう。
 そして、実に正当な――聞いた人間を納得させる理論を展開するはずだ。
 だけれども、憧には割り切れない。上手い言葉も考えつかない。

 自分は皆とは違う。
 そんな、どこか劣等感じみたコンプレックスが浮かんでくる。


「……どうしよ、あたし」


 鴻上は憧の無理な要求を通した。
 だからと言って、契約をなあなあで通す事はしないだろう。
 キッチリと、憧のすべき事を――対価を求めてくるはずだ。

 だから、憧はグリードと戦わなくてはならない。
 ヤミーを生み出してくれた方が、憧にとっては喜ばしいのだ。
 それが契約の履行条件に近付くから。

 でも、それを望むと言うのは、やはり……。


 きっと、賤しい存在となってしまう。
 この先の人生に瑕を作る。後々への禍根を遺す。心によくないものが残る。
 納得できない事は、後への悪凶を齎すのだ。

 それは理解している。
 理解しているが……。


「……はぁ」


 いざ実際、戦いに終わりが見えてくると同時に……憧は悩み始めていたのだ。

 このままグリードと京太郎が深く争わなければいい、という良心。
 何とかヤミーを倒して、稼がなければならないと思う保身。

 その間で、板挟みにされていた――仲間に打ち明ける事など出来ずに。


「お金……稼がないと」


 或いはもっと誰かと親密になれたのならば。
 こんなジレンマを相談できたのだろうか。

 既に、自分一人だけが自分の利益に戦っているという“負い目”がある。
 胸が痛い。立つ瀬がない。申し訳ない。
 そんな奴が、何を仲間面して皆の輪に入れようか。

 己が酷く矮小で、汚らわしい存在であるとさえ思えてくるのだ。


「……はぁ」


 どうしたらいいのか、憧には判らなくなっていた。

 ただ敵がいるから倒しているうちは、よかった。
 きっと戦いが進めば憧の借金返済も進んでいくし、平和にもなっていく。
 世の中が、全体の流れが良くなると思っていたのだ。

 だけれども今は、違う。
 憧は己ひとりだけ、停滞してしまっている気がした。
 終わりに近づいた流れに出来た渦に、片足を囚われているような。


 だから、せめて――。


「あたしはともかく……誰かの為に戦うあんたは、幸せになってよね」


 報われるべき人間は、報われなければならない。
 そうでなければ理屈に合わない。理に適ってない。理不尽である。
 だから、京太郎は幸せに進んでほしい。

 勿論、憧だって幸せを放棄しない。

 こんなに苦しい状況となっていたとしても。
 憧は、憧自身……自分に出来る範囲内で、精一杯幸福を目指そうと思っているのだから。


 部室に顔を出して、気晴らしに麻雀を行う。
 着信があった。対木もこから言伝された研究員の伝言。
 バースのオーバーホールが終わったので、引き取りに来てくれとの事だった。


(……雨、降りそうね)


 自分の心中を映したかのごとき空を見上げて、新子憧は深い息を漏らした。


                                                 ――了
最終更新:2014年03月02日 05:29