Interlude「The people with no name」
「……ふう」
牌譜の整理から、頭を上げる。
空が段々と曇ってきていた。これではこの先遠からず、雨が振るだろう。
やれやれと、肩を回す。
ずっと座って打ち続けていたのだ。いい加減、肩が重い。気圧のせいもあるかもしれないが。
気圧の所為と言えば、髪の毛の纏まりも悪いのだ。
特に片側だけが、放っておいても渦を巻く。昔はどうにかしようと試みたが、今はもうどうもしてない。
それどころか、これもファッションの内であると思う事にしていた。そう開き直っていた。
小走やえは空を見上げて、溜息を漏らす。
空を見るたびに、奇妙な気持ちに襲われる。
それは歓喜と恐怖だ。
歓喜と言うか、一種の爽快感と言うか――。また、空を飛びたいと、身体が疼く。
奇妙な話だ。
“また”――などというのが、おかしい。
人の身である自分が空を飛んだことなどないというのに、何故そんな感情を抱くのだろうか。
風を切る音。雲を突き抜ける感触。街を見下ろす感覚。
それらが想起されるのである。
どうにもリアリティがある。それがますます、奇妙である。
疲れているのかなと、目薬を射して頭を振る。
スマートブレイン学園には、様々な学校の麻雀部が集められていた。
そしてその生徒たちは皆、基本的に元の高校での麻雀部と同じコミュニティを形成するようになっている。
やえのように――そうでないものは、総合的な麻雀部に所属する事となった。
そこには問題があった。
スマートブレイン学園がいくらマンモス校と言っても、この地区の出場枠は1つ。
それ故に、レギュラーメンバーとして大会に出られるのはただの5人。
各高校であった麻雀部のコミュニティを集めたメンバーとした集団たちと、
元の学校のメンバーを揃えられず、この学校での――いわばあぶれもの――を集めたスマートブレイン学園麻雀部。
その中で、学内の大会を行って出場する5人を決定事となっていた。
やえは、その学園の麻雀部に所属。
見事、現段階でレギュラーの座を勝ち取ったが、寄せ集めの集団。誰もが必死な集まり。
いつその座が変わるとも知れず、居残り続けるには多大な労力を必要とする。
維持するのも、楽ではない。
それ故こうして、ひたすらに麻雀を打っているのだ。以前よりも、なお。
しかし、ここでもう一つ奇妙な事がある。
これが不思議と、苦にならないのだ。
以前はそうした生活の内に、少しずつ倦んでいって、ストレスを溜めていた。
そうだったと――漠然と記憶している。
だというのに近頃は、それもない。
確かに麻雀が好きだと言うのはある。色々思うところがあるが、好きである。
それでも、好きな麻雀をしていたのは以前と同じであるのだ。
それで、以前は追い詰められていた。でも今は、そうでもない。
レギュラーになったからだろうか、と考えてみる。
確かにしっくりきた。
後輩の前でやたらと気取った先輩面をしたり、と自分にはそういう面がある。
だから、レギュラーになって益々心を固めたというのは、あるのかもしれない。
前みたいに、他にある道に目を向けようと――逃げようと――しなくなったのだ。
当面は、麻雀一本で行こうと思っている。
(……考えてもしかたないか。馬鹿らしいし)
今は悩んでいない。確かに辛いが、逃げ出したいと言うほどでもない。
だから――それでいいじゃないか。麻雀に集中できるのだ。
ふう、と鞄を手に取った。
そろそろお開きの時間であろう。
やるものはまだ残るだろうが……やえは、帰る事に決めた。
余計な事を思い浮かべてしまうあたり、集中力に欠いているのだろう。
この分では、練習をしたって身になりはしないのだから。
(……そういえば)
奇妙な事と言えば、もう一つ。
時々、夢を見るのだ。奇妙な夢を。
空を飛ぶ蜂の化け物に囚われた自分。
それに打ち込まれた毒だかが作用して、とにかく息苦しく、耐えがたいほどの苦痛が訪れる。
誰か、助けてくれと叫ぶ。
これほど苦しいのならいっそ、殺してくれと。
そこに――少年が現れるのだ。金髪の少年が。
出会った覚えはない。
小学生の時分から、そもそも麻雀漬けの毎日である。出会いなどあるわけない。
そんな話した事もない少年が。
自分目掛けて、手を伸ばすのだ。その手を離さない……掴んで見せる、と。
その夢の中で、少年は叫ぶ。
――あなたの痛みも、苦しみも……俺が止めてみせる!
そうして、やえの悪夢は終わりを告げる。
この夢を見た後には、何故だか、安堵するものだ。
同じぐらい……大切な何かを忘れているようで、胸が痛むが。
(王子様に助けてもらうとか……ちょっと、ねぇ……)
いい年して、と思う。
どんな少女趣味だとも思う。確かに憧れるが。
そして、この話には続きがある。
夢を見た後に気が付いたのだが、この少年、実在するらしい。
食堂や売店で、何度か見かけた。
その度に女性と会話している。どうやら、相当軟派な気質なのか。
夢の中の彼とは若干イメージが異なるようで、勝手に穢された気がしている。
尤もそれはただのやえの思い込みであり、現実の彼にとっては逆に申し訳ない話だが。
話しかけてみようか――と思った事が何度か。
でも一体、どう言えばいいのだろうか。
「夢の中であった事があるんです」とか言おうものなら、相当な電波さんである。
……いや、見知らぬ少年をヒーローにする夢を見る時点で、大概だけど。
そう思うと、躊躇われた。
また同時に、別に話しかけなくてもいいかと思っている。
本当の彼がどんなものなのかは知らない。
だけれども自分は、夢の中で戦う彼に勇気づけられ、前に進む力を貰っている。
何とも乙女チックで、知人が聞いたら爆笑間違いなしであるが……。
それで、いいのではないだろうか。
変に話を広げなくてもいい。暴こうとしないでもいい。追求しなくてもいい。
兎に角今の自分は、前に進もうとしているのだから。
「……帰ろうかな」
ふう、と改めて空を見上げる。
雨が降らなければ、いいのだが……。
「憧、またバイト先から?」
「あ、うん……ごめん」
新子憧が携帯を片手に席を立つのを、卓から身を乗り出して、ジャージの少女が覗き込む。
それに付随して、黒髪の少女が頑張ってと手を振った。
携帯電話に耳を当てながら、申し訳なさそうに部室を後にする新子憧。
必然、お開きになる流れである。
掃除をしようと皆が立ち上がる。
それを見計らって、鷺森灼は、夏なのにマフラーを巻いた厚着の少女――松実宥に話しかける。
「また……怪人がらみ?」
「そう……なのかな……。憧ちゃん、無理しないといいけど……」
元・阿知賀麻雀部。
その内の三人――新子憧、鷺森灼、松実宥はある共通点を持っていた。
人ならざる怪異。
ヤミー。イマジン。ドーパント。
それらの怪人と接触する機会があった、というものだ。
鷺森灼、松実宥――共にイマジンとの元・契約者だ。
鷺森灼は、風に吹き飛ばされてしまった思い出のネクタイを探す事を条件に。
松実宥は、寒さをどうにかする為に。
それぞれ、イマジンと契約してしまっていた。
それから彼女たちは、仮面ライダーと出会った。
鷺森灼、松実宥ともに、命の危機を助けられたのだ。
灼は、激昂したイマジンに殺されそうとなったところを。
宥は、彼女の願いを湾曲して燃え盛るビルに閉じ込められたところを。
仮面ライダーオーズ=須賀京太郎と。
仮面ライダーバース=新子憧に、助けられた。
正確に言うのであれば、松実宥はそれより前に、須賀京太郎に助けられていた。
変な男に絡まれているときに、彼が間に割って入ったのだ。
あの時は恐ろしかったが……。
「なら、須賀君も……?」
「その可能性は、高……」
松実宥がマフラーの裾を握りしめるのと同じく、灼もスカートの裾を掴む。
イマジンという化け物に襲われた自分を庇って倒れた彼。
それから、どんな形でもよいから、彼の力になろうと思った。
あまり話すのは得意ではないが、色々と情報を集めて……。
その先に、彼が再び傷付き倒れたと知ってから。
退院後の一度を除いて、彼と顔を合わせてはいない。
理由は至極明快であった。
松実宥も、京太郎に助けられたらしい。
変身した憧とタッグを組んだ仮面ライダーオーズに。
その時の京太郎の様子を、彼女から聞く機会があった。
宥曰く、「怖がっていた」そうだ。
そのまま宥に名前も告げず、碌に言葉も投げかけずに、去っていく。
その背中は、何かに怯えている風であった――と。
そんな宥の言葉から、灼は察した。
宥の人物眼には、一目置いていた。
彼女はこう見えてもしっかりしているのだ。であるが故に、信用できた。
彼女の見たとおりであるならば、須賀京太郎は、人と関わる事を避けようとしている。
バイトで怪人と戦っていると打ち明けた新子憧――灼は同じ境遇という事で宥から聞いた――とは異なり、
彼は、自分一人で背負いこもうとする。
思えば、灼が話しかけているときもそうであった。
彼は、自分を遠ざけようとしていた。
京太郎に関わる事で、関わった人間に被害が及ばないように。
そう願っての行動であろう。
彼は、助ける/助けられる以上の関係に踏み込む事を忌諱していた。
いや、その関係の中でも――接触は必要最小限に止めようとしている風にも、見えた。
極力、リスクを下げる為に関わらない。
そういうスタンスと言うのは、判る。
でも、彼のそれはスタンスと言うよりは……もっと別の何かであると、思えた。
ある種、強迫観念じみている。
言ってしまうのなら、呪いのようなものだった。
何が彼をそうまで追い詰めてしまったのか。
その事を、灼は知りたいと思った。
彼は恩人であった。ともすれば、それ以上の感情を抱いていると言ってもいい。
(でも……)
だからと言って、彼にそう求めるわけにはいかない。
憧という共に戦う仲間はいる。
また、他にも見た。ボウガンを使うライダーとか、神代小蒔という巫女であったりを。
彼は決して、孤独ではないだろう。
それでもきっと彼は――灼を庇ったあの時のように、単身何かに向かっていくタイプだ。
誰かに辛い思いをさせるのならば、自分一人で抱え込む。
そうして鋼のように、嵐の中に身を投じていく男なのであろう。
そんな彼の、余計な荷物になりたくない。
そう思ったが故、灼は、彼に近付く事を止めた。
ただでさえきっと、己のもの以上に抱え込むだろう少年。
そんな彼に、必要以上に何かを負わせたくはなかった。
願わくば――。
彼のそんな、呪いが解けているといい。
ヒーローとしてではなく、少年として、その生活を全うしてほしい。
そしていつか、余裕がでたのなら、自分のところにでも来てくれればいい。
それまでは……。
(私は私の道を全うする……。だから、そっちも……)
彼から得た勇気で。立ち向かうその不屈さで。諦めない気高さで。
自分は、自分に出来る道を進んでいくだけであろう。
それこそが、自分に出来る、彼への精一杯のお礼なのだ。
空を見上げる。
雲行きが、怪しかった。
(……どうしてるんやろ)
機嫌が悪くなった空模様を眺めながら、末原恭子は思いを馳せる。
自分を助けてくれたヒーロー。
仮面を纏った王子様。
頼りになる年下の少年。
仮面ライダー=須賀京太郎に。
この街に暮らす以上、仮面の戦士という存在を耳にした事はある。
だけれども、そんなものを信じるほど恭子は子供ではなかった。
己の身に、その異常が振りかかるまでは。
巨大な、人間大のゴキブリ男。
末原恭子が遭遇したのは、そいつだ。
外見からくるあまりの醜悪さに加えて、そいつ自身から発せられる、粘り気を帯びた雰囲気。
恭子は恐怖した。そのまま、その場にへたり込んだ。
思いに反して動かない体を引きずり、逃亡を図る。
じわじわと嬲るように追い詰めてくるゴキブリ男に、とうとう彼女が行き止まりまで追いやられた時。
それは――仮面ライダーは、来た。
そこからは、あまりの早業であった。
恭子の眼には映らないほどの速度でゴキブリに攻撃を加えると、そのまま叩きのめした。
彼の発するあまりの圧力に、助けられた自分が恐怖するほど。
ならば対するゴキブリにとっては一入であり、その身の因果をなぞるように、悲鳴を上げて逃げ出した。
ただ違うのは、自分には助けが入って、あのゴキブリにはそれがなかった事であろうか。
因果応報という奴だ。
(なんか、無茶してへんとええけど……)
考えながら、頭を掻く。
あれから彼と、会ってはいない。
恭子自身、麻雀部でやる事が多かったと言うのもあるが……。
何度か、お礼に、勇気を振り絞って一年生の教室を覗きに行った。
それでも彼には出会えなかった。
幾人かに訪ねてみたものの、暫く休学するらしいという返答のみ。
詳しい事情を訊いてみたが、それにも答えは無かった。
どうやら彼は、そこまで誰かと親しくはしていないらしい。
それなりに誰とでも付き合う。
だが、その休学の事情を知る者が一人もいないほど――浅いのだ。
その事に恭子は、眉を寄せたのを覚えている。
思えば彼は、自己評価が低かった。
恭子を家に送ろうとする際も、自分のような不審者にそれを知らせていいのかと問いかけてくるほど。
それほどまでにこちらの安全を考えているのかとも思えたが、
それ以上にあれは――あの目は、己自身を信じていない、過小評価をしている眼であった。
(なんていうか……難儀な奴やなぁ。もっと、誇ってええんやないんか?)
彼自身がどう思っているかはさておき、彼はまぎれもなくヒーローだと。
彼に助けられた恭子は、思う。
その目が間違っているとは思わない。
だって――。
自分自身が恐ろしいのに戦いに出て、人を助けて、誰かの恐怖を拭う。
そんな存在が、ヒーローでない筈がないのだ。
ヒーローの条件がどんなものだとか、恭子は知らない。
また、その事について論じるつもりもない。それはどうだっていい。
だけど、思っている事はあった。これがヒーローであると、そう感じる指針のようなものはあった。
恭子の考えるヒーローは、実に単純だ。
誰かを勇気づけられるもの。
誰かを励ますもの。
誰かに、まだ挫けてはならないと思わせるもの。
それこそが、ヒーローなのだ。
だから――。
(私はあんたのことを、ヒーローだと思っとるからな)
彼はヒーローであった。
彼は、まぎれもなくヒーローである。
きっと今だって、誰かの心の支えになるべく、戦っているのだろう。
曇天の空を見上げながら、末原恭子は思いを馳せた。
(やっぱり京セラでは京太郎攻めなのは確定しているけどここは敢えて若干の変化球を投げておきたいところ
あの怪物騒動から考えるに淡と京太郎はかなり中が良さそうだし、それに嫉妬したセーラが
京太郎を攻める……いやないなやっぱりない。セーラは攻められてこそのセーラだからそれはない。
だからやるとしたら、ここからセーラが京太郎を誘惑しようとして迫るんだけど……
「やっぱり京太郎には淡って女友達がいるからノンケ」ってヘタレになって決めきれないところに、
「先輩、俺をそう言う風に見てたんですか……たまげたなぁ」って、軽く言葉攻めしてノンケアピールをして、
それを聞いたセーラが「それでも俺いつの間にかお前の事が」って言って、京太郎が笑って、
「じゃあどうして欲しいんですか? 同性の後輩をそんな目で見る変態な先輩は」って、おもむろにワイシャツを……)
「……おい、早くツモれ」
(でもそう考えるのも良さそうだけどやはり京太郎鬼畜攻めというかセーラへの菊攻めは素晴らしいんだけど、
ここはやっぱりホモ特有の純愛でやっぱりヘテロよりホモが純愛ってソクラテスは素晴らしい事を言った――じゃなくて、
私もたまには京太郎とセーラの純愛が見たいというか、やっぱり純愛は素晴らしいホモは最高だって分かんだね……でもなくて、
ここは、淡っていう女友達がいる京太郎をノンケだと思ったセーラが、自然と身を引いていく感じになって、
でも抑えきれずにラブレターとか出しちゃって、それでも結局告白の場に向かう事ができずに、
あとあと京太郎からこんな事があったんだよって言われた時に罪悪感を感じちゃって、
でも京太郎の喋り方に、淡は彼女じゃないのか、自分にもチャンスはあるのかと考えてまた自己嫌悪しちゃって……)
「おい、照。なあ、おい」
(そんなセーラが少しずつ自分から遠ざかっていく事に寂しさを感じた京太郎は、
ある日淡に迫られるんだけどなんとなく咄嗟に拒絶してしまって、自分自身への違和感を抱いて、
そこでようやく気持ちを自覚して、セーラの元へと向かっていく。もう走る。確実に走る。
息が上がって喉が乾いた京太郎にアイスティーを出したセーラに向かって京太郎は、
「やっぱりどうしても、俺は先輩の事しか考えられないんです」って、自分が好意を抱いていることをカミングアウト。
仲がいい先輩に対していわばマイノリティーであるホモをカムアウトした京太郎は、
二度とセーラの前に顔を出さないようにしようと思うんだけど、
そこはセーラが追いかけて、雨が降る中、幸せなキスをして二人は結ばれる――って)
「おい!」
「……分かった」
丁度自分が今したラブストーリーにぴったりの天気だな、と。
手配を整理しながら、宮永照は窓の外へと目をやった。
(ホモはせっかち……じゃなくて、菫はせっかちだな)
ふう、と渋谷尭深が入れたお茶を啜る。
熱い。これは熱い。ちょっと熱いんじゃないだろうか。
熱いのは京太郎とセーラの仲で十分である。セーラの中温かいなりぃ……。
なんてのはともかくとして、「ふー」「ふー」と冷ましつつ、部室を見回す。
今ここにいるのは、自分を含めて4人。
渋谷尭深。亦野誠子。弘世菫。そして自分――宮永照、だ。
そこに、いるべきもう一人の姿はない。
大星淡。
自分たち、元白糸台高校の攻撃的チーム――虎姫の一員である。
彼女は一か月以上前、この部室に顔を出さなくなった。
あまりにも唐突だった。全員が驚愕した。
中学の頃、事情があってインターミドルに出ていないと言った彼女は、麻雀に貪欲だった。
「絶対安全圏」「ダブリー」と名付けた、二つのオカルトを駆使して他者を蹴散らす。
圧倒的強者。麻雀の申し子であったのだ。
彼女はきっと、麻雀を好きだったろう。
照の後をついて、いつも笑っていた。
未確認生命体の事件によってインターハイが延期と言われた時、最も憤慨していたのは淡だ。
そんな彼女の、突然の退部宣言。
異常であった。流石の照も、驚愕に声を上げるほど。
恐らく、この部室の誰よりも――彼女は純粋に、インターハイを楽しみにしていた。
妙な柵などは何もない。単純に自分の実力を露わそうと、考えていたはずだ。
それなのになぜ。
部長である弘世菫は、何度も彼女の元まで足を運んだ。
彼女がいなければ、定員割れをしてしまって、『元・白糸台』としてのグループを結成できなくなるからではない。
あれは、本心から心配していた。
あれほど楽しんでいた淡の、唐突の引退だ。
それが尋常なる事態ではないとは、誰もが思うだろう。
故に、菫は淡の元へ向かったのだ。なにか私生活で困りごとはないのか――と。
それでも、結果は芳しくなかった。
せめて部室に顔を出してくれと言ったが、それも受け入れられなかった。
「気が向いたら」とだけ。
その「気が向いたら」は、今日この日まで実現していない。
このチームは、淡抜きになってしまっていた。
(そのあたり――その後からか。菫は機嫌が悪いし)
そういえば、それは確か……いつだったか。
いつだったかは忘れたが、乱暴にドアを開けて、椅子にどっかりと腰を下ろした菫は吐き捨てた。
――淡は麻雀より、男を取ったのだと。
憤懣やるせないといった菫の様子に怯える誠子と、慌てる尭深。
どういう事かと、聞いてみた。
すると、菫は言った。淡が、男とねんごろにしているのを見た――と。
色々と暈されていたが、菫がそう判断するに足る何かを、見てしまったらしかった。
そうでなければ少なくとも、憶測などで誰かを口悪く言わない。
そんな菫が言うのだから、きっと真実なのだろう。
……が。
照は思った。
確かに、それもあるだろう。淡が、あの須賀京太郎と楽しげに言葉を交わしているのを見た。
互いにきっと、憎からず思っているはずだ。残念ながら(京セラ的な意味で)。
でも、それだけではないのだ。
それがあの怪物。あの、蝶がごとき怪人だ。
あの時の事を思い返す。
やけにあの二人は、手馴れていた。
怪物が出たと言うのに怯え・慌てもせず、ある種の冷静さを持っていた。
余程、そういう場面に出会う事が多いのであろう。
彼らはそういう心構えを――『覚悟』をしている人間だった。
そして、避難した先での淡からの口止め。
それにより、照は確信した。淡が部活に出られない理由はこれだ……と。
須賀京太郎と先に出会ってから、その戦いに身を投じたのか。
身を投じている矢先に、須賀京太郎と出会ったのか。
どちらが先かは知らない。
ただ、どちらにしても淡の様子がおかしかったのはあの怪物たちとの戦いで、
須賀京太郎と親密になってのも、その戦いが理由であろう。
そんなのどちらでも、よかった。
兎に角、淡が顔を出さない事には理由があったのだ。
麻雀そのものを、嫌いになった訳ではない。
その戦いさえ終われば、彼女は再び部活に顔を出すだろう。
その時、菫の説得ぐらいはしてあげようと思う。
(……)
それともう一つ。
菫の言葉によるなら、大星淡は相当切羽詰まった様子であったらしい。
取り付くシマもなく、持ち前の愛嬌や溌剌さも失って、打ちひしがれた目を向ける。
そんな状態で、退部を告げていた。
きっと、よほど戦いが不満であったのだろう。それか、恐ろしかったのか。
兎に角、良い感情など欠片も抱いていなかった。それほどまでの状況だったのだ。
そんな淡が、少なくとも笑いを取り戻せた。
その事実に、宮永照は胸を撫で下ろす。
巻き込まれただけでも、不幸な宿命を背負わされてしまっただけだとしても。
その中で何かしら、やりがいや楽しみ……或いは笑顔を浮かべる事が出来る何かを見つけられたのなら。
それは、幸福であるのだと思う。
その幸福を淡にもたらしたのは、須賀京太郎だ。
正直なところ、彼の人となりはよく知らない。
もしもあの本が彼の性格を反映させていると言うのであれば、
明朗で面倒見がよく、それでもどこか抜けているお調子者で、でも何かに真剣に打ち込めるというところか。
まあ、所詮はフィクションであるし……。
彼が本当にそんな人間かどうかは分からないが。
少なくとも、淡が懐くほどの人間なのだ。
悪人ではないと思いたい。自分に、プリンを譲ってくれもしたし。
そう言えば、あの時の彼はどこか辛そうであった。
あれも、戦いの運命に身を投じる事となったからであろうか。
淡も京太郎も、どちらも戦闘の因縁に負を背負わされていたのだ。
そんな二人が――。
笑えるようになったのならば、それはきっと良い事なのだろう。
今、どうなっているかは分からない。
これから先、どうなるのかも判らない。
でももしかしたら、いつかきっと――また、淡がこのメンバーに加わる日が来るのではないか。
そう、照は信じたかった。
(……淡の事を、お願い)
折り重なる雲に覆われた灰色のキャンバスを目に映して。
自分の思いが届いてくれればいいと、宮永照は思った。
最終更新:2014年03月02日 15:05