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       Interlude 「虚無と少女と紫のコア」








 ――あの日の火災は、虚無を生み出した。









 その少女の――ある少女の話をするとしよう。


 その少女は、一般的な価値観からいうなら頭の良い少女であった。
 一度見聞きしたものは忘れず、一度行えばほとんど完璧にこなし、一聞いて十どころか二十や三十を知る。
 そんな少女だった。

 ――が、それが生かされる場面は、彼女の半生に於いて。あまりにも少ない。

 父親と弟が死ぬまで。
 彼女のその才能は、表に現れる事は殆どなかった。


 彼女は父親から虐待をされていた。
 性的な暴力こそ行われはしないものの、酔うたびに暴力を振るわれる。そして父親は殆ど酔っている。

 そして年の離れた弟。
 父親の暴力から弟を庇いながら、彼女はその世話を一手に引き受けていた。
 年頃らしい化粧もせず、遊びも知らず、友人も持たず、部活にも入らず。
 彼女の人生はまさに、苦痛と献身で彩られていたのだ。


 ある日――事件があった。
 例の未確認生命体による発火事件。
 元々彼女はこちらの生まれでこそないものの、父親の仕事に付き合って、そちらの高校に通う事になっていた。

 そんなある日だ。
 家に帰ると、すべてが焼けていた。
 家具も、食器も、食料も――家族も。
 何もかもが、黒煙の中に包まれていたのだ。

 彼女は、その場に立ち尽くした。


 父と弟が死んだとき思った事がある。
 どうしてという悲鳴でもなければ、助かったという安堵でもない。勿論、哀惜の涙など話すはずはなかった。
 ただ、怒りと虚無感があった。

 ああ、これまでの自分の人生は何だったのだろうか。
 無駄になってしまった。今更、何故こんな形で解放されるのだろうか。
 これまでの自分の行いがただ、灰燼に帰したのである。
 すべてが徒労に終わったという疲労を伴った虚無感だけが残った。

 やがて時間が経ち、その虚無感は膨れ上がる。
 “無”の停滞から、“負”の災害へ。

 自分の人生が無駄にされてしまったのならば。
 努力が踏みにじられたのならば。
 今更都合よく振り回されるのならば。

 ――だったらいっそ、今度はこっちが踊らさせてやろうと。



 彼女は父を愛していた。

 暴力こそ振るわれたものの、彼を見捨てて逃げ出さないのは、彼女なりの思いやりがあったから。
 才能はあるのだ。
 あとはその活躍の機会さえ与えてやれば、父の元を離れるなど訳はなかった。弟だって連れて行けた。
 ただ、そこで見捨ててしまえば、きっと父親は完全に壊れてしまう。
 そう思ったから彼女は殴られても、蹴られても、片目の視力を失おうとも、父の元に残った。


 彼女は弟を愛していた。

 彼女の後ろに隠れて泣くだけであるが、それも幼さと思えば我慢できたし。
 であるからこそ猶更、姉である自分が庇わなければならないという義務感と庇護欲も感じていた。
 酔った父親が寝静まったあと頭を撫でてもやった。好きな料理を作ったり、色々な話をしてやった。
 弟を護る。そう考えていた。


 彼女は世界を愛していた。

 自分に辛くあたる運命だけれども、世界には美しさが溢れているし。
 きっとそんなものだって、己に与えられた試練と考えて、それを糧にしようと思っていた。
 街の灯りの一つ一つに家族があり。その中にもいろいろなドラマがある。
 道行く人々の人生を考えると、この世は奇跡的だなと感慨深い思いも抱くし、自然の織り成す様々な風景には心を奪われた。


 だから彼女は――父を/弟を/世界を愛していた。
 そう、確かに。



 しかし心のどこかでは。

 自分がそれらを裏切って、台無しにして、穢してやりたい。

 この手で手折ってみたい――。
 向けられた信頼の眼を不信の瞳に変えたい――。
 思い切り蹴り飛ばしてやりたい――。

 ――精巧なガラス細工を床で砕くように。
 ――走り寄ってきた無垢な飼い犬を蹴り上げるように。
 ――作り上げた砂の城を破壊するように。

 たとえば自分を慕う無垢な少年や少女に、とびっきりハードな性行為を見せつけるとしたら、同じ気持ちになるだろう。


 全てを――何もかもを。

 己に対する評価や信頼や愛情などを巻き込んで、何もかもと破滅したいと考えていた。
 それは自殺的な欲求で、膨れ上がる虚無の爆弾だ。
 価値があると思うからこそ、自分の中で占められる割合が大きいからこそ、自らに向けられる感情が大きいからこそ、だからこそ壊したいのだ。

 だが思いこそはすれ、それはいけない感情であるとは知っていたし、実際に行動に移す気などは更々なかった。
 それはやはり、愛していたからだ。

 大事にしたいと。失われたら取り返しがつかないと。

 二律背反の矛盾した衝動と感情ながらも。
 両端に重りを乗せた天秤のように、彼女の心は、保たれていた。


 だが――彼女は制限を失った。

 かろうじて持っていた良心や倫理観というストッパーは、父と弟の死と同じくして。
 運命が彼女に対してただの徒労と無駄を与えた事によって。
 未確認生命体による最後の事件を以って。

 彼女は内なる虚無に対する制止を終わらせた。
 そして彼女はある目的に向かって動き出す事となる。


 この虚無を。己のうちに潜む強大な竜を。
 できるだけ整えて、できるだけ大きくして、できるだけ盛大に。
 決して無駄にならないように――解き放ってやろうと決意した。

 炸裂する爆弾と同じだ。
 打ち上げられて、或いは投げ落とされて破裂する一個の爆弾的な虚無。
 それが爆発すると知りながらも――丹精に・丁寧に・入念に――虚無を撒き散らす爆弾を組み立てあげるのだ。


 さて、ではどうするかとの事だった。
 ひとまず彼女は自分が呼ばれたスマートブレイン学園の出資者への接触を図った。
 それから、持ち前の才能で鴻上ファウンデーションに取り入る事に成功した。

 錬金術、グリード、セルメダル、コアメダル――どれもが魅力的で、素晴らしい舞台装置だ。
 己の才能を生かし、研究を重ねて、様々な発明を生み出した。

 最後に。作られるべきカンドロイドを作り上げて。
 彼女は――封印を解いた。
 すべての欲望を虚無へと変える力を持つ、紫のコアメダルの。


 それを己のうちに取り込んでいたとき――メダルが5枚、彼女の元を飛び去った。

 これに対して彼女は、些か残念がりながら――歓喜した。
 この世には自分以外に、もう一つ虚無が存在するのだ。
 きっとそれはあの日、あの事件から生まれた虚無であり。彼女と同類の存在だ。
 これは、なんと素晴らしい事なのだろうか。

 その人間は一体どんな境遇で、何を思い、どう考え、どんな人生を歩んでいるのか。
 実際に会って会話できるとしたら、とても素晴らしいだろう。
 この世界が破滅で終焉を迎える――その絶頂の瞬間への、何よりの手土産だ。


 彼女は、新たな虚無の誕生を、心より祝福した。

 邂逅が待ち遠しい。恋い焦がれる乙女のように。
 胸が高鳴り、目が潤む。唇は熱を持ち、頬のあたりが焦燥で染まる。
 この世に二人だけの虚無。
 なんて甘美な響きなのだろう。
 いずれ炸裂してすべてが灰に消えるとしても、それでもなお/それだからなお――愛おしい。

 ああ、出会ったのならどんな風に声をかけてあげたらいいのだろうか。
 なんと話しかけたら、良いのだろうか。

 そうだ、こう言おう。








「“ご機嫌いかが(ハロー)”――――“怪物さん(モンスター)”」








 ――ああ、そのもう一人の自分は、一体どんな人間なのだろう。


 彼なのか、彼女なのか。
 年上なのか、年下なのか。同い年なのか。

 好きな食べ物は何で、嫌いな食べ物は何なのか。
 どうしてそれが好きで、どうしてそれが嫌いなのか。
 料理にはこだわるのだろうか。料理はするのだろうか。

 どんな本を読むのだろうか。
 どんな映画を見るのだろうか。
 どんな事が趣味なのだろうか。

 どんなときに喜んで――――どんな風に微笑んで。
 どんなときに怒って――――どんな風に拳を上げて。
 どんなときに哀しんで――――どんな風に涙を流して。
 どんなときに楽しんで――――どんな風に胸を踊らせて。

 ああ、それが知りたい。
 いざ会って話すのが、楽しみで楽しみで仕方がない。
 なんて待ち遠しいのだろうか。こんな気持ちは初めてだ。


 そして、なによりも。

 その彼/彼女――どのような闇を抱えているのだろうか。
 何を悩み、何を嘆き、何を恨み、何を悔いて、何を叫ぶのだろうか。
 一体、どんな胸の痛みと共に生きてきたのか。

 その事が、一番気がかりでしょうがないのだ。


 ああ、早く会えないかな――と。
 少女は、恋する乙女の瞳で、片目に月を映して――笑った。



                                        ――了
最終更新:2014年03月02日 15:44