◇ ◆ ◇
あれは――。
いつの日のことだったか、こんな会話をしたことを覚えている。
たわいもない、じゃれ合いだった。
今はもう消えてしまった日常という名の、ひと時。
「――あん、なんだって?」
「もう、京ちゃんってば……」
少し膨れた様子で、自分を見る少女。
儚いという形容詞は似合わないような、ある種の凡庸さ。
守ってやりたくなるといえば聞こえはいいが、現実、手がかかるだけ。
小さい。幼い。子供っぽい。
そう言い表せば、ちょうどよいだろうか。
「だから……幸福の王子様ってお話、知ってる?」
「聞いたことがあるような、ないような……」
歯切れ悪く、頭を掻く京太郎。
……ちなみに頭に角があるのが、対する宮永咲だ。どうでもいいが。
頬っぺたを膨らまして、京太郎を見上げている。
うー、と首をひねってみる。だが、答えは浮かばない。
そもそも自分は、インドアよりはアウトドア派だ。本のことを聞かれても、困る。
そんな京太郎の考えが、態度ににじみ出たのであろう。
「信じられない」と言わんばかりの目を、京太郎に向けた。
というか、実際に口に出していた。
「信じられないよ、京ちゃん……童話も知らないの?」
「童話って……そりゃあ、童話ってほど子供でもねーし」
「……十分今も子供っぽいでしょ」
「お子様体型に言われたくないっつーの」
京太郎の無神経な一言に、いよいよ咲の頬は膨れ上がる。それから、朱に染まる。
そんな様子目掛けて、京太郎は、思わず「タコみたいだ」などと口を滑らせてしまい……。
しばらく、デリカシーの無さへの説教という名の、彼女のお小言に付き合う羽目になった。
耳を塞いで、目を閉じながら小言を聞き流す。
しばらく熱っぽく京太郎の言動がいかに無礼であったかを語っていた咲は、
話すことへの熱中から冷め、やがて、京太郎の態度に怒りを再燃焼させる。
飛びついて何とか耳を塞ぐ腕を除けようとするも、努力は空振りに終わった。
それを見ていた通りすがりの一般人Aが「また夫婦漫才しやがって……リア充爆発しろ」と呟くあたりには、
身の丈に会わない運動に疲れた咲が、片息をついていた。
そうして、お小言は終了。
話は、元の流れに帰還する。
「――って話なの。分かった?」
「ああ、思い出した。保育園で聞いたことがあったな……そんなの」
そういえばあのときの保母さんが初恋だったかもしれない。
だっておっぱい大きかったし……今どうしているだろう。
などと、上の空ながら咲の続きを促す。
「んで、その話がどうにかしたのか?」
「……京ちゃんはさ、この話、どう思う?」
「どうって、言われてもな」
話が抽象的過ぎる。
それに童話だ。
面白いとか、つまらないとかそんな感想は相応しくない気がするし……。
かと言って、適当に答える気にもならなかった。
普段のように受け流していい話だと、思えなかった。
どことなく、咲の態度が真剣みを帯びているのだ。
流石にその程度を理解できる程度の付き合いを、しているつもりだった。
「京ちゃんは、好き? それとも嫌い?」
「そうだなぁ……」
ある町に、宝石で彩られた幸福な王子の像があった。
人々の不幸を、ただ眺めるしかできない金色の王子。
ただまばゆいだけの自分。見ることしかできないふがいない自分。
そんな王子の下に現れた、一匹のツバメ。
越冬に向かおうとする彼女に、王子は頼み込む。
――この体を剥がして、あの人たちの下に届けていただけないでしょうか。
ツバメは王子の頼みに従い、彼の装飾を剥がしては届けていく。
いろいろな人々が幸せになった。
病む者、飢える者、貧しい者……。
やがて宝石の目を失った王子はものを見ることができなくなり、
越冬の時期を損ねたツバメも、弱っていく。
最後に金箔を剥がしきって運んだツバメは死に、ツバメの死を知った王子の心は砕け散る。
そして、王子の像は引き倒され――その心臓は、ツバメと同じ場所に捨てられた。
だが、これを見ていた神様が天使を遣わせて、王子とツバメを天国へと連れて行く。
王子とツバメは、天国で幸せになりましたとさ――。
そんなお話だ。
「なんていうか……流石はキリスト教って感じだな。最後の神様とか」
「あはは……まあ、日本とかでもお釈迦様が出てくるし……」
「そういや、そうだな」
うーんと、首を捻る。
どんな答えを望んでいるか――ではなく、自分自身の感想を口にしてみる。
幸福な王子。
「……まあ、よかったんじゃないか。最後は天国でハッピーエンドなんだしさ」
「……単純」
「単純ゆーな。だったら、そういう咲はどうなんだよ」
聞いてきたからは、彼女が何かを伝えたかったのだろう。
そう思って、口を尖らせてみる。
そこには、どうせ自分は単純だとか。
あるいは、それなら文学少女様のご高説を聞かせてもらおうじゃないかとか。
そんな、咎めるような不貞腐れるような気持ちが含まれていた。
だけど京太郎は、わずかに言葉を失った。
話を振られた咲が見せたのだ。一瞬、うつむいた暗い顔を。
「私は、好きじゃないかな……この話。ううん、嫌い」
「珍しいな。お前が、はっきり嫌いって言うなんて」
「……うん」
あまり、自己主張をしないタイプの少女であった。
京太郎と話すようになってからは、それほどでもなくなってきたが……。
それでも元来、どこか引き気味に接する咲。
そんな彼女が嫌いだということは――本当に嫌なのだと、京太郎は思っている。
「だってさ、救いがないでしょ……この話」
「ん? 最後、天国に行って幸せに暮らしたって言われてるだろ?」
「死んでから、幸せって言うのも……おかしな話じゃない?」
「それは……」
現実的に考えるのなら、死んだその後のことなど分からない。
天国があろうが無かろうが、終わることには違いない。
だから、咲の言いたいことも理解できた。
だけどこれは、お話だ。
「……一番嫌なのはね、京ちゃん」
「なんだ?」
「『神様が天国に連れて行く』以外に、“二人が幸せになることはできない”ってところなんだ」
なるほど。
確かに、神様が拾い上げることによって、二人は幸せに暮らすことができた。
だけれどもそれは、逆説的に言うのであれば――。
それ以外に、幸せになる方法というのを、作者が思いつけなかったのだ。
あるいは本当に、天国に行くことが幸せだと思われているだけかもしれないが。
それきり、咲は肩を落とした。
彼女が何を伝えたかったのか、分からない。
こんなお話で、まさか本気でしょげているなんてことが――いや、ありえるかもしれない――。
押し黙る彼女。
肩を落とす彼女を見て、京太郎はやれやれと息を漏らした。
「仮にさ、咲」
「うん」
「天国なんてものがなくて――話がそこで終わってたとしてもさ」
「うん」
「自分がやりたいことをできたってんなら――最後までそれができたんなら、やっぱり幸せだったんじゃないか?」
嘆く王子は、少なくとも誰かに幸せを与えられた。
ツバメは――少し気の毒だが――愛する人の願いを叶えて、添い遂げることができた。
それだけ見たら、満足したいい死に方なんじゃないかと思える。
……もちろん。
最後の最後で、ツバメの死に王子の心臓が砕けた――ということに目を瞑れば。
「ときどき、京ちゃんっていいこと言うね」
「うっせ」
「じゃあさ、もしもだけど――――」
――――。
バイタル安定。
対ショック防御継続。
エネルギー低下。
経過順調。
――――。
攻撃を続行。
素体の生命レベル、問題なし。
電圧を強化。
状況を再開。
――――。
反射防御、低下。
経過順調。
攻勢対象への迎撃システム低下。
引き続き、実施。
――――。
素体の意識、覚醒間際。
経過に異常なし。
検証。提案。認証。
続行許可。
――――。
閾値、検査。
素体、半覚醒。
エネルギー低下。
成果、良好。
――――。
採血、異常なし。
データ確認。
プラン続行。
身体能力、検査。
――――。
機材設置。
資材搬入。
設計不備なし。
動力源、準備。
――――。
――――。
改造準備、完了。
「こ、こは……」
京太郎が目覚めた場所。
そこは自宅のベッドでもなければ、保健室でもない。ホテルでもない。
冷たい鉄のテーブルの上に、寝かされていた。
手足を動かそうと試みる。
ジャラリと鳴った、鎖。
よく見れば両手足に頑丈な鋼鎖が巻きついている。
あたりに顔を向ける。
その瞬間、視力を失わんほどの光を受けた。
手術室のライト。強力な光源。
あたりを取り囲む、白衣の男たちの影が見える。
「……ようこそ、須賀京太郎。新たなるライダーよ」
頭上付近に浮かんだモニター。
そこに映し出される人影。マントを纏った老人。
京太郎=オーズをもっとも追い詰めた、イカの怪人。その人間体だ。
うめき声を漏らしつつ、モニターを睨み付ける。
だが、そんな視線などものともせずに、老人は続けた。
「そして、これから君は生まれ変わるのだ。改造人間――TYPE-HOPPERとして」
「……どういう、意味、だ」
口の中に、鉄さびの味は無い。
どうやら、口腔は洗浄されているらしい。
亡羊とした頭ながら、理解できる。
自分は――須賀京太郎は、先ほどまで戦っていた敵。
カニレーザーやアポロガイスト。
それらと、同等の存在になるのだろう。
鎖が鳴った。
自分に迫る危険を防いでくれる、あの紫のメダルが無い。
あれがあったのならば、京太郎はこうも拘束を受けてはいないだろう。
背中に、嫌な汗がにじむ。
「あのメダル――オーメダルは、われわれが確保した」
「……ん、だと」
昏睡状態に陥る京太郎に、攻撃を繰り返した。
迎撃を行おうとするコアメダルのエネルギーが尽きるまで。
ショッカーの科学力をすればいとも簡単であったと、その老人は続ける。
「生身でのその特異性。戦闘経験は――わがショッカーとしても、有益なものになるだろう」
「おい……」
「あのエターナルなど無くとも、ライダーを殲滅するには問題ない――最強の戦力として」
鋼鉄の舞台に、体温が静かに奪われていく。
いや、それだけではなく背筋が凍え初めていた。
俎の上の鯉。
今の自分は正にそれだ。
自由なく、活路なく、未来などない虜囚。
改造手術を行われる――ヒト非ざるものにされるという恐怖感はなくもないが、
あまりに抽象的過ぎて、非現実すぎて実感を伴わない。
それよりも、生殺与奪を相手に握られていること――更に言うならば――、
仰向けに、無防備な腹部を相手に晒してしまっていることへの、言い知れぬ生理的な嫌悪感が上を行く。
思った以上にこの状況は悪夢的であり、京太郎の精神を蝕む。
だが、絶望はしない。
僅かばかりの相手の言動に推測を交えて、必死に頭を働かせる。
ただしこれは、京太郎が勇敢である訳でも――ましてや助かると希望を抱いているからでもない。
単純に。実に単純に。
今自分は絶望的な状況に置かれていると、直視してしまえば恐怖に飲み込まれてしまうから。
そう、理解してそんな状態を恐れているからに過ぎない。
気を紛らわしたい。
怖いことを、改めて怖いと思いたくない。
これ以上の恐怖や絶望を味わいたくない。
発端はその程度の、ちっぽけな逃避であった。
今の言葉から類推。
新たなるライダー――京太郎は把握外だったライダー=把握しているライダーがいる。
ライダーを殲滅――殲滅すべきライダーがいる。つまり、生きている。
“あの”エターナル――エターナル=大星淡と、恐らく折り合いが悪い。
ショッカー――自分を拐ったのはショッカーという名の組織。ミュージアムとは恐らく別路線。
考えろ――何でもいい。
気を紛らわせる為の何かを。
現状把握の為の何かを。
状況解決の糸口となる何かを。
とにかく、考えねば。考えるのだ。
不安。焦燥。逡巡。躊躇。思考。恐怖。推察。
そして、漸く京太郎の口から言葉が飛び出した。
少しでも、今を変える為の一歩となる一言。
「……なあ」
「なんだ」
「ショッカーって、なんなんだ」
敵を知り、己を知れば百戦危うからず――などという高尚なものではない。
単純な疑問。
加えて言うなら、己が覚えた違和感やこの閉塞的な状況を端的に紐解くであろうキーワード。
見慣れない街。
変わり果てた淡。
未知なる敵。
その全ての中心に存在するものであるのが、この、ショッカーだと考えた。
「お前らは……何者だ。何を目的にしているんだ」
「なるほど、貴様も別世界の存在か……。ならば、説明してやろう」
やおら、口を開く死神博士。
その口から溢れた言葉は――頭を働かせて、絶望から逃れようとする京太郎の心にトドメを刺した。
なけなしの、僅かな勇気も砕け散る。
後悔しないように生きようと決めてきた京太郎を以ても、
己の選択を後悔するには充分過ぎるものであった。
ショッカーの台頭。それは未確認生命体に起因する。
虐殺を繰り返す未確認生命体。
人類も手段を困じてはいたものの、対抗しえなかった。
その、あまりの脅威を前にする人々の前に――現れたのが大ショッカー。
次元の破れ目。それを潜り抜け、現世に迷い出た。
早急なる対策を求める日本政府にとって、未知なる技術力を持つ大ショッカーは救いの手に見えた。
尋常ならざる、明らかなる魔の手。それは理解できた。
だが、そんな黒い影よりも――目の前の無慈悲な怪物の方が、恐ろしかったのだ。
遂に、政府はその手を取った。
“こちら”にも存在していた研究技術を統合して――未確認に対抗する組織、ショッカーを。
彼らは作り上げてしまった。
恐怖に屈して、誘惑に負けて――暴れまわる怪物より狡猾な地獄の軍団を。
技術力を生かした怪人軍団にて未確認を追い詰めるショッカー。
激闘。その果てに、ショッカーは勝利。
そして、かの未確認生命体を除いたショッカーは――当然ながら日本を掌握した。
「我らが大願――世界征服への足掛かりとして、な」
なお――。
人々を恐怖の底に陥れ、ショッカーの台頭のきっかけとなった未確認生命体。
その未確認生命体のシリアルナンバーは第4号。
またの名を――クウガと言う。
それが、虐殺の張本人。
「あ―――ぁ」
「須賀京太郎……お前は、そんなショッカー最強の怪人となる」
喜べと、言わんばかりの口調。
ショッカーの組織力、支配力に畏れをなしたが故に京太郎は言葉を失った。
死神博士はそう考えた。故の言葉だ。
しかしそれは、些か的外れであった。
須賀京太郎が言葉を失ったのは――。
(第4号……またの名をクウガ……つまり――)
――宮永咲。
彼女が、ショッカーに殺された。
彼女が、虐殺を行った。
彼女が、彼女が、彼女が……。
彼女が死んでしまったのは知っている。
それが運命だとも、終わってしまった過去だとも。
だけれども、彼女は人を守った筈だった。
人知れず、涙を仮面に隠して、未確認生命体と戦い平和を守った。
本来であれば、その筈であるのだ。
だが、ここでは違う。
誰から称賛されることもなく、何の見返りもなく戦った宮永咲に、あまつさえ虐殺者の汚名が着せられた。
そして、疎まれ――殺されたのだ。
何が理由か、京太郎は理解した。
原因は――他ならぬこの自分であろう。
本来ならば、過去にて宮永咲が倒していた未確認生命体を自分が倒した。
その僅かな差異が、時の筋道を狂わせたのだ。
結果、宮永咲は虐殺者たる未確認生命体へと身を窶し、
日本はショッカーに占拠され、大星淡は須賀京太郎へと刃を向けた。
それも全て、自分が引き起こしたのだ。
何が、咲が守った世界を守る――だ。
そんな世界を壊し、人を守る彼女の手を血で汚し、名誉を汚名へと変えた。
自分が戦う敵と――イマジンと何も変わらない所業。
そんな者が、何をしたり顔で「仮面ライダーだ」などと息巻いているのか。
情けない。
恥ずかしい。
惨めだ。
消え去りたい。
まるで道化だ。
いや――道化どころか、本当の虐殺者は自分ではないか。
その果てにこうして、捕らわれている。
悪人には、相応しい――いや、足りない。
むしろあそこで、淡に刺し殺されていれば良かったとさえも思える。
自分は英雄ではない。
もう、ライダーですらもない。
ただの極悪人だ。裁かれるべき悪なのだ。
(殺せ……。もういっそ、殺してくれ……)
京太郎の五体から、力が抜けた。
それを見計らった死神博士が、麻酔を使用する。
須賀京太郎は眠りにつく。
夢を自分自身との約束と捉えるなら―約束と言う名の夢は、呪いとなる。
夢の中に、堕ちていく。
呪いは、彼を飲み込んだ。
生きる希望も戦う意味も、京太郎の瞼と共に閉じられた――。
「……」
静かに佇む貯水槽に手を這わせる。
指先が震えていた。
何とか片手で包んで殺そうとするも……ただ、震えが大きくなっただけだ。
指先の感覚が薄い。
首の辺りを、焦燥感にも似た渇きが襲っている。
何とか呼吸を整えようとするも、上手くいかない。
明らかに動揺していた。
相手の肉体にナイフが突き立つあの感覚が、今も消えないのだ。
直後など、握りしめた手が硬直してしまい難儀したほど。
自分は戦えると思っていた。
格闘技どころか、喧嘩をしたこともない。
センスがある。やれば、大抵のことはできる。
素質もあった。勝負勘は、麻雀と同じだ。つまりは、我が物だった。
最強の力を持つガイアメモリ。その、最強の適合者である自分。
何も問題はなかった。
ない、筈だったのに……。
――淡!
自分を呼ぶ言葉。見知らぬ声。
あの男のものだった。自分の力になすすべもなく敗れた男。
出会った覚えなんてないのに、奴は、自分の名を呼んだのだ。
それが……。
それが――。
――“不愉快でならない”のだ。
淡にとって、ライダーはただの障害だった。
台所でゴキブリを見かけたらとりあえずブッ殺す。
その程度である。
直ぐに殺せない場合、“生意気だ”“手間がかる”“しぶとい”とは思いこそすれ、
「強い」とか「このままでは不味い」とか「こちらも危うい」とは思わない。
要するに、ただの記号である。
そこにある。
邪魔だ。
だから倒そう。
そんなロジックの下、戦うべき相手なのだ。
正しく言うなら戦いではない。
駆除や掃除や作業と言い表した方が、相応しいであろう。
故に、特段の闘志はなかった。
ただ、とりあえずさっさと片付けよう――。
なんてことしか考えては、いなかった。
いなかったのに……。
あの男のせいだ。
淡の名を呼ぶ声が。
驚愕に染まる瞳が。
縋ろうとする手が。
噴き出した鮮血が。
そのどれもが、相手は記号などではなく――一個の人間だと告げている。
あの瞬間、淡の行うそれは戦闘となり、殺人となった。
明確なる罪の証。
それを突き付けられたのだ。眼前に。
なりを潜めていた恐怖と忌諱感が鎌首を擡げた。
命のやり取りをしているという舞台に引き上げられた。
如何なる適合値を持ち、類い稀なる資質を有し、強大な能力を保持しているとしても。
大星淡は少女でしかない。
麻雀で他者を蹂躙するのとは違う、明確なる暴力。
平然とそれを行使できるほど、淡は残酷な人間ではなかった。
思い出せば、戦いの緊張感に身体が震える。
ストレスに胃液が込み上げ、口の仲が渇く。
恐ろしかった。もう戦いなんて嫌だ。やりたくない。
だけど――。
「待ってて、テル……。今度は私が助けるから……」
ここで逃げられる理由などないのも事実。
震える指で涙を拭う。
貯水槽に反射する涙。その先で目を閉じる宮永照。
吐き出された空気が、水槽を彩る。
淡の言葉に、反応はない。
視線の先で少女は、身動ぎひとつせずに瞼を閉じるだけ。
淡は静かに、拳を握りしめた。
◇ ◆ ◇
京太郎の繰り出す拳が、怪人の胸を貫く。
血飛沫を上げて倒れる未確認。
その背後で震える子供。
倒したと、安心はできない。
敵はまだまだ多い。雲霞の如く涌いているのだ。
守るべき人々がいる。
牙を持たぬ人々がいる。
恐怖に怯える人々がいる。
連続した戦闘に、肩が上下する。だが、未だに数多くの敵。
気が挫けそうになるのを、なんとか奮い立たせる。
この身は盾だ。
皆、戦う力を持たない。自分だけがそれを有している。
止まってはならない。
自分がそうしたら最後、背後の人々の運命は決定するのだ。
敗れてはならない。折れてはならない。倒れてはならない。
勝たねばなるまい。立ち上がらねばなるまい。守りぬかねばなるまい。
やるしかないのだ。
怯えた瞳を向ける少年に、笑いかける。
自分が何とかするから――何とかできるから、怖がらなくていいのだ。
そう、恐怖を和らげるべく笑みを残し、怪人と向き合う。
握り拳。腕が痛む。
だが、そんなものは噫にも出さない。
ただ、不敵な笑いを零す。
「さあ……来いよ。仮面ライダーは、負けないんだ」
組み付かんと近寄る化物に、パンチ/キック/ワン・ツー。
飛びかかる敵へカウンター。
回し蹴り、膝蹴り、正拳突き。背負い投げ。
ボディ、ミドル、ハイ。
肘打ちからの後ろ回し蹴り。鑪を踏んだ敵へ飛び蹴り。
背中を打たれた。装甲で弾ける火花。
よろけたところに襲いかかる、無数の腕。
拳を、額で受ける。
視界がブレるが――構わず、刺突。
そのまま、怪人の腕を引き千切る。
崩れそうになる膝を、必死に支える。
そのまま、躍りかかった。
京太郎が派手に戦えば戦うほど、怪人の注意はこちらに向く。
一体たりとも、背後に向かわせない。
そう、覚悟を固めると拳を抜き打った。
数々の攻撃が身体の芯に響くが――挫けては、なるものかと。
「――は、ぁ。流石に……この数はヤバかった」
何度も胸を上下させて、膝に手を当てる。
言葉の通り、流石に数が多かった。
京太郎も少なくないダメージを受けた。立っているのも、困難なほど。
しかしそれでも、守り抜けたのだ。
疲労感を凌駕するほどの達成感。
それとともに、背後に庇った少年を見やる。
そして、少年からの返答。
――人殺し。
「えっ……」
彼の指に従って、周囲を見る。
倒した怪人の山は――血涙を流す人間の屍と化していた
朱に染まった瞳が、京太郎を睨み付ける。
声にならない悲鳴が、漏れた。
――お前がやった。
――お前がやった。
――お前がやった。
「ち、違う……! 俺はただ……助けようと……守ろうとして……!」
――人殺しめ。
――夢を返して。
――死にたくなかった。
「そんな……そんなつもりじゃ……!」
――許さない。
――助けて。
――恨んでやる。
「俺は……! 俺は、ただ……!」
――お前のせいだ。
――お前のせいだ。
――お前のせいだ。
「お、俺は……ッ」
「……京ちゃん」
「――――っ。さ、咲……?」
振り替えれば、自分と同じように屍の山に立った咲。
ただし、咲の姿ではない。
以前見た、クウガというあの姿――であるが。
「――――」
輝く装甲はその表面を剥がされ、宝石じみた複眼も抉られている。
その暗い眼孔の――咎めるような目線に気圧され、悲鳴を溢して身体が退いた。
言葉にならない。ただただ驚愕し、戸惑うしかない。
「私はこんなになっちゃったけど……皆は、京ちゃんに感謝してるみたいだよ?」
咲の言葉に同じく、蠢く何か。
クウガの、その周囲に倒れる怪人。積み重ねられた醜悪な玩具。
片側が異形で。もう片側が人間の。
欠損だらけの身体を起こして、笑う。
心底愉快そうに、誰もが手を叩いた。
――ありがとう。
――ありがとう。
――ありがとう。
「う、ぁ……」
――おかげでこんなに強くなれたよ。
――改造されて幸せだったよ。
――これも全て、君のおかげだ。
誰もが笑顔だった。
感謝していた。祝福していた。
皆が京太郎を肯定していた。
京太郎の行いは正しかったのだと――。
何も間違ってはいないのだと――。
そのおかげで自分達は幸福だったのだと――。
君はヒーローだと――。
狂った嗤いで祝詞を唱える。
歪んだ表情が、痛苦に塗れる顔面が、異様な多幸感で満たされる。
それだけを見るなら、“地獄(テンゴク)”に違いなかった。
「……良かったね、京ちゃん」
「違っ……! 俺は、こんなつもりじゃ……」
――ありがとう。
――ありがとう。
――ありがとう。
異様な笑みを浮かべた死者が、咲を飲み込んだ。
腕の波に包まれて、破損だらけのクウガが消える。
そのまま京太郎にも襲い来る、肌色の波間。
剥がれた爪が、京太郎の身体を覆う。
絶叫。
感謝を口にする死者を振り払えず、京太郎の身体は暗泥に沈み混んだ。
最終更新:2014年03月02日 16:24