その一言にラルの心は揺り動かされた。
一見として幼い少女のようにも見えるラルの両肩口からは、通常の人間にはあり得ないさらに2本の腕が生え備わっている。さながら阿修羅像の如き4本の複腕を持つ彼女は『ラルヴァ』と呼称される人外の存在であった。
その特徴、そして存在ゆえに彼女は今日まで日陰者として生きてきた。そんなラルに一条の光をもたらせてくれた言葉こそが、先にも述べた御鈴の『ラルヴァも問わない』の一言であったのだ。
もしかしたら、自分はここから変わることが出来るのではないだろうか?
そんなことをラルは思った。
自分という存在を胸を張って生きられるきっかけになるのではないのだろうか? そして――幼き日、まだラルヴァの特徴が現れる前の『人間』であった頃と同じように、再び友を作ることが出来るのではないのだろうか?
そんな想いと夢想とに心駆られたラルはこの戦いへの参戦を決意した。
敵は今日ここに集った7名だけではない――今の自分、ラルヴァである『蘭葉ラル』自身もまた、彼女にとっては戦い越えなければならない壁であるのだ。そんな自身との戦いもまた、彼女にとってはこの大会に挑むことの意義でもあった。
「どうしたぁ? ずいぶん縮こまってるじゃねぇか、仮面のねぇちゃん?」
突然の声に沈考していたラルは両肩を跳ね上がらせる。
そんな声に驚いて顔を上げれば――そこには今日の対戦相手である龍河の力強い笑顔があった。
「まさか本当にラルヴァの参加があるとはな。会長もとんでもねーこと言うもんだぜ」
呵々と笑うそんな龍河とは対照的にラルはその身をさらに縮込ませる。
「す、すいません。私なんかが参加して……ラルヴァなのに」
そうして申し訳なさそうに告げて俯くラルを前に龍河は笑いを止める。そしてその身を屈ませラルの鉄仮面に覆われた表情を覗きこむと、
「そんなの関係あるかよ。つまんねーこと言うんじゃねぇよ」
龍河はいつもにない真剣な口調でそう言う。
その言葉に思わず顔を上げるラルへと、
「お前だって、お前の理由があってここに来たんだろ? だったら胸を張れ。この場所は――この双葉学園は、自分自身を試す場所だ」
「自分を……試す?」
「そうさ。ある奴ぁ戦いで、ある奴ぁ野心で、そして今日の俺達は料理で自分の限界と向き合うんだ。そんな場所に、人もラルヴァも関係ねーよ」
向けられる龍河の言葉とそして笑顔に、ラルは久しく感じていなかった感動で背筋を震わせた。
自身と向き合う――それこそは今日、ラルヴァという自分を越えようと意気込むラルの決意とまさに同じものであった。そんな自分のちっぽけであったはずの勇気と意義を、目の前の男はこんなにも大らかにそして優しく肯定してくれたのであった。
龍河の存在を前にして、ラルの体内に激しく血流が巡る。瞳孔が広がり、心に灯った闘志はこれ以上になく熱く大きくなってラルの緊張を吹き飛ばすのであった。
そんなラルの気配を感じ取り、
「へへ、良い闘気見せるじゃねぇか……」
龍河の胸板も大きく跳ね上がる。そして見る見る間に肥大化した筋骨が衣類を引き裂き、代わりにマグマのような赤い流麟がその身を包みこむと――目の前には烈火の竜人がその巨躯をさらしていた。
「遠慮はしねーぞ? のっけから、クライマックスだ」
「はいッ。全力で行かせてもらいます!」
見下ろしてくる龍河にラルもまた不敵な笑顔を返す。
かくして双方がそれぞれのキッチンに戻ると第一回戦第一試合は――
『第一回戦第一試合、龍河弾とアシュラマンレディ! 試合、開始!!』
最強料理王大会は放送部平部員である赤穂永矩の合図の元、その幕を開けた!
開始早々に動いたのはラルであった。
クラウチングにかまえた姿勢から合図とともに駆けだすと一躍、食材各種の置かれた双方キッチン中央の広場へとラルは駆け出す。
今回の勝負、調理人はここ大料理闘技場キッチンに用意された食材と、そして独自に持ち込んだ食材とを用いることで料理を競う。
そしてこの食材選びもまた、今回の大会においては疎かにすることのできない駆け引きのひとつであるのだ。
学園側にて用意された食材は各種にわたり豊富に用意されてはいる。しかしそれとてその品質が均等化されている訳ではなく、当然のよう食材の善し悪しには品質差がみられる。その中において相手よりも早く、そして優良な材料を調達することもまた、この戦いを制する為の重要な駆け引きであるのだ。
「早い! やるな、ねーちゃんッ」
龍河に先んじて食材広場にたどり着いたラルは、いの一番に『牛乳』のポッドを手に取る。そして次には『バター』、さらには『コーンフレーク』と選び、その最後に――
「ラストは……これ!」
『冷や飯』を手にすると、来た時同様の素早さで食材広場を後にする。
その間わずか2秒弱――今日までコンプレックスと封じ込めてきた4本の腕をフルスロットに活用して行われる食材選びには一切の無駄が見られない。
そんなラルと入れ替わるよう食材広場にたどり着く龍河。
「くそう! 先手を取られたか!」
すでに己のキッチンにて下準備をこなし始めるラルを尻目に龍河も唇をかみしめる。
この料理勝負においては『先手』――すなわち最初に審査員へ料理を届けられる者は絶対的に有利となる。
口中のコンディションがニュートラルとなっている状態と、先に何かを味わった状態とでは、審査員の味に対する印象はまったく変わってくるのだ。ましてやその審査員たる御鈴をはじめとした一同は、料理専門家ではない素人だ。そんな一般人の味覚を相手にしては、なおさら一品目のインパクトが重要となってくる。
それを知るからこそ龍河はラルの先手にほぞを噛み締めたのである。
自キッチンに戻ってからもラルの調理は早かった。
まずは選択してきた牛乳を手鍋へあけると即座に火に掛け始める。その傍ら、用意した人数分の茶碗に冷や飯を盛り分けると、そこにプレーンのコーンフレークを砕いてまぶす。
一方ではようやく龍河もキッチンへと戻る。
「へ、可愛い顔してやってくれるじゃねぇか。燃えてきたぜ……」
その手に抱えられていた物は『豚のひき肉』と『もやし』、さらには自前で用意した『ぺヤング・ソース焼きそば』――
「いやさ、てめぇに『萌えて』きたぜぇー!!」
そして怒号一閃!
宙へ弧を描くようもやしとひき肉とを振りまくと、さらにそれらを受け止めるべく中華鍋を掲げ、龍河は虚空に向けて開け放った口中から間欠泉のごとく勢いの業火を吐き上げた。
吐き出される火炎の勢いに持ち上げられて中華鍋が空に留まる。そんな鍋の中へ先に散りばめたもやしとひき肉とが着地するのを見定めるや、
「ぐぅおおおおおらぁぁああああああああああッッ!!」
龍河はその鎌首をひねり、吐き出す業火を激しく捻じ曲げた。そんな動きに操られて、大海を難破する船のように揺り動かされた中華鍋は瞬く間に食材を炒めていく。
ガスコンロでは到底及ばない火力と手際とに、瞬く間に龍河サイドもまた下準備が整った。
――やっぱり凄い龍河さん! でも、私だって負けられない! 私だって、私だって……
「乗り越えなきゃならない自分がいるんだァーッ!」
龍河に負けない叫(こえ)を振り上げるラルの料理は――今、どんぶりにホットミルクを注ぐことで完成を果たした。
用意されたどんぶりを持ってラルは審査員席へと赴く。
そして今大会の記念すべき第一品目を迎え入れるのは――
『それでは今回の審査員と裁定基準について説明いたします!!』
ラルの到着に合わせ実況である赤穂がそれらについての説明を始める。
『今回も審査員には伝説のジャッジ3名を迎えております! まずは一人目!! 荒ぶるホモサピエンス! 我が双葉学園会計・成宮金太郎ぉー!!』
「――えッ?(何、そのアオリ?)」
思わぬ紹介についに抗議しようと片手を上げかけたが、ちゅんちゅんに熱せられた会場からの『ホモサピエンス』コールに思わず圧されてそれを留めてしまう金太郎。
『そして早さには定評のある双葉学園のゲッター2!! そんなに速いと彼女も出来ないぞ!! 庶務代表・
早瀬速人ぉー!!』
「よけーなお世話だ!! ……って、なんで今回も緊縛されてるの俺!?」
金太郎の隣には、3ヶ月前の大会同様に首からつま先まで蛹のようにロープで緊縛された速人が審査員席にふん縛られている。
『そして審査委員長はこの人! もはや説明不要!! 我らがアイドル! 我らが会長! 我らが虎眼先生! 歩くカリスマ、藤神門御鈴どぅあー!!』
「パンダーッ!!」
赤穂の声に両手を振り上げて答えると同時、立ちあがる御鈴のバックに仕込まれた火薬が爆破炎上して彼女の紹介を派手に演出する。
かくして、
『以上に3名によるジャッジにて判定を行いたいと思います。それでは――』
決戦の瞬間が迫る。