薪流しの一件が無事解決してから数日、特に目立った事は起こらなかった。
異能に目覚めたのが嘘のように、代わり映えのしない毎日が続いていく。
いつのも様に、
双葉学園高等部2-B生徒、「
異能力者である事を除いては一般人」の
東堂 蒼魔(とうどう そうま)としての生活を全うする事ができた。
「東堂君、おはよう!」
変わった事と言えば、同じクラスの2-B生徒である、クリクリとした瞳の童顔と軽薄なノリを併せ持つ
佐倉 未央(さくら みお)や、黒いロングヘアーが似合う成績上位の2-C生徒、
水無瀬 響(みなせ ひびき)と少し親しくなったくらいか。
カテゴリーエレメントの
ラルヴァが人の心の闇を吸い取った『薪流し事件(こう呼んでるのは蒼魔と未央くらいだが)』の前まで、蒼魔は殆ど同じクラスの人間と親しくした事はない。
別にクラスで浮いている訳ではない。孤独を気取っている訳でもない。
ただ、授業や休み時間を除いて誰かと行動を共にする事は滅多になかった。
それは、Bクラスの人間だけに限った事ではないが。
「おはよう」
満面の笑みで隣を歩く未央に、蒼魔は軽く挨拶する。
お気に入りなのか、爽やかな印象を与えるショートカットに赤いさくらんぼのヘアピンが今日も光っていた。
事件の後から、未央や響は蒼魔を遊びに誘うようになった。
いつの間にか、蒼魔の幼馴染でありいとこの2-D生徒の体育会系女子、
風間 深赤(かざま みあか)から蒼魔のメールアドレスを入手したらしく、カラオケやら食事やらショッピングやら、とにかく連日蒼魔を誘う。
深赤もグルらしく、幼馴染の誘いは断りにくいので仕方なく付き合っていると、ここ数日、クラス内で随分軟派な印象がついたようだった。
(まぁ、女子からの誘いは嬉しいもんだけど……)
「何ニヤついてんのよ」
未央が蒼魔の脇腹を肘でつつく。
「別に……」
「あ、ねぇねぇ今日はさ~どこ行く?行きたいところある?」
「特にないです」
「……」
未央がしらけた顔で蒼魔を睨む。
若干滑った感が否めなくて、蒼魔は恥ずかしいのを隠すように強がった。
「あのさ、なんでそんな連日俺を誘うんだよ。俺、女はべらしてるって言われてんだぞ最近」
「アハハ、私は別に東堂君になんてピクリともしないけどさ。……響がねぇ~」
未央はなんだか含みのある言い方をした。
「……なんだよ」
蒼魔はなんだか少し、嫌な予感がした。
「いやいや、響って見てれば分かると思うけど、男に免疫ないんだよねぇ。響、双葉島に来たの高等部からでしょ。その前は女子校にいたんだってさ。だから、男とかそういうのぜーんぜん、からっきしな訳で」
「それで、俺で慣れさせようって?」
「そうそう。東堂君なら害ないでしょ」
蒼魔は露骨にバカにされた感じがして、少々ムッとした。
「どういう意味だよそれ。俺が女子に興味ないって言いたいのか?」
「いや……この間、校舎の階段で下から私のスカート覗いたのは知ってるけど」
バレていたのか。蒼魔は少しひやりとしたが、未央は別に気にしていないようだった。(そう見えるだけかもしれない)
「東堂君って響には全然興味なさそうだったから。授業サボるような不真面目な男、響だって間違っても惚れないだろうし」
「……確かに」
そういう意味か、と蒼魔は納得したが、未央は腑に落ちない表情を浮かべた。
「でも、なーんか、響の東堂君に対する態度って違うんだよねぇ」
「え?」
「いや、最初はさ、単に男に免疫ないからあーいう態度取ってるのかなぁって思ってたんだけど。この間クラスの男子と喋ってるところ見たけど、なーんか……ねぇ」
未央は歯切れ悪く言葉を切って、首を傾げる。
……そこまで響が自分に惚れる可能性が考えられないのか。
なんだか自分の男としての魅力を全否定されている気がして、またムッとした。
「いいじゃないか、あいつが俺に惚れたって。人間ってのは自分にないモノを人に求めるもんだろ? あいつも案外、俺みたいに自由に生きたいのかもしれないぜ」
未央は蒼魔の言葉に、あからさまに嫌悪感を露にした。
「響はそんなタイプじゃないでしょ、自分に劣等感抱いてるとかさ。あんだけ賢くて可愛くておしとやかで……非の打ち所ないんだからさ」
蒼魔はその、作り物感が嫌いなのだが。
「でも……そうなのかなぁ。決定的に恋してるって感じとは違う気がするんだけどなぁ……でも、なんか東堂君にだけは違うんだよなぁ」
「やっぱりか……」
声は二人のすぐ背後からした。女の声だったので、二人はギョッとして振り返るが、「噂をすれば影」は今回外れてくれた。
「いや、オレも思ってたんだよ。なーんか響って、蒼魔に対してちょっと態度違うんじゃないかってさ」
深赤はうんうん、と納得した表情で頷きながら二人の間に割ってはいる。
相変わらず筋トレで鍛えた筋肉が女性にしてはつきすぎじゃないかというほど輝いており、スカートから覗く足はカモシカのようであった。
スレンダーな体型は結構クラスの女子からも羨ましがられるらしいが、本人は魅力のない体をコンプレックスに感じているらしい。(ならば、筋トレをしなければいいのに……というのは禁句)
「なーんだ、深赤か」
「なんだとはなんだよ。なぁ蒼魔、どうするんだ? 付き合うのか?」
「おいおい結論が早すぎるだろ。まだ水無瀬が俺を本当に好きかは分からないんだから」
「そう言いながらも、ちょっと期待してるんだよねー。ほんと男って、単純だなぁ」
未央が棘のある言葉を零すように放つ。
「佐倉……お前男になんか嫌な思い出でもあるのか? 付き合ってた男に振られたとか?」
「別に……」
未央がつまらなさそうに顔を背ける。その仕草がなんだか、「これ以上触れないでくれ」と言っているようで、蒼魔は口を噤んでしまった。
が、すぐに深赤が口を開いた為、変な空気になる事はなかった。
「じゃあ、未央は好きなタイプとかないのか? 付き合ったらどうしたいとかさぁ」
「……特にないです」
「ん?ないのか。未央、こういう話好きなのに自分はあんまり興味ないんだな」
蒼魔はおいおい、と心の中で突っ込んだが、深赤は当然今までの流れも分からないだろうし、しかも彼女は非常に世間知らずで流行に疎いので、真剣に言葉を返していた。
「いや、深赤あのな……」
「あっ! やべ、陸上部の朝練はじまる!」
蒼魔の言葉を遮って、腕時計を見て深赤が叫ぶ。
「へ? 深赤陸上部に変わったの?」
「いや助っ人部員で参加してんだ。もうすぐインハイだろ?オレは異能力者専用の数合わせなんだけど、能力の練習にもなるし」
深赤はさして気にせずそう言って、嵐の様に走っていく。
「んじゃまたなー! あ、未央、後でメールしといてくれよ、商店街行くまでには練習切り上げるから!」
「……」
手を振る未央を横目に、蒼魔は複雑な表情を浮かべる。
「深赤ってほんとに東堂君の事好きじゃないんだね」
「なんだよいきなり……。お前、恋愛トーク興味ないんじゃないのか」
「んな訳ないでしょ」
未央がジロリと睨む。先程の事をぶり返すなという意味であろう。
「……まぁいいけど。言ったろ、深赤は俺に興味なんてないって。というかただの幼馴染だし」
「いやでもさあ。男女の幼馴染って、こう、オトナになるにつれて~っていうのがよくあるパターンじゃん」
「ありえないって」
蒼魔はバカにしたように笑う。
「それ、漫画の中だけの話だろ? ガキの頃から一緒に育つってのはお互い幻滅するような幼稚な相手の行動を見て育つって事なんだぜ。恋愛感情なんて生まれない生まれない」
「でもさぁ……そういうのも含めて、好きになるみたいな」
「それにあいつは俺みたいな男、タイプじゃないし」
「ふむ、深赤のタイプってどんなの? 前から気になってたんだけど、教えてくんないのよね~」
未央が唇を尖らせて問う。何故女子は、こうも詮索するのが好きなのだろう。
蒼魔は小さくため息をついて、口を開いた。
「俺も深赤も、水無瀬と一緒で高等部からこっちに引っ越してきたんだ。学園に入学してからしばらくして、あいつは毎日龍河先輩にラブレター書いてるんだぜ。一回だって、渡せた事はないけどさ」
「ま、まじで!? えぇ、あーいうのがタイプなの、えぇ……」
未央が驚いているのか引いているのか感心しているのかよくわからない反応を取る。
「あいつの家は親が厳しくてさ。武士の生まれ変わりかってくらい、男兄弟と一緒にしごかれて育ったんだよ。だからあいつは自分より強い男にしか興味ないんだ」
「なるほど……東堂君、ひょろいもんね」
未央は納得して頷く。
「でも、異能力者になったんだから、これからは分からないじゃん。
忌憚研究部にでも入って、バッチリ決めたらどうよ」
「……」
忌憚研究部。蒼魔が現在、一番聞きたくないワードである。
幼馴染の深赤がこれに所属しており、彼女が部活動中に行方不明になったというので活動に参加してしまったのがミスだった。
その所為で、蒼魔は異能力に目覚め、「一般人」のレッテルから脱却してしまったのだ。
蒼魔はため息をついて、そっぽを向く。
「そんなに嫌いなのか。まぁ、分かるけどさ。活動内容は……都市伝説の調査と解決、だっけ? しかも、大抵がラルヴァが実際に人を襲ってるようなヤバイやつなんだよね。部活動程度で死ぬかもしれないとか、絶対ごめんだよねぇ」
「別に、そんなんじゃないけど」
未央の言葉に蒼魔は即座に答えた。
「そうなの?」
「うん。別に怖いとかじゃない。ただ……」
蒼魔のその言葉は、何故か未央の頭に重く響いた。
少し悲壮感の混じった、求めるような、願うような、寂しい声色で小さく呟く。
「普通じゃないだろ」
呟いた後、蒼魔の表情はなんだか、遠くを見るような、何かを思い出しているような、複雑な表情になったので、未央もそれから言葉を投げかけるのは止めた。
沈黙のまま迎えた巨大な校舎は、いつもより更に大きく見えた。