某県中部の山間部、その青々と生い茂る森。
樹海というほどには木々の間隔は狭くは無く、かといって見渡しが良いというほどではない。
周りからは枝に止まった鳥たちの鳴く声が絶え間なく続く。
もしここがきっちりと道として作られていた山道であればハイキングの名所として取り上げられていただろう。
真夏の気温は木が日光を遮っているとはいえ高く、その生命謳歌を活発に楽しんでいる木々のせいで肌に纏わりつくような湿度を保っている。
そんな山の中を、人影が目の前を遮る枝を払いながら山の奥へと進んでいた。
まったく周囲に溶け込もうともしないその服装は白を基調としたもので、各所には僅かながら装甲が配置されている。
左上腕の装甲には「ALICE」と刻まれていた。
双葉学園にある対
ラルヴァ迎撃機関の名称だ。
それに身を包むのは少年から青年になろうとしているような年齢の男性。
身長は平均よりも多少高いくらい、装甲の無い部分の服を締まった筋肉が押し上げていた。
そして右手に持つこれも同じく装甲がつけられた長い棒状のもの、先端部には鋭い刃状の装甲がついている。
青年の得意とする武器、槍だ。
それを使い先ほどから枝を除けて進んでいた。
「……暑いな」
流れる汗を武器持つ手とは逆の左手で拭う。
山に入って一時間ほどだが、道なき道を行った結果その顎からは汗が珠となって落ちていた。
ちょっとした広場へ出たところで足を止め、腰につけられた服備え付けのパックから生徒手帳を取り出す。
慣れた手つきで確認するのは現在位置と指令で向かうようにと言われた地点。
もうそれほど離れてはいないのか、画面に映る二つのポイントは間近になっていた。
生徒手帳をパックへと直し、再度進もうとしたところで胸元の無線機が受信を知らせる甲高い音を立てる。
それに驚いた鳥たちが鳴くのを止めて周囲から飛び立っていく。
「……」
手に持った武器を握りなおし、周囲が静かになるのをじっと待つ。
まだ離れているとはいえ、指令で向かうように言われた地点はそう遠くは無いのだ。
静かになった森の中、電子音だけが響くようになるのを待ってから青年はようやく受信ボタンを押した。
「おっそーい! どれだけ待たせんのよ!?」
途端に耳元のインカムから耳をつんざく様な受信音にも負けないほどの女性特有の甲高い声が青年の脳みそを直撃した。
思わず寄ってしまった眉間の皺を左手で抑える青年。
「あんた今何やってんのか分かってんの!? 時間無いって言ってるでしょうが!」
揉み解す暇もなく、矢継ぎ早に続く声に青年はうんざりとした表情を浮かべた。
ゆっくりと左手を首筋へと伸ばし、そのまま装甲に仕込まれたボタンを操作して音量を下げる。
丁度良い音量になったところで、ため息を一つ吐いた。
「マナ! 聞こえてるよ!」
「こっちもだ鐘、もう少し音量落とせ」
言ってから、青年の顔がしまったというふうに歪んだ。
インカムの向こうにいる青年に鐘と呼ばれた女性はとにかく口うるさいことで有名なのを忘れていたのだ。
チームの一員である以上、普段から気をつけているというのに暑さで少し気が立っていたらしい。
案の定、更にトーンが上がった声に再度の音量調整を加えるはめとなった。
「あーもー! 予定到着時刻まで残り少ないんだからさっさと移動しなさいよね!」
「問題ない、間に合うように行動している」
事実、指令で出された地点には青年の行進速度を考えれば十二分に時間の余裕はあった。
今回青年に出されたのは、
「ラルヴァ事件予知チームが予測したのは、マナが向かう地点に人類に対する敵性ラルヴァが生まれるというもの。
例外を除いて基本的に生まれた直後ってのはどんなものでも弱いからね。
マナみたいなランクの低い隊員でも退治出来るはずよ」
「出発するときにも言ったが出来なかったらどうするんだ」
「出発するときにも言ったけどあんたの能力使えばいいでしょう?」
もう一度ため息をつき、青年が返す。
「そんなに安売りする能力じゃない、なんで俺なんだ」
鐘が言ったとおり青年のALICE内での能力ランクは高くは無い。
むしろ、他の能力者と見比べれば見劣りすることがほとんどだ。
そんな青年一人に任せられる任務、危険性の予知も行われているため本部では本作戦の認可が下りたのだが。
「そりゃ、マナの地元だからでしょ」
「……金にならん仕事だ」
「黙れ守銭奴、たまには働け。あんたこのままじゃ除隊処分くらうわよ?」
鐘の口調に真剣さが混じった。
「問題ない、俺は自分から志願して入隊したわけじゃない」
「問題あるわよバカ! 良いからとっとと行きなさい! 生まれる前に叩ければ一番なんだから」
乱暴に叩きつけられたのだろう、ブチっという耳障りな音を立てて通信が途絶えた。
周囲に再び静寂が戻る。
遠くで鳥の鳴く声が響いた。
「誰のせいで余計な時間を食ったと……時は金なりという至言を知らないのか」
やや疲れた表情で青年は最後にもう一つため息をついた。