6月28日 双葉区立総合運動公園
その日はクラスマッチだった。球技大会が先月にあったというのに、こちらも球技だらけというキレたクラスマッチだった。本来ならば、もっと早い時期に行われていたはずなのだが、天候や
ラルヴァの動向に恵まれず、2週間ほど遅れての開催となった。
根本は、ここのところ、千ヶ崎とあまり話す機会を持てず、たまにやっていた部室でのお茶会もご無沙汰になっており、落ち込んでいた。それだけに、このクラスマッチで目立とうと張り切っていた。
「千ヶ崎さん、最近カチューシャつけるようになってさらに可愛くなったんだぜ! こりゃあ、頑張るしかないっしょ!」
クラスマッチで目立って女子の歓心を買う、というのは、あまりにも安易でご都合主義的な考えに見えるが、千ヶ崎に対して能動的に何かに誘えない、あるいはその段階ではないと考えてる根本にとっては、取れる手法は限られていたのだろう。
しかし、そんな安直な計画ですら、うまくいかないものだ。俺と根本はサッカーにエントリーしていたのだが、1回戦であっさり負けてしまった。相手にサッカー部のレギュラーと補欠、合わせて6人もいやがったのだ。
「もう……ダメだ、何やってもダメだ……死のう……早く死のう……」
根本は精も根も尽きたといった顔で、燦々と照る太陽の下、芝生の上に寝っ転がっている。そのジャージはいつになく汗と土で汚れていたが、その努力は報われなかったのだ。試合前の調子の良さは消し飛び、根本の目はすっかり死んでいる。
「しっかりしろよ、千ヶ崎に直接ダメとか言われたわけじゃねーだろ、勝手に頭ん中で死んでもしょーがねーだろ?」
「無理っす……自分、不器用ですから……」
根本は、あっさり負けたことで気落ちしていた。おまけに「最近カチューシャつけるようになってさらに可愛くなった」千ヶ崎は、俺らの試合を見に来てもくれなかった。
「おーい、根本さん、牧野さん!」
そこに佐竹がやって来た。汗をびっしょりかいている。体操服姿の佐竹は、その細い体、目の下のクマもあってひどく滑稽だった。
「どうした? お前らソフトボールだろ? 勝ったのか?」
「1回戦は突破しましたよ。」
佐竹がニコリと笑う。その足元はシューズから膝の辺りまで土で汚れていた。
「やったじゃん……おめでとう、バンブー」
根本が力なく、その勝利を祝う。
「だから、そのあだ名ないですってば! ところでですね、ソフトボール、勝ったのはいいんですが、この暑さで2人、熱射病だか熱中症だかでやられたんですよ。欠員補充です、来てくれませんか? お暇でしょ?」
「ち、暇で悪かったな!」
根本がむくりと起き上がる。
「名誉挽回だな、行こう牧野!」
さっきまでの死んだ魚のような目はどこへやら、根本の目には活気が宿っていた。
「見に来てくれるとは限らんぜ?」
「うるせー、泣き言はやるだけやってから言うさ! ほれ、次の相手はどこだ、バンブー!」
(もうこんなに活き活きしてやがる。チャンスらしきものが来ただけだってのに……)
俺は思わず苦笑した。
「Pですよ」
「Pかー……」
隣同士のせいか、何かと因縁のあるクラスであった。
「いいだろう、相手に不足はない。教育してやろう、どこが真の強者であるかを!」
根本はもう変なスイッチ入っている。
「AとかBとかCとかじゃねーの? 2年だと」
「うっさい牧野! ほれ、さっさと行くぞ!」
同日
双葉学園
クラスマッチ終了後、女子勢にそれとなく聞いてみたところによれば、千ヶ崎は先週辺りに、他クラスの男子生徒に告白され、付き合いだしたらしい、とのことであった。
哀しくも、根本のクラスマッチへの気合は空回りしたことになった。そして、なにやら意気込んでいた佐竹の情報も、肝心なところを肝心な時に把握できなかったということであった。
普段、のほほんとしている分、片思いへののめり込みも大きく、その反動もまた大きかったのかもしれない。あの後、根本は千ヶ崎に改めて謝った以外、ほとんど誰とも口も聞かずにいた。そして、帰りのHRが終わると同時に姿を消したのだ。
俺と佐竹は手分けして根本を探し、幽霊や妖怪など、普通は人間には見えないものを見ることの出来る異能を持つ佐竹がそこら辺にいた浮遊霊から、屋上で泣いている生徒がいることを聞き出したのだった。
俺は、それが根本であることを確認すると、生徒が使用できる、屋上への唯一のルートである階段を塞ぐように座り、屋上に行こうとするカップルや生徒にガンを飛ばしては追い返していた。俺が根本のためにしてやれるのはこれくらいのことだった。「怪人頭にモスラの幼虫だぁ!!」と失礼なことを言って泣きながら逃げていった女子生徒もいた。追い返された生徒の通報を受けた
醒徒会や
風紀委員の面々が来ないことを祈るばかりであった。
佐竹も一緒に階段を塞ぐように座り込み、どこからか取り出した文庫本を読んでいる。
「畜生ぉぉぉぉぉっ!! ひっく、畜生ぉぉぉぉぉぉっ!!」
屋上から根本の声が聞こえる。今、あいつは1人で泣いているのだ。燃え上がっていたはずの恋の炎を涙で消火し、湧き上がる、後悔、嫉妬、自虐、怒り、あらゆる感情の煙にむせているところだった。
「なあ、佐竹? お前、俺らには見えない幽霊とか妖怪を通じて、ねものために千ヶ崎の情報集めてたんだろ? 知ってたんか? 千ヶ崎の彼氏のことをよ?」
佐竹が文庫本に栞を挟んでこちらを見る。
「何度か話では聞きましたよ。でも彼氏かどうかは分かりませんでした。付き合っているかどうかの確証はなかったので、確証を得てから伝えようと思ってました……それに、いつもいつでもこちらの言うことを聞いてくれる幽霊とか妖怪がいるわけではないんですよ。お願いしたってこちらに関わりたがらないのが大多数ですから」
「いっそ、おまえ専属で確保しときゃいいのに……今時友好的なラルヴァなんて珍しくないだろ?」
区役所と学校、醒徒会を通すことさえできれば、制限はあるものの、ラルヴァを使役することは可能である。一部にはこの学園に登校している者もいるらしい。ラルヴァと爛れた関係になって退学処分食らったやつすらいると聞く。今時珍しい話ではない。
「知ってるでしょう? ああいうのは、いっぱい保証人必要なんですよ」
「だったら、分かってる限りのことを根本に教えてやりゃー良かったんじゃねーか?」
知らず知らずのうちに少し言葉が、微かな怒気を含んでしまっていた。多分、誰かのせいにできれば、簡単なんだろう。
「……それは、ごめんなさいとしか言えません。私もこんなに早く決着がつく、というか……予想外でした」
佐竹は表情1つ変えず、そしてこちらを見ているその目を静かだったが、本当に申し訳なさそうだった。
「いや、すまん、ちょっと変な言い方した。悪いな……」
佐竹がちょっとだけ微笑んだ。
「いえ、まあ気にしてないです……それより、静かになりましたね……」
先ほどまで連続的に続いていた根本の咆哮が聞こえなくなっていた。
「ちょっと、様子見てくるわ。この時間なら、もう屋上行こうってゆー学生も少ねーだろ。お前はどうする?」
佐竹は首を横に振った。
「わたしじゃあ、何もできませんよ」
「そうか」
根本は、さすがに叫びつかれたのか、フェンスを掴んでぐったりしている。屋上に来てから20分ほどが経過していた。
「ねも、どうした、少し落ち着いたか?」
根本の目は真っ赤だった。その唇は自嘲で歪んでいた。
「死ねばいいのに、死ねばいいのに、何より俺が死ねばいいのに! 勝手に浮かれて、勝手に尽くして……馬鹿じゃねーの、いや分かってたさ、馬鹿だったんだ、いや馬鹿なんだ……」
何もないときは眠そうな表情を浮かべている根本の目元は涙に濡れ、赤く腫れ上がっていた。それでも嗚咽を漏らすのを我慢しているのか、下唇をキッと噛んでいる。あまり見たことの無い表情だった。あまり見たくない表情だった。
「ねも……落ち着け、お前は純情すぎるぜ。俺は何もしてやれないが、そう自棄になんなよな……」
正直、自分を責めて苦しんでいるマブダチの姿は、そうせざるを得ない根本の姿は見ていて苦しかった。
「牧野、すまん、なんか迷惑かけた気がするぞド畜生が……」
無茶苦茶だが精一杯の強がりを呟いて、まだ嗚咽を我慢する。
「くっそぅ……牧野、俺は糞だったか? どれくらい阿呆だったか?」
「ねも、そんなこと聞いてくる時点で、どんな答えを期待しているのかは、自分で分かってんだろ? 何年マブダチやってっと思ってんだ? 今日は自虐でも恨みごとでも、なんでも聞いてやっからよ……早く、立ち直ってくれよ」
根本は笑った。ぐしゃぐしゃではあったが、精一杯の笑みのようだった。
「ド畜生、すまんなぁ、牧野、すまんなぁ……」
いつの間にか、佐竹が来ていた。だが、根本の顔を見ても佐竹はやれやれとでも言いたそうな笑みを作っただけで、何も言わず、ペットボトルを3本取り出した。どれもスポーツ飲料だった。
「うん……心の汗を流したら、水分とか塩分取りましょう」
「……佐竹……」
根本が佐竹にも声をかける。
「はい?」
「お前にも……いろいろすまんかった……」
佐竹は小さくうなずいた。
「何もしてませんよ。私は何もしてあげてないに等しいですよ……もっと根本さんの力になれたかもしれませんね、こちらこそすいません。」
佐竹はペットボトルを根本と俺に渡す。
「いや……そんなことない、ありがとう……そしてすまん、本当にすまん……」
最早何を謝っているのかが分からなくなってきた。
「ああ、もうよせ! 謝るの禁止! 謝罪したやつ、超許さねー! もうやめ! いいな!」
居たたまれなくなったので、2人の仲裁(?)に入る。根本も佐竹もけらけらと笑い、ペットボトルに口をつけた。
「さて、どうするねも? この後もう1人にしといてくれっていうなら放置するし、そうでないなら……」
言い終える前に根本から答えが返ってきた。何かを吹っ切ろうとしている、いい笑顔だった。そう簡単に吹っ切れるものではないかもしれないが、このまま腐らなければそれでいいだろう。
「飯食いに行こうぜ! 佐竹も大丈夫か?」
「いいですよ、和洋中、特に嫌いなものはないですよ」
根本がこちらを向く。
「じゃあ、いつものコース行くか! 中華食って、その後銭湯な!」
「あの炒飯大盛りんとこか? それともこの間行った酢豚がピンク色している方?」
「大車輪でいいだろ、ダメだったら、他んとこ探せばいいさ」
大車輪は学園ご用達とも言える、安い中華料理屋だった。部活の打ち上げから、友人とのだべりにまでいろいろと、双葉の生徒には利用されている。
「飯と銭湯で1人あたり1000~1500円くらいかかるが、大丈夫か?」
根本が財布をチェックしながら言う。根本の財布の中には千円札が3枚入っていた。
俺も佐竹も金銭的な心配はなかった。それを確認して根本が音頭を取る。
「そーと決まったら撤収だ! 行くぜ!」
気がつけばもう18時を過ぎていた。
鞄を取るために2-Qの教室に戻ったとき、根本の机の上に何かが置かれていた。
それは品物と慶田花の実家の花屋からの請求書、オキナワチドリ3鉢、3600円を値引きして3000円だった。