召屋正行《めしやまさゆき》の携帯に端的且つ合理的なメールが届いたのは、彼が友人たちと南海の孤島で厄介な事件に首を突っ込んで諸々を解決し、帰島してから一週間を過ぎた頃だった。
浴衣に巾着、足元はぽっくりというお祭り万全体勢の召屋加奈が、兄の召屋の手を引っ張りながら寮の外へと出て行く。そこに召屋の隣人であるカストロビッチはおらず、兄弟二人きりであった。
「ねえ、さっきの変な格好した人は?」
彼女は召屋に不思議そうに質問する。恐らく、彼も付いてくるものだと思ったのだろう。
「あ? うん、なんか忙しいらしい。何でも母国に送るためのレポートの作成が大変とかなんとか……」
「そうなんだ!」
召屋の言葉を聞いた彼女は頬を緩ませ破顔する。だが、それも一瞬のこと。
「召屋くーん!」
二人の目の前にスタジアムの希少なヘルメットを被った地味な女の子が手を振っていたからだ。
「誰?」
背後に真っ黒な焔が立ち上るような悪鬼の形相で、加奈は召屋に振り返る。だが、召屋はそれを気にすることもなくさらりと答える。
「クラスメイトの鈴木だよ。一緒に島を回ろうって約束したんだ。俺より色々知ってるからな……あれ? どうした」
「だ・か・ら・二人乗りは駄目だって言ったでしょ?」
「いや……うん。ゴメン」
彼女の威圧的な言葉と殺気を帯びた表情に召屋はその大きな身体を精一杯縮こまらせ、年甲斐も無くしょげる。年下のそれも自分よりも遥かに小さい少女に怒られ、萎縮している大男というのは実に滑稽だった。
「こんばんは、加奈さん」
先ほど、二人に声をかけた女性が、ヘルメットを脱ぎながら近づいてくる。前日召屋のバイクの整備を手伝っていた少女だった。
「こ、こんばんわ……」
思わず、召屋の後ろに隠れながら加奈は恐る恐る挨拶を返す。勝気そうに見えて、実は人見知りするタイプなのかもしれない。
「鈴木、ゴメン。バイクで島を紹介するってのは無理になった」
バツの悪そうな表情で髪の毛を掻き毟りながら召屋は頭を下げる。
一瞬鈴木は何を言っているのか分からなかったが、彼の後ろにいる少女がこちらを恨めしそうに睨んでいることに気が付くと、何かを察したのか急に早口でしゃべり出し、ゆっくりと後ろ歩きで二人から遠ざかっていく。その表情もどこか居心地が悪そうで引きつっていた。
「ううん。別にいいよ。やっぱり、久しぶりに会うんだから兄妹水入らずの方がいいですよね。そうよね。せっかくですものねー。それにだってほら、こんなに可愛い妹さんなだもの。うん、じゃあね、召屋くん。私は花火大会が始まるまで島をぐるっと回ってくるよ。あは、あは、あはははは。じゃ、じゃーね」
そして、バイクの傍までたどり着くと、即座に跨り、エンジンを始動させることも忘れ、モペッドのペダルを漕いでその場から走り去ってしまった。それは競輪選手も驚くほどの健脚だった。
「なんか急ぎの用事でも思い出したのかな……」
「さあ?」
そう言って、彼女は土煙だけが残った跡をぼーっと見つめる召屋の腕を嬉しそうに両手で握り締めていた。
加奈の意見もあり、徒歩で移動することになった召屋たちだったが、花火会場に設営された縁日に到着する頃には太陽も傾きかけ、すっかり周りもオレンジ色に染まっていた。
「結構人がいるのねー」
縁日に溢れかえる人の山を見ながら、その光景に関心する。
「そりゃあ、人工島と言ってもそれなりの人数が住んでるからなあ」
「ふーん……。あっ! 金魚すくいだ! 行こうようね? ね!? あー、でも、綿アメも食べたいなあ……。ん? ねえねね、あれは何? 変なロボットみたいなのが飾られてるよ? あっちはりんご飴だー!」
活気に当てられたのか、すっかり縁日を満喫する気十分で、キョロキョロと回りを見渡し、どちらに行けばよいのかさえも迷っているようだった。
「あー、もうどうしようっ? お兄ちゃん」
「いや、どうしようって言われてもなあ……」
その時、二人の背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「そこの二人待ちなさい。いや、召屋君。そのいやらしく握った幼女の手を離しなさい!」
『はぁ~?』
全く同じ口調と反応をし、同じタイミングで振り返る二人。
そこにはオデコを茜色に輝かせるキツそうな顔つきの女性が、人通りの流れも考えず、通りのど真ん中で腕を組みながら偉そうに突っ立っていた。
背後には古臭いメイド服姿の女性が付き従っている。
「全く、役立たず様は役に立たないだけでなくついに幼女にも手を出されてしまったのですか? 有葉さまの件から鑑みて、そういう性癖があるのではと常々憂慮してましたが、まさか、本当にそっちの……」
ハンカチで目頭を抑えながら、ヨヨと泣くメイド服の女性。一方、召屋に声を掛けた女性はというと、眉間に皺を寄せたまま、厳しい表情を崩さない。
「え? 委員長? こいつは俺の妹なんだってば! たまたまこっちに遊びに来ててだね……」
「こ・い・つ?」
こいつ呼ばわりされたのが酷く気に触ったのか、加奈は委員長と呼ばれた女の子に負けない圧力で召屋の方を睨みつける。
「笹島《ささじま》様。あの慌てよう、妹などという話、どうみてもその場を言い繕っているだけの嘘かと。穢れなき少女が不幸な人生を辿る前に何とかして上げませんと……」
メイド服の女性が笹島と呼ばれた女性に耳打ちする。先ほどまで泣いていたはずなのに、涙のあともない。嘘泣きだったのだろう。
また面倒なことになるなあと召屋が思った瞬間、笹島の厳しい顔が急に笑顔になる。
「なーんてね。冗談よ。召屋君の妹さんが来るっていうのは字元《あざもと》先生から聞いてたら知ってるわよ。加奈さんだっけ? 始めまして! 私は貴方のお兄さんのクラスメイトの
笹島輝亥羽《ささじまきいは》よ。よろしくね」
「よ、よろしくです……」
加奈は召屋の後ろに隠れながら、差し出された手を握りる。
「可愛いーわねえ。本当に召屋くんの妹? 不出来なお兄さんを持つと大変でしょ?」
笹島は召屋兄妹の顔を交互に見ながら、残念そうに兄の方を一瞥する。
すると加奈は握っていた笹島の手を急に打ち払い、笹島を睨みつける。自分の兄を貶されたと思ったのだろう。
「お、お兄ちゃんを馬鹿にしないで下さい!! お兄ちゃんは強くて格好いいんですっ!」
「……御免なさい。ちょっとした冗談のつもりだったのだけど。そうね、貴方のお兄さんはとても強くてカッコイイわ。私も何度も彼に助けられたのよ(嘘)」
自分の言葉が彼女の気持ちを傷つけてしまったことに気が付き、しゃがみ込み、彼女の目線に合わせると、今度は両手で手を握り、怒りを露にした加奈の目をしっかりと見つめる。兄弟が多い彼女だけに、こういった多感な頃の子供たちの扱いには慣れているようだ。
「本当にゴメンなさい」
「そうですよ。役立たず様は時々は役に立ちますのですよ」
一方、仮初めの魂を吹き込まれた自動人形《オートマトン》のメイド少女、瑠杜賀羽宇《るとがはう》が彼女なりにいフォローを入れる。どう見てもフォローになってはいないが、心と常識のない彼女にとってはそれが精一杯だった。
「いいからアンタは黙ってなさいっ! あー、この馬鹿メイドは気にしなくていいからね。加奈ちゃん。じゃあ、お兄さんとお祭り愉しんでね」
無理矢理メイド少女を引きずりながら、立ち去ろうとする笹島に召屋は思わず声を掛けてしまう。
「委員長は今日はこんなところで何してんだ? 大体なんで休みなのに制服なんだよ?」
「ああ、それね。私はクラスメイトがこの緩みきった夏休みに“ひと夏の間違い”を起こさないために監視してるのよ!!」
鼻息も荒々しく、自慢げに自分の行為をそう語る。やっていることが他人にとっては大きなお世話だとは一切思っていないのであろう。
(うっっわー、なにこの人。ただのお局様じゃない……。根はいい人そうだけど確実に行き遅れるわね)
そんな心象をおくびにも出さず、加奈は二人が(厳密に言えば一人がメイドを引きずるという非常におかしな状況であるが)去っていく姿を微笑みながら見守ることにした。
その後も、姉が傍にいたためか珍しくしおらしい六谷彩子《ろくたにあやこ》やクラスの女王さまこと
星崎真琴《ほしざきまこと》、優等生で男性陣の人気も高い水無瀬響《みずなせひびき》とイケメン双子の木戸兄弟をはじめとした忌憚部のメンバーなどなど、多くのクラスメイトに遭遇することになる。
(なによ、なによ!! 彼女なんて一人もいないって言ってた癖に、挨拶するのは女の子の友達ばっかりじゃない……)
腹立ち紛れに召屋の足を偶然を装って踏みつける。
「痛っ? なんだよ」
「うるさいなー。何よ、ちょっとくらい……だからって偉そうな口利かないでよね!」
「いや、足を踏んでるって言いたかっただけでさ」
彼女の怒りようにどう対処してよいものか分からず、慌てふためく。その時だった。
「よー! 拍手」
出店の一つから少年の声が聞こえてくる。声の方向に振り向くと、そこには見知った顔がある。拍手敬《かしわでたかし》、彼も召屋のクラスメイトで、仲の良い友人だった。
「今日は出張屋台か?」
「稼ぎ時だからな、こういう時こそ働かないと。召屋ならサービスで半額にしておくぞ。そっちの将来有望な女の子のためにもな」
「一つくれ」
「あいよっ!」
威勢良く答えた少年は、額に滲む汗を首に掛けたタオルで拭き取りながら、鉄板の上にある麺を手際よく炒め始める。食欲をそそる音と匂いが周りに広がっていく。
「相変わらず元気だけはいいっすねえ」
「お前はどうせ金を払う気もないんだから黙ってろよ」
少年は、屋台の端っこに肩こりも悩ましそうな胸をテーブルに置いて休憩しながら冷やかしている少女を怒鳴りつける。だが、少女は我関せずといった風で、自分の立場を彼女なりの屁理屈で理由付けることにした。
「私はこうやって、屋台の安全に気を配ってるんじゃないすか。
風紀委員の役目っすよ」
「どうみても油揚げを掻っ攫おうとしてる鳶にしか見えないんだけどな」
「悪いんだけどさ、痴話喧嘩はどうでもいいから俺の焼きソバをだな……」
「お? おう。じゃあ、これな、量も大まけで値段は半額! 出血大サービスだ!!」
「値段はいいけどな、こんな量食えるかよ……」
山盛りというには盛り過ぎな、今にもプラスチックの皿から零れ落ちそうな大量の焼きソバを手に持ちながら困惑した表情をする。
「ばっか! 沢山食べないと大きくなれないんだぞ……って、召屋は十分デカいか。まあ、多くて損することはないんだし、持ってけ持ってけ。お連れのお嬢ちゃんも沢山食べて立派にならないとな」
「りっぱ?」
「そう。やっぱり女の子はおっ……」
「それ以上はセクハラっすよ先輩」
拍手の口を塞ぐように横から木刀が突き出される。風紀委員の女の子のものだった。
「じゃ、じゃあな拍手」
「お、おう……」
こんな量どうやって食うんだなどとブツブツと文句をいいながら、屋台をあとにする召屋たち。
そして、彼らと入れ違うように屋台の前に人影が現れる。
「ねえねえ、私も色々と大きくなりたいからサービスしてくれるよね? 拍手くん」
ボブカットの可愛らしい少女が、満面の笑みで拍手の屋台の前に自前の箸を片手に立っていた。
「ちょ、おい! 美作《みまさか》? お前が満足するほどにサービスなんてしたら食材が粗方無くなっちまうだろうがっ!」
「ええー? サービスしてくれないと鉄板の上にある焼きソバを全部真っ黒にしちゃうよ」
ニコニコと屈託のない笑顔でそう語る少女だったが、拍手はその言葉の意味を理解すると顔面を真っ青にし脂汗をかき始める。
「うぐぐぐぐ……」
クラスメイトである美作聖《みまさかひじり》という少女の能力――時間を加速する――を知っていたからである。
彼女のブラックホールのような胃袋を満足するサービスと今鉄板の上にある焼きソバが消し炭になる。どちらが最良手か、拍手は真剣に悩み始める。もちろん、これはブラフで、実際には能力を使わないという可能性もも含めてだ。
――――それはまさに勝負師同士の駆け引きだった。
「………」
結果、美作は大量の焼きソバのパックを両手に抱え、鼻歌混じりで何処かへと去っていく。涙ながらにそれを見つめる拍手の後姿が震えている。まあまあと彼の肩を優しく叩き慰める風紀委員の女の子の表情は、心なしか嬉しそうだった。