「ねえ啓子《けいこ》ちゃん。“ゴーストヘッド”の噂知ってる? とっても怖いんだよ~」
加賀《かが》怜奈《れいな》の言葉に岡本《おかもと》啓子《けいこ》はまたかと思った。中等部の二年生である彼女たちの世代は占いや心霊現象などのオカルトに傾倒することが少なからずあるものだが、怜奈は少しそれが顕著であった。存在そのものがオカルトめいた
双葉学園の生徒なのだから、仕方がないことかもしれない。そう心の中で呟きながらも、啓子は柔らかな頬笑みを怜奈に向けた。
「なあにそれ。知らないわ。教えてよ怜奈」
「ほんと? 知りたい? じゃあ教えてあげるね!」
啓子が離しに乗ってあげると、怜奈は嬉しそうな顔で話を始める。啓子はそんな怜奈を可愛いと思っていた。話に夢中で、食べているカツサンドのかけらが頬についたままだ。 そんな小柄で子供っぽいゴムバンドで髪を二つに結っている怜奈を、啓子は可愛いと思っていた。
親友の二人はこうして休日でも一緒に遊んでいる。今日は怜奈が欲しい本があるから商店街にいきたいと言ったので啓子はそれに付き合った。
怜奈は大量の古本を買いそろえ、紙袋に入れられたそれを椅子に立てかけるように置いている。すっかり昼時になってしまったので啓子が休憩をしようとおしゃれなカフェテラスへと誘ったのだった。怜奈はコーヒーが飲めないらしくミルクシロップを注文していた。怜奈のために気どらずにもっと安っぽい店に入ればよかったかしらと啓子は少し反省した。
「それで、そのゴーストなんとかってのは何?
ラルヴァか何かなの?」
「なんでもかんでもラルヴァのせいにしちゃうのはロマンがないよー。テレビであんなに騒いでる心霊番組もUMA特集も、わたしたちじゃ『ただのラルヴァじゃん』で済んじゃうんだもんね」
「ええそうね。突拍子の無い存在が、実在することを知っているものね」
「でもでも、ゴーストヘッドは怖いんだ。だってラルヴァじゃないんだものね」
「ラルヴァじゃない?」
「うん。ゴーストヘッドは十年前に双葉学園にいた殺人鬼なの。啓子ちゃんも少しは聞いたことあるでしょ、十年前の事件」
「ええ。まあ噂だけはね」
啓子は注文したフレンチトーストを口に含みながら事件のことを思い出していた。あの事件のことを大人たちは出来る限り話題にしないようにしているが、子供たちのコミュニティの間では一種の怪談として語り継がれていた。
今から十年前、双葉学園で起きた凄惨な殺人事件。
犯人の少年Kは当時わずか十四歳で啓子たちと同じ中等部の二年生であった。それにも関わらずKは自分のクラスメイト全員を殺害したという。
殺人は閉め切られた教室で行われ、流れ出た血が膝の辺りまで溜まっていたという話しも聞いたことがある。一人の子供が一つのクラスの人間を全員殺すなんて普通は不可能だ。だが少年が普通の子供ではないのなら、それが可能だろう。
異能。生徒たちの多くが持つ特殊な才能だ。
十年も前のことなんて啓子や、彼女たちの年代の子供たちには遠い過去の出来事であろう。だからそこにリアリティは存在せず、ただの怪談話の一環として話しのネタにされているだけだった。啓子はこんな人の死を扱った悪趣味な話題は嫌いだが、怜奈は興味津津のようで、それが啓子の悩みの種でもあった。
「その犯人のKっていう男の子はね、事件の時にマスクを被っていたんだって」
「マスク……?」
「そう、こうホッケーマスクとか
ハロウィンマスクとか仮面レスラーとかみたいなマスクじゃなくて、ハンズで売ってるような白いズタ袋なの」
啓子は想像してみた。
ごわごわとした無骨なズタ袋。それを頭からすっぽりと被っている少年の姿。
それは酷く間抜けな格好ではあるが、マスクを着用した少年が血の海にたたずんでいるのを想像すると戦慄を覚えるほどに無気味であった。
白く、眼も鼻も何もない顔。それはまるで幽霊のよう。なるほど|お化け頭《ゴーストヘッド》とはよく言ったものね。啓子は感心しながらも苦笑した。
「それで、そのゴーストヘッドはどうなったの? 捕まったのよね?」
「うん。犯人のKは学園の人たちに取り押さえられて、本土の精神病院に隔離されたらしいんだけど……」
怜奈は辺りを気にしながら、啓子の耳元に口を寄せて小声で囁いた。
「それからすぐに病院を脱走したんだって。それでまだずっと捕まらないらしいよ」
確かにそれは恐ろしい話だ。本土とは言え、仮にも学園の息がかかった場所なら、異能犯罪者の対策も出来ているだろう。それにも関わらず施設を脱走したということが啓子には信じ難かった。
「まあ噂なんだけどね。本当かどうかはわからないよ」
「本当だったら怖いわね。私今夜眠れなくなっちゃいそう」
「あははは。大丈夫だよ啓子ちゃん。わたしが啓子ちゃんを護ってあげるんだから。わたしこれでも結構強いんだよー。剣道部に入ったんだもの」
怜奈は手をグーにして重ね、竹刀を握るポーズをした。それがまた可愛らしく、啓子は優しい気持ちになっていった。
「ねえ怜奈。これからどうする?」
陰惨な話はよろしくない、啓子は話題を変えようとそう尋ねた。
「うーん。わたしの買い物に啓子ちゃんつき合わせちゃったから、次は啓子ちゃんの好きなところでいいよ」
「そう? じゃあどうしようかしら」
トントントンっと、啓子は指でテーブルを小突きしばし思考した。啓子は怜奈の顔を見つめた。触れたら柔らかそうな唇、さらさらの髪の毛……ああ、なんて愛おしいのかしら。自分は怜奈と一緒にいられるだけで幸せだ。啓子は心臓をくすぐられるような気分になっていた。
啓子にとって怜奈は本当に大切な存在である。啓子は己自身の美しさを鼻にかけ、資産家の娘ということを誇りに思っていた。そんな彼女をクラスメイトたちは認めるわけがなく、孤立していった。それに対して啓子は別に不満はなかった。愚かな人間にどれだけ嫌われようと構うものか。しかし自業自得とは言え、孤独は幼い啓子の心を荒ませていた。そんな中、啓子に手を差し伸べたのが怜奈だった。
だから啓子は怜奈のことを愛している。
怜奈がいれば他の何もいらない。そう思えるほどに深く想っているようだった。
「じゃあ怜奈。今から私の家にいきましょう」
「え? いいの? お父さんやお母さんがいたら迷惑になるんじゃない?」
「いいのよ。あの人たちはお金稼ぎに忙しくて家になんてろくに帰ってこないわ。今日はお手伝いさんもいないし、暇なの」
「やったぁ! じゃあさ、じゃあさ。ビデオ屋寄っていい? 啓子ちゃん言えの大画面テレビで『ヘルレイザー』を見たかったの!」
「もう、またその手の映画? まあいいわよ。それじゃあ行きましょうか」
そうして二人は席を離れ、店から出て行った。帰りに商店街のレンタル店へ行き、怜奈は嬉々としてホラー映画を借りていた。啓子は少しでもいい雰囲気を作れるようにと、ラブストーリー物のDVDを手に取るが、きっと怜奈は退屈で眠ってしまうかもしれないわね、とクスリと笑った。怜奈の寝顔が見られるならそれはそれでいいかもしれない。啓子はそのままカゴに入れてカウンターへと持っていった。
啓子の家は双葉島の中にある第三住宅区に建っている。啓子の家は近所の家々に比べても大きく、三階建てである。怜奈は啓子の家を見上げるたびにはしゃいでいるが啓子自身は自分の家が嫌いだった。
家がこんなに大きくて広くても意味は無いと啓子はいつも思っていた。こんなのは両親の見栄だ。どうせパパとママはろくに家に帰ってこないし、いつも私は広い家を持て余すだけよと啓子はうんざりしながらも家のスペアキーを鞄から取り出し、玄関の鍵口に挿入した。
「あれ?」
啓子は思わず呟いた。
鍵が開いている。おかしい。確かに出て行くときにかけたはず……いや、本当にかけたかしら。出かけ際の記憶は曖昧だ。啓子はきっとかけ忘れたのだろうと自分に言い聞かせ、特に気にもかけずに扉を開けた。
「ねえ啓子ちゃん。今日なんだかこの辺り静かじゃない?」
「え? ああそうね」
玄関に上がる前に、ふと怜奈がそう言った。周囲の家には人の気配がせず、いつもは騒がしい子供たちの声も聞こえない。
「今日は中央区のホールで公演会があるの。ママがやってるアレよ。近所の人たちはママに気を使ってみんな公演に出てるわ。ヒーローショーもあるから子供も連れてね。主婦のコミュニティって大変ね、学校となんにも変わりゃしないわ」
「へえー。啓子ちゃんのママって凄いんだね」
「別に凄くなんかないわ。さあ、上がって怜奈。ジュースでも飲みましょう」
「うん!」
怜奈と一緒に家に上がり、リビングに続く廊下を歩いていて啓子はあることに気付いた。
「ねえ啓子ちゃん。誰か家にいるの?」
怜奈がそう言うように、リビングからテレビの音が聞こえてきたのだ。明らかにおかしいと啓子はようやく異常に気付く。今朝、自分は一度もテレビをつけることなく怜奈との待ち合わせ場所に出かけたのだ。家に両親も家政婦もいないはずなのに、テレビがついているはずはない。
鍵が開いていたことも妙だったと、啓子は自分の警戒心の薄さを呪った。いや、啓子は首を振る。もしかして父親のほうが帰ってきているのかもしれないし、急に家政婦がやってきたという可能性もある。
「き、きっと無意識に私がテレビをつけちゃったのよ」
出来るだけ怖い想像を打ち消し、事実を確かめるために啓子はリビングの中に入って行った。
啓子はリビングの光景を見て足を止めた。テレビは確かについていた。だが、液晶に映っているのはテレビ放送ではなくビデオであった。
「あっ、なつかしー。これわたしたちがちっちゃいころにやってたアニメじゃーん」
怜奈ははしゃぎながらテレビを見るためにソファに座った。画面に映っているのは、啓子がまだ四歳の頃にやっていたアニメのDVDであった。それは子供のころに初めて母親に買ってもらったDVDである。今はもうそんなものに興味はなく、啓子は部屋の押入れにそれを仕舞っていたはずだった。
なのになぜ、それが再生され、そのパッケージがテーブルの上に置いてあるのだろうか。はっと部屋の中を見回すと、啓子が小さなころ遊んでいた玩具がたくさんリビングに散らばっていた。ジェンガに携帯ゲーム。お人形にトランプ。どれも啓子の押入れにしまってあったものだ。それがまるで子供が遊び散らかしたかのような状態になっている。
啓子は戦慄する。誰かがこの家の中にいたのだ。
「れ、怜奈。外に出ましょうよ。ど、泥棒よ!」
「えー? 何言ってるの啓子ちゃん。わたしを怖がらせようっていうサプライズ? もう、わたしはそんなのへっちゃらだって。それより一緒にこのアニメ見ようよ、啓子ちゃんが用意しておいてくれたんでしょ? それにこの玩具……」
「いいから早く逃げるのよ怜奈!」
自分ひとりならどうでもいい。でも怜奈を危険な目に合わせるわけにはいかない。啓子は咄嗟に危険を判断し、怜奈の手を引っ張った。
「なに? なになに啓子ちゃん!」
「…………!」
啓子は黙ったままだった。喋る余裕も無かった。啓子はこの家のどこからか発せられる異質な雰囲気を感じ取っていた。何か、何か危険を感じさせる誰かがこの家にいるような気がしたのだ。
だが、リビングから出ようとした瞬間、啓子の顔面に鈍痛が走り、目の前が暗くなっていった。
わけがわからないまま、啓子の意識はそこで途絶えた。