千日手のように見え、その実、体力的に圧倒的に不利であった澄斗と【三等犬】との攻防は、闖入者の登場によって呆気ない幕切れを迎えた。
澄斗の【不可視の弾殻】を避けつつ、突撃を敢行しようとしていた【三等犬】。その横腹に灰黒の獣が突如として襲いかかり、もつれ合うようにして地面を転がったのだ。
襲いかかられた【三等犬】は混乱した。奇襲を受けたことにではなく、その襲撃者の正体が自分とまるで瓜二つだったことに衝撃を受けたのだった。目に見える違いと言えば、そう、襲いかかってきた【三等犬】の首に黄と黒が織りなす斑のリードが繋がれていることか。
澄斗と殺し合っていた【三等犬】は組み伏せられ、その身体に牙を突き立てられる。
「おいおい……」
澄斗は唖然と見守るしかない。
恐るべき
ラルヴァ二頭が目の前で共食いを始めたという現実は、俄かには受け入れ難かった。当然、片方の首に巻かれたコーンロープの意味を理解してはいたが。
苦しみもがく【三等犬】とそれを喰らう【三等犬】。
苦悶の獣声と生々しい咀嚼音。その狭間に、悲哀の音色が混ざっているように思えたのは、澄斗の聴き違いだろうか。
「金刃くん。よく持ち堪えましたね」
それとは別に聞こえたのは、些かの感心が籠められた労いの言葉。
【三等犬】の首に巻き付いたロープを追えば、スーツの所々を切り裂かれ、その頬に爪痕をつけた金髪の上司がいる。
「いやあ、助かった。あのまま続けてたら死んでましたよ、俺」
地面にどさりと尻を落とす澄斗。袖で汗を拭うと、赤髪を後ろで束ねていたゴムを外す。レミントンを手放して髪の毛を掻き混ぜると、全身の疲労が一気に噴き出した気がした。
歩み寄って来る織姫の向こう側に【三等犬】の姿が見える。その数、一頭。
先程まで澄斗が相手をしていた【三等犬】は既に喰われてしまったらしかった。
「車に戻りましょう」
二人が林から抜ける最中、織姫は携帯を取り出して何処かにかけていた。
話の内容から察するに、ラルヴァを回収する為の警察の専用車両を要請したらしい。どこを歩くにせよ、こんな物騒な生物をペットのようには連れて歩けないのは確かであった。
セダンのボンネットに寝そべった澄斗が一つの疑問を口にする。
「あいつら、自分たちで喰いあう分には再生しないんですか?」
丸呑みしたのならまだしも、そうでないなら、喰われた部分から再生してもおかしくはない。しかし実際は、三頭いたものが一頭になっている。
「ええ。彼らは【三等犬】。私の異能を三頭の内の一頭に行使した時、他の二頭に影響が出なかったことを考えれば、彼らはそれぞれ別の意識を持っていることが確定的です。ですが、これだけ似通った外見に、連携の完成度の高さ。関連性が皆無だとは思えない」
「そりゃまあ……、確かに」
「私は資料を見た時、とある仮説を立てました。【三等犬】という名前は三頭のラルヴァがあまりにも似通っているが為につけられた名ですが、其処には別の意味が隠されているのではないかと考えたのです」
「というと?」
いちいち思考の足跡まで語るのは織姫の悪いところだと澄斗は思っていたが、そんな文句をつけられるはずも無いので黙って相槌を打つ。彼が興味を持つのは要点だけだった。
「つまり、三等分した、という意味があるのではないかと考えたのです。元より三つ等しいものがあるのではなく、一つのものを三等分したのではないかと」
「一つの生命に三つの意識」
「そう。殺すのならば、三頭同時に殺す必要があるのではないかと考えました」
胴を断たれても、首を落とされても再生するラルヴァ。その生命は個体で完結することがなく、三頭で共有することによって致命傷を避ける。三頭の中に核となる生命など無く、無限に用意される三つのビーカーと、そこに注がれる巨大な一つの生命だけがある。
それを殺そうとするならば、とりあえず二つのやり方が考えられる。
一つは、新たなビーカーが用意される前に三つのビーカー全てを破壊してしまうという方法。人間が肉体を失うのと同様に、生命の受け皿を破壊されることは死を意味する。
しかしそれは、二人の戦力では実現不可能な方法であった。
もう一つは、三つのビーカーを一つに重ねてしまうという方法。元々一つの生物だったのならば、一つに戻してしまえば良い。そうすれば、どれだけその一頭が強大であったところで、織姫の異能を行使すれば良い。そういうことであった。
「どうやら推測が当たっていたようですね。【三等犬】は共食いのダメージは回復、再生出来ない。元々一頭だった姿に戻ろうとするだけです」
見れば確かに、最後まで残った【三等犬】はその姿を変えている。
体躯は二回りほど大きくなり、貧相だったその身体つきは太さと強靭さを感じさせる。薄かった体毛は今や暑苦しいほどであり、獰猛な面構えも更に磨きがかかっている。
その首に【斑の拘束】が巻き付いていることを感謝しながら、澄斗は呟く。
「しかし、何でコイツは三等分されてたんでしょうかね……?」
自然現象でないことは確かであろう。
「さて。私としては、どうやって、という部分に興味がありますね」
一つの生命をわざわざ三つに分ける。どこかで聞いたような話だな。
そんなことを考えながら呆けた表情を見せる澄斗に向かって、織姫は言う。
「【三等犬】を回収班に任せたら、迎えに行きましょうか」
「は?誰を?」
澄斗は虚を衝かれたような反応をしたが、織姫は微笑と共に答える。
「私の同級生を、ですよ。会ったことはありませんが、心細い思いをしているかも知れません」