極楽島《ごくらくじま》実篤《さねあつ》は恋多き男である。
長身で筋肉質の体格はまるでファッションモデルのようで、日本人離れした彫りの深い顔にはクマのような髭が生えている。それがまた彼のワイルドさを印象付けていて、これまでに何人もの女性と彼は付き合いを繰り返していた。
しかし女運は非常に悪く、その付き合ってきた女性全員に結婚詐欺や美人局を受けたのだ。騙され金を巻き上げられ、そのためせっかくの父親の遺産も底を尽きかけている。
そして十回目の結婚詐欺にあったその日、彼は傷心のまましんしんと雪の降る街を歩いていた。周囲は幸せそうなカップルが歩いていて、実篤は、自分はどうして女性に騙され続けるのだろうかと苦悶する。
彼自身は自覚がないのだろうが、実篤は恋した相手には盲目になり、信じ切ってしまう傾向にある。野性的な容姿とは相反したお人好しの性格が災いし、詐欺師から見ればネギを背負った鴨のように見えるのだろう。
身を切るような凍てついた空気の中、実篤は凍えそうな心と懐を温めるためにトレンチコートの襟を寄せて歩いていた。
恋人に騙され、父親の遺産がなくなってきた今、自分がやるべきことは仕事しかない。実篤はコートの内ポケットからカメラを取り出し、双葉区の自然公園の中へと入っていく。
実篤はカメラマンである。ただし彼の被写体は人間ではなく
ラルヴァだ。彼はラルヴァ専門のカメラマンであった。
ラルヴァ研究の資料のために、実篤はラルヴァを撮り続けた。特に目撃例の少ない希少なラルヴァを撮影すれば報酬も高くなる。ラルヴァ出現の頻度が高いこの辺りの公園へとやってくれば飯のタネにありつけるというわけである。
人気の無い公園でファインダーを覗いていると、灰色の雪雲と、氷の張っている小池が目に入った。今日は夜中まで雪は降り、どんどん気温が下がるらしい。風邪をひかないように、なるべく早く帰宅した方がいいかもしれないと実篤は思った。
ふっとカメラを目線から外すと、いつの間にかそこには一人の女が立っていた。小池の周りにある柵に背をもたれさせて、文庫本を読んでいる。
実篤は一目で恋に落ちた。
女はこの世のものとは思えないほどに美しい。日本人ではないのか、長く伸びたブロンドの髪と、降りゆく雪と同じような真っ白な肌。そして血のように真っ赤な瞳が特徴的だ。どれをとっても人間離れした美しさをしている。
いや――彼女は人間ではない。ラルヴァカメラマンとしての勘が、実篤にそう告げている。その証拠にこんなにも寒いのに、女は白息一つ吐いていなかったのだ。
「…………なに? さっきから私のことをじろじろと見て」
つんっと張りつめた空気に澄んだ声が響く。女は実篤に気づき、目をこっちに向けた。その拍子に彼女の口から、輝くような犬歯が見える。彼女の足元には影すらもなかった。実篤には彼女の正体に察しがついた。
「あんた、吸血鬼か」
「だったらなんだっていうのよ。私は別に悪さしていないわ」
「いや、すまない。別に俺はバンパイヤハンターでも、
双葉学園の戦士でもない。あんたに危害を加えるつもりはないよ」
「そう。ならあっちに行っていてちょうだい」
吸血鬼はぷいっと顔を背けて読書に戻った。こんな寒空の下で読書なんて体に悪いと思ったが、もとより体温の無い吸血鬼には関係がないのだろう。
こうして邪見に扱われれば、たいていの男は引き下がるが、実篤は違った。イタリアに留学したこともあってか、彼の気質は恋愛に対して積極的で、非常に情熱的である。
「お嬢さん。俺のカメラのモデルになってくれないか?」
「はぁ?」
吸血鬼は心底嫌そうな顔をしたが、さっきまで傷心状態だった間抜け顔から、精悍な顔つきに戻っている実篤を見て眉を上げた。
「へえ。よく見るとあなた結構かっこいいじゃない。それに、髭のせいでそうは見えないけどまだ若いわね?」
「ああ。これでもまだ二十八だ」
「そうなんだ。意外だわ」
吸血鬼は実篤に関心を持ったようで、彼の顔に手を触れた。彼女の手は背筋の凍るような、ぞっとする冷たさである。しかし今の実篤にはそれが心地よかった。
「俺はラルヴァ専門のカメラマンなんだ。あんたを撮らせてくれ」
「ふうん。別に吸血鬼なんて珍しいラルヴァじゃないじゃない。私に頼まなくたっていくらでも他にいるでしょう」
「いや、俺はきみ以上に美しい吸血鬼を知らない。俺はもっとも美しいものを撮りたいんだ」
「あら褒め上手ね。いいわよ。私だってこれでも貴族だもの。ケチ臭いことは言わないわ。綺麗に撮ってくれるならいくらでもどうぞ。写真なんて撮られたことないから、少し緊張するのだけれど」
「ありがとう。じゃあ俺と、少しだけでいいからデートしてくれないか」
「デート?」
不審そうに吸血鬼は実篤を睨む。
「ああ。俺はできるだけ被写体の自然な姿を撮りたいんだ。ごく普通に笑っている、きみを俺は撮りたい」
「ほんと、ナンパ上手ねあなたは」
吸血鬼はくすっと笑い、実篤の手を取り、雪の積もった道を歩き始めた。
「それじゃあ、デートに行きましょう」