「月岡さんは月の軌道を計算して、接近するペースに変化が無いか見張っていて下さい。あと資料を調べたり皆の連絡係をして欲しい」
「はい、分りました」
輝は計算の得意な月岡雪に月の軌道計算と監視を頼んだ。
1日50㎞ものペースで地球に近づいてきている月だが、今後も同じペースを維持するとは限らない。
遅まればそれだけ時間的猶予は長くなる。だがもしこれ以上早まった場合、猶予は今よりグッと短くなる可能性があるのだ。
これは時間との戦いだ。常に月の軌道を監視しておく必要があった。その重責を、優等生の雪なら担ってくれると輝は信じたのだった。
「睦月くんは私達と共に行動して欲しい。取り敢えずは、この現象が自然現象によるものなのか、それとも人為的に引き起こされている事なのかから調べたい」
「まっかせてよ! パシリでも何でもやっちゃうよ~」
睦月は計算はそれほど得意では無いが妙な知識だけは意外と持っている。それに体力があり顔が広い。その知識と体力、顔の広さが今後、行動する上で何かの役に立つかもしれない。
輝は指令役として、甕は得意の占星術で未来を見通す役がある。役割分担も決まった所で、具体的にどうするか、元凶をどう探し出すかを考えなければならない。
4人は研究室の席について考えをまとめる事にした。
「自然現象とは考えづらいね。テレビの報道や星の運行を見るに、他に異常現象が起こっている様子は無いようだ」
「となると、やはり人為的……と言う事になりますか」
まず甕が発言した。甕の予知や予見は絶対だ。それに輝に声をかけた事から、輝や雪よりも前からこの現象が起こる事を知っていた事は明白だった。
その甕が自然現象では無いと言う事は、その可能性が高い。
しかしそう考えると、月を地球に引き寄せる事が出来る
異能力者などこの世にいるのだろうかと言う疑問もある。
月までの距離、約384400㎞もの遠隔まで力を及ぼせ、且つ、約7.3458×10^22㎏もの質量体を引き寄せるなど、そんな事が果たして出来るのだろうか。
「この学園にも念動力を使える超能力者は数多くいますけど、そんなに大きな力の使い手は聞いた事もありません」
「確かに……醒徒会長なら月を砕く位の事出来そうなイメージはありますがね」
重苦しい空気を少しでも和ませようと、軽いジョークのつもりでそんな事を言ってみる29歳独身男性。
ハハハと言うたった一人の笑いが研究室に寂しくこだまする中、3人のじと~っとした視線を受けて「ごめんなさい」と小声で謝る。
下らない洒落で会話が途切れた机だったが、醒徒会長と言う言葉を聞いてから考え込むように首を捻っていた睦月が、手をポンと叩いて会話再開の報せを告げる。
「あっ、超能力じゃないなら魔術なんじゃない?」
魔術。それは魂源力を源として発現させる異能力の一系統。
超能力系、
身体強化系、
超科学系、魔術系。異能力は超能力系と身体強化系が最も多く確認されており、超科学系と魔術系は前者二つに比べその使い手は少ない。
「何かで聞いた事あるよ。式神だか護法童子だかを使って遠くにある物を持ってくる術があるって」
「術……」
睦月がオカルト的知識を持っていた事は意外だったが、輝は(その可能性は案外高いかもな)と思った。
魔術系は超能力系と違い即効性に乏しい事や準備や発動条件が必要な事で知られている。
一般的にこの弱点とも呼べる特性と扱いの難しさにおいて、異能力者の間では発現する事や習得する事を敬遠されがちな能力であるが、それを補って余りある効果も術の種類によってはある事も事実だ。
まず魔術は魂源力を持ちながら能力として発現しなかった者が、後天的に習得できる可能性があると言う事。
そして仕込みや発動条件が厳しい分、その効果範囲や威力を桁違いに高める事が出来ると言う利点を持つのだ。
充分な仕込みや下準備を施し、長年溜めた大量の魂源力を込めて術を行使すれば、或いは……。
「睦月の言う事が当たっているなら、元凶は陰陽道か密教系の術者に絞られるね」
「魔術師も強力な使い魔を使役している人なら可能かもしれないよ~」
月を地球に牽引している犯人は魔術系の異能力者である可能性が高まった。
しかし陰陽道から密教系、魔法、可能性を考慮するなら道術やヒンドゥー系の呪術まで捜索の手を広めなければならない。
魔術系の異能力者と判ったまでは良いが、これでもまだ探す対象が多すぎるのだ。
この
双葉学園だけでも魔術系の異能力者など何百人といるし、世界中の魔術系異能力者ともなれば何万では利かない数がいるだろう。そんなもの調べ上げていたら時間がいくらあっても足りないと言うもの。
もっと絞り込める情報が欲しかった。しかし魔術系異能力に詳しい知人は残念ながら輝にはいない。
雪もそれは同様のようだし、頼みの綱の睦月もうんうん唸って必死に該当する知識を持った知人を思い出しているようだが、望みは薄そうだ。
「私に一柱(ひとり)心当たりがある」
そんな時、甕が救いの手を差し伸べる。
甕は羽織の袖から何と携帯電話を取り出し操作し始めた。羽織袴ルックとは言え袖の中から携帯電話を出す光景はそれなりにシュールだ。
ポニーテールに結った髪を掻き上げ携帯を耳に当てた姿は、甕の中性的で美しいルックスと相まって、奇妙だが幻想的な光景を書類の山に埋もれ雑然とした研究室に作り出していた。
輝が甕に訊ねる。
「心当たりって一体誰ですか?」
「八意思兼(やごころおもいかね)だよ」
八意思兼。その単語を聞いて雪が驚きの声を上げた。
知識欲旺盛で読書が趣味の彼女は知っていたのだろう。日本神話の中にそんな名の神が出て来た事を。
「やごこ……え? ひょっとして八意思兼神? 日本神話の? えぇ!?」
「あ、私。天津甕星だよ。……あぁ、元気にやっているよ」
続いて天津甕星の名前にも反応したが、電話中に騒ぐほど常識の無い少女ではない。
しかし自分の驚きを他の人にも伝えたくて仕方が無い雪は、睦月にソッと耳打ちで知らせた。
「何言ってるんだい。天津神の封印はもう200年も前に解けているよ。おいおい、しっかりしてくれよ。ボケるにはまだ早いだろう?」
書によれば天津甕星は高天原平定の際、1人だけ従わなかった為誅されたとあったが、実際は封印され2000年近くもどこかに閉じ込められていたと言う事なのだろうか。
まぁ、甕の天真爛漫な性格を考えれば日本書紀にある話も結構真実だったのかもしれない。
「……あの人何者なんですか? まさか本当に神様なんですか?」
「私も良く分りません」
輝は今更驚くのも面倒とばかりに頭を掻いて見せた。
3人は人間のように携帯電話を使い気軽に日常会話をする神様を見て、(電話料金は誰が出しているんだろう)と月の接近を忘れ、暫し奇妙な物思いに馳せた。
「月を引き寄せるような術を知っているかい? ……ふむふむ、それは本当かい? フフッ、なるほど」
何か判ったらしい甕に3人は期待を寄せた。
八意思兼と言えば日本神話における知恵の神だ。その神が教えてくれた事ならば信憑性は充分あると言える。
電話が終わるのを今か今かと待つ3人。そして甕の電話がついに別れの挨拶に入った。
「ありがとう、参考になったよ。今度こっちに遊びに来てくれ。……そう億劫がらないで、車で迎えに行くから」
車で迎えに行くとは、この神様は自動車まで持っているのだろうか?謎は深まるばかりだが、今はそんな事を突っ込んでいる場合ではない。
睦月と雪の期待に応えるべく、輝は早速甕に事の次第を訊いた。
「何か判りましたか?」
「あぁ、犯人は密教僧に絞れたよ」
密教僧。つまり仏教関係の者がこの事件を引き起こしている犯人と言う事になる。
とは言え、まだこの広い世界のどこに居る何者が犯人なのかまでは特定できていない。
何も分らなかった最初に比べれば格段に捜査は進んだが、これは思ったよりも難しい問題になりそうだと輝は思った。
「ここまでは良かったですが、犯人がどこにいるのかまでは分らなかったのですか?」
「さぁ、流石にそこまでは思兼も知らないだろうね」
甕の言葉に3人は溜息をついた。
いくら神様とは言え日本神話の神は西洋一神教の神と違い万能ではない。それぞれ専門分野の事しか出来ないのだ。
話が一気に進むと期待した3人だったが、世の中そう甘くない事を思い知らされたのだった。
が、甕は腕を組んでなおも偉そうに踏ん反り返っている。
そして得意満面な笑みでこう言うのだ。
「君達、私は占星術が得意な事を忘れたのかな?」
占星術と聞いて輝が弾けた様に顔を上げた。
そうなのだ。占星術は何も未来予知だけが目的では無い。失せ物探しや金運、学問、恋愛、色々な事が占えるのだ。
つまり、人探しである今回の一件も、これだけ情報が集まっていれば探せるかもしれないと言う事だ。
「分るのですか!? 星占いで犯人の場所が!」
輝は期待を込めて甕に問う。
この現象の調査は元はと言えば天津甕星と出会った所から始まった。その天津甕星が事件解決に大きく貢献してくれるのなら、これ程良い話は無い。
3人のキラキラとした尊敬の眼差しを楽しみつつ、甕は人差し指を立てて言い切った。
「時間はかかるけど、今晩一晩星と語らえば分るかもしれないね」
『やったーーー!』
3人は手を取り合って喜んだ。
地球の未来がかかった事件を、一晩でこんなに進展させたのだ。
あとは翌日から犯人探しをするだけ。時間的余裕はまだまだあるし、これはもう勝ったも同然だと思った。
「その代わり一つお願いがあるんだけど、良いかな?」
「良いですよ! 僕に出来る事なら何だって言って下さい」
「この事件が解決したら運転手を頼みたいんだ。あと車も用意してもらいたい」
その言葉を聞いて3人は頭上にクエルチョンマークを浮かべた。
この神様は、まさか車も持っていないのに無責任に「車で迎えに行く」などと言っていたと言うのか。
さっきまでの尊敬の念は一瞬で消し飛び、再び甕の評価は天真爛漫で面の皮の厚い身勝手な神と言う最低なものに戻ってしまった。
「あぁは言ったけど、実は持っていなくてね。頼むよ先生」
「……分りました」
(分るかもしれないと言う事は、分らない可能性もあるんだよなぁ)そんな嫌な予感が3人の脳裏をよぎった。