「ねえ枕木《まくらぎ》くん。あなた学校童子《がっこうわらし》なんでしょ。なんでも生徒の頼みごとを聞いてくれるっていう」
放課後、枕木|歩《あゆむ》が帰宅しようと校門を出ようとすると、クラスメイトの山内《やまうち》小百合《さゆり》が話しかけてきた。
「正確には代理だけどね。それで、頼み事ってなんの用だい。僕はどんな些細な悩みでもちゃんと聞いてあげるよ」
きざったらしく学帽のツバを上げて枕木はそう言ったが、意外にも小百合は「違う違う」と手を横に振った。
「悩み相談じゃなくて頼みごと。今日私の親帰って来るの遅いから、妹の世話を頼まれているのよ」
「ふうん、立派じゃないか」
「でも、私これから彼氏とデートだからさー、ごめん。夜まで妹の遊び相手をお願いね!」
「へ?」
ぱんっと両手を合わせて小百合は一度枕木に頭を下げると、彼女の後ろにいた、ランドセルを背負っている小さな女の子を前へ押しやり、枕木と向き合わせる。ツインテールがよく似合っている可愛らしい女の子だ。
「これ妹のさくら。じゃあよろしくねー!」
「ちょ、ちょっと待ってよ山内さん!」
返事も待たずに、小百合はスカートを翻しながら校門を飛び出して行ってしまった。あとに残された枕木は茫然とするだけだった。
「ちぇっ、学校童子は便利屋じゃないんだけどな」
愚痴りながらどうしたものかと頭を掻いていると、さくらがちょいちょいっと小さな手で彼の袖を引っ張った。
「ああ、えっと、さくらちゃん――だっけ。きみのお姉ちゃんが言った通り、僕が夜まで遊んであげるからね。寂しくないよ」
「なに言ってるの。あたちは全然さみしくないわ。お姉ちゃんなんか居たってどうせ遊んでくれないもの。どうでもいいのよ。それに遊び友達ならたくさんいるわ。ほら、あたちってばケータイにいっぱい友達のアドレスが入ってるのよ、すごいでしょ」
やけにませた物言いに枕木は面食らう。さくらは子供用の携帯電話をポチポチと慣れた手つきで操っていた。
「で、でも。僕も頼まれちゃったからね。きみに付き合うことにするよ」
「ふん。あんたみたいな芋っぽい人なんてこのあたちに相応しくないわ。ボーイフレンドならたくさんいるもの。間に合ってるわ」
「そうもいかないよ。最近は何かと物騒だしね」
ここ最近子供の誘拐事件が多発しているということを枕木は聞いていた。警察も
風紀委員も犯人を追っているらしい。
「仕方ないわね。わかったわマクラギ」
「……せめてお兄ちゃんって呼んでくれないかな。まあいいや。さくらちゃんの言うことはなんでも聞くから、僕と一緒に行こう」
生意気なさくらに苦笑いしながらも枕木は手を差し出した。さくらはムスっとしていたが、嫌々ながらも彼の手を取る。
「さくらちゃんいくつなの?」
「えっとね。えっとー、七つ!」
そう言ってさくらは自慢げに五本の指を向けた。それじゃあ五歳だ。しかし七つ、ということは初等部の一年なのだろう。生徒の悩みを解決する学校童子と言えど所詮枕木は代理だ。この年頃の相手はほとんどしたことがないので、枕木はどうしたらいいのかと考え込んでしまう。
枕木は肩車をしろと駄々をこねるさくらを担いで、ブラブラと双葉の街を歩いていた。
「ほらちゃんと歩きなさい。あなたはあたちの馬なんだからね」
「いて! いてて! 暴れないでってば。ああ、帽子が落ちるって!」
乱暴に枕木の背中を殴ったり、髪を引っ張ったりとさくらは好き放題していた。これはまた大変なお姫様を預かってしまったと後悔する。
「ところでさくらちゃん、何して遊びたい? 公園でも行く?」
「いやよ。あたちはそんな子供っぽい所で遊ばないわ」
「んー、じゃあゲームセンターとか。っても僕はお金あまり持ってないからなぁ……」
相手が小さくても男の子ならまだ遊びようがあるが、女の子相手となる何をして遊べばいいのかさっぱりわからない。
「ねえ。下ちて」
「え? なに?」
「下ろちてってば!」
「わ、わかったよ。ほんと自由だなきみは」
枕木は肩車を止め、さくらを慎重に下した。気が付けばいつのまにか賑やかな商店街へついてしまっていた。おいしそうな鯛焼きの匂いが枕木の鼻孔をくすぐる。
「ねえ、あたちあれ食べたい!」
「ええー。勘弁してよお姫様。僕だって少ない小遣いでやりくりしているんだぜ。それに今あんなの食べたら夕飯がお腹に入らなくなって怒られるよ」
「やだやだ食べたい!」
「ダメなものはダメだよ」
ここは年上としてびしっと言い聞かせなくてならないだろうと、枕木は強めの口調で言ったが、さくらはボロボロと涙を流し始めてしまった。
「うわーん! この人ロリコンだよー! あたちを誘拐しようとするよー!」
「わー! 何言ってるんだよさくらちゃん!」
枕木は慌ててさくらの手を口で塞ぐ。なんて子供だこの子は。枕木は周囲の白い眼から逃れるように、こそこそとさくらを鯛焼き屋まで連れて行った。元来お人好しの枕木にはさくらという小さな暴君は相性が悪いようだ。
「ほら、これ食べたら少しは僕の言うこと聞いて大人しくしててよね」
「もぐもぐ……うん、わかったぁ」
おいしそうに頬をほころばせて鯛焼きを食べる姿はやたら無邪気で、そこだけ見れば天使のように可愛い。食べ歩きは行儀が悪いだろうと、近くの公園のベンチに座ってさくらが鯛焼きを食べ終わるのを待った。
「ねえマクラギ。あたち隠れんぼしたい」
「え? 公園で遊ぶなんて子供っぽいって言ってたじゃないか」
「いいの。あたちがやりたいんだから。ほら、百数えて、あたち公園の中で隠れるから」
「しょうがないなぁ。遠くに行っちゃダメだからね」
やれやれと枕木は目を瞑り「いーちにーい……」と数を数え始めた。
「……きゅうじゅきゅっ、ひゃーく。さて、どこに隠れたのかな」
百数えた枕木は公園内をざっと見渡したが、さくらはどこにもいなかった。