幸福とは人の数だけ存在する。
枕木《まくらぎ》歩《あゆむ》が感じる幸せは随分とささいな事である。
「ふあー。おいしーなー」
右手にみたらし団子を三本、左手にあんこ団子を三本持って枕木は幸せな気分になっていた。口元にたくさんあんこをつけながら、顔がほころんでいる。
いつも枕木がやっている朝刊配達のアルバイト代が出たので、自分へのご褒美に月に一度はこうして贅沢をするのだ。今日は双葉区の下町にある屋台の団子屋で団子全種類三本ずつ食べて制覇しようと思っていた。
「それにしても坊主はよく食うなぁ。そんなにおれの作る団子は旨いか?」
「最高だよおじさん……むしゃむしゃ。むぐむぐ。みたらしもあんこ団子も天下一品だね。あっ、次は三色団子をお願いね」
「あいよ。若いので団子を好きってやつは最近じゃ珍しいからな。おじさんは嬉しいよ。ほら、お茶はサービスだから、喉痞えないに気を付けるんだぞ」
「大丈夫ですよ。たははは……んぐっ、ぶほっ!」
団子を喉につっかえた枕木はアツアツのお茶を飲んでさらにむせてしまった。
「あー、マクラギだー!」
「何食べてるんだよ。ぼくらにもくれよー!」
「よこせよこせ!」
枕木がそうして屋台に座りながら団子を食べていると、帰宅中の小さな子供たちが彼をぞろぞろと取り囲んた。
「だ、ダメだよ。これは僕のだぞ!」
子供たちに団子を取られないように、枕木は必死に団子を背に隠したが、子供たちの数はどんどん増えていきどうしようもなくなってきた。まったくいつもこうだ。少し前に駄菓子屋で低学年の子たちにお菓子を買ってあげたものだから、それ以降しょっちゅうねだられるようになってしまった。
「あっ、団子だ。こいつ団子いっぱい食べてるぞ!」
鼻水をたらしているくりくり坊主が枕木の隣に置いてある串の置かれた空き皿を見てそうはしゃいだ。枕木は諦めて子供たちに団子を明け渡す。
「ほら。もうこれあげるからあっち行けってばー」
だが枕木が手に持っていた団子だけでは、今この場にいる子供の数に足りないのであった。
「ずるい。わたしも食べたい!」
「ぼくも~」
という不満の声があっちやこっちから聞こえてくる。困ってしまった枕木はついつい言ってしまった。
「わかったよ! みんな奢ってあげるから静かにしてよ!」
言った後すぐに後悔したが、子供たちは一斉に歓声を上げて団子屋の店主に好き放題注文を始める。
「とほほ……。もうこれで財布の中空っぽだよ」
財布を縦に振っても小銭一つ落ちてこない。一ヶ月分のアルバイト代が一瞬で消え失せてしまった。あまりの虚しさに目の前が真っ暗になってしまう。
「悪いな坊主、儲けさせてもらって」
子供たちのために大量の団子を作っている団子屋の店主は上機嫌である。ああ、あの団子も本当は全部自分が食べるはずだったのに。枕木は涎を垂らしながら肩をがっくりと落とす。
「まあ、でもいいよ。みんなおいしそうに食べてるし」
もぐもぐと団子を頬張る子供たちの笑顔を見て枕木は満足する。
「ほんと坊主はお人好しだなぁ」
団子を全部取られても怒りもしない枕木に店主はそう言った。
「はあ。僕がお人好し? そう?」
「そうさ。でもそんなんじゃ人生損するばかりだぞ。例えばだな――」
店主はいきなり説教を始めた。このおじさんの話は長いんだよなと、枕木はそそくさと退散する。
「お人好しは人生損をする――か」
枕木は学帽を指でくるくると回しながら夕暮れの帰宅道を歩いていた。
お人好し、と言えば聞こえはいいが、結局のところ自分は流されやすいだけなんじゃないかと枕木は思った。教室の掃除をおしつけられても断れないし、弁当を忘れた子に自分の弁当を全部あげたりもした。
「僕ってばやっぱり損してるのかなぁ……」
でも困った人を見たら放っておけない。だから枕木は学校童子《がっこうわらし》になったのだ。結局のところ自分は人の笑顔が好きで、その笑顔を見るために学校童子をしている。そう、全部自分のためなのだ。それこそが自分の得であり、損なのでは決してない。枕木はそう自己分析しながら自宅のある下町の路地へと入っていく。
「あれ。ここどこだ?」
だが考え事をしている内に、帰宅道とは違う妙な道に入ってしまった。
引っ越してきて一年も経つのに、こんな道は初めて見た気がする。
日が落ちかけているせいで周囲は薄暗く、景色もよくわからない。だが明らかに見たこともない場所だ。周りを見渡しても人気は無く、草木がざわめき、煙突の影がにゅーっと伸びている。まるで現実味の無い感じがした。
「まあいいや。そのうち知ってる道に出るさ」
能天気な枕木は鼻歌を刻みながらそのままあてもなく歩いた。すると、道の隅に何やら座り込んでいる人影が見えた。
何かしらん、と思った枕木は、その人影の方へと近づいて行く。
その人影は小さな物で子供のようだ。その坊主頭の男の子は道の隅にうずくまり、何やら泣いているような気がした。
「どうしたのきみ。迷子? どこに住んでいる子なの?」
可哀想に、こんなに肩を震わして怖かったのだろう。枕木は思わず男の子に話しかけていた。すると男の子は枕木に気が付いたのか、かすかにこちらを向いた。
「違うよ。おいらは迷子じゃないよ。ちょっと悲しいことがあったんだ」
男の子は顔を半分枕木に向けながら、しくしくと目から涙を溢れさせている。
「なんで泣いてるんだい。僕でよかったら相談に乗るよ。僕は子供の頼みを聞いてあげる学校童子という妖怪の代理人なのさ」
困っている子がいるなら放っておかない。それが枕木の生き方だった。自分も色んな人に助けられて生きているのだから、人を助けるのは当然だと思っている。
「ほんとに? おいらの頼みを聞いてくれるのかい?」
「勿論。僕にできることなら力になるよ」
枕木がそう言うと、男の子はすっくと立ち上がり、枕木と向き合った。
「じゃあお兄ちゃんの右目をおいらに貸してくれよ。明日野球の試合があるのに、監督に一つしか目がない奴はボールなんか取れないから、試合に出させないって言われたんだ!」
枕木は男の子の顔を見て腰を抜かしそうになった。
なんということだろう、男の子の顔面には目が一つしかなかったのだ。彼は妖怪一つ目小僧であった。だが恐ろしい化物《
ラルヴァ》というわけでもなく、舌を出していて愛嬌のある顔だ。特徴的な一つ目からはボロボロと涙が溢れている。彼はバットとグローブを手に持っていて、野球少年だということは本当のようだ。
「うう。そんな酷いことを言われたのか。かわいそうに。ラルヴァだって野球やる権利はあるもんなぁ」
枕木はすっかり一つ目小僧に同情してしまった。つられ泣きをしてしまい、ハンカチがいくらあっても足りない。
「よし。わかった。明日には返してくれるって言うなら、僕の粗末な目でよければ貸してあげるよ」
「ほんと? ありがとうお兄ちゃん!」
一つ目小僧はさっと枕木の右目に手を伸ばした。
そんなこんなで時間は過ぎ、妖怪変化が現れやすい黄昏時がやってきた。もっとも枕木は時間の感覚がわからないので、アナログ時計の針を指で触れて時間を確認していた。
『さて、そろそろまたあの物の怪小道に行ってみよう』
あそこに行けばまたラルヴァたちに出会って、顔を返して貰えることだろう。枕木は視覚も聴覚も失ってはいるが、なんとか自身の念波を反響させて空間を把握する。この時間なら人は外を歩いてないし、車の通りもほとんど無い。安全に歩くことができるだろう。
琵琶法師に教えられた道順を遡って、枕木は異界に繋がる物の怪小道へと入っていった。
「そこの人間さん!」
すると誰かが枕木に、テレパシーで話しかけてきた。
「やあ、おいらは一つ目小僧だよ。お兄ちゃんのおかげで試合に勝つことができたんだ。さあ目を返しに来たよ!」
「俺はサイクロプスだ。デートは上手くいったぜ。あんたのおかげだ。さあ借りていたものを返すぜ」
その言葉と共に、枕木に視界が戻った。目の前には一つ目小僧とサイクロプスが立っていた。どうやら約束通り目を返しに来てくれたらしい。
いや彼らだけではない、その後ろには琵琶法師や山梔子姫もいて、みんな枕木にお礼を言っているようだった。
「あなたのおかげでこの山梔子姫はカラオケ大会で優勝できました。では、この口をあなたにお返ししましょう」
「いやあ、本当にいいライブだった。これもきみのおかげだ。さあ、耳を返しに来ましたよ」
ラルヴァたちはみんな顔を返しに来てくれた。やっぱり彼らは嘘つきなんかではなく、信用できる誠実なラルヴァだったのだ。
次々と顔のパーツを返された枕木は、喜びの声を上げる。
「やったぁ。喋れるって素晴らしい。聞こえるっていいなぁ。見えるって幸せだ!」
薄平茸の心配は杞憂だった。枕木の顔にはすべてのパーツが戻り、すべてが正常になったのだ。枕木は自分の行動が報われたことに心底感動した。
「あなたは本当にいい人だ。確か人間界では『お返しは倍返し』という言葉があるそうですね。我々もそれに習おうと思いました」
琵琶法師がそう言うと、他のラルヴァたちもうんうんと頷く。
「いやあ。お礼なんていりませんよ。僕は自分がしたいことをしただけですから」
枕木は見返りを求めてはいなかった。こうしてきちんと顔を返してくれたならそれで満足だ。だがラルヴァたちは首を横に振る。
「それでは我々が納得できません。どうか倍返しのお礼を受け取ってください」
「いや、だから別にいらな……」
「そう遠慮なさらずに。さあどうぞ」
枕木が嫌がるのもわからずに、ラルヴァたちは彼に倍返しをしたのだった。