「――ということが昨日あったんだ先生。捜査の立会いで足止めを喰らうわ、遅く帰ることになって妻に怒られるわで、とんだ災難でしたよ」
アガリを飲みながら俺がそう言うと、ちょうどマグロの握り寿司を醤油につけていた稲生《いのう》先生は嫌そうな顔をして箸を止めた。
「葉山《はやま》くん。食事中にそういう話はやめにしないか」
「ああ。すいません。ですけど、今日は先生の意見を聞きたくて会いに来たんですよ」
「なるほど。それで今日は奢ると言ったんだね」
「ええ、まあ。見透かされてますね俺」
「きみは昔から考えていることが顔に出るからね」
轢死体と遭遇した翌日、俺は稲生先生の研究室に訪れた。久しぶりだというのに先生は俺の顔を覚えていてくれたのが嬉しかった。
先生は異能研究をしている優秀な学者で、
双葉学園でも異能の講師をしている。
そして俺の恩師でもある。
双葉学園を卒業した俺もまた、彼の講義を受けていた。先生の講義がなかったら、俺は異能犯罪を捜査する刑事を目指すこともなかっただろう。
俺は昨日、男が自殺したことについて疑問を抱いた。その疑問を先生に聞いてもらう口実に食事に誘ったのだ。場所は双葉区にある一皿百円の回転寿司。普通の寿司はさすがに俺の給料では厳しい。
「それで、その話をして私に何か聞きたいことがあるのかな」
「はい。その飛び込み自殺、地元の警察は事件性なしとして普通に自殺として処理しました。ですが、俺は少し変だって思ったんですよ」
「変? その男性に何か変わったことでもあったのかね」
「ええ。男は飛び込む直前、栄養ドリンクを手にしていました。調べによると、その栄養ドリンクはホームの売店で買ったものらしいです」
「なるほどそれは妙だ」
頭の切れる稲生先生はすぐさまその異常な男の行動に気づいたようだ。
自殺をする人間が、死ぬ直前に栄養ドリンクなど買うとは思えない。
しかもそのドリンクはまだ開けられておらず、飲んだわけでもないのだ。地元警察の情報によると、男が勤めているのはブラック会社らしく、忙殺されそうだったのだという。
不景気の昨今、人員削除で人手が減り、その分一人が負う仕事の量が増えたという。残業に休日出勤、つねづね男は同僚や妻に「働くぐらいなら死にたい」と漏らすほど、過労気味だったらしい。
少しでも疲労を和らげるために、毎日のように栄養ドリンクを飲むのが日課になっていたようだ。
俺がその辺りの情報を先生に話すと、考えるようにしながら回ってくる寿司の皿を取っていた。
「もし自殺じゃないとしたら、なぜ男性は線路に飛び降りたのか。それが問題だね」
「その通りです。確かに男には自殺をする動機はあります。俺が見た飛び込む直前の男の表情も暗かった。だけど、だからと言って男が本当に自殺したくて自殺したのかわからないじゃないですか」
「だけど状況はすべて男性の自殺を示しているね。私に相談をしてきたってことは、葉山くん。きみは異能者の仕業で男性が亡くなったと考えているのかね」
「それはまだわかりません。ですが、俺は帰った後少しあの駅について調べたんです。そうしたら、ここ数年間、あの駅では十人以上の人間が自殺をしていたんですよ。あんな小さな駅でこの自殺者の数は異常です」
それゆえにあの駅は自殺の名所とも言われている。自殺者の幽霊が引きずり込んでいるという噂もある。だが調べたところ幽霊や
ラルヴァの存在や痕跡は確認できなかった。だとするならば残る可能性は異能者の攻撃だ。
俺は今まで刑事として、異能を犯罪に悪用するやつをごまんと見てきた。当然、その中には凶悪な殺人者もいる。
もしこのいくつもの自殺とされてきた出来事が、異能者の仕業ならば、俺はそれを許すわけにはいかないのだ。
「ふむ。その増えた自殺者たちもまた、皆自殺する理由のあった人たちばかりかい?」
「ええ。双葉の刑事だと名乗って地元の警察に当時の資料を見せて貰いました。みんな自殺以外を疑う余地のない人たちばかりでしたよ」
「ではやはり、ただの自殺じゃないかい。年間の飛び込み自殺の件数を葉山くんは知っているだろう」
「ええ。年々増えています。今じゃ七百件を超えていますからね」
「その七百の内数件が、その駅に集中していても不思議ではないかもしれないね」
「そんな偶然、ありえません」
「簡単にありえない、と切って捨ててしまうのは可能性を探る者として愚の行いだよ葉山くん。きみの杞憂ということも考慮しなくてはいけない」
「それはそうですが」
先生にそう言われると、自信が無くなる。俺がしているのは無意味なことかもしれないと。
「だがこうして私を頼ってきてくれたんだ。私はきみの刑事としての勘を信じることにすしよう。ここの奢りの分ぐらいは、働かせてもらうよ」
「……先生!」
「ではまず、これが異能者の仕業だとしたら、どんな異能が使われたのか考えてみようじゃないか。何か意見はあるかね葉山くん」
先生にそんな風に言われ、俺は先生の講義を受けていた頃を思い出した。懐かしさがこみあげてきて、なんとも言えない気持ちになる。
「……念動力《サイコキネシス》、ならばそれが可能じゃないでしょうか。誰かが男の身体を操って、線路に落とした、とか」
「ふむ。男が線路に落ちる時の様子はどうだっただろうか」
「なんだか生気の抜けた、まさに自殺する寸前の様子でした」
「ならば念動力によって強制的に落とされた、ということはなさそうだね。それならば彼も悲鳴を上げるだろうし、それでなくとも表情は変わるはずだ」
「ってことは。考えうるのは精神操作系の異能ですか」
「異能の仕業というなら、それが一番可能性高いだろうね」
精神操作系は性質が悪い。
もし仮に異能による攻撃で、男を洗脳し、自殺するように命令を出していたならば犯人の特定は難しい。
「ですが先生。男は死の直前に栄養ドリンクを買っていました。洗脳されていたならそんな自分のための行動をすることはありえませんよ」
「そうだね。洗脳されれば本人の意思は消え、命令以外の行動は限定されることになる。栄養ドリンクを買う行動は不自然だ」
「じゃあ、精神操作でもないんですかね」
「いや。精神操作だ。私の考えが正しければ、だが」
「え?」
「精神操作と言っても洗脳能力であるとは限らない。自殺者たちがそれぞれ、自殺しても不自然ではないほどの環境にいたのならば、ほんの少しだけ背中を押すだけで事足りるんだ。背中を押すと言っても、物理的な話ではないよ」
「どういうことですか」
「自殺者の多くは躁鬱状態の躁の時に自殺する。鬱々としているときは、自殺する決心もつかないらしい。ならばわずかに脳に干渉し、鬱から躁へと返ることができたならば――」
「簡単に自殺に追いやることができる、てことですか。でもそんなの上手くいかないんじゃないですか」
鬱から躁へと強制的に切り替えさせたとしても、それで必ず自殺するとは限らないではないか。むしろそれでも踏みとどまる人間の方が圧倒的に多い。
「そうだよ。きっと仕掛けた人間は、どうしても相手を自殺させたいと思っているわけではないだろう」
「え?」
「“犯人”は何回に一度、いや、何百回に一度成功すればいいと思っているはずだ。それが犯人の動機。犯人の手口さ」
稲生先生は“犯人”と言った。先生の中で、何かが確信に近づいているようだった。
「でも誰が彼らの感情を操作したんですか。それがわからなければ、まだまだ自殺者は増えますよ」
「この手の精神操作は対象のすぐ近くにいなければならない。多くの場合、相手と目を合わせるか、肌に直接触れる必要があるだろう。私は以前広範囲に影響を出すテレパスと出会ったことがあるが、それはレアケースだ。それだけの異能ならばもっと被害が出ているはずだろう。春奈《はるな》先生も同じく広範囲テレパスだが、彼女の場合は送受信が可能なだけで他者の微細な感情操作は不可能だ」
「でも誰が過去に彼らに接触したかなんて今更調べるのは……」
「いや、自殺者全員に関係を持っている人物が一人だけいるはずだ」
「どういうことですか」
「葉山くん。考えるべきは、自殺者が――その中年男性がいつ鬱から躁に切り替えられたか、だ。少なくとも栄養ドリンクを買った段階では、彼は自殺をしようとは思っていなかったはずだ」
「だったらいつ男は異能者の攻撃を」
「……その前に葉山くん。一つだけ調べてもらえるかな。それが裏付けになるはずだ」
稲生先生は備え付けのガリをポリポリと食べながら意味深なことを言った。
「先生。俺は一体何を調べれば」
「ここ数年間の、その駅で自殺した人たちの持ち物さ」