「ママ! ちょっとお出かけしてくるわ! おともだちと遊ぶの!」
キッチンでクッキーを焼いていると、シルヴィアがマフラーを巻きながら言った。まだ六歳のシルヴィアが外で遊ぶのは心配だったけれど、家に閉じ込めておくわけにもいかない。
私は「車に気を付けるのよ」とシルヴィアの白い額にキスをする。ふんわりとしたブロンドの髪を撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。
「うん。わたし気を付けるわ。じゃあいってきまーす!」
「三時のおやつまでには帰るのよー!」
「はーい!」
お気に入りの靴を履いてシルヴィアが元気よく玄関を飛び出していくのを見送り、私は再びキッチンへと挑む。
少し前まで双葉大学の研究生だった私は、今こうして自分が主婦として――母親としてお菓子作りに励んでいることが少しおかしかった。
ラルヴァの研究に明け暮れていた頃はこんな日が来るとは夢にも思っていなかったのだ。もし夫のニコラスと出会っていなければ、私の人生はもっと味気のないものだったに違いない。
シルヴィアは私の実の娘ではない。ニコラスの連れ子だ。だけど私はシルヴィアを実の娘のように、あるいはそれ以上に愛しているし、シルヴィアもまた私のことを母として慕っていてくれているようだった。
夫のニコラスと結婚したのはつい一年前のことだ。
アメリカの研究機関から派遣されてきた彼と、
双葉学園のラルヴァ研究室で出会ったのがなれ初めだった。バツイチで子持ちのニコラスとの結婚に父は猛反対したが、それも雪解けというのか、少し前に話をし、父もニコラスとシルヴィアを気に入りもうすっかりわだかまりはない。
私は幸せだ。家族に恵まれた私はきっと幸せ者だ。
だけれど悩みがないわけではない。
「ママ! 大変! カナちゃんが怪我をしちゃったの!」
クッキーをオーブンに入れようとした時、シルヴィアが大声を上げて飛び込んできた。もう帰ってきたのかしら、と思ったのだがシルヴィアの青い瞳には大粒の涙がたまっており、ずいぶんと慌てているようだった。
「どうしたのシルヴィア。怪我をしたの? 見せてごらん」
「違うのママ。わたしじゃないわ。カナちゃんが怪我したの。転んじゃって足から血を流しているの。とっても痛そうだわ」
「そう。そのカナちゃんはどこにいるの?」
「ここよ。ここにいるわ」
そう言ってシルヴィアは自分のすぐ隣を指した。
だがそこには誰もいない。女の子どころか、誰一人隣には立っていない。
ああ、まただ。またこの子の変な遊びが始まった。私は頭を抱えながらも救急箱から絆創膏取り出してシルヴィアに手渡した。
「はい。カナちゃんに貼ってあげなさい」
「うん。ありがとうママ! カナちゃん、わたしの部屋に行こうよ。そうだママ。クッキー焼いてるならカナちゃんの分もお願いね。絶対よ」
そう言ってシルヴィアは誰もいない空間に手をだし、誰かの手を引っ張る真似をしながら階段を駆け上っていく。
カナちゃんというのはシルヴィアの架空の友達だ。
現実には存在しない、空想上の女の子。
いわゆる“イマジナリー・コンパニオン”と呼ばれる心理現象である。幼少期の子どもに見られる行動で、ごっこ遊びの延長のようなものだ。いもしない人物をでっちあげ、一緒に遊ぶというものである。珍しいことではなく、多くの人が幼いころに経験したことがあると思う。
だけれどシルヴィアの場合は少し堂に入っていた。演技や嘘とは思えないほどに、本当にそこに友達がいるかのように振る舞っている。私自身、本当は見えない誰かがそこにいるのではないかという錯覚に陥ることがある。
実際に私はそれを『透明人間』ではないかと疑った。体を透明化する異能者は確かに存在する。だが触れることはできないし、実害もないようでやはりただの空想上の友達なのだろう。
「大丈夫さ一葉。いずれそんなこともしなくなるさ。子供の成長っていうのは早いからね」
先日ニコラスに相談したところ笑いながらそう言った。確かにその通りだ。イマジナリー・コンパニオンはせいぜい数か月ぐらいしか続かない。
別に心配する必要はないのだ。
クッキーを焼いた私は、シルヴィアの部屋をノックした。
「はーい。入ってママ」
ドアを開けると、シルヴィアがお人形を持って遊んでいた。どうやら向かいにはカナちゃんがいるらしく、座布団が用意されている。
「クッキー持ってきたわよ。これだけしかないから二人で分けて食べるのよ」
私は一人分のクッキーを床に置く。仮にカナちゃんの分のクッキーを用意したとしても、結局食べるのはシルヴィアだ。そんなに食べては晩ごはんが食べられなくなる。
ジュースを一杯置いて戻ろうとすると、シルヴィアは頬を膨らませながら「カナちゃんのジュースは?」と怒り出した。
「ああ、ごめんね。うっかりしてたわ」
そうかジュースもカナちゃんの分も持ってこなくてはいけなかったか。子供のごっこ遊びを無碍にもできず、私はその遊びに付き合った。
空想上の友達との遊びは微笑ましいが、私はふとシルヴィアは友達を欲しがっているのではいかと、寂しいのではないかと思った。
私は週に数回ほど双葉学園のラルヴァ研究の講師として仕事にでかけることがある。そういう場合はいつも従弟のところに預けているのだが、それでもやはり寂しさを覚えているのかもしれない。
同年代の遊び相手を欲しがっているのだろう。だからこそ空想の友達を作り寂しさを紛らわしていたのかもしれない。そう思うと胸が締め付けられる思いだった。世話になった双葉学園には悪いけれど、もう少し講師の仕事を減らそう。もっとシルヴィアと一緒にいる時間を増やそうと私は思った。少なくとも来年シルヴィアが双葉学園の初等部に入学するまでの間は。
そこでふと、私の両親も一時期共働きだったことがあると思い出した。
私がまだシルヴィアと同じ年の頃、父が経営しているドーナツ屋の業績は悪く、母がパートに出ていたのだ。
だから私は家に一人でいることが多かった。
そして私もまた、寂しさから空想の友達を作っていたことを思い出す。
記憶の彼方に消えてしまっていた、友達のことを。