――薄暗い闇の中で泣く、小さな女の子。その眼前には白い大きな獣の影がある。俺はちょうど二者の中間にいるとはわかるが、自分の姿がまったく捉えられない。まるで自分の体が闇に溶けてしまったかのように。
白い獣は低い唸り声を発し、血の様に鮮やかな色の目で俺たちを見据える。
次の瞬間、獣は咆哮を上げ、俺の視界は紅に染まった。――
空港に着いた俺たちは、タクシーを使って俺の実家へと向かった。バスも通っていない山道だが、車で十分程度の距離なので、四人だと大した金額も使わずに移動できてお得だ。
応接間に入ると、すでに人数分の座布団が敷かれ、テーブルの上には籐《とう》カゴに盛られたクッキーが乗っていた。ほんのりとバターの香が漂い、焼きあがったばかりであることをうかがわせる。
「どうぞ、皆さん座ってください。今、冷たいお茶持ってきますから」
母はそう言うと、小走りに応接間の隣の台所へと消えていった。
「そのクッキー、あたしが焼いたんよ」
巴がテーブルを囲む座布団の一つに腰を下ろしつつ、自慢げに話しかけてきた。妹が料理をする所なんて見たこともなかった俺は「え?トモ、料理なんて出来たの?」と、思わず口走る。
「ひどっ!あたしだって料理くらいするよ! もう子供じゃないんだから」
「なに言ってんの。普段は何も手伝わないくせに」
俺の意外げな反応に、巴はさも心外だと言わんばかりに声を上げたが、お盆に人数分の麦茶を乗せて戻ってきた母の一言に「う」と小さくうめくと、気まずげに明後日の方向を向いた。
「お昼の準備しますからクッキーでもつまんでてくださいね」
テーブルにグラスを置きながら客人にそう告げる母。さらに「トモちゃん手伝って」と続けた。
「えー!?あたしも皆とお話したいのに」
「あ、じゃあ、あたしが手伝います! 」
不満を口にした巴をフォローするように改造魔が手を挙げる。
「え、でもお客さんなのに、いいの? 」
彼女の言葉に母は戸惑い気味に応え、俺に確認するようにチラリと目を向けた。
「大丈夫だよ。俺も毎日作ってもらってるし……料理上手いから」
思わず「母さんより料理上手いから」と言いそうになるのをこらえ、俺はそう答えた。
「あら、そう? じゃあお願いしちゃおうかしら」
俺の言葉に安心したのか、母は改造魔に向き直るとそう切り出す。改造魔は「はい! 」と応えると、勢いよく立ち上がり、母に続いて台所へと消えていった。
その後、俺たちはクッキーをつまみつつ談笑に興じた。主に巴の「二人の出会いは?」とか「毎日料理作ってもらってるって、どういうこと?」とか「静さんはなんでメイドさんなの?」といった質問攻めに答える感じだった。「もうHしたの?」という質問には、額にチョップを返しておいた。
そうしているうちに料理が運ばれてきて、そのまま昼食に突入。台所から戻ってきた二人がやけに仲良くなっていたのが気になったが、俺に向けられる母の笑顔が妙に生暖かく、理由を聞くと面倒なことになりそうだったからスルーすることにした。
「ほんと山だねー」
俺、改造魔、巴の三人は空港に続く道を少し歩いてから山に登る小道に入っていた。道の脇には小川が流れ、両側は山に挟まれていて、平日の昼間とはいえ人っ子一人いない。まさに田舎道だ。お盆を過ぎたこの時期、山ではツクツクボウシばかりが鳴いている。
「な、見るとこないだろ? 」
改造魔のつぶやきにそう応えた俺だったが、彼女は「ううん、あたし山とかあんまり来たことないから」と、実に楽しげだ。
「確かこの辺だったよね、お兄ちゃんが初めて宝石出したの」
それまで静かだった巴が不意にこぼす。その表情は微妙に憂いを帯びていた。
「……あーそうだな。」
「どんな感じだったの?」
俺が小学校六年の秋、栗拾いに行きたいと言い出した巴を連れて山に来たことがあった。日が暮れる前くらいまで遊んでいただろうか、空が徐々に赤みがかかってきた頃、大きな野犬に出くわした。明らかに敵意のこもった目を向けられて俺たちは一目散に逃げ出したが、子供の足で逃げきれるものではなく、俺は犬にのしかかられ左腕に噛み付かれた。異能に目覚めたのはその時だ。犬を何とか押しのけようと必死に振り回した右腕はいつの間にか真っ赤な宝石に覆われていて、鋭くとがった部分が偶然、犬の左目に食い込んだ。
「で、まあ思わぬ反撃に驚いたのか、その犬は逃げていったってワケだ」
改造魔に問われた俺は極力、軽い口調でその辺の事情をかいつまんで説明した。
……巴はその時のことをいまだに負い目に感じているのだろう。自分がわがままを言わなければ俺が怪我をすることもなかった、と。
「それで俺がいなくなっちゃったのが寂しかったんだよな! 」
暗くなりそうな空気を換えるため、巴の頭をわしゃわしゃとなでながらからかう。
「ちょ、違うし!お兄ちゃんなんかいなくなっても別に寂しくないし! って子供あつかいしないで……よ……」
「仁ちゃん!」
頭に乗せられた手を振り払おうとしつつ抗議の声を上げる巴だったが、何かに気づいた様子で語気が弱まった。そして巴の様子が変わるのと同時に、改造魔が切羽詰った声を上げる。
……この雰囲気は今まで何度も味わった。
「
ラルヴァか」
「ごめん仁ちゃん。飛行機に乗るときに携帯切ったままだった」
巴と改造魔の視線の先に目をやる俺に謝罪し携帯の電源を入れる改造魔。その途端、警告音が山間の小道に響き渡る。
「あの犬……?」
目を向けた先にいたのは一匹の、全長一メートル五十センチはあろうかという大きな犬。その左目には大きな傷跡があった。記憶にある、あの日の姿と同じ敵意に満ちた目だ。……あれがラルヴァだったとは思いもよらなかった。
「姿は見えないけど全部で四体いるみたい」
改造魔がそう告げると、まるでその言葉を理解したかのように、森の下生えの影から三体の犬が姿を現す。すでに確認していた一体とさほど変わらない体躯で、四体並ぶとかなりの威圧感だ。
「改造魔、巴を頼む。二人は少し下がっててくれ」
改造魔に指示を出し、彼女はそれに従って巴を背にかばう。その間、犬からは決して視線を切らない。
「お、お兄ちゃん、どうするつもりなの? 」
「まあ見てろって」
怯えた様子で問いかけてくる巴に、あえて振り向いて軽口を言ってみせる。
当然のごとく犬たちはうなり声を上げ、一斉に森から飛び出してきた。
「ガナル・チェンジ! 」
両拳を腰溜めに構える。そこからすばやく両腕を胸の前でクロスさせ、手首を交差させたままゆっくりと前方に突き出す。さらに変身のキーワードを叫ぶと両腕を交差させたまま手のひらを開きつつ胸元に引き戻し、一気に腕を左右に広げる。すると両手の甲、胸、両足首にある五つの『ガナル・コア』から真っ赤な光があふれる。光は俺を中心にドーム状に広がり、つむじ風のようにくるくると回転する。やがて赤い光は俺の体を薄く覆う様に集束していき、プロテクターを形成し一層眩しく、白く輝く。
光が拡散し、俺は真紅の鎧を身にまとう『ガナリオン』への変身を完了した。
「ガナル・ブースト! 」
突然の閃光に犬たちがひるんだ隙に、俺はコマンドワードを発する。すると背中に二門あるレンズ部から鮮赤の粒子が噴出し、十メートル程ある間合いを一気に詰める加速を生んだ。
「スピン・ブースト! 」
さらにコマンドワードで両肩のレンズ部を起動、左右で前後逆に噴出す粒子の勢いで体を横回転させ、右裏拳から左回し蹴りのコンビネーションを叩き込む。技の威力は余すところなく伝わり、四体のラルヴァを山道脇の小川まで吹き飛ばした。
「ふう……。ま、こんなもんかな」
川を覗いて犬たちの状態を確認すると、気絶したように倒れていたり、小さな鳴き声を出していたりするものの、四体ともすでに戦意はなさそうだ。そこで俺は改めて巴と改造魔のほうに振り向き、握りこぶしを天に突き上げてみせる。
「お兄ちゃんすごい! 何それ! 」
しばらく唖然としていた巴だったが、俺のパフォーマンスで我に返ると、一転して飛び跳ねてはしゃぐ。そのまま駆け出そうとしたところで、けたたましい警告音に動きを止めた。
「仁ちゃん! さらに四体近くに出たよ! 」
「また犬型か?」
改造魔の警告に従い周囲をうかがうと、倒した四体が現れた辺りから一つの小さな人影と三体の大きな犬が現れる。
……さらに四体ということは、人間じゃないって事か?
「おめえ……ワシの犬に何してくれよんなら……! 」
一瞬、疑問が頭に浮かんだが、間違いない。この威圧感は人外のものだ。その発言は飼い犬を傷つけられたことに対する憤怒に満ちていた。
「……一応、弁解しておくけど、襲ってきたのは犬の方だぞ」
「ちばけな!! ワシの犬が人を襲うわけねかろーが!! こいつらはワシがキッチリ躾とるんじゃけえ!! 」
俺の言葉に、一気に怒りを爆発させるデミヒューマンラルヴァと思しき少年。怒気に煽られたか短い銀髪がザワリと波打ち、額から伸びる小さな角が露出する。赤褐色の肌もさらに赤みを増した。
……鬼か?
授業で知る限りでは鬼には多くの種族がいて、その能力も単純な剛力から炎や雷を操るものなど様々だ。共通しているのは大体において中級から上級並の強さを持つということ。
確かにこのあたりの地方は鬼にまつわる昔話もある。とはいえ、これまで鬼の姿など見たという話すら聞いたことがない。
……いや、隠れ住んでいると考えるべきか。今回は、はぐれた飼い犬を探しに現れたか?
「ワシの犬をかわいがってくれた礼をしちゃるけえ覚悟せえや!! 」
怒声とともに鬼が腕を一振りすると、三体の犬が勢いよく走り出し、少年も同時に俺にめがけ飛び掛ってくる。とっさに身構えるが、
犬型ラルヴァは俺の脇を通り過ぎる。
……犬は俺を狙っていない?
「ガナル・ブースト!! 」
俺を狙っていないなら、その目的は一つ。巴と改造魔だ。それに気づいた俺は、コマンドともに振り向きもせず背後に飛ぶ。両肩から真紅の粒子が噴出し、眼前に迫る鬼に浴びせかけられる形になる。結果、奴は両腕で顔をかばうようにして立ち止まった。上手いこと目くらましになったようだ。犬の群れに追いつくとすばやく体をひねって反転。勢いに任せニ体まとめて右回し蹴りで、残り一体を左後回し蹴りで蹴り飛ばした。あせっていた俺は着地もままならず、激しく地面に叩きつけられゴロゴロと転がる。五回転目でようやく右手を地面に着くと、その反動で何とか立ち直った。
「巴! 改造魔! 」
「大丈夫! 左、来てる! 」
二人の無事を確認すると、即座に改造魔から指示が飛ぶ。振り向くと目の前に鬼の顔があった。
「おらぁ!!」
裂帛《れっぱく》の気合とともに叩きつけられる右拳を左腕で受け止める。あまりの衝撃に装甲がミシミシときしむ。続けざまに放たれた左拳は飛び退いて避ける。だが、相手は見逃してはくれず、さらなる追撃が迫ってきた。
「おらおらおら!!」
今度の攻撃は威力よりも手数。どんどん踏み込みながら矢継ぎ早に拳が繰り出される。とはいえ、人間など及びもつかないパワーを持つ妖《あやかし》の拳だ。捌き、受けるだけでも骨身に響く。……当然、スタミナも人間より上だろう。となると長引けば長引くほど、俺にとってまずいことになるのは明らか。
「ガナル・フラッシュ!」
連打の終わり際、相手の攻撃が大振りになるのを待ってコマンドワードを発する。縦に構えた俺の右手の甲が一瞬で閃光に包まれ、鬼の目を焼く。さっきとは違って完全に目くらましのための技。しばらく視力は回復しないだろう。
「ガナリオン。ジャンプ!」
即座にコマンドワードを発し、一気に上空へと跳躍する。狙うは必殺の一撃だ。……もしかしたら殺してしまうかもしれない。ラルヴァとはいえ、デミヒューマン。外見も、知能も、そう人間と変わらない。だが……。ちらりと眼下を見下ろす。驚いた顔の巴と、それをかばう様に立つ改造魔。
「守るんだ……!」
相手は人を害する意思を持った魔物。妖怪。鬼だ。
「ガナリオン・クラッシュ!」
倒さなければ守れない!
ジャンプの頂点に達した時、前方宙返りを決めるとさらにコマンドワードを発する。そして俺は一筋の赤い流星となった。
「!」
急加速し下降する俺に鋭い眼光が向けられる。……もう回復したのか? いや、目の焦点は合っていない。このまま、行く。
直後に右足に硬いものを蹴りつけた様な衝撃が来る。攻撃が相手に接触すると同時に、これまで全身を包んでいた赤い粒子は一気に右足に収束し、相手の体に流れこむ……。
「何ッ!?」
粒子が流れていかない。右足の底と相手の両腕との間で激しい力比べが発生し、スパークしては空気中に霧散していく。……一瞬早くガードされたか。だが……。完全には防がれていない。じわじわと赤い斑点が腕に広がっていく。粒子の放出が終わるのが先か、相手が堪えきれなくなるのが先かの勝負だ。このまま押し切れるか?
「う……ぐ……ッ。あああー!!」
だが淡い期待は裏切られ、咆哮とともに俺は弾き飛ばされた。背中から地面に叩きつけられ、二度、三度とバウンドする。四度目に接地した時、俺はようやく跳ねることなくその場に留まった。
「が……あ……っ」
柔らかい土の上に落ちたのが幸いしてどこも折れてはいないようだが、全身に酷い痛みが走る。……装甲がなかったらどうなっていたことか。
痛みを堪えつつ、鬼の様子を確認すべく頭を起こすと、すぐに立ち尽くす相手が目に映る。防御したとはいえ、無傷というわけではないようだ。その両腕はダラリと力なく垂れ下がり、痛みに耐えるためか歯はむき出しになって食いしばられていた。
「……ん?」
何か妙なものが見えた気がして、俺は痛みにぼやけた目を何度も瞬いては焦点をあわせようとする。その甲斐あってか、しばらくすると焦点が合い始めた。
「マジで?」
俺の目に飛び込んできたのは先刻のガナリオン・クラッシュで粒子を浴びせかけられボロボロになった鬼の着衣と、その影から覗く柔らかそうな双球だった。
「な、なに見よんならッ」
俺の視線に気づいたのか顔を赤らめてそっぽを向く少年、いや少女。胸を隠そうとしているのか腕を動かすが、ダメージのせいで上手く行かないようだ。……ていうかもう痛くはないのか? 割と平気そうに見えるが……。
「わあ!」
ぼんやり考えていた俺を改造魔の悲鳴が現実に呼び戻す。あわてて首をめぐらすと、改造魔が伸縮式の電磁警棒で、襲い掛かる犬を追い払おうとしていた。
「ガナル・ブースト!!」
考えるより先に体が動く。コマンドワードに反応して背中のレンズ部から粒子が噴出し俺の体を前方に押し出した。うつぶせで倒れていたため、地面を引きずられるような格好になるが、かまってはいられない。
「ぬっ!」
とはいえそのままではどうにも出来ないので、地面に両手を突くと突進の勢いを利用して斜めに飛び上がる。空中で何とか体勢を整えて右フックを繰り出し、改造魔を狙っていた犬型ラルヴァを殴り飛ばす。着地と同時に改造魔と巴を背後にかばえる位置に陣取った。
「てめえ、さっきから戦えない奴を狙うなん……だと?」
当然彼女の指示だと思い、鬼の少女に文句を言いかけるが、目を向けた先の光景に思わずオサレな驚きをこぼしてしまう俺。それというのも主人であるはずの少女に犬たちが襲い掛かっていたからだ。
「お、おめえら! なんでワシに……!?」
驚きうろたえる少女の言葉を無視して犬たちは次々に牙を突きたてようと群がる。今のところはなんとか攻撃を避けてはいるものの、両腕が使えない状態では遠からず食いつかれてしまうだろう。
「仁ちゃん」
「改造魔?」
声をかけられて振り返ると、なにやら真剣な表情の改造魔の顔があった。
「助けてあげて」
何を言い出すかと思えば……。ついさっきまで命のやり取りをしていた相手を助けろとは。だが、どう見ても犬型ラルヴァたちの様子は異常だ。鬼の弁を信じるならば、きちんと調教されていたはずなのに、まったく彼女の指示に従う様子はない。……何か異常を引き起こす原因があるのか?
「……わかった。お前は何が起きてるのか考えてくれ。出来るだけ離れて、な」
「うん!」
改造魔が頷くのを見届けて、俺は鬼の少女に群がる犬たちに向かって駆けた。……それにしても、まるで弱ったものから狙っているかのようだ。野生ではそれが普通なのかもしれないが、彼女を執拗に狙うというのは何か妙だ。ただ弱いものを狙うだけなら、巴と改造魔にはラルヴァと戦う様な力はないのだから、当然、鬼よりは与しやすい。
「そらッ!」
背後から少女に噛み付こうとする二匹の犬型ラルヴァに跳び蹴りを打ち込む。考えはまとまらないが、今は犬たちに対処する方が先だ。
「お、おめえ何のつもりなら……!?」
「助けにきたんだよ。お前も気づいてんだろ? こいつら絶対におかしいって。何が起きたのかわからないままでいいのか?」
打ち倒しても打ち倒しても飛び掛ってくる犬に拳を、蹴りを飛ばしながら鬼の少女に問いかけ、彼女の返答を待つ。何とか納得してくれればいいんだが。
「……よーねえ」
しばらくして搾り出すような呟きが聞こえてきた。
「こいつらは家族みたいなもんじゃ……こんな事させとーねえし、傷つけとーもねえ……」
苦しさが滲んだ声音に思わず振り向くと、彼女の瞳が潤んで見えた。犬たちを本当に大事に思っているのが伺える。鬼の目にも涙か?
俺がくだらない思考に陥りかけた時、さらなるラルヴァの存在を報せる警報の甲高い音が辺りに響き渡った。
「仁ちゃん、見つけた! 上だよ! 上空二十メートルくらい!」
改造魔の声に従い頭上を仰ぎ見る。
「どこだ……?」
「雲に混ざって見えるけどずっと低い所にいるよ! 木の二倍位の高さ!」
目をそらした俺に次々と犬たちの牙が突き立てられる。が、それを無視し、上を向いたままラルヴァを探す。高い硬度を誇る鎧に阻まれ、彼らの牙が生身にまで到達することはない。
「お、おめえ大丈夫なんか!?」
腕と言わず足と言わず、噛み付かれるに任せる俺に少女があわてて声をかけてくる。「大丈夫だ」と短く答え、上空を捜査し続ける。
……と言ってもあまり長い事はもたないだろうが。
「あれか……?」
装甲がきしむ音を聞きながら数秒、なんとかそれらしい影を見出した。もやもやと霞む姿はまるで空に浮かぶ雲の様。だが、どう対処するかはわからない。初めて見るラルヴァだったし、相手は遥か上空だ。それに手立てがあったとしても、犬たちをどうにかしないと改造と巴を置いていくのはまずい。
「仁ちゃん、犬たちの首筋をよく見て! あのラルヴァ『海月雲《くらげぐも》』は凄く細い触手で他の生き物を操るみたい!」
「了解!」
いいタイミングで答えをよこす改造魔に応え、視線を犬たちに戻す。幸い、彼らは俺に噛み付いたままだから動きを止める手間はない。
「これか!」
しばらく目を凝らすと、蜘蛛の糸ほどの、ごく細い触手が見えた。全身に力を込め、噛み付かせたまま手当たり次第に犬の首筋に手を伸ばし、次々に触手を引きちぎる。と、同時に犬たちは文字通り糸の切れた人形のようにバタバタと地面に倒れ伏した。……ダメージを負って意識がないまま動かされていたのか。
「後は上の奴か……」
犬たちの牙から開放され身軽になった俺は、小さく息をついてから再び頭上に目を向ける。相手までの距離は二十メートル程。ガナリオン・ジャンプの跳躍力は約十メートル。ブーストを連発しても届きそうにない。着地のことも考えるとなおさらだ。……届いたとしてもエレメントっぽいやつを一撃で倒すのも難しい。あと一枚は手札が必要だ。
「おい、おめえどこまで跳べる?」
「あ?ああ……そうだな。十七~十八メートルって所だ。……けど」
「ワシが片をつける。おめえはワシを抱えて思いっきり跳べ!」
少女からの突然の協力要請に戸惑う俺だったが、彼女の目には強い光が宿り、言葉を裏付ける自信が見て取れた。
「……わかった。お前を信じるよ。俺に力を貸してくれ。お前が犬たちを大事に思ってるのと同じで、俺もあの二人を大事に思ってる。あんな化け物に手を出させたくない」
改造魔と巴に目を向け、静かに少女に応える。
「……よっしゃ! ほんならとっとと片付けるで!」
「おう!」
鬼の少女に促され、俺は彼女の腰を両腕でしっかりと抱える。そしてすぐさま「ガナリオン・ジャンプ!」とコマンドワードを唱え、一気に跳躍する。その様は真っ赤な粒子の尾を引いて上昇する小さなロケットのようだ。
「続けていくぞ……! ガナル・ブースト!ブースト!ブースト!ブースト!ブーストぉ!」
ジャンプの頂点でブーストを連発し、強引に飛距離を伸ばす。二段、三段ロケット点火と言ったところか。が、やはり届かない。
「これが限界だ……!」
「十分じゃ! 手を離せ!」
俺が手を離すと同時に少女の足が俺の胸板を踏み代替わりに蹴りつけ、もう一段の跳躍を生み出す。
「これで終わりじゃ……!」
落下しながら彼女の声を耳にした直後。その口から真っ赤な炎が吐き出された。それは巨大な火球となって海月雲にぶつかると、轟音を立てて爆発した。
「こりゃあ盛大に消し飛んだな……。っと、ガナル・ブースト!」
もうもうと噴出す煙を見上げ思わず苦笑を漏らす俺だったが、地面が近づいていることに気づき、あわててブーストで制動をかける。
「ぶっ!?」
次の瞬間、俺の上に鬼の少女が背中から落ちてきた。思わず抱きとめるが、その結果、落下の勢いを完全には吸収できず、背中を地面に強か打ち付けることになった。
「いッ痛ぅ……。今日は落ちてばっかだな……。」
痛みに顔をしかめながらつぶやく俺。その時、ちょうど変身も解けた。……これで今日はもう戦えない。