遠藤雅は背筋が凍りついていくのを感じていた。
立浪みきは
醒徒会庶務・
早瀬速人によって頭を捕まれ、苦しそうに足をばたばた動かしている。
「あ、あんた・・・・・・!」
立浪みくの瞳が爆発し、白いケモノ耳と尻尾が怒りによって飛び出た。両手の爪を極限まで伸ばすと、早瀬に向かってこう怒鳴った。
「どういうつもりよ! お姉ちゃんに何するの! 変なことおっぱじめると、この私があんたをズタズタに・・・・・・え、ええっ?」
と、さすがのみくですら絶句する光景が、目の前に繰り広げられる。
丸太のような太い両腕を組んでこちらを見下ろしているのは、醒徒会広報・
龍河弾。
右腕を腰に当てて、堂々と立っているのは醒徒会会計・成宮金太郎。
真っ直ぐ閉じた口元は少し吊りあがっており、微笑を向けている醒徒会書記・加賀杜紫穏。
非常につまらないものを見ているような目をしているのは、醒徒会会計監査・エヌR・ルールだ。
左手の指を口元に当てて、優雅な雰囲気をたたえて見つめている醒徒会副会長・
水分理緒。
そして、最後に――。
「ようやく我々と決着を付けるときがきたようだな、恐怖の異形・血濡れ仔猫・・・・・・!」
2019年の醒徒会会長・
藤神門御鈴は、厳しい目つきをして立浪みきにそう言った。彼女の足元で、白虎が「がお」と呼応するように鳴いた。
醒徒会のメンバーが七人全員、この展望台に姿を現していたのだ。
「嘘でしょ? どうして醒徒会が、それも全員揃ってこんなとこにいるのよ・・・・・・」
みくはまるで理解できない様子で、頬に汗を流している。
うすうす彼らの目的がわかっている遠藤雅は、声を震わせながら御鈴にこうきいた。
「そんな・・・・・・。あれですか、
血塗れ仔猫の『始末』ですか・・・・・・」
雅がそう言ったとき、隣のみくが「へ?」と乾いた声をあげた。それはあまりにも馬鹿馬鹿しくて理解が追いつかないときに上げるような、非常に間抜けな声をしていた。
「遠藤雅。早く立浪みくを連れて、この場を離れるのがよいぞ。これから始まるのは『訓練』などではない。本物の戦いなのだ。未熟者なお前の出る幕ではないのだ」
「・・・・・・せっかく立浪みきさんが血塗れ仔猫を倒して克服することができたのに、そんなことをおっしゃるんですか? それじゃすべて、無駄になっちゃうじゃないですか」
「倒す? 克服? いったい何を言っているのだ?」
御鈴があっさりそう言ったのを聞いて、雅は愕然となった。
「血塗れ仔猫はそこにいるではないか! 早瀬の確保しているその黒いドレスは、どう見ても血塗れ仔猫ではないか!」
「彼女は立浪みきさんです! もう血塗れ仔猫じゃないんです!」と、雅は必死に言い返した。
「彼女はただ、自分の中の黒い存在に操られていただけなんです。『アツィルト・ワールド』で血塗れ仔猫に惨たらしい拷問を受けて屈服していたんです。しかし、みきさんは頑張って血塗れ仔猫に打ち勝つことができました! 僕がこの目で見ていたのだから間違いありません! 彼女が殺してしまった七人の生徒たちだって、そのことを理解して――」
「くだらないことを言うんじゃないッ!」
藤神門御鈴の激しい怒声が、言い訳をしている雅を黙らせた。成宮が本当に理解できないようにあっけに取られながら、雅にこう言う。
「自分の中の黒い存在に操られていましたって、何だあ? そういう子供が考えるような言い訳、ちょっとオレは感心しないなあー」
紫穏がうっすらと笑みを浮かべながら、雅に言う。
「死んだ七人の生徒たちが理解してくれている? あはは、冗談にしては少し悪質じゃないかなあ? あんまり勝手なこと言ってると、ここにいるみんなからすっごく怒られるぞー?」
「遠藤雅。ぼくたちは真剣にこの問題に取り組んでいる。あまり場を乱して妨害するというのなら、然るべき処置を君にも下すことになるだろう。妄言を慎みたまえ」
と、小粋なサングラスを指先で持ち上げながら、ルールは言った。
雅はようやく理解する。たとえ自分がアツィルト・ワールドに潜入して、そこでみきが血塗れ仔猫に打ち勝って、七人の生徒たちから感謝の言葉を述べられたのを見ていても。そのようなことを第三者に打ち明けてみたところで、誰も信じてもらえないのだ。
精神世界で実際に起こった痛快な夢物語を打ち明けてみたところで、いったい誰が信じてくれようか! 雅は悔しそうに下唇を強く噛んだ。
「それでも、みきお姉ちゃんが元に戻って帰ってきてくれたのは現実のことじゃない・・・・・・!」
みくはわなわな震えながら、醒徒会に反論をした。
「だいたいさあ、どうしてみきお姉ちゃんが暴走するようになっちゃったの? 全部与田光一のせいじゃない! あいつが余計なことをしたからみきお姉ちゃんは理性を失って、結果として私はみかお姉ちゃんまで失った! みきお姉ちゃんは七人の生徒たちを殺してしまった! それがどーして全部みきお姉ちゃんが悪いってことになんのよ!」
「立浪みく・・・・・・。血塗れ仔猫は一度だけ、元に戻ったのだな・・・・・・?」
と、御鈴が静かな口調でみくにきいた。
「ええ、そうよ! お姉ちゃんは一度だけ、元に戻ることができた! 島から追い出され、二年間ひっそりと私たちの田舎で身を潜めていた! フン、そんなお姉ちゃんの苦悩が、あんたたちにわかるわけないわよね!」
「ならばどうして、一連の事件は起こってしまったのだ? 元の姿を戻すことができたのに、どうして血塗れ仔猫は再び暴走を起こしたというのだ・・・・・・?」
「あ、あんた・・・・・・? いったい何が、何が言いたいの・・・・・・?」
みくは口を開けたまま、汗をたくさん流しながら言った。動揺しているみくに対し、御鈴は容赦なく厳しい指摘をする。
「元に戻ってしまうということは、今でも彼女は大きな危険性をはらんでいるということなのだ。何よりも今年、血塗れ仔猫になって七人の犠牲者を出している。これからまた、同じような事件が起こらない保証はないのだ。血塗れ仔猫は危険すぎるのだ。ここで醒徒会が止めないといけない、危険な存在なのだ・・・・・・」
「ふざけないでぇ・・・・・・!」
と、みくは雅に抱きついて泣き喚いた。雅は下を見つめたまま、この非情な展開に打ちのめされていた。
冷静になってものを考えれば、たとえ今、みきが落ち着いていて理性を取り戻していても、彼女がそのままでいる保証はないのである。・・・・・・こうして双葉島に帰ってきて、次々と殺人事件を起こしてしまったことが決定的な証拠だ。
「犠牲者七人は重たすぎる! 大量に流れ出た血と涙に報いるためにも、我々はここで血塗れ仔猫を止めなければならないのだ!」
「会長はいつも後悔していましたわ。もしも自分が白虎を連れて、血塗れ仔猫に襲われている人たちのもとへ駆けつけることができたらって。そうすることができたら、きっと七人の生徒たちは助かったことでしょうね」
「なぜなら俺たちは醒徒会だからだ。この島や学園の最強にして、抑止力だ。この大事件を前にして、俺たちが自分らの役割を果たせねぇでどうするよってこった」
御鈴は今回の事件でとても胸を痛めていた。七人の生徒たちを守れなかったことを非常に悔やんでいた。だから、血塗れ仔猫に対する宣戦布告を撮影して動画にまとめ、生徒たちのモバイル学生証に配信して勇気付けるという、異例の措置まで行った。
「関川泰利。落合瑠子。小山真太郎。野口道彦。久本昭二。大島亜由美。そして、大島美玖。最後の人物は初等部の子なのだぞ。彼らの死は各学部に・クラスメートに・職員室に大きな悲しみを生んだのだ。言わずもがな彼らの親だって気が狂いそうな不幸に陥ってしまったのだ」
「それでも・・・・・・みきお姉ちゃんが悪いわけじゃなくて、そういう事故だったんだからしょうがないじゃない・・・・・・!」
「しょうがないだと? 貴様は人の死や喪失を、仕方がないものだと片付けるのか! 暴走だったと理由をつけることで、死んだ彼らや彼らの肉親が納得するとでも思うのか、立浪みく!」
納得できるわけないわよ、とみくは下を向いて呟いた。
与田によってもたらされた、一連の悲劇。次女の暴走は、愛する長女を奪い去ってしまった。こんなのが「仕方ない」と片付けられていいわけが無いのだ。私だったら与田を殺しに行くだろう。悪は裁かれるべき――。
――じゃあ、結局色んな人たちを殺してしまったみきお姉ちゃんは、醒徒会に裁かれて当然なの? 自分でそのような結論に至ってしまったみくは、再び大声を上げて泣き出したのであった・・・・・・。
「もうそろそろいいだろう。血塗れ仔猫、これ以上貴様の存在は許されない。我々醒徒会によって、貴様を粛清させていただくぞ・・・・・・!」
醒徒会長による死刑の宣告がなされた。白虎が「にゃ」と主に応える。早瀬がみきを、平坦な場所に放り投げた。
白虎がぐんぐん大きくなっていく。雅はその真の力におののくしかない。
これが、
双葉学園最強の力・・・・・・!
青空を塞ぎ、無力な自分を濃い影で覆いつくした強大な式神を眼前にして、ただただ畏怖の念を感じ、情けなく歯を鳴らすのみ。
紫穏がしっかりと白虎に触れた。彼女の能力は触れている物、所持している物の能力を大きく増幅させることだという噂を聞いたことがある。そんな異能とリンクした白虎が繰り出そうとしている正義の鉄槌は、もはや想像することすら難しい。
「や、やめろ・・・・・・」
訪れようとする処刑を前にして、たまらず雅は一歩踏み出した。が、彼の体が誰かによって背中から羽交い絞めにされてしまう。
「遠藤。なんつうか、こういう場で再び会うことになるとは、残念な話だよなぁ・・・・・・」
「龍河・・・・・・さん?」
その隣では、羽交い絞めにされたみくが、わんわん泣きながら暴れて抵抗していた。
「バカぁ! 離しなさいよ! 離してよお! こんなことして、こんなことして許されると思わないでぇ! 私は絶対にあんたたちを許さない! 許さないんだから!」
「痛え、コラ、暴れんじゃねえ! 痛いだろうが! あぎっ、やめっ」
と、早瀬速人がみくに痛めつけながらも、何とか彼女のことを押さえつけている。
「お姉ちゃん、何とか言いなさいよ! こんなんでいいの? こんな結果でいいの?」
みくは、何もものを言わずに地面に座っているみきに怒鳴った。白虎が大砲のチャージを始める。みきはほんの少しだけ涙粒を左目に残して、にっこりこう言った。
「・・・・・・仕方のないことなんだね。私があの黒い子に操られていたとはいえ、七人の人たちを殺してしまったことは事実だもの」
まっさらな皿の上に盛り付けられた料理のように・・・・・・絞首台に上がった死刑囚のように・・・・・・みきは大人しくその場で座っている。
彼女は醒徒会によって処刑されることに何の疑問も持っていない。なぜなら彼女は「血塗れ仔猫」だから。この夏、夜な夜な島を徘徊して遭遇した人間たちを片っ端から傷つけ、真っ赤に染め上げて、己も人間たちの血液で恍惚と濡れていった恐ろしい
ラルヴァなのだから。多くの学園の異能者や島の住民を敵に回した、憎悪の象徴なのだから。
「ばいばい、みくちゃ。マサさんと幸せになるんだよ」
「撃て! 白虎!」
白虎は口の辺りから太いビームを射出する。それはあまりも白くて、明るすぎて、どんな世界の汚れた暗部でもごっそり削ぎ落として浄化してしまいそうな、圧倒的な正義を伴っていた。
それと同時に雅が感じ取ったものは、白のもたらす絶対的な「恐ろしさ」であった。こんなものをまともに喰らってしまったら、ひとたまりもない。
みくはその幼い瞳の中で、姉猫の最期をしっかり見つめていたことだろう。黒いドレスを着たみきが、白い光に包まれて、覆われて、焼き尽くされていくのを、息を止めて見つめていた。
轟音が爆ぜる。強烈な突風に雅は目を逸らし、顔をしかめる。藤神門御鈴は毅然とした表情を保ち、ばさばさと長髪を真横にたなびかせていた。
砂煙が左右に分かれ、晴れる。みきの座っていた場所はかなり深く陥没していた。彼女の黒い衣装はもう、跡形もない。
壁面に焼きついた人物の影のように、みくの脳裏にも、みきの最期の笑顔がくっきりと焼きついたのであった・・・・・・。