四人、夜闇の中をひた走る。
山麓を東へ向けて、先頭は弘明だ。流石に山腹ほどでないとはいえ、それでも不規則な
地形と群生した木々のさなか。窮めて走破性が悪く見通しの効かぬ道程を、しかし弘明は
殆ど迷わず先導していく。
これもその能力のなせる技だった。
「戦闘系じゃないとは聞いてたが……意外だな」
「外見が外見なんでみんなそう言うんすよね」
鷹見弘明の異能。それは生体ソナーとでも言うべきものだ。ソナーといっても発する
のは音波ではなく何かの感知伝導で、遮蔽物のある地上でも問題なく走査できる。
死出蛍
の跋扈を逸早く察知したのもこの力だ。地形や周辺環境の把握半径は数百メートルから、
条件によっては数キロメートルにも及ぶ。
正確さは距離に反比例し、森のように障害が多い場所では精度の低下率が増すが、
それでも今のような状況では移動力への貢献は高かった。
「ヒナタ。アンタ腕、平気なんか?」
「……正直、痛ェ。加減間違えたかな」
肘と手首の中に疼痛がある。
阿酉は空圧。弘明は測的。そしてオレの異能は、"火力"に作用する性能強化。
威力の増加・射程の延伸・反動の軽減。この三つを行うことができるが、これらには
三すくみの関係があり、威力増加には反動の増加。反動軽減には射程の短縮。射程延伸に
は威力の減少が、漏れなくマイナス面としてついてくる。
オレのように体格に恵まれない者が、榴弾銃などを容易に扱える理由がコレ。先ほどは
閃光弾を強化したことで炸裂する光を強め、死出蛍の囲いを脱出したというわけだ。直接
の攻撃力ではないが一応"威力"にあたるため、増した反動が腕を痛めた。
「でも、それだけの効果はあったろう、よ」
肩越しに後方を注意しながら、しんがりの先輩が言う。
「奴ら、お、追ってこない。あれだけ凄い、光だったんだ、倒しちまったん、じゃ、
ないのか? ……て、いうか、まだ来ると困る。お、俺マジ疲れてき……うっ」
「センパイ、ほんまに運動不足なんですな……ええ体格してはりますのに」
まったくだと、汗ぐっしょりの先輩を見て思う。身長とか羨ましくてしょうがない。
「で、先輩。まだ連絡つかないんですか? 本隊」
「ダ、ダメだ……な。はぁ、何度もやってるが繋がら、ねー。故障が、ないのは、か、
確認したんだけどっ、な……!」
実は閃光の撃ち上げを既に提案したのだが、却下になった。敵の察知を避けることと、
数発しかない残弾も温存したいという理由からだ。いくら異能で強化しても先の地ベタの
照明で本隊が気付くとは考え辛いので、連絡は無線に頼ることになったのだが。
「マジすか……弘明、敵の方はどうよ?」
「離れててうまく感じ取れない。だが、追って来ているように思える」
全員の顔に陰が差す。走ってさえなければ溜息が合唱していたところだろう。
「なんだってあんなに増えてんだ、あいつら。そんな餌もないハズなのに異常だぞ」
「火山帯だからかもしれない」
眉を顰めた三つの視線を背中に受け、弘明は首を振った。
「通常、その種にはない増殖や大型化が、火山湖などで発生する例がある。陸地でも水棲
ほどではないにしろ、地熱や土の含有成分の影響で、同様の変化をしばしば起こす」
弘明は遠くそれを眺めた。夜空の中に輪郭を聳えさせる、山の威影を。その頂上へと。
「浅間山は、火山だ」
「……じゃ、ありゃ火山帯の影響でバカっ増えした死出蛍だってのか? そんなこと
あるのかよ!?」
「仮説だ。でも環境は無関係ではないだろう。火山帯では電磁波も異常をきたすから、
通信機が使えないのもきっとそのせいだ」
「そっ、そういう……ことか……」
舌打ちして通信機をしまう先輩。
「……お喋り、その辺にしといた方がええよ。お出ましや」
阿酉が顎をしゃくった先、斜め上空。流れる木々の隙間から全員が夜空に目をやる。
月明かりの下――夜気の海を泳いでいる蛟(みずち)があった。
『!?』
尾を棚引いて、光がうねりをあげている。何かとてつもなく巨大な発光体が、龍のよう
に太く長い形を成して、夜空を悠然とたゆたっていた。
いや。印象としては、龍というより長魚だろうか。あまりにも強い輝きは、闇の中で
滲んでかえって存在の境界が得難い。細長いものが濁った泥川の上澄みを潜んでいくよう
な、そんなおぼろげさも伴う夜光。
オレは思い返していた。そもそもの任務内容を。
――目撃されたのは、宙を泳ぐ光条……!
「……奴ら、一個になりやがったのか」
もはや規模としても下級の
ラルヴァとは言い難い。蛍龍とでも言うべき集合体だ。
波打つ光の帯が、遥か向こうの空からこちらへ舳先を傾ける。オレの呟きに応じたかの
如く、鎌首を正確にこちら側へ向けて。
霞むほどの空間を隔て、あるはずのない奴の『目』とオレの視線が、瞬間、重なった
ような気がした。
来る――空を滑るように――。
来た。
「どけっ!!」
一瞬だ。
文字通り光速で距離を無とした龍に、報いを成したのは召屋先輩だった。
景色が歪み、ひび割れる。ギリギリとくびきを捻るような音が続き、やがてガラスを
そうするが如く空間を突き破って、何もない所から一体の巨影が姿を現した。
「これは……!?」
どこかから割り込んだというより、まさに湧いたという出現だ。
背の稜線を力強く波打たせる背筋が、堅牢な鎧を彷彿とさせる胴体。だがそれにも
増す強靭な筋肉を束ねるのは四肢だ。一本がナイフ程もある五指の爪で押さえ込むよう
に地を掴み、自身の莫大な重量を支えてなお余りある膂力。それらを包む肌と体毛は、
漆黒という鋼鉄の色を持つ。
豊かに蓄えられてなびくたてがみに縁取られた顔は、獣王。
獅子だ。
身震いと共に発せられた黒獅子の咆哮は、阿酉の異能に勝る圧力で空を震わせた。
その痛みにオレ達が耳を庇う暇もなく、次の瞬間に獣は殴るように地を蹴って宙へと身
を飛ばしている。
龍への突撃だ。
砲撃のような跳躍は、己より遥かに大きなモノをも恐れない。
大きさに何倍もの差を持つ双魔の激突は、しかし凄まじい激震で蛍龍を拡散させた。
「召喚……これが」
変態はともかく、召喚は冗談ではない。それが召屋正行の異能。理屈はわからないが、
想起と仮構によって形成される、文字通り『何か』を喚び出す能力なのだという。
「充分戦えとるやないですか!」
年上に集中する敬意の視線。その中で得意げに唇の端を吊り上げる先輩。反面、何故か
困ったように眉尻も下げ、その妙な表情の理由を彼は、
「まあ……制御、できないんだけどな?」
『マジで!?』
微妙な半笑いの向こう、飛翔奔騰した獅子はあえなく光の群に絡め取られ、もがき
苦しみながらその体躯を縮めていった。
比喩ではない。死出蛍は接触した対象の生命を奪う。獣王はみるみる内に精彩を失い、
力を吸い取られて弱々しくしぼんでいく。
その様子をまた、苦渋とも安堵ともつかぬおかしな表情で先輩は眺めていた。
横顔にその意味を問うより早く、
「とにかく今のうちだ、行くぞ!」
そこから先は逃走の連続だった。
基本的に防御は先輩頼み。召喚という壁を用い、防ぎ漏らしは阿酉が全力で弾き、
どうしても避け切れない時だけオレが引き金を引いた。
不利のさなか。後続する先輩を見て、しかし、と感嘆する。
――慣れてやがる。
非常事態に。そして異能にも。
見たところ召喚自体の消耗はないようだが、出力に具象的な発現を持つ異能は、集中に
相当なストレスがかかると聞く。自称運動不足の体も限界に近いハズだ。滝のように滴る
汗が、そのまま失われる体力の様子だった。
それでも彼はなお異能を行う。
巨光が伸び、襲い来る。
それを先輩が肩越しに睨みつけると、こちらとしては絶対の防御、死出蛍の群には
絶対の障害となる絶妙のタイミングを計らい、次々と新たなラルヴァが召喚される。
それは壁として敵を散らし、更に贄となって代価にオレ達へ時間を与えた。
途中、異能がバグったのか全裸際の黒面巨漢とか呼び出されたりしてたが、無事に
干からびてくれたのでまあそれは良しとしよう。
「そ、その先、だっ!!」
息も絶え絶えに叫ぶ先輩が、示す先は一つの窪地だ。
駆ける視界の先に折り重なる幹。その更に向こう、緩やかに窪んだ円形の空間が覗く。
周辺の傾斜から伸びた木枝が薄く上を覆っているが、風通しの良さそうな開けた場所だ。
微かな明かりと、その狭間に天幕も見える。
「ほ、本隊の設営地……あそこなら……ゴホッ」
「え、このまま行く!? 巻き込みますよ!?」
「連絡、でき、ないんじゃ……他にしようも、ね、ねえだろ! 今、ままっ、どうにも
ならん……そ、それに、倒すなら……開けた場所が、いいんだろうっ!?」
「倒せるならの話スけどね――くそッ!!」
振り向きざま、背後に引き金を弾いた。払っても払っても追い縋り、今またその顎に
こちらを銜え込もうとしていた大龍は、逆に閃光に鼻面を呑まれ幾度目かの霧散をする。
全力で走る皆はそれを確認すらしない。最後の距離を駆け抜け、オレ達は設営地へと
駆け込んだ。
果たしてそこには、
「――――?」
「なんやったんやろなあ、アレ……」
双葉学園の高等部棟。
昼休みに賑わう教室で、窓の外を眺めて眼鏡の女生徒が呟く。
「やっぱりヒロの言うとおり、火山やから増えとったんかな?」
気だるげに机に肘突く阿酉に対し、その隣に立つ弘明は深々と腕を組んだ。
「わからない。が、あそこが死出蛍の群生地になっていたことは確かなようだ。
阿酉も聞いたろう。アレ以外にもいたらしい」
「ハ……冗談やないよ、ホント」
息を吸い、嘆息と共に背もたれに体重をかけていく。
反り返った胸の上で双球が山を作るが、阿酉が横目でガンを飛ばすと乳を盗み見て
いた男子諸兄の視線は散った。
「んーっ、はぁ……あんなに力を酷使したんは久々やった。疲れ過ぎて寝込むような
追試代限なんてもう二度とやりたないわ」
「ああ。まったくだ」
「な。ヒロもそうやろ? まあ、それでもアタシらよりか――」
示し合わせた二人の視線が、無遠慮にこちらへ注がれた。弘明は気の毒そうに眉根を
寄せ、阿酉のクソッたれは愉快そうに唇を歪めやがった。
「――アンタやなぁ、ヒナたん」
「おまえ、いつか、ぶっとばす」
腕さえ自由ならそうしていたかもしれない。それくらい苦々しい心境でオレの心は
いま、満たされている。
浅間山の一件から一週間の時が過ぎていた。
窮余の一撃は無事に死出蛍を倒したそうだ。四人は残されていたキャンプで朝を
待ち、翌朝下山した。と言っても失神していたオレはついぞ目を覚まさず、気がついた
のは弘明に背負われて担ぎ込まれた病院でだが。
覚悟してのこととはいえ、四人で唯一五体満足に済まなかったのがオレだ。最大強化
した榴弾銃の反動は凄まじく、右の鎖骨・尺骨のヒビ、肘の靭帯断裂ほか、数々の憂き目
は避けられなかった。今は手術前の一次退院中だが、病室に引っ込んどけば良かったと
後悔している。サポーターでガチガチの右腕など乳眼鏡に何度笑い飛ばされたか。
だが、これでもまだ軽く済んだ方かもしれない。全員生還の代価には安いと考えるべき
だろう。そういうことにしておく。腹立つから。ちなみにオレの背後であの射撃を支えた
ハズの弘明は、怪我といえば軽い打撲程度。体格のいい奴なんてみんな死ねばいいのに。
「……体格っちゃ、先輩の方は元気にしてんのかな」
「体格? 召屋先輩なら、日向のことを気遣っていたぞ。事後処理が忙しくて顔を
出せないそうだが」
「そっか」
ところで召屋先輩といえばあの仔竜。恐らく召喚の一つだったのだろうが、あれの扱い
について彼が幼女に厳重注意を受けたと小耳に挟んだ。さっぱり意味がわからないが、
その不可解な話も忙しい内に入るのだろうか。
ともあれ。
弘明の説も参考意見として取り入れられつつ、しかし当局も浅間山の死出蛍異常増殖に
ついて原因はわかっていないらしい。ベースに本隊の姿が見当たらなかったことに関して
は――単純に、全滅していたからだそうだ。演習を終えて戻る際、やはり死出蛍に襲われ
たのだろうと。
後日、専用に編成された学生部隊で、調査がてら浅間山の死出蛍は一掃された。
それでこの話はおしまいだ。
「だといいんだが」
呟いた弘明に、オレと阿酉は渋面を作った。
「締め際に要らんこと言いなや、ヒロ……」
「あ、いや。別にそういうつもりではないんだが。相棒がいるにせよ、先輩はいつも
あんなことをやっているのかと。ふと思った」
「そういや、そんなこと言ってたっけ」
「ああ。だからもうあれほどのことはなければいいとな」
「他人事やないよ。お互いにやろ? ――なにしろ一度は駆り出されてしもたんやから」
項垂れる三人。
とりあえずは怪我を治すこと。そして双葉学園にいる以上、訓練を怠らないことか。
さしあたり、
「次の試験は、再試も追試も無しにしねーとな」